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幕間4*「羨ましい」

*総一郎視点

 日曜の夕方、俺の機嫌は最高に悪かった。
 原因は櫻木との合同システムに徹夜しまくって眠いのがひとつ。寝るかーと、ひとまず親父に完成報告にきて『じゃ、明日お披露目な』と横暴命令が下ったのがひとつ。隆成から『今日、千風ちゃんと撫子が会うんだよー』とメールがきたのがひとつ。
 そして、耳に宛てた携帯がツーツーと無機質な音を立てているのがひとつ。

 雨が降る外を会長室の窓から立ち尽くしたまま見つめる。
 携帯を下ろすと握りしめる手は強くなり、肩が震えだすが、背後から聞こえる銃撃音で我に返った。振り向けば、ソファに胡坐をかいて座り、八十インチのテレビでゲーム『バイなりハザードⅥ』をする親父。
 ゾンビの声に苛立ちが募ると声を荒げた。

 

「おい! 電話してる時ぐらい音を下げろ!! 事件と間違わられるだろ!!!」
「何言ってんだ、これでも十八だぞ十八! 良心的じゃねああ!! おめぇが邪魔するからクリスが死んじまったじゃねぇか!!!」
「ちょ、ちょっと総司さん! クリスって誰!? まさか外国人の女を愛人にしたって言わないわよね!!?」
「そうそ、彰乃より身長と胸があるエロス剥き出しの美人テロ隊長だ」
「いやあああぁぁ!!!」

 

 親父の膝で寝転がっているお袋の悲鳴に『クリス、男だぞ』というツッコミはやめた。目隠しプレイをやめればわかるしな。歳を考えず何SMごっこしてんだか。
 溜め息をついているとゲームとテレビが消され、シャツのボタンを数個開けた親父が振り向く。

 

「で、さっきの電話相手が、おめぇの喰いたい獲物(おんな)か?」
「その割にはケンカしてった!」

 

 目隠ししたまま顔を覗かせたお袋の頭にチョップが落ちる。
 先週、階堂呉服に出向き、隆成の妹にした話は婚約解消。それを親父達にも言うため足を運んだが、先手を打たれた電話にどこまで話したかも忘れた。

 

 頭を掻く俺に、胸ポケットから煙草を取り出した親父はお袋に何かを耳打ちする。お袋の頬が見る見る赤くなり、目隠しを取るとそそくさと部屋を出て行った。見送る俺の背に声が掛かる。

 

「獲物捕獲に手こずってるみてぇだな」
「ジジイの店で働いてる女だからな。喰いがいはありそうだろ」
「くくっ、まあな。まあ、まずは撫子嬢ちゃんとの件だが」

 

 天井に向けて紫煙を吹くのに構わず、俺も会長席に座ると煙草を取り出す。
 妹には他に手中に収めたい女が出来たから解消してれと馬鹿正直に話した。当然驚き、両手を握りしめていたが、その返答は『待ってほしい』。

 強い発言と目は兄の背中に隠れていた弱々しい女の子ではなく女。
 

 知らぬ間の成長に揺れ動くものがあったが、それはやはり恋愛感情より親戚気分。それでも何かを決心しているかのように見えた妹にそれ以上のことは言えず、保留という形でその日は終えた。
 まさか今日、千風と会う約束をしているとは思わなかったが。

 

 煙草を咥えると僅かな雨音が聞こえる。
 さっきまで耳に届いていた声の背後からも聞こえた音。今聞いている音よりも直接的だった音は隆成の声で傘を差していないことがわかった。だが、ヤツの声が不快に聞こえたせいで嫌な台詞を自分でも吐いたと思う。

 

『…………てめぇはセフレを俺と望んで隆成の本命になるのか?』

 

 思えば話が噛み合ってなかった気がするが、そんなの考える余裕すらなく口走った。その罰か、返ってきた言葉が頭の中で木霊する。

 

『そんなこと……考える……帝王様なんて……総一郎なんて……大っ嫌い……』

 

 それは“二人”の拒絶。
 開きつつあった扉を完全に閉じ、封をするような重い声は想像以上に応えている。胸の奥が痛くなるなんざいつ振りか。それだけ自分があいつらに執着していたのがわかるが、それだけわかっても意味はない。
 火を点けなかった煙草で机を叩いていると、煙草を消した親父が立ち上がる。

 

「そこまでおめぇを追い詰めるとは中々やるじゃねぇか。名前は?」
「……宇津木 千風」

 

 源氏名と迷ったが、親父相手に隠しても無駄だと本名を出す。
 千風の名を唱えながら上着を着る親父だったが突然ピタリと止まり、天井を見上げた。俺は眉を顰める。

 

「知ってんのか?」
「ああー……多分。つーか、彰乃の方が詳しいかもな」
「は?」

 

 親父が知っている予想は立てていたが、まさかのお袋に目を瞠る。
 解消の話と、喰いたい女がホステスと言ったら怒りやがったから名前は出さなかったが……失敗したか。追い駆けようと腰を上げると、頭にチョップが落ちた。

 

「っだ!」
「おめぇのポリシーは人に頼らず暴く、だろうが。明日のためにとっとと寝て、回転を戻しやがれ」

 

 誰のせいだと文句が出そうになったが正論だ。
 ぐちゃぐちゃになった頭で考えて得るものはない。そもそも解答を持っているのは千風なんだ。さっきの『嫌い』が本当かどうかも、面と向かって話さねぇとわかるわけがない。
 煙草を握り潰していると、ドアに向かっていた親父は思い出したかのように振り向いた。

 

「彰乃と桔梗が何か企んでる節があるから気を付けろ」
「ああ?」
「どうせロクなことじゃねぇとは思うが、一応な」

 

 小さく手を挙げたまま立ち去った親父に、握っていた煙草が落ちる。内心、これ以上の悩みは御免だと雨音を聞きながら切に願った。

 


* * *

 


「で……婚約発表が内密に用意されていたと」

 

 眉間の皺を押さえる俺の耳に淡々とした声が届く。
 翌日、会場となるホテルで角脇に耳打ちされたのが、新システムの発表ついでに俺と櫻木撫子の婚約発表があるらしい、だった。一晩寝てスッキリした頭がまた痛くなる。
 溜め息をつくと、騒がしくなってきたロビーの一角で同じように壁に背を預ける男に訊ねた。

 

「藤色(ふじしき)ならどうする?」
「いや……止めろよ」
「雲隠れしたかのようにお袋は捕まんねぇし、親父は親指を立てただけだぜ」

 

 俺の説明に取引先のひとつで付き合いが長い『Earth(アース)』の御曹司、藤色 海雲(かいうん)は黙り込む。
 同じ身長に漆黒の短髪をアップにしたスーツの男はひとつ年上で既婚者。今は嫁の地元福岡で支社長をしているが、たまたま東京に戻っていたらしく、今夜の便で帰る前に顔を出したそうだ。
 缶コーヒーをひと口飲んだ藤色は口をへの字にしたまま俺を見る。

 

「でもお前……別に恋人がいるんだろ?」
「恋人ではねぇよ」
「…………告ってないのか?」
「喰いたいとは言ったな」
「それ…………一回限りの関係と勘違いされるぞ」

 

 語尾を強めた藤色は顔を顰める。
 喰いたい、手中に収めたい、執着している。それらは最初の頃や妹に感じなかった恋情だろ。だが今の状態で会っても“好き”や“愛”の言葉を伝えられるかはわからない。昨日のように嫌なことを口走りそうだと、らしくもないことをボヤくと藤色の表情が戻る。

 

「お前も言えないなんて……本気なんだな」
「“も”ってなんだ」
「いや、寺置(てらおき)も嫁にだけは手間取ってたから……俺様も恋愛になると違うなー……って」
「あの腹黒眼鏡と一緒にすんな」

 

 席を外している藤色の秘書と同類にされ眉を顰める。
 あの秘書は角脇と隆成を足して二で割っても足りないほど性格が悪い。俺に思わせるほど。

 

 握り拳を作っていると、ゴミ箱に缶を捨てた藤色は床に置いていた袋を開く。
 嫁への土産といって出てきたのは体長五十センチ以上はある皇帝ペンギンのヌイグルミ。背中に付いたファスナーを開ける様に後退りするが、変わらない声で話す。

 

「今のお前の気持ち、わからなくもない……俺も嫁には振り回された。会う度に好きにさせておきながら……変わらず笑ってるもんだから……自分はどう想われているかモヤモヤしたな」
「……でも、両想いだったんだろ?」
「ああ……同じように俺が好きか悩んでたそうだ……俺だけじゃなくて良かった」

 

 手を止めた藤色は左手に光る指輪を見る。
 その表情は昔から見ていた無口無愛想とは掛け離れるほど柔らかい。それが好きな女と出会ったことで変わったというなら恋愛ってのは恐ろしいものだ。だが不思議と羨ましいとも思う。
 何かを吐き出すように大きな息をつくと、藤色はヌイグルミの中から箱を取り出した。

 

「御門……本当に解決したいなら言葉でハッキリ言ってやれ……親にも……女にも……得意だろ?」

 

 小さな微笑を向ける男に瞼を閉じると脳内に『大嫌い』が木霊する。
 だが、痛かったものはどこかに吹き飛び、今はその言葉が本当か聞き出すことが楽しみに思えてきた。嘘でも本当でも俺を本気にさせた分、落とした分、しつこく伝えて言わせてやろう。

 

「……ああ、得意だな」

 

 意地の悪い笑みで藤色を見る。
 一瞬目を丸くされたが、口元を緩めた男は箱を差し出した。サンシャー水族館限定ラッコのおかきを。

 

「ケンカ売ってんのか!!!」
「いや……寺置が『御門様が怒ってる時の顔って、ラッコが必死に貝を割ってる時に似てますよね(笑)』って言ってたから……つい」
「何が『つい』だ! しかも(笑)って!! あんのっ腹黒眼鏡!!!」

 

 怒りをぶつけるように、おかきにチョップを落としまくる。
 そんな俺を傍観し続ける藤色だったが、バイブが鳴る携帯を取り出すと顔を強張らせた。慌てるようにペンギンを入れ直すと、袋を抱えたまま手を上げる。

 

「じゃ、御門。頑張れよ」
「もう帰るのか?」
「ああ、寺置が玄関に車を持ってきたらしくてな。一分以内に来ないと置いてかれんだ」
「おい、秘書に脅されてどう……」

 

 最後まで言うことなく藤色は慌ただしく去り、俺はおかきを見下ろす。
 入れ替わりでやってきた角脇と隆成は互いを見合うが、俺が顔を上げると角脇が耳打ちしてきた。情報に笑みを浮かべると隆成を見る。

 

 昨日、千風と一緒にいたこと以外何も話さなかった男は、昔と変わらず誰にも何も悟らすことはしない笑みを向けている。だが、若干落ち込んでいるのが長い付き合いでわかり、貰ったおかきを手渡した。当然瞬きされる。

 

「何これ?」
「今夜の酒のツマミ」
「なんで今夜?」
「会場に現れる千風をどっちも俺のものにするからだ」

 

 迷うことなく言った俺に隆成は目を丸くする。
 柳田宛に千風から来訪するメールが入ったのを角脇から聞いた。相変わらず俺んとこには送らない。なんで、どうやってなんて事はどうでもいい。来ると言うなら捕まえるまでだ。お披露目も目の前の男にも関係なく。
 そんな真剣な眼差しで見つめる俺に、隆成は小さな息を漏らした。

 

「…………ホント、総一郎は強引だな……嫌いじゃないけどね」
「なんだ、えらく往生際がいいじゃねぇか」

 

 少し面を食らったせいか意地の悪い笑みを向けると、手を口元に寄せた隆成は微笑んだ。

 

「え、だって……総一郎が振られたら僕のものでしょ?」

 

 満面特大嫌味な笑顔を向ける男に極限まで眉が上がり、殴ってやろうかと拳を握る。だが、身体を震わせる俺の肩に手を置いた隆成は小声で言った。

 

「早く控え室に行きなよ。総一郎の両親もウチも揃ってるから、止めるなら今だよ。本当は撫子の初恋を叶えてあげたかったけどね……」

 

 淡々とした声だが、それは久々に見る“兄”の表情。
 すると遅れてきたのか、若干息を切らしている圭太が角脇の横で目を見開いているのに気付き、隆成の背中を叩くと圭太の元へ向かう。親指で隆成を指す俺に、付き合いが長い圭太は理解したように頷き、同じように背中を叩いてやった。
 それが痛かったのか怒鳴られるが、気にすることなく角脇を連れて控え室へ向かう。

 

 足取りに迷いも揺らぎもない。
 決めたことを言うだけだ。それは簡単に思えて難しいだろう。それでも行動しなければはじまらない。『大嫌い』を『大好き』と言わせるために。

 

 傍で聞くために――。

 


 

 薄暗かった室内が電気を点けずとも見えてくると、朝が近いことがわかる。
 おかげで四つん這いで跨る身体もよく見え、頭上で揺れる乳房に吸い付くと、官能をくすぐる声が上がった。

 

「ああぁ……っん」
「なんだ……刺激が足りねぇのか?」
「そんなわ……ああっ!」

 

 胸の先端を咥えたまま引っ張り、愛液を零す秘部に指を入れる。
 与えられすぎた身体は痛いのか悦んでいるのかはわからないが、強気の声から喘ぎへと変えたふーは力を失くしたように胸板へと落ちた。が、息を荒げながら薄っすらと開いた目に引き寄せられ、口付けた。

 

「っあ……ん……っあぁ」

 

 ふやけた唇を舌先で舐め、口内で舌と舌を絡ませる。
 もう何度口付けたか、抱いたかはわからない。体力なんざ当に切れたはずなのに求め、大事にしようと思っても溜めていた分はデカいらしい。
 そんな自分に笑っていると、唇を離したふーが眉を顰める。

 

「何……その……愉しそうな顔」
「いや……相当俺はお前達を好きだったことを知ってな」

 

 ふーの汗ばんだ髪を撫でながら言うと目を見開かれる。
 徐々に頬も熱くなっていくのが手の平から伝わるが、俺はそこまで熱くなるかと内心溜め息をついた。すると手の平に頬ずりしたふーは視線を逸らしたまま呟く。

 

「あ……あたし達の方が……総一郎のこと……好き……だもん……二人だし……っだ!」
「あ、悪い……」

 

 つい、チョップを落としちまった。
 なんだろうな、今すっげぇ恥ずかしくなったぞ。隆成とかいたら塩を巻かれるとこだぜ。
 そんな深呼吸する俺に、ふーは睨むと同時に怒声を上げた。

 

「もう、何すんの! やっぱ、アンタなんて嫌っん!!」

 

 黙らせるように口付けると、ちーとは違う、ふーだけのイいところを刺激する。
 身体は同じでも言葉遣いも呼び方も感じるところも違う二人は別人だ。それでも二人に沸く感情は同じで、抱きしめ口付け、耳元で囁く。

 

 好きだ、と、言葉で――――。

*次話も総一郎視点です

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