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番外編*「願わくは」

*隆成視点

 陽射しを避けようと並木道を通るが、額から流れてくる汗は変わらない。ネクタイを緩めると、詰まっていた息を大きく吐き出した。

「はあ、暑いなー……」

 

 夏なのだから当たり前。でも、呟いてしまうものだ。
 実際アスファルトとビル群に溜まった熱のせいか、昼過ぎになると暑さが増す。シャツを腕捲くりしていると胸ポケットからの振動に気付き、携帯を取り出した。表示されている名前は先ほどまでとは違う。 

 

「総一郎か……ん?」

 

 悪友の名を呟くが、今は出る気がない。それよりも花壇の隅にいた物体に目が移る。
 それは手の平サイズの黒ブチ模様の小猫。痩せ劣っていて捨て猫だとわかるが、木陰になった土が冷たいのか、土まみれになっても気持ち良さそうに寝転がっている。

 

「うわ~、癒されるな~!」

 

 暑さが飛んだように腰を下ろす僕を周りは何事かとチラ見するが、構わず子猫に手を伸ばす。と、横から小さな肉球に叩かれた。
 見ると、もう一匹。白ブチ模様の子猫が花の間から顔を出した。双子だろうけど、綺麗な金色の瞳は片方ケガをしているのか、膿が出来ている。それでも睨む姿はまるで。

 

「千風ちゃん達みたいだね」

 

 微笑む僕に、白ブチちゃんは威嚇の喉を鳴らす。
 うん、そっくりだ。癒され具合も黒ブチちゃんが上だし、突っ掛かているように見えて白ブチちゃん、後退りしているしね。
 ますます面白い二匹を捕まえると、暴れる白ブチちゃんと目覚めたばかりでキョロキョロする黒ブチちゃんに構わず歩き出す。

 

「子猫二匹ぐらいなら会社で飼ってもいいよね。あ、その前に病院かな」

 

 癒されるものを持って帰る癖が発動したせいか、脳内は常夏とは関係ない春爛漫。
 そんな気分で携帯を取り出すと悪友その二に掛ける。でも出ない。一度切るとメールを送信。数秒後、電話が掛かってきた。

 

「御機嫌よう、圭太」
『てっめー隆成! たいがい脅迫メール送る癖を治せ!! 俺は仕事中なんだよ!!!』
「ははは、その仕事を天秤にかけて負けたのは誰だろうね。ところで、この辺に圭太の家がやってる病院ってどこにある?」
『この辺ってどの辺だよ! 一言足りねーのも悪い癖だぞ!! そうか、やっとその頭を治す気になったか!!?』
「ううん、僕じゃなくて子猫」
『ウチは動物病院やってねーよ!!!』

 

 耳から離していてもキンキン聴こえる声に、微笑んだまま今いる場所を伝える。『だから!』とか言いながら真面目な圭太は近くの病院を教えてくれた。
 礼を言うと、電話越しでもわかる大きな溜め息が届く。

 

『で、その猫、飼うのか?』
「うん。あ、手放すなんてバカはしないから安心して」
『どうだか。癒されもんでも生き物だろ。お前、女とどっこいで向いてねーじゃん』

 

 耳が痛い言葉に苦笑を漏らすと、腕の中にいる二匹を見つめる。
 幼い頃から癒されるものが好きだ。『可愛い』と大差ないと思うけど、僕の場合は見ていて飽きないのが前提。昔は直すぐ飽きて捨ててしまうものも多く、二十年以上残ってるのは川岸で拾ったペンギンの石。ジョリーヌぐらい。
 『バッカじゃねぇの』と言った総一郎と圭太を川に突き落としたのが昨日のようだ。

 

 でも、生きているもので癒されるのは少ない。
 最初に癒されたのは六歳の時にペットショップで見掛けたジャンガリアンハムスター。ガラガラと回し車で必死に運動する姿には癒された。夜中にしか回さないから家族にうるさいって怒られて、半年ちょっとで亡くなったけど。

 以降、他のペットも短い生だったりいなくなったり、圭太が言うように向いてないのかもしれない。

 

 それがまた女性との付き合いとなると短かった。
 はじめて付き合ったのは高校の後輩で、総一郎達から見れば女王様タイプ。その強気さに癒されたけど、一週間後すっごい怒られて別れた。次は大学の年上司書。ほのぼのとした人だったけど、二週間ちょっとで別れて、次は街中で見掛けた人で、最後は会社の人。

 

『会社の女とも付き合ったのか!?』
「新人の頃にね。一ヶ月もたなかったけど」

 

 あははーと笑うが、圭太が頭を抱えている気がするのは悪友の勘かな。
 別れた理由はどの子も同じで『よくわからない』。一緒にいても僕が何をしたいのか、何が好きなのか、どういう人間なのかわからないそうだ。そのための“お付き合い”だと思うけど違うらしい。女性心理は複雑だ。

 

『……スリーのことはどうだったんだ?』
「千風ちゃんねー……」

 

 本名で言うが何も返されず、指を噛む黒ブチちゃんに苦笑する。
 大人しそうに見えて隠れS的な千風ちゃんと、警戒心丸出しの千風ちゃん。あそこまで性格が反転するのを考えると、二重人格とかなんだろうなとは思う。

 

 そんな久々に見る“癒される女性”を総一郎が気に入るとは思わなかった。
 彼は面白い子が好きだし、何度か癒されるものが被ったことはある。その度に喧嘩して、勝っては負けての繰り返しだったけど、今回は違った。今まで見たことないほど本気で彼女が……いや、彼女達を好きになったのだろう。片方にしか興味なかった僕とは違う、すべての彼女を。

 

「恋愛って……人間よりも残酷だよね」

 

 呟きに圭太は何も答えず、足を止めると空を見上げた。
 暑かった太陽は雲に隠れ、涼しい風が吹き通る。あの雲よりも暗く痛い雨を浴びた日に聞いた彼女の言葉が今でも胸に刺さっていた。なぜ刺さるのか。それは“癒される”気持ちは“好き”の気持ちとは違うと知ったからだ。

 

 癒される人と毎日過ごせたら幸せ。それは恋愛と同じだと思っていた。
 けど違う。僕はただ一方的に癒しを求めるだけで、その人がどういう人なのかはどうでもよかったんだ。共有するのではない、傍に置いて見ているだけでいい“好き”とは掛け離れた観察対象。

 それを考えると千風ちゃんはとても興味が湧く子だった。でも“好き”になる前に総一郎とくっついては、どうしようもない。

 

『なんだよ、お前。横取りタイプじゃないのか?』
「ははは、大喧嘩したところに手を差し出して寝取るタイプだよ」
『性格悪っ……』

 

 げんなりとした声に意地悪く笑う。
 すると突然腕の中にいた二匹が暴れだし、逃がさないように抱え直していると、圭太は思い出したように言った。

 

『そういや俺、スリーと会ったことあったわ』
「え、実は常連だったの? 今すぐやめてくれる? ていうかなんでクラブなんか行ったの?」
『文句言いたいのか、脅迫したいのか、聞きだしたいのか、どれなんだよ』

 

 苛立った声に『全部』とか言ったらまたうるさく言うだろうなとスルー。黒ブチちゃんを撫でていると一息吐くのが聞こえた。

 

『五年ぐらい前だったか。系列にある病院で薬剤の研修に入った時にな』
「患者だったの?」
『いや、母親が入院してたって言ってたから見舞いだろ。殆ど毎日、同じ私立校服着た眼鏡の男と一緒にきてたからよく覚えてる。まあ、当時は黒髪だったし、暗い店内じゃ気付かなかったけどな』

 

 飲み物の音を聞きながら考え込む。
 五年前なら千風ちゃんは高校生。眼鏡の男は前、柳田くんが言ってたSPとかいう男かな。そういえば昨日、龍介が千風ちゃんと楠木財閥の令嬢が同級生とか言ってたっけ。それと“あらさわ”とか……“あらさわ”?

 

 欠伸をする白ブチちゃんを猫パンチする黒ブチちゃん。
 その手に僕の顔も上がると、ビルに設置された電光掲示板が目に入る。CMを流しながら今日のニュースを短く伝える文字。

 

 それを追いかけている内に、ひとつのことが繋がった。

 


* * *

 


「はひ、隆成さん?」

 

 動物病院を出るとデパートの袋を持った子と目が合う。茶髪の髪を下ろした千風ちゃんと。
 すぐさまキャリーケースを持ったまま両手を広げたが、柳田くんに止められた。キミ、どこにいたの?

 

 木陰になった公園のベンチに腰を下ろすと、ガリガリちゃんアイスを食べる千風ちゃんはケースに入った子猫を見る。癒され時間に大きなケースを用意したくなるけど、柳田くんがいそうだな。それにしても鳩が多い公園だ。
 一羽、二羽と下りてくる鳩を見ていると千風ちゃんは顔を上げる。

 

「じゃあ、白ブチちゃんの結膜炎は大丈夫なんですね」
「うん、処方してもらったからね。千(せん)ちゃんは栄養失調だったよ」
「千ちゃん?」
「黒ブチちゃんの名前。白ブチちゃんは風(かぜ)ちゃん」
「秋○雅史?」
「いや、曲名じゃなくて人名から」

 

 彼女の頬に付いたアイスを指先で拭い取ると口に入れる。
 千風ちゃんは暫し間を置くが、気付いたように頬を赤く染めた。その癒され空気に頬が緩むが、彼女の首元に付いた証に溜め息を漏らす。それが珍しかったのか、首を傾げる彼女に手を振ると訊ねた。

 

「もう一人の千風ちゃんは元気かな?」
「元気ですよ。『櫻木隆成お断り。去れ』と言ってます」
「ははは、ちょっと話があるから替わってもらおうかな」
「……何で替わるか知ってるんですか?」

 

 冗談交じりで言ったのに、どこか警戒心のある笑みを向けられる。店で見せるような表情、もう一人の彼女に似た気配に僕も笑みを浮かべた。

 

「何で、というのはわからないよ。二重人格な気はするけどね。でも……キミがどこのお嬢さんかは知ってる」

 

 落とした声に合わせるように大きな風が過ぎ去り、鳩が一斉に飛ぶ。
 羽音をうるさく感じることも瞼を閉じることもなく、顔を伏せる彼女の前髪から覗く瞳に目を合わせた。

 

「はじめて会った時に感謝状を貰ったって言ってたでしょ? その名簿に名前が残ってたよ。今のとは違う苗字でね」
「……職権乱用ですね」
「都道府県と名前しか残ってないから安心して。まあ、それだけじゃ本人かどうかはわからなかったけど、圭太や龍介の話。あと、今朝のを観ればね」

 

 笑いながら秘書から届いたメールを見ていると、細い手が伸ばされる。
 その指がカメラを押し、僕の手首を握ると彼女を写す。さっきまでの癒され空気を飛ばすかのように細められた瞳を持つ“もう一人”を。目を見開くついでに口笛も吹いた。

 

「そういう替わり方?」
「制限はあるけど、アンタにそれ以上教える気はない」
「ははは、冷たいね。知ったところでどうもしないのに」
「よくわからないアンタを信用出来るわけないでしょ」
「そんなにわからないかなー……」

 

 ガリガリちゃんを食べる千風ちゃんに苦笑すると空を見上げる。
 カメラも下ろしたせいか癒やされ空気が戻るが、彼女を見ようとは思わず、ただ流れる雲を目で追った。すると柔らかな声を掛けられる。

 

「隆成さん的に、自分はどんな人だって思っているんですか?」
「んー……一言で言うなら子供っぽい、かな」

 

 楽しいものを見つければ突っ走るし、欲しいものは欲しい。飽きたら捨てる。大人になればそれらの抑制は出来るが、今度は面白い方の味方をしながら反応を楽しむ。良く言えば利口的。悪く言えば自己中。三十路も越え、社長ともなるとマズい気がするけどね。

 

 苦笑する僕に千風ちゃんは暫し考え込んだ様子だったが、食べ終えたガリガリちゃん棒を見ると僕に差し出す。棒の先には『一本当り☆』の文字。視線を上げると満面笑顔の千風ちゃん。

 

「交換してきてください!」
「ははは、僕にそういうこと言うんだ。いいよ、目の前で食べられるのと、粉々にしてジュースにされるのと、鳩の餌にされるのどれがいい?」
「ひ、酷い! せめて薫さんにあげてください!! お願いします!!!」
「どうしよっかなー……もう少し跪いてくれないと」

 

 手に持った当たり棒を揺らしながら口角を上げる僕に、千風ちゃんは頭を下げる。
 そんな僕らを散歩していた人達は遠巻きに見つめ、柳田くんが飛び出そうか迷っている姿に千風ちゃんの肩を叩いた。

 

「やっぱ、総一郎(ツッコミ)いないと無理だよ」
「はひ、おかげで隆成さんはノリが良い人だとわかりました。あと、子供っぽいというより鬼畜で帝王様より酷い人ですね」

 

 力説する千風ちゃんは僕を理解しようとしていたようだが、斜め上すぎて笑うしかない。
 さすが総一郎が疲れるだけはあると、悪友を虜にした彼女の頬を撫でる。でも、柔らかな肌と艶やかな唇を指でなぞっても、総一郎みたいに『喰いたい』と湧くものはない。それはきっと“好き”になる手前で止まり、彼のものになったせいだろう。

 

「総一郎のこと……好き?」

 

 千風ちゃんの頬が熱くなってくるのが手の平から伝わる。そのままゆっくりと頷かれると、こっちまで恥ずかしくなるが、恋愛っていいものかもしれないと感じさせるには充分だった。

 

 そして撫子も、ずっとその気持ちを持っていたとしたら凄いことだ。
 九つも下のせいか、すれ違いも多かったし、あまり興味もなかった妹。総一郎ばかり見てたから、好きなんだろうなーぐらいはあったけど、本気だとは思ってなかった。それが本当の“好き”だと知っていれば、叶えてあげることも出来ただろうに。

 

「隆成さん……?」

 

 呼ぶ声に、閉じていた瞼を開くと真っ直ぐと僕を見つめる千風ちゃん。
 その瞳の奥には睨む“もう一人”も見えた気がして苦笑すると、当たり棒を彼女の唇に付けた。

 

「あのさ……龍介への土産届ける代わりに、この当たり貰っていいかな?」
「へ、あ、よく階堂様ってわかりましたね」

 

 目を見開く彼女の膝にあるデパートの袋。
 その間からは駄菓子らしき物が見え、一人しか浮かばない。昨日、色々と手を貸してたみたいだからね。くすくす笑う僕に千風ちゃんは笑みを向ける。

 

「届けていただけるなら助かります」
「うん、じゃあ、交渉成立ね」
「はひ……?」

 

 無邪気な彼女にゆっくりと顔を寄せると、口付けた──当たり棒に。
 木で隔かれていても僅かに唇と唇は重なり、知らない味が広がる。その味をもう少し堪能したくなるが、慌てて駆け寄ってくる柳田くんにリップ音を鳴らすと唇を離した。
 千風ちゃんは瞬きも忘れ呆然とし、そのままコテンと首を傾げる。

 

「は……ひ?」
「ははは、今度は撫子と三人で遊ぼうね。あ、総一郎には内緒だよ。今のキスも」

 

 笑いながらデパートの袋とキャリーケースを持つと立ち上がる。
 やってきた柳田くんには睨まれるが、笑みを浮かべたまま通り過ぎ、公園の前でタクシーを拾った。振り向いても千風ちゃんの表情は変わらず、笑ったまま乗り込むと行き先を告げる。それから電話を掛けた。

 

「御機嫌よう、龍介。今からそっちに行くから撫子と一緒に昼食しよう。え、キミにも用事あるよ。駄菓子のお土産と結城(ゆうき)のことと。え、なんのことかって? やだなー、この間ハン『わかったわかったから! 勝手にきたらいいでしょ!! だからもうヤメテ!!!』

 

 激しい懇願にまた笑うと、今度は秘書に階堂呉服に寄ってくること、子猫を二匹会社で飼うことを連絡した。当然怒られたけど、ここは権力と笑顔でゴリ押しさ。タクシーの運転手の顔が青くなったのは気のせいだよね。

 携帯を胸ポケットに仕舞うとケースの扉を開き、二匹の子猫を撫でる。
 

 窓から射し込む暑い陽射しのような金色の瞳は、さっきの彼女のように真っ直ぐ僕を映しているように思え、込み上げるものがあった。それは癒しとは違う嬉しさ。何かを愛でるという今までにない感情。

 

「暫くはキミ達が恋人かな」

 

 笑うと二匹は互いを見合い、カプリと指に噛み付く。僕の笑顔が凍った。
 ブリザードでも感じたのか、噛み付いた箇所を必死に舐める二匹に笑みが通常に戻る。とても僕を理解してくれそうだと頭を撫でると、反対の手に持つ当たり棒を見つめ、窓の外に立ち並ぶビル群に目を移した。その窓に映る自分の表情は険しい。

 

 願わくは、二匹のような二人と悪友の出会いが、この高い壁に負けないことを祈る────。

*次話、千風視点に戻り、最終章に入ります

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