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03話*「私とふーちゃん」

 ドクンドクンと早鐘を打つ心臓音が静かな車内に聞こえる気がする。
 跨ったまま変わらない表情で見つめる総一郎に“あたし”ですら身動きが取れずにいた。このまま口を結び続ければいい、肯定も否定もしなければいい。けど、この男の前では無意味にも思えた。

 

「どうした、風? さっきまでの勢いがなくなったぞ」
「う、うるさっん!」

 

 我に返るが、反論は口で塞がれた。
 “ちー”の時とは違い、昨夜“あたし”にしたように舌同士を絡ませながら角度を変え、口内を堪能する。刺激に、怒りとは別の何かが生まれはじめるが戸惑いが大きい。

「き、昨日といい、なんでキスすんの!?」
「昨日は反射的に、数分前のは確認に、さっきのはお前がぼけーとしてて暇になったから」

 

 返答が余計に腹立つ。
 すると、総一郎の後ろから溜め息をついた角脇さんが顔を覗かせた。柳田さんはオロオロと護衛とは思えない慌てっぷりだ。

「総一郎様、さすがに強姦しているように見えますのでやめませんか?」
「だよねだよね! 角脇さん、もっと言って!!」
「そして、私の名をご存知なところからして昨夜の風様ですね」
「くっそ、アンタもはめ……んですね! そして押さないでくださーい!!」

 

 今度は角脇さんがパワーウインドーにあるスイッチを押し、涙目の“私”に替えた。それを興味深そうに見る彼を遮った帝王様は私を見下ろす。

 

「で、監視カメラで間違いないな?」
「わわわわかってるくせに聞くんですか!?」
「九十九%わかっていても、一%欠けてたら意味ねぇんだよ」

 

 私の唇を指先でなぞりながら、口元に弧が描かれる。
 でも、意地の悪いものでも喉を鳴らすものでもない。それが“仕事”で使う笑みだとわかると、不思議と反抗心が消えた。

「……そうです」
「ん?」

 

 気付けば開いてしまった口を止めることも出来ず、私は──。

「監視機器があると……ふーちゃんに替わります」

 

 白状した。


 

* * *

 


 朝の七時を回り、学校や会社へ向かう人々が見える。お米サイズで。
 憩いの公園から歩いて十分。車でニ分の場所にある三十階建ての高級ホテルのスイートルームのリビングは一面ガラス張りの窓で、日比谷公園を見渡せる。なんでもホテルにある会議室で一週間ほど仕事関係者との話し合いがあるらしく、帰るのが面倒な帝王様が部屋を取ったとのこと。

 いえ、その辺は気にしませんが、普通パーカーにショーパンにスニーカーと化粧もしてない女を入れますか!? 明らかにホテルの人が怪しい目で見てましたよ!! ジャンクフードで朝御飯しながら話せばいいじゃないですか!!!

 

「お前、本当にNO.3ホステスか?」
「節約家で何が悪いんですか! 消費税も上がってこんちくしょーですよ!!」
「言っとくが、この一室以上の代金を昨日『蓮華』で払ったぞ」
「ありがとうございました!!!」
「風様、ともかくソファにお掛けください。一人掛けので構いませんから」

 

 テーブルに紅茶。そしてクリームとベーコンが入ったキッシュロレーヌを置いた角脇さん。絨毯の上で正座していた私はお礼を言うと帝王様とは別のソファに座るが、帝王様の前にはコーヒーだけ。

 

「帝王様は食べないんですか?」
「朝飯は済ましてる。つーか、昨日呼び捨てにしておきながら呼べないのか」
「は、はい……ふーちゃんじゃないと……」
「その“ふーちゃん”と言うのが、もう一人の貴女だと?」

 

 少し離れた場所に立つ柳田さんの隣に角脇さんもお盆を持ったまま並ぶ。
 砂糖とミルクを入れながら頷いた私は混ぜたスプーンを小皿に置くと、帝王様と目を合わせた。

 

「他言は無用でお願いします。元来、事前の約束以外お客様と会うことも店則で禁止になっていますので」
「わかってる。朝の散歩でたまたま会っただけにすぎないが……皐月ママの承諾は得られたのか?」

 

 コーヒーを飲みながら問う帝王様に、携帯を取り出した私は頷く。
 店で事情を知っているのは皐月ママと愛姐ちゃんと百合姉ちゃん。あとは帝王様と同じ六家の常連さんだけで、話す場合はママに報告を入れなければならない。さすがに驚かれたが『仕方ない』と了承してくれた。

 

「角脇と柳田も聞くのは勘弁しろよ。一緒に見ちまったからな。それ以外なら監視カメラも盗聴器も部屋にはねぇから安「そのぐらいわかる」

 

 遮った声が先ほどと違うのに気付いたのか、三人は紅茶を飲む“あたし”を見る。
 カップを置くとフォークでキッシュに切り込みを入れながら反対に持つ携帯を見せた。それは、動画モード。

「監視機器だって、ちーが言ったでしょ? 街中にある監視カメラはもちろん、盗聴器は性能によるけど携帯カメラや動画の範囲に入っただけで“あたし”に替わる」
「……つまり、映る度に“お前”に替わるってことか?」
「足だけとか半分切れてるってなら……私のままなんですが、観光地やタクシーは殆どダメですね。防犯が大事な御時世、こんな体質の私が悪いんですが」

 

 動画を止めると、苦笑いする“私”に替わる。
 キッシュを口に運ぶとカリッとした生地とベーコンに蕩けたチーズが口内で広がった。美味しさが顔に出るぐらい笑みを零したせいか、帝王様は数秒沈黙すると胸ポケットから煙草を取り出す。私は持ったままだった彼のライターを慌てて取り出そうとするが、制止を掛けられた。
 マッチで火を点けた帝王様は、紫煙を吐きながら天井を見上げる。

「言われてみりゃ、昨日のVIP席にも玄関にも外にもカメラがあったな。唯一、車を停めた場所が範囲外だったわけか」
「いつもは柳田さんがいた辺りで見送ってるんですが、手前で車が停まってたので……困りました」

 

 そう言うと柳田さんに頭を下げられ、慌てて両手を横に振る。反対に帝王様は親指を立てた。呆れながらもキッシュをもぐもぐ。

「替わってるのを見ると互いに記憶はあるみてぇだな。よく二重、多重人格は記憶がないと聞くが」
「はい……今はそうですが、言われなければ気付かなかったと思います」
「気付かなかった?」

 

 意外だったのか、目を丸くする帝王様にフォークを置くと頷く。
 私がふーちゃんを知ったのは小六の時。幼馴染に『ビデオカメラに映った時のちぃ、いつもとちがう』と言われ、試しにカメラを回してもらったら全然違う私が映っていた。当時は記憶を持たなかったけど、時が経つに連れて共有出来るようになり『ああ、この子なんだ』ってわかった時は嬉しかった。

 

「なので、ふーちゃんがいることに困ってはいません。彼女のおかげでお仕事出来てるので感謝です」
「…………ふーに替われるか?」

 

 煙草を灰皿に潰した帝王様は私を見つめる。
 替わっても意味ない気がするが、了承の意を込めて頷くと動画モードにした。同時にスイッチ“ON”。

「……何が聞きたいわけ?」
「ホント、面白いぐらい正反対になるな」
「入れ替えて遊ぶヤツは、ちーもあたしも嫌い」

 

 両眉を上げ、腕と足を組む“あたし”は笑う総一郎を睨む。
 そんなあたしの目に総一郎が手を振ると、角脇さんと柳田さんが部屋から退出した。“あたし”に話があることが確定する。

 

「くっくっ、ちー?と違って、お前は慎重だな」
「見ての通り危機感を持たない子でね」
「その“危機”から護るため、お前が生まれたのか?」

 

 小さく肩が揺れると、立ち上がった総一郎はゆっくりとあたしの前に立つ。
 薄暗いVIPの部屋とは違い、一面のガラス窓から太陽を受ける男はあたしにとっても眩しすぎる。けれど、ちーが例えたように太陽よりも月とカラスがお似合いだ。しかも、問い掛けの言葉を発したはずなのに『それが正解なんだろ』と信じて疑わない目と笑みに無意識に顔を逸らす。

 

「総一郎には関係ないし……理解してもらおうとも思わない。危機って言うならアンタも入るんだかっ!?」

 瞬間、股の間に総一郎の片膝が割って入ると、あたしを挟むように両手をソファの背に置いた。
 突然のことに顔を戻せば、昨日と今日だけで何度目になるかわからない彼の顔が目前に迫り、動悸が早鐘を打つ。文句を言おうと口を開こうとするが、先に彼の口が開かれた。

 

「バカ、煽んなよ」
「な、何を……ンッ!」

 

 今日三度目の口付けを受ける。
 それはとても荒々しくて抵抗しようにも片手が背中に回り、片手は頭を固定し、逃れることが出来ない。口内に入った舌も奥へと進み、掻き混ぜる。

 

「はあっ……んっ……やめっ…」
「危険だと知って……ん、残ったのは……風だろ」
「ちょっ、これのために……替わったんじゃ……ありませんっああ!」

 

 気付けば後ろに手を伸ばした帝王様によって動画が“OFF”にされ“私”に替わる。ふーちゃん以上に顔を真っ赤にさせた私を唇を離した帝王様は笑うと肩に顔を埋め、抱きしめられる体勢となった。
 わけがわからず逃げ場を失った私は角脇さん達を呼ぼうとするが、首元に吸い付かれ喘ぎを漏らす。

「ひゃあぁっ……何して……んんっ」
「喘ぎはちーの方がエロイな……マークの付けがいがある」
「マークって……あっ、だめ……!」

 

 肩に顔を埋めたまま大きな手がひとつ離れると、タンクトップの上から胸を揉みだす。身じろぎ、声を上げる私を楽しそうな目で見ているであろう帝王様は首元と耳朶を舐め、淫らな音を全身に響かせた。

 

「ちーとふー……お前達の本当の名はなんだ?」
「やぁ……だめ……お客さ……に……教えちゃ……ああっ」

 

 耳元で聞こえる甘美な声に思考が揺れはじめるが、それはいけないと首を横に振った。
 けれど、U字になったタンクトップの隙間から手を入れられると、片方の胸を掬って揉みしだかれる。服の上からとはまったく違う刺激に目尻からは涙。それを舌で舐め取られるとボヤけた視界の先に帝王様が映る。

「ホステスであれなんであれ、俺はお前達を気に入ったんだ。ここで犯してやりたいほどにな」
「お、犯すって……」
「ついでに気になったことは知りたがる性格の俺は、お前は本当は誰で、どんな身体をして啼いて惑わして美味い蜜を流すか──暴きたくなる」

 真っ直ぐな眼差しに欲情のようなものが見えるのは錯覚か真実か。熱烈な告白にも聞こえる言葉に頬を赤くさせながらも懸命に口を開いた。

 

「知ったら………さよなら……してくれますか?」

 

 的外れな返答をしたせいか、目を大きく見開いた帝王様は両手を離した。力を失くすようにソファに背を預けた私は息を整えるが、帝王様は喉を鳴らす。

 

「くくっ、やっぱお前は危機感がねぇな。Sの俺を煽ぎに煽って喰われたいMか?」
「わ、私はフツーです!」
「ベッドの上じゃどうだか。まあいい、名前だけでも教えろ。教えなかったら今すぐベッド行きか探偵を雇う」
「脅迫じゃないですか!」

 涙目になりながら抗議するが“へのかっぱ”といった表情。
 だが、六家の彼にとって調査なんて簡単に出来そうで、頬を膨らませた私は数秒の間を取った。

「……宇津木……千風……二十三です」
「なーる。だから“ちー”と“ふー”か」

 

 不機嫌なことなど構わず、帝王様はいつもと変わらない意地の悪い笑み。そのまま立ち上がると手を差し出した。

 

「御門 総一郎、三十二。千風を暴く男だ、よろしくな」
「勝手にほざいてろ」

 

 ささやかな仕返しか、携帯を動画モードにした“ちー”によって替わった“あたし”は差し出された手を引っぱ叩く。それがSの総一郎に火を点けたのか、また口付けと共に入れ替えさせられた。
 

 さすがに悲鳴を上げすぎたせいか、角脇さんと柳田さんが止めてくれたけど……はひ、助かりました。

 しかも嬉しいことに散々落として溶けたアイスの代えを柳田さんは買ってきてくれたばかりか、ガリガリちゃんの当り棒も交換してきてくれました! 柳田さんはやっぱり良い人です!! 帝王様の数百倍大好きです!!!

 

 と、また追い駆けられての繰り返し。
 とんでもない人と縁が出来た気がします────。

*次話、総一郎視点

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