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幕間1*「はじまりは」

*総一郎視点

 デスクの紙束を他所に、チェアに背を預けたまま煙草を吹かす。
 ホテルのガラス窓から射し込む光は朝日ではなく夕日で、視線を落とすと小さな公園に目が留まった。なんの変哲もない公園だが、今朝会った女を思い出しているとノック音が響く。

「入れ」
「失礼します。総一郎様、調査の結果が出ました」
「報告頼む」
「その前に煙草消してくださいね。火事になっても私は逃げますから」

 

 封筒を開きながら話す角脇に眉を上げると煙草を灰皿に押し付ける。
 秘書の角脇 輝吉(てるよし)は歳は三十と俺より下だが、付き合いは長く寡黙で優秀。ではあるが、一言余計なのが難点。大きな溜め息をつきながら報告を促すが、疑問を投げ掛けられる。

「てっきり彼女のことかと思いましたが『蓮華』だけで良かったのですか?」
「あいつは暴いてこそが面白いんだよ」

 口角を上げると角脇は呆れる。バカ正直な顔すんじゃねぇよ。
 周りを知っておくにこしたことはないが、元々謎の店ではあるからな『蓮華』は。一息吐いた角脇は書類に目を通しながら話しはじめた。

「驚くことばかりですよ。創設五年ながら顧客は数万人以上おり、名立たる著名人ばかりです」
「五年でか……やり手なのか裏があるか」
「さらにNO.1から3、各ホステスには六家が常連にいます。あ、総一郎様を除いて」

 最後のは余計だが別の意味で眉を顰めた。
 六家とは正式名『六条政特家』。日本のIT業界の頂点に立つ俺の家、御門を含め、他業界の頂点に立つ六つの家の総称だ。政府高官との繋がりも持つが、御門は親父が会長してっから社長の俺はたまにしか会わねぇ。そもそも『六家』と言われて『六条』が浮かぶのはかなり上の連中だろ。じゃなきゃどこの六家って感じだしな。

 

 つーか、問題はそこじゃねぇ。俺以外に“あいつ”を付けてるヤツがいるだと……?
 小さな苛立ちに煙草を取り出すが、痛い目を向けられコーヒーを飲むことにした。目を伏せた角脇は報告を続ける。

 

「まず、NO.1に階堂(かいどう)。NO.2に安室(やすむろ)。どちらも息子です」
「また、珍しいヤツらが行ってんな」

 六家同士の会議もあるせいか連中の顔と性格を知る俺にとっちゃ、浮かんだヤツらが『蓮華』に行くのが想像出来ない。若干心配しながらコーヒーを口に運んだ。

 

「そしてNO.3、風様には──高科(たかしな)の御老公」
「ぶふっ!!!」

 盛大に吹いた。
 黒い斑点模様が紙束に点々と付き、冷たい視線が刺さる。口元とデスクを拭きながら声を張り上げた。

 

「た、高科のジジイだと!? おやっさんじゃねぇのか!!!」
「残念ながら。『蓮華』のママが言っていた後ろ盾とは彼のことだったのでしょう」
「確かに……俺でも文句言えねぇな」

 

 納得と同時に苛立ちが募り、我慢ならず煙草を取り出した。
 他の四家が相手ならどうとでも手を引かせられると思ったが、高科のジジイは厄介だ。何しろ六家のトップに立つ名家。それが息子や孫ならマシだが、会長のジジイか。

 

 紫煙を吐きながら角脇に車の手配をさせると、窓から見える公園を見下ろす。
 マジであの『蓮火』は、でけぇ火元だな──。


 

 

 

 はじまりは御門の傘下、足立グループ社長との会話。
 初日の会議ではオドオドと自信なさ気だった男が、三日目の今日は熱心に進言しているのに違和感を覚え、会議終了後に世間話のつもりで訊ねた。すると、歳はもう六十以上で腰が低い男は苦笑まじりに答えた。

「いえ……昨日『ハッキリ言ってこい!』と背中を押されまして」
「はあ?」

 

 意味がわからんといった顔をすると、ペコペコ頭を下げながら斯く斯くしかじかと説明。要約するとホステスに気弱な性格の相談をしたら渇を入れられた、と。
 なんだそのカウンセラー。つーかホステスってハッキリ言うなよ。おっさん既婚者だろ。だが足立は気にする様子もなく照れ照れで続けた。

「いやいや、蓮火ちゃんのおかげです」
「れんか? それがホステスの名か?」
「あ、いえ。源氏名は“風”で店は『蓮華』と言うのですが、その毒舌さと態度から『蓮火』と呼ばれているんですよ。お客さんとよく喧嘩することから『蓮華に火事を起こす蓮(はな)』って意味で」
「おい、それ本当にホステスか」

 

 普通客と喧嘩したらクビだろとツッコミたいが昨日会ったと言うなら無事か。
 そんな珍しい女に興味が沸き、店の場所を聞くと直行した。俺も接待などでクラブには行くが『蓮華』は知らず、移動中ネット検索する。が、閲覧制限が掛かっていて早くも眉を顰めた。まあ、行ってみればわかるとパソコンを閉じた、が。

 

「申し訳ありません、風は今日お休みを取っております」

 

 微笑む責任者(ママ)に、後ろから角脇の手がポンと俺の肩に乗る。
 当然顔は引き攣り苛立ちを覚えた俺は来るように命じた。一瞬“皐月”と名乗るママは目を見開いたが『承知しました』とすぐ笑みを作り、VIP室へと案内する。

 

 水曜でも客席は埋まり、見知った顔もいた。
 防犯カメラも設置されたVIP室を見渡すと、扉の前で立ち止まった柳田に声を掛ける。

「そこでいいのか?」
「……はい」

 

 護衛である柳田 薫(かおる)は静かに頷き、ドアの横に立つと見事に店の黒服に溶け込んだ。
 角脇と同い歳で付き合いも長い柳田は顔が怖いだけで根は良いヤツ。だが、それを知る人間は少ないだろう。なんたって誰も近付かねぇんだから。


 皐月ママに風と連絡が取れたことを聞くと、来るまで他の女を置こうかと訊ねられるが断って酒だけ注文した。さて、何が出てくるか……。


 

 

 


 気付けば寝オチしてたのか、角脇の痛い手に身体を起こす。
 皐月ママが目に入るが、すぐ横の茶髪の女に視線が動くと“風”だと名乗った。

 『蓮火』の名にもう少し派手な女を想像していたが、一六十ちょいの小柄。
 パープルのスレンダーラインのドレスからはくびれも綺麗に見え、装飾も控えめだが充分自身を引き立てている。顔立ちは若干幼いが、さすが高級クラブだけあって美人だ。が、愛想がない。

「貴方の秘書と同じぐらいだと思われます」

 

 淡々とした答えに、横に立つ角脇を見る。
 当然眉が上がっていたが間違いじゃねぇと同意すると、今度は営業スマイルで“俺”が誰なのかを訊ねてきた。冗談かと思ったが、まるっきし知らんらしい。
 プライドの高い客ならこの時点で喧嘩になりそうだが“面白さ”が勝った俺は足を組み、笑みを浮かべながら自己紹介した。

 

「俺は御門 総一郎。今夜お前を買う男だ」

 

 風は眉を上げたが、すぐ会釈すると角脇にも名を訊ねる。
 やっぱ愛想ねぇのは角脇と一緒かと思った。瞬間。

「総一郎はピンドンで、角脇さんはバーボンでお願いします」
「わかったわ」
「ちょっと待て。呼び捨てにした挙句、なに勝手に注文入れてんだ。しかもドンペリより高いヤツ」

 

 すかさずツッコミを入れたが、皐月ママは止まることなく注文を入れる。
 おいおい、初っ端から十万以上のピンドン入れさせるとはどーいうこった。つーか、客相手に呼び捨てかよと眉を上げると、変わらないスマイルで至極真面目な回答をしやがった。

 その観察力が自分んとこの社員なら満点でなくとも合格点は取れる。
 だがここはクラブ。普通なら不合格だ。なのに山になった灰皿を取り替える女を怒る気はしなかった。むしろ。

「あたしを買ってくれるんですよね?」

 

 ピンドンのボトルを持ち、営業ではない、満面の笑みを向けた女に寒気とは反対の感情が沸く。なんだろーな、この女は。俺をここまでしっちゃかめっちゃかに出来るヤツは早々いねぇってのに。
 Sの心に火が点き、こいつを泣かしたいのかは知らねぇが、気付けば手がソファを叩いていた。

「いいぜ、買ってやる。とっとと来い、風」
「……失礼します」

 

 会釈しながら隣に背筋を伸ばし座った風はマジマジと何やら俺の観察をはじめ、俺も同じように見つめる。近くで見ると華奢な身体だが肌は白いし胸もある。だが、角脇の悪ノリに合わせる口の悪さに無意識に顎を持ち上げると顔を近付けた。

 

 そのまま抱きしめるとスッポリと埋まりそうな女の肌は化粧をしているはずなのに他の女と違ってベタ付かず、ぷっくりとした唇は吸い付きたくなる。が、先手を打たれた。

 

「勝手に触らないでください」
「ちっ、もうちょいでその口を塞げたのによ」

 

 客を堂々と叩く女に舌打ちしながらも親指は風の唇をなぞる。
 その仕返しかは知らねぇが、口八丁手八丁でピンドン以外にもたっけぇ注文を入れられた──組み伏せていいか?

 


* * *

 


「あいつは、いつもああなのか?」

 

 時刻は0時近くになり、風に席を外させた俺は煙草を吹かしながら皐月ママに訊ねる。
 三時間以上居座った結果、口が悪い以外は仕草も察知力もある出来た女だった。俺自身のこと仕事のことを聞かずとも『俺様とは』談義で盛り上がったしな。そんな俺達を見ていた皐月ママはテーブルを拭き終えると笑う。

「ええ、全部のお客様に対して“ああ”ですよ。なので我がクラブ切っての火種ですわね」
「よくクビになりませんね」

 

 一人掛けの椅子で酒を飲む角脇の呟きに同意するが、皐月ママは楽しそうに笑う。

「縁あって大きな後ろ盾を持っていますので、文句はそちら様にと言えば殆どの方がお黙りになりますのよ」
「俺でもか?」
「ふふふ、そうですわね」

 

 否定しなかった皐月ママに角脇と二人、顔を見合わせる。
 俺でも文句を言えねぇって総理大臣か何かかと思ったが、後ろ盾以前にあの女のガードが堅い。職を考えると個人情報を守るのは当然だが何かが引っ掛かる。
 そのモヤモヤが解消出来ず、髪を掻き上げながら立ち上がると上着を持った。

「帰るぞ。角脇、会計(チェック)しとけ」

 命じながら上着を着るとドアを開き、柳田に車を持って来るよう言う。
 普段は角脇の仕事だが思いっ切り飲まされたからな。頷いた柳田から皐月ママに視線を移すと、風に見送りさせるよう言った。

「あと、あいつを永久指名で頼む」
「あらあら、気に入っていただけましたのかしら」
「あの生意気口を叩きたくなるほどにはな」

 

 角脇と皐月ママが沈黙するが、気にすることなく部屋を後にした。
 玄関には柳田ではない黒服の男達が礼を取り、角脇が来ても俺は立ち止まったまま外を見つめる。数分後、コツコツと聞こえるヒール音に振り向くと、ムッスリ顔の風。だが、腫れた目に眉を顰めると、目尻から“涙”を拭き取り理由を問う──と。

「パトラ○シュが天に昇るとこ観ちゃって……」

 

 背負い投げしていいか?
 100%ウソに髪を掻き回してやると大慌てで風は謝る。さっきより崩れた口調に何かを感じるが、車が来たことで手を離した。

 

 まったく本気で調子が狂う女だ。今度来た時はマジで泣か……す前に、駐車線をエラくはみ出して停めた柳田になんとも言えない視線を送るのが先だった。

 おい、運転下手なのは知ってけど越えすぎだろ。しかも顔だけ俺に向けて目は別んとこ向いてんだろ。サングラスで逃げられると思ったら大間違いだぞ。

 

「柳っ!?」

 

 文句のひとつでも言ってやろうかと思ったが、後ろから早歩きでやってきた風が柳田にピッタリと張り付き、目を見開く。

 

「お前……何やってんだ?」
「お見送りですよ」

 

 三人同じ顔で見つめると、風は若干冷や汗を含んだ笑みを向ける。
 それが変に感じたのと、柳田にピッタリくっついた姿に苛立ちを覚え、腕を引っ張った。

 

「見送りなら、ちゃんとこっちで「ごごごごご勘弁くださいっ、帝王様!!!」
「「「は?」」」

 

 突然泣き出すような声が響き、三人今度は素っ頓狂な声を上げる。
 三人でハモるとは珍しい、じゃねぇ。つーか今、こいつが言ったのか? ガキみたいな声で? しかもさっきまで“総一郎”だったのが“帝王様”?
 考えている間に俺の手から離れた風は柳田の隣に戻ると営業スマイルを向けた。

「それでは、またお時間ある時はぜひ『蓮華』にお立ち寄りくださいね」

 おいおい、さっきのパトラ○シュ並みにウソに聞こえるのは気のせいか?
 しかも一瞬、眉が下がったように見えたが今は変わらない。なんだこいつ。こいつは……なんだ?

 

 疑問を問うように風の顎を持ち上げる。
 だが返ってきた答えは『蓮華』のホステスであること、普通は客に渡す名刺を持っていないこと。終いには。

「会いに来てもらうのが仕事ですから」

 

 模範解答にも聞こえるが、その眼差しは本気で自身を売っている顔だ。けど何ひとつ自身のことを割りはしない仮面を被った顔。それを無性に割りたくなり、顔を上げた風に──口付けた。

「んんっ!」

 

 ジタバタと動く身体と頭を固定し、紅の取れた唇に吸い付く。
 舌を口内に入れると風の身体は跳ねるが、構わず舌と舌を絡ませ“味”を覚える。唇を離すと風の顔は真っ赤で、仮面にヒビを入れた気分になった俺は意地悪く笑った。

 

「また次に会った時は楽しみにしておけ。永久指名(買った)分、キッチリお前にも払ってもらう」

 絶句顔をされるが、気にせず車に乗ると呆然と見ていた角脇と柳田も慌てて乗り込んだ。車を出せば、まだ呆けている風が徐々に遠退く。
 瞼を閉じる俺に、隣に座る角脇は躊躇いにも取れる声で問うた。

 

「……どういうつもりですか? 総一郎様があんな道端で……しかもホステスに」
「ありゃ、ホステスじゃねぇよ」

 

 返答と共に瞼を開くと、運転する柳田もミラー越しに見ていた。
 だが、俺の視線は0時を過ぎても明るい銀座の街を映している。あいつはただのホステスじゃねぇ。デカい火を夜に紛れて隠そうとしている女だ。その火を消化した時、鬼が出るか蛇が出るかは知らねぇが、どっちが出ても面白い──喰ってやる。

 極上な餌を見つけた俺は自身の唇を指先でなぞると瞼を閉じた。
 目覚めてすぐ、そのチャンスが訪れることなど知りもせず────。

*次話も総一郎視点

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