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31話*「親族」

 時刻は0時を過ぎ、多くの人が往来していたホテルは安らかな時間を届けるように静まり返っている。けれど、上階にあるスイートルームの一室はとても賑やかな声で溢れていた。大人数なのもあるが、私がご機嫌だからかもしれない。

「では結城さん、駄菓子屋さんと隆成さんならどっちが好きですか?」
「え、えっと、えっと、隆兄さんごめんなさいっ! 龍兄さんが好きですっ!!」
「良かったじゃねーか、龍介」
「朝食は赤飯だね。その前にハグでもしてあげなよ」

 

 結城さんの告白に、顔を真っ赤にさせた駄菓子屋さんは口元を両手で押さえると前屈みになる。その身体は震えていて、左右に座る隆成さんとアセトアルデヒドさんに容赦なく叩かれた。
 一人用ソファに座る結城さんの顔も赤いが、半分は手に持つお酒のせい。

 

 広いリビングのテーブルにはカクテル、焼酎、ワイン。様々なお酒が整列するが、酒豪が揃うこの場では殆どが空になっていた。床に膝を折る私はスクリュー・ドライバーを作り、隆成さんの隣に座る撫子さんに差し出す。頬を朱に染めた彼女は手を横に振った。

 

「も、もう、わたくし……結構ですわ」
「あらら、撫子さんは弱いですね。じゃあ、帝王様どうぞ」
「てめぇが飲め」

 

 背後に座る人にグラスを差し出すが、怖い顔で返されてしまった。隆成さんがくすくす笑う。

 

「そうそう。千風ちゃん、さっきから注いでばかりで自分は飲んでないよね」
「この面子を酔い潰そうってのは甘いぜ、スリー」

 

 上着もネクタイも脱いだ前方二人の顔は、煙草を吹かしはじめた人がよくするものと同じ。勝負=お酒の意味を少し込めてはいましたが、隆成さん達までもが参加してきた時点で考え直すべきだったかもしれない。結城さんに至っては、酔い潰れても食って掛かってきそうな気迫を感じる。
 仁ちゃんの血は争えないとグラスを持ったまま帝王様の隣に勢いよく座った。

 

「あぁっ!」

 

 何か聞こえた気がするが、構わずグラスに口を付ける。
 苦味がなくて美味しいと身体を揺らす度に何かが聞こえ、帝王様達の目も上下に動く。けれど、グラスを置いた私は笑顔を向けるだけだった。

 

「では、答え合わせをしましょうか」
「その前に……そいつをなんとかしろ」
「はひ?」

 

 若干呆れた様子で煙草を灰皿に潰した帝王様は、反対の手で私の下を指した。俯けのままソファに寝転がり、私に踏んづけられている春ちゃんを。

 

「帝王様、これはただの椅子です。気にしてはいけません」
「ほう……にしちゃあ、よく啼くじゃねぇか」
「あ、うるさかったですか。わかりました、粗大ゴミに出してきます」
「ちぃ、それはやめて! 声出さないからそのままでいて!! もうすぐ絶頂でっあうぅ!!!」

 

 よく喋る椅子を何度もお尻で踏んづける。
 反対側を向いていて表情はわからないが、見なくてもわかるので手加減はしません。宣言通り上がらなくなった声に周りがドン引きする中、隆成さんが笑顔を向けた。

 

「面白い幼馴染だね。僕らも負けてられないなあ。ね、圭太」
「やめろやめろ! 何かを期待してるような目で見るな!! 結城もだ!!!」

 

 彼の肩に手を置いた隆成さんは怪しい目をしているが、結城さんの目は爛々。すると溜め息をつきながら立ち上がった駄菓子屋さんが彼女からお酒を取り上げる。嘆くように結城さんは手を伸ばすが、勢いよくテーブルに置かれたグラス音にピタリと止まった。
 全員の目が音の主である帝王様に向けられ、私の目と合わさる。

 

「現時点で俺が知っている話をするぞ」

 

 他にも向けられる視線は“私達”を全員に知られるということを示唆していた。
 嫌な記憶を思い出すのは怖い。他人に知られるのはもっと怖い。なのになんの悪戯か、彼と出会ったことですべてが動いた。父とのパイプがある六家。母を覚えていた人。そして、六家に所属していた英 赤司。

 

 瞼を閉じてもふーちゃんの姿は見えず、独断で話していいのか迷う。
 振り向かない春ちゃんもまた『やめときな』と言うように私の手を握っている。でも、早くなる動悸は嫌な音を立てていない。むしろ話すと決意したのだから、それを破ってはいけないと緊張の音を鳴らしていた。

 

 深呼吸するように息をつくと、引っこ抜いた手で春ちゃんの手を叩く。良い音が木霊するのを聞きながら口元に弧を描いた。

「面白くない家庭話をみなさんが聞きたいと言うなら構いません。もっともお話が不正解なら恥をかくのは帝王様っだだだだ!」
「正解だったら気が済むまで啼かすぞ。てめぇらもいいな?」

 

 私の頭を回す帝王様が見回すと、隆成さんがブランデーを手に取った。

 

「まあ、僕らも中途半端に千風ちゃんのことを知っちゃったからね。結城じゃないけどモヤモヤしてるんだ」
「千風さんが構わないと言うなら、わたくしも聞きたいです」
「人ん家に首突っ込むのは好きじゃねーけど、総一郎と隆成の見張りも兼ねてな」
「僕はどうでもいい……けど、結城さんが……」
「聞きます!」

 

 顔は赤いのにハッキリとした結城さんの声に、他の目も真っ直ぐ向けられた。
 六家って物好き……否、帝王様や仁ちゃんと同じ知りたがりなのかもしれない。でも『うぜぇ』と呟く椅子を踏み潰すほど私は彼らに気を許していた。
 煙草に火を点けた帝王様は一度吹かすと私に目を向ける。

 

「回りくどいことは言わねぇ。まず、母親は前言ったように二十年以上前に宝輝歌劇団トップ娘役だった空木ちよ。本名は宇津木 千世。そして父親は荒澤 忠興。数日前辞任した総理大臣だ」

 

 躊躇いもなく告げられた名に周りが息を呑むのが聞こえた。目を伏せた私に視線が向けられるのも感じる。何も言わない私に帝王様は撫子さんを見た。

 

「母親の方は、お袋と仲の良い妹なら見たことあるんじゃねぇか? 別で圭太」
「は、俺?」

 

 自身を指すアセトアルデヒドさんと同じように私も驚くが、撫子さんは少し考え込んだ様子で頷いた。

 

「はい、彰子おば様に何度かDVDを観させてもらったことがあります。言われてみればどことなく千風さんに……」
「俺はスリーと、そこの男しか覚えてねーけどな」

 

 片眉を上げる彼に、なぜ春ちゃんも一緒に行っていたことを知っているのか首を傾げる。疑問を晴らするように春ちゃんが気だるそうに振り向いた。

 

「院内の薬局に……いた」
「へー、全然気付かなかったです」

 

 記憶力の良い椅子を褒めるように踏むと、声を上げなかった分、顔がものすっごい緩んだ。そんな彼とは反対にアセトアルデヒドさんは腕を組み、唸りだす。

 

「それ以前に首相の奥さんが入院してるとか、噂も含め聞かなかったぜ?」
「彰子おば様も結婚してるとは……そもそも失礼ながらわたくし、総理が結婚されていたことも知りませんでしたわ」
「ま、政治に興味ねぇならそんなもんだろ」

 

 疑問を投げかける二人に帝王様は煙草を吹かすと、口元に手を寄せた結城さんが何かを呟きだした。

 

「荒澤元総理は……議員になった時は未婚。でも、代表になる前に女刊文週が女性と一緒のところを撮って……その後に実は奥さんだったってフラングが報じたから……内縁?」
「結城、週刊誌愛読者なのか?」

 

 このメンツ的には聞きたくない雑誌名に、帝王様が呆れたような眼差しを向ける。顔を上げた結城さんは大きく頷いた。

 

「子供の頃から御祖父様が拝読されていたのを見ていて面白かったので、今では自分も毎週買ってます」
「か、買ってるんですか!?」

 

 駄菓子屋さんの肩が面白いぐらい跳ねた気持ちはわからなくもない。そして春ちゃんも含め、男性陣は『あのジジイが?』とか失礼なことを考えている気がした。
 お酒で頬を赤くした結城さんは微笑む。

 

「自分達のことも書かれてあるので、良いお勉強になりますよ。最近は兄さん方が揃って銀座のクラブに通っているのが載ってました」
「あ、あれは、そのっ!」

 

 ニコニコ笑顔の結城さんに、駄菓子屋さんは必死に否定する。他人事ではない情報に私とアセトアルデヒドさんも冷や汗を流しながら目を泳がせた。微動だにしない帝王様と隆成さんはさすがです。
 そんな兄に冷たい目を向けていた撫子さんが控えめに手を挙げた。私、そして帝王様の順で見る。

 

「でも、あの、確か空木ちよさんは……五年前に亡くなられましたわよね?」
「ああ、心臓病でな。その発症を機に退団したってOB情報だ」
「帝王様、いろんなコネ持ってるんですね……」

 

 どっから出てきたのかわからない情報に恐れるよりも感心してしまう。すると、隆成さんが飲み干したグラスをテーブルに置いた。

 

「千風ちゃんが感謝状を取ったのは高校一年の時。まだ荒澤の姓だったってことは二年の間に籍を抜いたことになるね。病弱の奥さんを放り出すのはどうかと思うけど」

 

 ソファに背を沈めた彼はいつも通りに見えるが、その笑みはどこか自嘲気味に映る。僅かに手を握り締めていると、結城さんのグラスを置いた駄菓子屋さんが帝王様に目を向けた。

 

「じゃあ……お母さんの借金って、入院費関係? で、その相手が……赤さん?」

 

 淡々とした声。でも、その名に握り締める手を強くすると、煙草を潰した帝王様が大きな息を吐いた。

 

「母親が借金を負ってたまではわかったが、千風(こいつ)が保証人だったこと、それが英金融だったのは出てこなかった。だが、ヤツの言い方からして嘘じゃねぇ……だろ?」

 

 射貫くような鋭い目に黙り込む。
 代わりに靴を脱いでいた春ちゃんの足が帝王様目掛け上げられるが、なんでもない様子で受け止められた。そんな光景を見事にスルーしたアセトアルデヒドさんが手を挙げる。

 

「入院費関係で借金つーなら保険が下りなかったと考えられるが、英の前に親とかに借りることは出来なかったのか?」
「両親は既に他界しちまってて無理だったみてぇだな」

 

 話しながら春ちゃんの足裏をくすぐる帝王様。
 地味に効いているのか、小刻みに揺れる椅子はものすっごい不満で不快そうな顔を向けている。乗ってる私にとっても揺れは不愉快で、加減なしで二人を叩いた。春ちゃんの足でガードした帝王様は意味深に私を見る。

 

「けど、母方の親族っていうなら妹……千風にとっては叔母にあたる人がいるな」
「はひっ!?」

 

 予想外の話に肩が揺れ、足を離された春ちゃんも目を見開く。慌てて私は帝王様に顔を寄せた。

 

「興信所とかに行ったなら反則ですっだ!」
「行ってねぇよ。さっき本人にも電話で確認した」

 

 素早いチョップに頭を押さえると、椅子もジタバタ動く。その様子に周りは瞬きし、隆成さんが口を挟んだ。

 

「総一郎、知ってる人なの?」
「ああ。つーか、結城と妹以外なら会ったことあるぞ。当然ジジイもな」
「御祖父様も?」

 

 隆成さんも驚く男性陣と一緒に結城さんも身体を起こし、帝王様を凝視した。
 当の彼は咥えた煙草を愉しそうに揺らし、私はカタカタ震えながらライターで火を点ける。逃れるように天井に向かう紫煙を追うが、大きな手に腕を引っ張られた。埋まった先は当然帝王様の胸板。

 でも、漂う匂いは好きなはずなのに、今は危険な臭いとしか思えない。私の髪を混ぜながら大きく紫煙を吐いた彼は、目先の人達に笑みを向けた。

 


「こいつの叔母は、俺達から根こそぎ金を落とさせる『蓮華』の将軍(トップ)──皐月ママだ」

 


 宣告された名に数分の沈黙が続くと、アセトアルデヒドさんと駄菓子屋さんの悲鳴が轟いた。腕に抱かれる私は頭を抱えるしかない。

 

 帝王様(この人)、なんなんですか────。

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