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26話*「紡ぐ」

*総一郎以外との微エロ有

 聞く度に楽しかった思い出が消えていく。崩れていく。
 もう戻ることはない。戻りたくない。
 ただ望むのは、手の平から飛び立つこと。蝕むものなどない、自由な空へ――。

 


* * *

 


「送ってくれてありがとうございました」

 

 アパートの自室前まで送ってくれた薫さんにお礼を言うと、帝王様とは違う優しい手で頭を撫でられる。サングラス越しでも柔らかな目がわかり、私も満面笑顔。手を離した薫さんは会釈した。

 

「では、私はこれで。社長には送り届けたこと、櫻木様に会ったことを伝えておきます」
「あ、た、隆成さんのことは……」

 

 笑顔がひくつく。
 まさか会うとは思わなかった隆成さん。可愛い子猫を二匹飼うみたいですが、名前が千と風って……しかも、最後なんか……思い出すだけで頬が熱くなるのは、ふーちゃんが暴れてるせいですかね。

 

 遠い目をしていると、突然ずずいと薫さんが顔を近付けた。
 見たこともない怒気を帯びた顔付きで、暴れていたふーちゃんと二人ゴクリと喉を鳴らす。開かれた彼の口からはハッキリとした声。

 

「もちろん、口付けのことも」
「はひぃいい~~~~」

 

 低いトーンと顔の迫力に仕事中の幼馴染を思い出し、涙目で頷くしか出来なかった。やっぱり薫さんも優しいだけじゃないんですね。

 

 玄関のドアを閉めると、外階段を下りる音。
 痛い腰を支えながら衣類を置いている洋室へと入り、開いたカーテンの窓から薫さんが乗る車を見送る。重い溜め息が零れた。

 

「ああ~……絶対帝王様に何か言われますよね」

 

 傍から見れば独り言。でも脳内に『しーらない』と言うふーちゃんの声と、腕を組む姿が浮かぶ。
 中三の頃には会話も記憶も共有出来るようになっていた私達。最初は戸惑いからかあまり喋らなかったけど、今では気兼ねなく他愛ない話が出来て、五年の一人暮らしも寂しくない。むしろ光熱、食費一人分の二人暮らし。経済的です。

 

 そんな相方ふーちゃんは眠いのか、脳内ルームで布団の用意をはじめていた。
 私も帝王様から貰ったワンピースを脱ぎ、キャミソールとショーツだけになる。そのまま携帯だけ持つと寝室にしている和室の戸を開いた。カーテンが閉まっている部屋は薄暗いが、欠伸をしながら慣れた足取りで進む。

 

「はふ……やっぱり、眠いですね」
「うん……」
「もう、帝王様が激しいから」
「そんなに?」
「今朝もベッドにお風呂と、何回イきましたかね」
「あ……想像するだけで腹立つけど……抜ける」
「抜けるって、ふーちゃん何(ちー、誰と話してんの!?)

 

 布団から勢いよく起き上がったふーちゃんの声と姿に、笑う声も足も止まった。
 同時に何かを踏み、見下ろす。畳には敷いた覚えのない布団が敷かれ、片足は皺の寄った白いシーツ。片足は畳。ではなく、シャツの上に乗っていた。ボタンが数個開いた間からは胸板が見える。胸板?

 

 視線を上に動かすと、鎖骨にくっきり見える喉仏、飛んで鼻、薄く開かれた瞳。タオルケットから出てきた手がカーテンを開くと、燦々の太陽が漆黒の髪と口元の弧を見せる。
 顔を青褪める私とは反対に、よく知る人物は踏まれているのに笑顔。

 

「お帰り、ちぃ」
「は……ひいぃぃぃーーーー!? ははは春ちゃん!!?」
「あ、退かなくていいのに……」

 

 腰の痛さも忘れ大慌てで離れると、春ちゃんは不満そうに口を尖らせた。隆成さん、薫さんに続いてのビックリ行動に動悸が激しくなるが、なんとか声を振り絞る。

 

「ななななんで部屋……どうやって入ったんですか!?」

 

 まさか鍵の掛け忘れかと焦る私に、俯けになった春ちゃんは枕代わりにしている亀クッションに顔を埋めると、ズボンポケットから鍵を取り出した。我が家の合鍵を。

 

「ああー! またおじさんに借りましたね!?」
「違う……アパート借りた時から俺が持ってる」
「ウソ!? 前、父さんに借りたって言ってたじゃないですか!」
「そうだっけ……まあ、父さんと親父さんの許可は貰ってるし……問題なしなし」
「ありありですよ! 私の許可なしで何勝手に寛いで……ああっ!! 仁ちゃんから貰ったアイスが食べられてる!!!」

 

 部屋を見渡せばハンガーにスーツの上着とネクタイが掛けられ、畳と円形テーブルには空のビール缶が数十本。ウチにあったものじゃないのでいいですが、おつまみのように置かれた九州限定アイスは無残にも袋しか残ってない。普通のアイスも入ってたはずなのに限定ものだけ食べるとは許すまじ!

 

 恨みを両手に込め、背中を思いっきり叩く。が、マッサージを受けているかのように気持ち良い顔をされた。いえ、これはフツーに悦んでますね。
 その隙に合鍵を奪おうと手を伸ばすも、ポケットに仕舞われてしまった。

 

「もうっ、昨日の今日でなんですか! そもそも来る前に連絡するって約束は!?」
「したよ……電話とメール。出なかったの、ちぃじゃん」
「そんなのなかっ……え、何、ふーちゃん」

 

 怒りに燃えていたが、目を泳がすふーちゃんから履歴を見るよう言われる。携帯は不在着信も新着メールもゼロ。だが履歴を見ると『ハヤテ号』の不在着信。そして『うつ病でした』というメール。私は沈黙。ふーちゃんは土下座。春ちゃんはドヤ顔。

 

「…………春ちゃん、仰向けになってください」
「? 何……っあああ!」

 

 忠実な犬のように従ったご褒美に、ズボン越しに膨れ上がっていたモノを勢いよく握る。帝王様のより小さいけど充分固いモノ。それを笑顔で捏ねる私に春ちゃんは嬉しそうに動く。
 これだけ元気で、うつ病は有得ませんね。なら早くお布団畳んで、ゴミを片付けて、お詫びのアイス買ってきて、ご帰宅願いましょうか。

 

 そんなことを思っている裏で、ふーちゃんがドン引きしている気がした。


* * *

 


「相方のS度が増してません?」
「相方のM度が増してんじゃない?」

 

 綺麗に片付けられた和室でモナッ王を食べ終えた“あたし”に、隣に座る“冬”は麦茶が入ったグラスを手渡す。受け取ると自身のグラスにも麦茶を注ぐが、大きな溜め息をついた。

 

「まったく、Sの俺には屈辱ですよ。早々に替われば良かった」
「そっちは制限ないから良いよね。ていうか、無断侵入やめてよ」
「連絡はしたので無断ではありません。伝達ミスをした貴女が悪い」
「紛らわしいメールを送ったアンタが悪い」

 

 同時に麦茶を飲む。
 ちーが寝ている間、起きているあたしの記憶は残らない。その間に大事な連絡等があった場合は起きた時に話すことにしているが、まさか昨夜のが『今から向かいます』連絡とは思わないでしょ。というか、出ないことぐらいわかってたはずだ。総一郎と……すること考えるとさ。

 

「俺達とどっちが気持ち良かったですか?」

 

 グラスをテーブルに置くと、静かな問いと一緒に伸びてきた手に頬を撫でられる。
 その手は同じグラスを持っていたせいか水気を含んでいて火照っていた顔を冷やす。けれど目先の微笑はそれ以上に冷ややかだ。湿った唇を親指でなぞりながら顔を近付ける男の唇に、自分の指先を付けた。

 

「総一郎」

 

 断言に暫しの間を置いた冬は手を離すと電話を掛けはじめる。内容からタクシー会社のようで、時計を見れば店に行く時間が迫っていた。
 あたしも立ち上がると洋室へ向かい、仕事用のドレスを脳内でちーと話し合う。今は冬がICレコーダーを使っているせいか、ちーに替わることは出来ない。春相手じゃ話にならないのもあるが。
 黒のロングヴェールを手に取り、キャミソールを脱ぐと、戸に背を預けた冬に訊ねる。

 

「で、アンタの用事は父のこと?」
「ご存知でしたか。その様子ですと御門総一郎にはバレてませんね」
「櫻木隆成にはバレたけど、どうだろ。妙なとこで勘がいいから……あ、そうだ。総一郎に聞かれたんだけど“IPA”って何? ビールじゃないの?」
「IPA……」

 

 姿見を見たまま背中のファスナーを上げるが、あと少しが上がらない。
 眉を顰めていると突然手の甲を叩かれ、身体が跳ねる。気付けば背後で微笑む冬が鏡に映っていた。足音すらしなかったんだけど、柳田さんといい、SPって忍者?
 そんなことを思いながら手を離すと、冬はファスナーを上げる。のではなく、下げた。

 

「ちょ、逆逆! あっ!!」

 

 彼の脚を叩くが、両手で腰を持った冬は開かれた背中に口付ける。そのまま吸い付くように響くリップ音に、喘ぎが漏れた。

 

「あっ、仕事前に……何し……んっ」
「どこかの男と違って見えるところには付けませんよ。それより、俺のことも聞かれませんでした?」
「あ、あたしとアンタは……ん、パソコン使えるかーぐらいあんっ!」

 

 背中を押され、倒れる身体を支えるように両手を鏡に付ける。と、脇の間を通った両手にドレスの上から胸を揉まれた。ゆっくりだったのが次第に荒くなり、ベアトップになった胸元を引き下げられると、総一郎より細い指が乳房を持ち上げ揉みしだく。容赦なく先端を摘まれた。

 

「あっ、やっぁ!」
「貴女にはピンとこないでしょうが“IPA”はいわゆる情報セキュリティ。恐らく俺達の情報を消したのが誰か探っていたんでしょ。まったく、|護衛《俺》の素性もあまりバラさないでくださいよ」
「護衛、違う……はひっ」
「ちぃはそうでも……俺は違う」

 

 ICレコーダーを切られ“私”に替わると、抱きしめる腕も“春”ちゃんに替わる。と、ドレスを床に落とされた。

 

「は、春ちゃ……!」
「あーあ……綺麗なちぃの身体に嫌な痕が……」

 

 首筋を舌で這わせ、耳元で囁く冷めた声に身体が反応する。視線を前に戻せば片胸を揉まれ、前からショーツの中に指を入れられている自分が鏡に映っていた。散りばめられた赤い花弁も。
 羞恥と錯誤に身体が熱くなり、必死に身じろぐ。

 

「離して……ん、ください……私が好きなのは帝王様」
「ん……俺もちぃが好き……だから……シよ?」
「な、なんでそうな、ん!」

 

 非難の声は、振り向いた先にあった唇に塞がれた。
 帝王様とも隆成さんとも違う。でも、覚えのある口付けに彼としたことを思い出していると、体重を掛けられる。両手では支えきれない重さに唇を離すが、揺れる乳房は冷たい鏡に押し付けられた。
 同時に秘部を擦る指先と、ズボン越しに宛がわれるモノ。反応すればするほど冷たい鏡と胸の先端が擦れ合い、声が漏れる。

 

「あふ、んっ……あ」
「ああ……最高にゾクゾクする……ちぃ、早く『蓮華』辞めて俺のとこおいでよ」
「嫌……ん、です」
「なんで……お金は返したし親父さんも辞めるし……ちぃ、もう自由だよ?」
「っ!?」

 

 静かに告げられる言葉に、身じろいでいた身体も漏れていた声も止まった。
 それは縛られていた糸が切れたことを意味すると同時に、漠然とした不安に襲われる。そんな何もない世界でも一人の背中が見え、ゴクリと喉を鳴らすと、股に通した手で春ちゃんのモノを握った。

 

「っあああ!」
「お金を返したから老後の蓄えをしてるんです。春ちゃんもシッカリお仕事して良いお爺さんになってください。無理そうですが」

 

 手を離すと、股を両手で押さえた春ちゃんは床に丸まる。
 落ちたドレスを拾った私は他のドレスに着替え直すと彼に構わず支度をはじめた。昨日までの浮ついた気持ちも、さっきまでの不安な気持ちも化粧で消し『風』になる。

 

「……それじゃ、ちょっと仕事の話を」

 

 髪を結い終えると、ICレコーダーを押され“あたし”に替わる。床に座る“冬”は不機嫌そうに見えるが、バックの入れ替えをするあたしは耳を傾けた。

 

「昨夜のパーティーで楠木様以外にも貴女を知っている方が何人かいまして、少々噂になっています。俺の方でも策は講じてますが、完璧ではありません」
「用心しろってことね。総一郎の父親も知ってたよ」
「まあ、六家の会長クラスなら……と、失礼」

 

 ポケットから携帯を取り出した冬は電話を取る。
 タクシーがきたのだろうとショールを羽織ると、総一郎の父親を思い出す。瓜二つ親子に呆れたが、息子以上に自信に溢れ、真意を見極めるのが得そうな人。

 あのテは侮っていると足を掬われるが、仁左衛門様と同じ傍観タイプにも見える。それを考えると息子の勘が怖いかもしれない。

 

 考え込んでいると電話を終え、立ち上がった冬に続くように玄関へと向かう。と、戸棚に手を伸ばした男は、あたしでは届かないところから自身の靴を取り出した。背中を抓る。

 

「っだだ!」
「白状しろ。合鍵悪用して何回ウチに侵入した?」

 

 あたしの記憶では春冬を家に入れたのは五回程度。ちーも頷いてるから間違いない。しかし、それだけで掃除機もゴミ袋の場所も知ってるものか?
 疑いの眼差しを向けていると、覗き穴から外を確認した冬はとびっきりの笑顔。察した。

 

「鍵返せ変態!!!」

 

 顔を青褪めズボンを叩くが、鍵らしきものは出てこなかった。既に隠されたらしい。総一郎のところに引っ越そうかと本気で悩む。

 

 傾きはじめた太陽を遮るように待っていたタクシーに乗ると、監視機器はなく“私”に替わる。同時にICレコーダーも切れたようで、窓越しに映るのは“春”ちゃん。
 閉じられていた窓を開ける。一センチ。

 

「期待させといて寸止めとか、最高……」
「うるさいです。春樹さんに連絡して鍵を没収してもらいます。次から私が電話に出なかったら出るまで家に来てはいけません。では、去らば」
「あ、ちぃ」

 

 無心の私に頬を赤めていた春ちゃんは前のめりになる。永遠電話に出る気がないのがバレたのかと思ったが、その表情は真剣だった。

 

「昨日、階堂龍介と一緒にいたけど、他の六家とも会ったりした?」
「? 電話した時に仁ちゃんと会って、その後に階堂様と安室様に会いましたけど、二人にはバレてないですよ」

 

 順番に思い出していると目先の表情が徐々に険しくなる。それが少し怖いせいかショールを強く握ると溜め息が聞こえた。

 

「あまり六家には関わるなって言ったのに……まあ、まだいいか。御門総一郎に実家のこと言うの?」
「……言わないですよ。お父さん辞めたなら、それこそ関係ないですし……それに」

 

 椅子に背を預けるとバックに手を入れる。
 実家は別に帝王様とも六家とも関係ない。だから言う必要もないし、私は言いたくない。それに『暴く』と言っていた彼に私が言うのも興醒めのような気がして、このままでいいと思う。このままで。

 

 顔を伏せていると覗き込んでいた顔が遠ざかり、視線を上げる。春ちゃんは胸ポケットから取り出した眼鏡を掛けた。

「ちぃがいいならそれでいい……何かあれば連絡ちょうだい。すぐ行くから」
「また襲われそうなので結構です」
「人妻と恋人を寝取る重さは違うから大丈夫だよ」
「どっちも悪い!!!」

 

 とんでもないことを笑顔で言われ、私も運転手さんも顔を青褪める。
 さっさと出してもらうよう言えば、動き出すタクシーに春ちゃんは小さく手を振った。見えなくなるまでずっと。

 

 隆成さんといい、帝王様に話した方がいいのか考えると未来が怖い。
 それでも今とても会いたいと思うのは今朝まであった匂いが別に変わったせいか。繋がっていた古い糸が切れ、新しい糸が紡ぐ先に思いを馳せる。

 

 バックの中で手に馴染んだように収まる、ゴールド色のライターを握ったまま――――。

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