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30話*「一勝負」

 それは自分で望んだこと。
 だから頑張れた。頑張るしかなかった。がむしゃらにやってきたせいか、終わってしまえば長いようで短くて、ぽっかりと穴が空いた気分になったのを覚えている。

 

 そして、あの笑みを見なくて良いことだけに安堵した。
 見たくない。見せたくない。もう二度と──なのになぜそれが目の前にあるのか。

 

 

 

 


「なんで……貴方が……」

 

 両手を握り締めた私の声は怒気を含んでいる。
 そんな私をお腹を押さえていたアセトアルデヒドさんも、壁を叩いていた結城さんも、寝転がっていた駄菓子屋さんも、隆成さん撫子さん兄妹も、帝王様も凝視していた。
 ただ一人、目先の英 赤司だけは最後会った時と変わらない笑みを浮かべている。

 

「なんでって、僕が六家だからですよ」
「六家!?」
「お嬢はんと会(お)うた時はまだやったけど、三年前に昇格して僕も社長になったんです」
「のんびり社員とか言ってたくせに……?」

 

 返済を終えたのは去年。つまりその時には六家に入り、社長自らが取立てにきていたことになる。子息なのは知ってた。でも上に兄がいるから気楽な社員を続けるって笑っていたのを覚えている。
 疑問を察したのか、口元がさっきまでとは違う意地の悪そうな弧を描いた。

 

「なんや、お嬢はん見てたら下克上もええなって、蹴落としてやったんですわ」
「っ!」

 

 瞬間、手を振り上げる。けれど、届く前に手首を捕まれた。
 急に止まったことで、ようやく私は帝王様を見上げるが、彼の表情は険しい。

 

「話の途中で悪いが、赤司。てめぇと千風の関係はなんだ?」
「関係ですか? 母親が英金融(ウチ)で借金してはったんですが、その母親が病死しまして、連帯保証人やったお嬢はんが代理で返済。要はお客さんですわ」

 

 あっけらかんと語った内容に、全員の目が私に集中する。撫子さんに言ったように『無事終わりましたけどね』と付け足してはいるが、私は歯軋りしていた。
 彼もまた周りの空気が違うとわかったのか、はじめて苦笑を漏らす。

 

「なんや他のみなはんもですけど、総はんが一番おっかない顔してますな。反対に聞きますけど、総はんとお嬢はんの関係はなんですの?」
「恋人だ」
「あらら」

 

 短い返答に、英 赤司は目を丸くしたまま口笛を吹いた。だがすぐに含み笑いに変わり、私の視界は揺れる。監視機器があるせいか、奥に引き篭ってしまったふーちゃんの拒絶かはわからない。けれど、押し寄せる波が足下をぐらつかせるのは確かだ。

 

「おい、千風!」

 

 足に力が入らず膝から崩れる。
 それを阻止するように捕まれていた手首を引っ張っられると、帝王様の腕に収まった。息を荒げる先には眉を顰めた帝王様が薄っすらと見えるが、少しでも目を動かせば嫌な笑みを映す。それだけは虚ろな視界の中でもハッキリと捉え、笑う声が聞こえた。

 

「なんや、騎士(ナイト)様交代されたんですか? 前の兄はんは捻り潰すやらなんやらおっかない人で」
「お望みなら捻り潰してあげますよ。今、ここで」
「っ!?」

 

 フロアにいなかった声に、激しく身体が跳ねた。
 丁寧な口調は今朝電話越しに聴いた時と同じなのに、重さを含んでいる声。ここにはいない。それが否定出来ないのはホテルの駐輪場で見知ったマウンテンバイクを見たせいか。何より腹痛もピークになるのは英 赤司だけじゃない。彼の背後に立つ男性のせいでもある。

 

「牛島春冬……っ!」

 

 代わりに呼んでくれたのは帝王様。
 見慣れた仕事服(スーツ)にインカム。前髪を上げ、眼鏡を掛けていない彼は間違いなく冬くん。私としては久々に会うが、その瞳は冷たく、英 赤司を睨んでいるようにも見えた。ただ、それよりも気になるのは彼の後ろに薫さんがいること。

 

 縦に三人、綺麗に並んだ様子は横から見れば『川』の字にも見えそうだが、誰もツッコむことが出来ず静まり返っていた。沈黙を破ったのは御本人達。

 

「みなはん、誤解せんといでくださいよ。こんな上手いネタ自分ら合わせてませんから」
「俺は目の前の男に用があるだけです。次いでそこの幼馴染にも」
「私も……不審な行動を取っていた牛島氏にしか用はありません」

 

 眉を落とし、両手を挙げる英 赤司。不敵な笑みを浮かべる冬くん。淡々と話す薫さん。そんな三人の即興コントを見たいとか思ったのがダメだったのか、チョップを落とされた。が、いつもは頭に落ちるはずが首に落とされ、脳が揺れる。
 手刀と気付いた時には身体が沈み、意識が遠退く間際、不機嫌な帝王様の声が聞こえた。

 

「今は落ちとけ……話はそれからだ」

 

 荒療治ながら、今の私には正直ありがたい。
 嫌な笑みも過去も忘れられる暗闇の中へ、静かに瞼を閉じた──。

 


* * *

 


 小さかった私は何も知らなかった。
 お父さんとお母さんが世間的に見てどれほど有名人だったか。多くの人に見られていたか。それがどれだけ苦しいことだったか。

 

 その洗礼を受けた時“ふー”ちゃんが生まれた。
 守るように、慰めるように、一人として、私として、共にあり続けた。
 ずっと二人で支え合ってきた。そう思っていた。私は。

 

 それが勘違いだったと知った時、すべてが終わり、途方もない虚無だけが広がった。
 ただ震える身体が彼女の本音だとわかり、大粒の涙を流した私は決意した。

 

 今度は私が守るから、拒絶していいよ。
 辛いことがあっても私が引き受けるから。だから怯えないで。泣かないで。

 そう決意したのに──。

 


* * *

 


 瞼を開いた先には天井と淡い明かり。背中は優しく包みこむようなシーツ、身体には暑苦しさを感じないタオルケットが掛かり、ベッドだとわかる。
 身動ぐと、僅かに軋む音と一緒に駆け寄ってくる音が聞こえた。

 

「千風さん、目覚められましたか?」
「御加減はどうですの?」

 

 照明が先ほどより明るくなると、近くにいたのか、上着を脱いだ結城さんと撫子さんが心配そうに顔を覗かせた。『大丈夫』と呟いた私は辺りを見渡そうとするが、結城さんの手に制止を掛けられる。

 

「ここは会議の会場になったホテルの一室です。時刻は夜の八時を回りまして、兄さん達は赤兄さんを除いて全員隣のリビングにいます」
「千風さんの幼馴染だという男性も一緒ですわ。ひとつも会話されてませんけど」
「そう……ですか……」

 

 察したように答えてくれた二人にお礼を言いたいのに、短い返答しか出来ない。
 枕に深く頭を沈ませ天井を見上げると、ふーちゃんに声を掛ける。けれど応答はなく、帝王様とすれ違った時のように拒絶しているのがわかった。
 一息吐くと、心配そうに見つめる二人にお願いする。

 

「すみませんが、他のみなさんを呼んでもらっていいですか?」
「しかし……」
「『起きましたよー』だけでいいんです。そこからは一勝負ですね」

 

 苦笑する私に互いを見合った二人は間を置いたが、頷き合うと撫子さんが背を向けた。ドアの開閉音が聞こえると、床に膝を折った結城さんに目を向ける。

 

「結城さんは私の過去を賭けて勝負しますか?」
「すみません……実を言うと自分、御祖父様と連絡を取りまして、千風さんが荒澤元総理の娘だと聞いたんです」
「アウトー!」
「そ、それ以外は聞いてませんので御慈悲を!」

 

 屈んだ頭の上で両手を合わせる彼女に笑う。
 ヒントと言う名の餌だけ与えて様子を伺う仁ちゃんのスタイルを知っていれば元より疑うことはしない。けれど父の名はやはり身構えてしまい、徐々に身体が震える。と、タオルケットから出ていた手に結城さんの手が乗った。

 

「成り行きで聞いてしまったとはいえ、自分は千風さんと会ってまだ十時間も経っていませんし、出しゃばってはいけないのも重々承知しています……でも」
「でも?」
「駅前と今、千風さんが震えている理由が勝負してわかると言うなら挑みます。理由はただ力になりたいだけです。おこがましいと思われても、自分はもやもやしたものを許せる性格はしていませんので」

 

 苦笑しながらも彼女の眼差しは強く、少し仁ちゃんに似ている。
 数時間だけの付き合いだけでも彼女らしい理由だと思えるのは、手を差し出してくれた祖父のように、親身になってくれる血筋のせいか。結局は“弱い”のだろう。
 気付けば手を握っていた私は、はにかんだ。

 

「じゃあ、結城さんにはサービスで、好きな男性のタイプを男性陣の前で言ってくれたらなんでも話します」
「「ええっ!?」」

 

 結城さんとハモる悲鳴。
 上体を起こすと、先頭の帝王様の後ろで赤いような青いような顔をした駄菓子屋さんが口を開いたまま固まっていた。そんな彼よりも鋭い目で見据える帝王様に動悸が激しく鳴る。

 けれど、最後尾だと思われた隆成さんの後ろから飛び出してきた男に遮られた。

 

「ちぃ!」

 

 前髪を上げていても眼鏡を掛け、先ほどの冷たい目とは反対に珍しく心配そうな顔をした春ちゃん。苛立ったように手を伸ばす帝王様よりも先に枕をぶつけた。

 

「っぶ!」

 

 顔面に。勢いよく。
 その光景に室内は静まり返り、枕と眼鏡、そして膝を折った春ちゃんがベッドに上体を落とす音だけが響いた。そんなの気にもしない私は俯けになった彼の耳を引っ張る。

 

「は~る~ちゃ~ん、私に言うことは~?」
「ありがとうございます! っだ!!」

 

 大変悦んでいる顔に帝王様式チョップをお見舞い。それでも緩んでいる両頬を引っ張ると眉を顰めた。

 

「春ちゃん、あの人が六家だって知ってましたね?」

 

 今までといい、今朝の電話といい、すべてにおいて六家に注意を促していた幼馴染。それは私が……ふーちゃんが嫌う英 赤司が六家だと知っているのを考えると腑に落ちる。
 緩んでいた春ちゃんの顔も引き締まるかのように真剣になり、眼差しが先ほどの冬くんと重なった。笑みもない口がゆっくりと開く。

 

「当然知ってたよ。アイツが六家に入った時から……だから冬の機嫌が悪いし、あんまり抑えが効かない」
「なんで濁した言い方をしてきたんですか?」
「嫌いなヤツのこと話して苦しませる趣味はないよ。それに返済が終わったなら関係ない、関西のヤツと会う率は低い。そう……思ってたんだけどね」

 

 引っ張る両手を外した春ちゃんは細めた目で帝王様を見るが、当然屁でもない様子。

 

「全部俺のせいだと言いたそうだな。今日に限ってはアイスの誘惑に負けた千風に非があると思うが」
「そう、それが誤算だった。もう、アイス禁止だよ」
「春ちゃん、もう用はないので窓から帰っていいですよ。最期に突き落としてあげます」
「ああっ! 後ろから笑顔でドンと押す、ちぃ!! 最っ高にSな顔っだ!!!」

 

 両手でベッドを叩く春ちゃんが想像でイく前に帝王様と二人チョップを落とした。さすがに衝撃が強すぎたのか、バタリと床に転げ落ちた光景に周りは顔を引き攣らせる。ただ一人、ドアの近くで腕を組んでいた隆成さんが口を挟んだ。

 

「嫌い認定の赤司なら、暫く東京にいるらしいよ。一応、仕事で」
「隆成さん、今日妙に優しくないですか……?」

 

 最近よく食事に誘われたり、実家に帰ってくる兄が珍しいと言っていた撫子さんのように、今までと何かが違う。それをひしひしと感じているのは当然付き合いの長いアセトアルデヒドさんと帝王様。疑心暗鬼の二人の視線に隆成さんは微笑を返すだけで、一息ついた帝王様の手が私の頭に乗った。

 

「で、腹を据えるのと割られるの、どっちがいい?」
「あれ? 暴くって言ってたのに降参んんんんん!」

 

 ガッシリと掴まれた頭を容赦なく回される。
 起き上がったばかりでそれは辛く、ベッドの端に腰を下ろした帝王様の背中に頭を落とした。漂ってくるのは煙草の匂い。いつもの匂いを嬉しがるように頬を擦ると、耳に帝王様の声が届く。

 

「母親については元団員から話を聞いて、九十八パーセント。その経由で父親については九十パーセント以上メドがついた」
「ほうほう、では答え合わせですか」

 

 知られるのは嫌なはずなのに、不思議と今はそうは思わない。
 むしろ知らないところで動いていたことに彼らしさを感じるし、自分の事を考えてくれているように思えて嬉しい。顔を上げると、帝王様や他のみなさんの目が向けられるが、口元に弧を描いた。

 


「当然ですが、簡単に教えるほど私は優しくありません。なので勝負してください」

 


 ニッコリ“営業スマイル”の私に帝王様の眉が上がる。
 ふーちゃんが篭っている以上、いつもの駆け引きが出来るかはわからない。けれどここで引き下がるほど簡単な女に育てられてはいないのだ。求められれば手を差し出し引け。心の臓を獲られるまで明かすな。第二の家『蓮華』流でやってやりましょう。

 

 そう意気込むと『Sちぃ、最高』と親指を立てる男を踏ん付けた────。

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