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02話*「アタリ」

 夜が明ける少し前に目覚める。
 乱れた髪のままカーテンを開けると空にはまだ星が見え、賑やかな東京の町も静まり返っていた。起き上がると布団を畳み、冷凍庫を開ける。が。

「あ……アイス、買ってくるの忘れてました」

 

 大好物のアイス切れに肩を落とす。
 欠伸をしながら洗面を済ますと、水を入れたカップを持ってベランダを開ける。簀の子に置かれた二つのプランター=ミニ菜園に水をあげながら、コマツナの収穫がそろそろ出来そうだと笑みを浮かべた。

 リップだけ塗ると髪を後ろ下で二つ結びにし、灰色のタンクトップに黒のショートパンツ、白のフード付きパーカー。それにミニカバンを肩に掛けるとスニーカーを履いて家を出た。


 白い息を吐きながらジョギングや愛犬の散歩をしている近所の人に挨拶しながら人通りの多い道に出る。スイッチが“ON”になった“あたし”はフードを被った。

「……最近はどこにでもあるな」

 

 溜め息をつきながら馴染みのコンビニに入ると、多種多様のアイスを前に悩む。
 コーンにするかキャンディーにするかピオにするか。ハーゲンダッチュは給料前だから無理。取り合えず一週間分は買っておこうと厳選すると、顔馴染み店員と世間話しをしながら会計を済ます。そのまま近所の公園に入るとスイッチ“OFF”。
 フードを外し、ベンチに座った“私”はガリガリちゃんをパクリ。

「はひ~幸せです~」

 

 今日はスッキリとした、ふじりんご味。
 お仕事終わった後はお酒と味が混ざるので、抜けた朝が一番。特に昨夜なんて……余計なことを思い出してしまい、口が閉じる。けれど頬が熱い。

 思い出すのは、昨夜“ふーちゃん”を呼び出した帝王様こと御門様。
 『蓮火』の噂を知りながらラストまで居た男性は失礼なことばかり言ってもツッコミを入れるだけで、特別怒る人ではなかった。ずっとお酒を飲みながら“俺様とは”について談義していただけで、自身のことを話すわけでも私のことを聞くわけでもない……なのに。

「永久指名とか……意味わかりません……最後のキ……」

 

 赤い顔を伏せ、ガリガリちゃんを食べる。
 永久指名は専属も同然で、不在で他の子がヘルプに入ったとしても自身の売り上げとなるシステム。当然ホステス的にはありがたいことですが、帝王様だとなぜか喜べないのは、ふじりんごの味で満たされているはずの口内に残る煙草(味)のせいか。

 

 溶けたアイスが膝に落ち、慌ててティッシュで拭き取る。
 それをゴミ箱に捨てると同時に木に止まっていた鳩達が下りてきた。後ろを付いて回るどころか頭にも乗る。

「こらこら、重いですって。アイス狙ってるなら怒りますよ」

 

 木々に囲まれ、ブランコ、すべり台、砂場しかないフツーの小さな公園。
 けれど私にとっては憩いの場で、毎日通っているせいか散歩の人どころか鳩とも顔馴染みになってしまった。いえ、鳩は子供の頃から懐かれてましたね。理由はわかりませんが。

 

 数十羽に囲まれながらガリガリちゃんを食べ終えると、棒を咥えたまま空を見上げる。頭に乗っていた鳩が飛んだ空は星が消え、オレンジと青を交えた朝日が昇りはじめていた。大都会東京の真下で見ても立ち尽くしてしまうのは、この瞬間が好きだから。
 沈む夕日よりも迎える朝日の方が“私達”を受け入れてくれているようで嬉しい。

 

「なーんて、ママ達がいるのにいけませんね。ふーちゃんもいま……あ、アタリ!」

 

 咥えていた棒を見ると『一本当り☆』の文字。やった! 今日はラッキーです!! 早速貰って帰りましょう!!!
 背景に花畑を描きながら棒を袋に入れると鳩達が一斉に飛び立つ。鳩達も祝福してくれてるのかなと空を見上げていたが、急に背筋が寒くなった。

 

 な、なんでしょう。さっきまでの花畑が火事になって、一瞬で荒野と化す不気味な気配は。しかも“あれ”に似た感覚。けれど“ふーちゃん”にはならない。つまり“人”の視線。上げていた顔を恐る恐る下げた。

 

「はひっ!?」

 

 一瞬で顔は青く、肩が思いっ切り跳ねるとコンビニ袋を落とす。
 顔を下ろしたこと、目を合わせてしまったことに深く後悔すると幻覚が見えはじめた。光輝く朝日は暗雲漂う暗い夜と三日月に、青々と茂っていた木は枯れ木に。そんな世界で鳩よりもカラスがお似合いの人が出入口に佇んでいた。

 

 数時間前よりもよれよれになった白のシャツボタンを数個開け、黒のズボンポケットに片手を入れ、煙草を持ってる男性。濃茶に染めた束感ショートに鋭い目で私を捉えているのは、忘れたくとも出来ない帝王様──否、御門総一郎様ーーーーっっ!!!

 

 動悸は激しく、目尻には涙が溜まるが落ち着こう。落ち着きましょう。なぜここになど考えてはいけません。朝の散歩なんてお互い様です。それに私はほぼスッピン。バレるはずありません。ここはフツーに『おはようございます』と言って通り過ぎましょう。
 心でそう唱えながらコンビニ袋を拾うと、ギクシャクしながら彼に近付き口を開く。

「おい」
「はひいぃっ!!!」

 

 先に声を掛けられ肩が跳ねると停止。
 煙草を吸う帝王様の目は変わらずピタリと止まった私を捉えていて怖い。必死に笑顔を作った。

「お、おはよう……ございます」
「おはよう」
「あ、歩き煙草は……ダメです……よ」
「ああ、悪い」

 

 昨日と変わらない様子で話す帝王様は紫煙を吐くと、手を入れているポケットから携帯灰皿を取り出す。マナーの良い人だと思いながら今の内にと会釈して通り過ぎ──る前に、大きな手に頭を捕まれた。

 

「ちょっと待て」
「はひいいぃっ! なななななんですかっ、帝王様!!」
「その呼び方……やっぱ、風か?」
「ちちちち違います! 人違いです!! そんなキャストさんは知りません!!!」

 

 頭を押さえられると無理やり向かい合わせにされる。
 身動きがまったく取れないのは二十センチ差のせいか、男という力のせいか。それでも胸板を叩いていると頭上から笑う声。顔を上げなくても楽しんでいるのがわかる。

 

「ほーう、商売用語を知っておきながらシラを切るか。んじゃ、天に昇ったネ○に感動してたのは誰だったか」
「パトラ○シュです!!!……あ」

 

 もちろん、ネ○にも感動……いえ、そんなことよりも私、さっきから何を言ってました?
 熱かった身体は一瞬で冷え、叩いていた手も止まる。同時に上げてはいけないのに顔がゆっくりと上を向き、口角を上げた帝王様と目が合った。互いの目には互いが映り、彼の両手が私の頬を包むと、朝でも変わらない端正な顔が近付き──口付けられる。

「んっ!」

 

 必死に口を結ぶが、くびれを摘まれた刺激に開いてしまう。その隙をつくように長い舌が口内に入り込んだ。

 

「んんっ……あっ……ん」

 

 舌を舌で舐める仕草は遊んでいるようにも探っているようにも思える。そんな口内を混ぜる舌と煙草は昨日と同じ──。

「風の味だな」
「っ!」

 

 リップ音を鳴らしながら帝王様が離れる。
 意地悪く面白そうな笑みを浮かべる彼に、両手で口元を覆った私は駆け出した。が、公園を出てすぐ腕を捕まれる。

 

「おい、待「うるさいっ! 離せキス魔!! あたしに触るな!!!」

 

 範囲内に入ったことでスイッチが“ON”になり“あたし”は反対の手に持っていたコンビニ袋で総一郎の腕を叩く。が、彼は目を見開いてもなお、離そうとはしない。

 くそっ、ちーが余計なことを言ったせいで……それ以前になんであたしだとわかったんだ。ノロボケオーラなんて昨日あたしは出した記憶ないんだけど。
 そう苛立っていると腕を引っ張られ、公園内に入る。

 

「ななななんで入る……わけっ! アンタ、バッカじゃない……んですか!?」

 

 帝王様は公園内に入れては外に出し、“私とふーちゃん”を入れ替える。眉を上げたまま口元を手で押さえる帝王様は、左右に動かしていた視線を私に向けた。

 

「お前……二重人格か?」
「ししし知りません! 貴方様には関係……ないでしょ!!」

 

 公園外に出された“あたし”は未だ腕を掴む総一郎を睨む。
 早朝の大声に周りの視線が痛いが構ってる余裕はない。何より目の前の笑みが変わらないのが腹立つ。

 

「くくっ、その目つき。昨日、俺の隣にいた“風”はお前だな?」
「知らない。とっとと、どっか行って」
「ほう、店ともさっきのともまた態度が違う上にまだシラを切るか。んじゃ」

 手が離された隙に『今だ!』と駆け出す。が、肩を捕まれるとライターを渡された。綺麗なゴールド色にオーバルデザインのカルティエ・ライターに目を見開いていると、新しい煙草の先端があたしの前で振られる。あ。

 

「お点けします」
「おう」

 

 ライターで火を点けると総一郎は一吹きし、紫煙を吐く。
 さすがカルティエ。使いやすくて綺麗な炎だと感動するように頷くと、膝から崩れ落ちた。ま、まんまと……。

 

「はめられた……」
「くくっ、職業病はつれーな。で? コロコロ変わるその性格はいったい……って」

 

 呑気に煙草を吹かす男に気にせず駆け出すが『柳田ー』と呼ぶ総一郎。すると、木々の影から黒のスーツを着たスキンヘッド男=やなぎださんが現れ、捕まってしまった。

 

「ちょっ、いたの!?」

 

 総一郎よりも広くて硬い胸板に捕らわれ焦る。
 そんなあたしに総一郎は紫煙を吐き、携帯灰皿に煙草を入れながら歩きはじめた。その背に続くように“やなぎだ”さんもあたしを横抱きにして付いていく。これ完全に拉致じゃない!?

 

「離してって言ってるでしょ! やめて……ください!!」
「おい、柳田。こっちだ」
「人の話を聞けっ、この……帝王様!!」

 

 横断歩道を渡りながら眉が上がったり下がったり怒声上げたり震えだす“私”に“やなぎだ”さんは困った様子で帝王様を見る。けれど帝王様は電話をはじめ、聞く耳ゼロ。仕方なく“やなぎだ”さんとお喋りしてみた。

 

「やなぎださんの……字はどれ?」
「……普通の“柳”に“田”です」
「総一郎との付き合いは……長いんですか?」
「それなりに……」
「離して……くれませんか?」
「……申し訳ありません」

 

 低く、篭った声は淡々だが、ちゃんと返事してくれる柳田さんに“あたし”は安らぎを覚える。目の前の男と違って良い人だと思っていると頭にチョップを落とされた。

 

「っだ! 何すんの!?」
「余計なことを考えるお前が悪い。柳田、代われ」
「い、嫌です! 帝王様より柳田さんがいいです!!」
「……社長、彼女はいったい……」
「ああ、だいたいわかった。あとは……お、来たか」

 

 前髪をかき上げる帝王様の後ろから昨夜も見た黒のベンツが現れ、目の前に停まる。運転席にいるのは角脇さんで“私”を見ると眉を顰めながら出てきた。

 

「総一郎様、どちらのお嬢さんを拉致ってきたんですか?」
「『蓮華』の風だ」
「え?」
「ちちちち違います。私は一般市民で……きゃっ!」

 

 目を見開いた角脇さんが私を見つめる。
 否定しようと首を横に振るが、柳田さんから帝王様に横抱きがバトンタッチされ、そのまま後部座席に向かった。

 

「ややややめてください! 人攫いになりますよ!!」
「確認するだけだ。ほらっ」
「か、確認って何バカなこと言ってんの!? そもそも……あれ?」

 

 柔らかい座席に乗せられると目の前の男を睨む。が、気付く。“ちー”ではなく“あたし”になっていることに。なんで……外に“あれ”はなかったはず。
 動悸が激しくなってくると笑みを向ける総一郎はパワーウインドーに手を付け、何かのスイッチを押した。同時にあたし“の”スイッチも押される。

「はひっ! え、あれ……なんで私?」
「やっぱりか」
「きゃっ!」

 

 突然“私”に替わり、わけがわからなくなっていると帝王様の手で後ろに押し倒される。お尻に感じていた柔らかい素材を頭と背中にも感じていると、跨った帝王様はまたパワーウインドーに手を伸ばす。瞬間“あたし”に替わり、血の気が引く。

 

「ま、まさか……この車……」
「俺もまさかとは思ったが……お前、すごいな」

 薄暗い車内で跨るのは昨日はじめて会った男。一日も経っていない男に口付けを二度奪われたばかりか……まさか。

 嫌な動悸に震えはじめるあたしの頬を総一郎の手が撫でると、顎を持ち上げられ鼻と鼻がくっつくまで近付く。あたしを映す瞳と妖しい笑みから逃れることは出来ず、静かに彼の口が開かれた。

 


「風、お前の性格が変わるスイッチは──監視カメラだな?」

 


 コンビニ袋を落とすと、当り棒が顔を出した────。

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