『蓮華』創設者であり、長く六家に君臨する高科家。
　現会長である仁左衛門様は父の知人として幼い頃から面識があり、家を出てすぐのあたし達に手を差し伸べてくれた。まさかホステスを勧められるとは思わなかったが、社会の知識や情勢、マナーを学ぶには適した場所だと今では思う。

 

　そんな彼から自身のことも家族のことも聞いていた。
　当然お孫さんのことも。

 

「千風さん、もしかして御祖父様から自分のこと聞いてませんでした？」
「いえ、知ってましたよ……知ってました……けど」
「こういう場所で会うとは思わなかった、だろ」
「ははは、つくづく千風ちゃんは六家と縁があるね」

 

　しどろもどろになるあたしに結城さんは小首を傾げ、意地悪く笑う総一郎の後ろから櫻木隆成が顔を出す。こいつもまたお高いスーツに前髪を上げ、ザッ・仕事人。しかし嫌いなのは変わらず、そそくさと総一郎の背に隠れた。
　顔だけ覗かせ威嚇するあたしに、野郎も冷たい微笑を向けると振り向いた。

 

「龍介ー、お友達がいるよー！」
「友達チガウ！」
「てめー、じゃあ離れろよ」

 

　呆れた様子でやってきたのは安室圭太。
　眼鏡のブリッジを上げる男の視線は自身の背中に隠れた人物。腰まである髪をうなじ辺りで結っている階堂龍介に向けられていた。何やら頬が赤いというか、恥ずかしがってる？

 

「あ、龍兄さん！」
「っ！」

 

　疑問に思っている横から結城さんが笑顔で駆け出すと階堂龍介の頬……というか、顔全体が真っ赤になった。慌てた様子で安室圭太から離れるも、足が絡まったかのようによろけている。その隙に目先で立ち止まった結城さんがバッグから取り出した紙袋を差し出した。

 

「先日はハンカチをありがとうございました。これ御礼のお菓子です。自分が作ったのでお口に合うかはわかりませんが」
「えっ、ゆ、結城さんの手作り！？」
「あ、やっぱりちゃんとしたのを買ってきた方が……」
「い、いえ！ 売り物より全然価値あります！！ それこそ会議より！！！」
「…………そーいうことか」

 

　納得するように呟いたあたしに総一郎、櫻木隆成、安室圭太が一斉に頷く。
　まるで初々しいカップルにも映る二人だが、あれはどう見ても階堂龍介の片想い一直線。結城さん、天然っぽいとこありそうだしな。頑張れ、駄菓子屋。
　妙な応援をしつつ、彼が制作したというハンカチを取り出すと総一郎に訊ねる。

 

「ところでさ、結城さんに……その」
「ああ、盗聴機だろ？」

 

　平然とした回答に目を丸くするが、総一郎はあたふたする階堂龍介と笑顔の結城さんに目を向ける。

 

「一緒にいてわかったと思うが、極度の方向音痴でな。護衛なしで一人で行くって言ったもんだから、心配したおやっさんがGPSと一緒に付けたんだと。気分は『はじめてのおつかいよ』の待ち続ける親」
「それ待ってないよ。じゃあ、近くで聴いてたのって内緒で付いて来てた護衛の人か」
「いや、柳田」
「ああ、道理で気配……えええぇぇ！？」

 

　まさかの人物に脳内のちーも声を上げると、後ろを向いた総一郎が手招きする。振り向けば、いたらしい柳田さんが申し訳なさそうに頭を下げていた。その手にはレシーバーらしき物を持っている。
　唖然とするしかないあたしの頭に総一郎の手が乗った。

 

「まあ、そんな感じで見張ってたらまさかのお前登場。盗聴機がバレてる節があるし、一瞬だが肝が冷えたぜ」
「心臓に悪いのはこっちも同じなんだから、さっさと彼女から外してよ」
「くくっ、胸ポケットに入ってるらしいから、龍介に任せてみるか」

 

　鬼なことを言いながら総一郎は頭を回すが速度は緩い。
　会った時の『まさか本当に』って言葉は逐一連絡を受けていたように聞こえるし、喉を鳴らしながら笑う姿は結城さんが言っていたような親戚。櫻木撫子と接している時に似ている。『他は敵』とか言ってたくせに。
　一息つくと、約束していた妹が見当たらず、嫌々ながら兄に訊ねた。

 

「櫻……撫子さんは？」
「ん？ ああ、席取りするって先に行ってるよ。受付で撫子の名前を出せば取り次いでくれるよう言ってあるから」
「そうですか……あ、お誘いありがとうございます」

 

　上を指しながら携帯を打つ櫻木隆成に一礼する。
　だが、頭を上げると微笑を浮かべていた男の口は“へ”の字になり、目を丸くしていた。珍しい表情にあたしも同じ顔になるが、彼はすぐに口角を上げる。

 

「楽しんでね」

 

　短い言葉。けれど、向ける微笑は冷たくない。むしろ、ちーに向けるように優しく、背を向けた男はエレベーターへと足を進めた。あたしと他の男達は開いた口が塞がらない。

 

「隆兄さん、イケメンですね！」
「えっ！ あ、あんなのタイプですか！？」
「おい、圭太。や～～～～っと治療出来たのか？」
「いや、医療じゃありえねー奇跡だ。しかし、三十年願っておいてなんだが心底気持ち悪い……総一郎、チョップ落として正気に戻しっだ！」

 

　ノリ違いの結城さんの声と総一郎の素晴らしいチョップ音で我に返った。あとで妹に近況を教えてもらおうと小刻みに震える横で歩き出した結城さんが辺りを見渡す。

 

「そういえば、赤兄さんがいらっしゃいませんね」
「ああ……早く着いたから上のカフェでお茶してるって」
「そういって寝てんじゃねーの？ アンニャローも随分な自己中だからな」
「どのみち俺らも上がる時間だ。千風も行くぞ」
「お断りします」

 

　スッパリ切ると、四人の足が止まる。
　反対に進んだあたしは、櫻木隆成が停めて待つエレベーターには乗らず、隣の基の前で立ち止まった。

 

「皆様方と行くとマスコミフラッシュを浴びそうなので、ここでお別れさせていただきます。ご武運を」
「祈ってねぇだろ」

 

　頭を下げるあたしに、すかさず総一郎のツッコミが落ちる。
　見れば結城さんは両手にガッツポーズを取っているが、笑う櫻木隆成を除く男達は不審な目を向けていた。あたしの性格がバレている反面、冬の忠告もあるし、なるべく会場には近寄らない方が良い気がするからだ。

 

「えらく皺が寄ってるが、やっぱ体調悪いのか？」

 

　気付けば考え込むあたしの眉間を総一郎の指が押さえていた。
　上がった彼の眉に、駅前のことを柳田さんに見られたのだろうかと一瞬ドキリとするが、そっぽを向く。

 

「別に……今日暑いから。アイス食べればすぐ冷えっ！」

 

　話の途中、眉間を押さえていた指が鼻と唇を通り、顎を持ち上げると口付けが落ちた。反射的に動く身体は閉じたエレベーターの扉に押し付けられ、反対の手で腰を固定される。

 

「んっ、あん……」
「冷たいの食うなら……全身熱くしといた方がいいだろ」

 

　言葉通り、身体の奥からジワジワと熱いものが込み上げ、口内に侵入を許した舌がいっそう火を付ける。蹂躙される身体に降伏しそうになった時、淡々とした声が聞こえた。

 

「あと十秒で閉めるよー……三、ニ」
「おおーい！ なんで三秒から数えんだよ！！」
「千風さん、会議が終わったら……え、あれ、龍兄さん？」

 

　櫻木隆成のカウントに大慌てでエレベーターに乗り込む安室圭太と結城さんの肩を押す階堂龍介が目の端に映る。同時に唇も離れ、息を荒げるあたしを総一郎が意地悪く見下ろしていた。

 

「面倒な会議（仕事）終わったら朝まで啼かしてやる。それまで精々食っとけ」
「は……あ、ちょ！」

 

　理解する前に閉じようとしていたドアを足で停めた総一郎は無理矢理乗り込んだ。
　手だけじゃなく足癖まで悪いのかと呆れるが、すぐ後ろのエレベータードアが開き、取材班らしき人達が降りてくる。咄嗟に柳田さんを見るが、同業者らしき黒服達と話していた。少し寂しさを感じながら乗り込むとドアを閉め、上階ボタンを押す。

 

　監視カメラはあるが幸い他に同乗者はおらず、ガラス張りに映える景色を眺めた。
　無機質なビルばかりの景色はとても冷たく見えるのに、少しの緑と、ビルに反射する太陽が合わせれば不思議と美しく映る。それは高い場所に上れば上るほど増し、緑や海まで見えた。

 

「いつも……下向いてたからね」

 

　呟きに『そうだね』と同意する声。
　見上げれば嫌いな物がある。映りたくない、バレたくないの一心で、ずっと暗い店内で隠れ怯えていた。それが一人の男によって変わりはじめている自分が怖い。でも、その先を見たいとも思っている。背中を押してくれる人がいれば……押すって言うか、蹴られそうだが。

 

「それより『朝まで啼かす』って、まさか今日お泊まりコース？」

 

　不吉な言葉を思い出し、ちーと考え込む。
　今日は土曜だし、当然あたしに明日の予定はない……あり得る。このまま帰ろうかと一瞬思うが、カフェのある階に着くと、列を成した数十人の女性達がケーキについて楽しそうに語っていた。それだけで頭はアイスでいっぱいになり、気付けば受付で櫻木撫子の名を出していた。

 

　確認するウェイターに視線を店内に向けると、休日と昼時だけあって人は多いが、中央テーブルに並んだケーキやアイスの数々。何より笑顔の人達を見ると自然と頬が緩む。だが、場違いなスーツ姿の男が三人出て来きた時はさすがに目が点になった。
　見るに、顔を伏せた真ん中の男を左右の二人が必死に引っ張っている感じ。昼間から酒でも飲んだのかとスルーするあたしの後ろを過る。

​

「もう、起きてくだせぇよ」
「大丈夫なんすか？」
「アカン……これはアカンパターンや……何を出すんやったっか、サッパリ忘れてもうた」
「はひ……？」

 

　脱力する左右二人の声と共に“私”は振り向くが、三人を乗せたエレベーターは既に閉じていた。ざわつく女性達とは違う動悸が私の中で響き渡る。

 

「まさか……ですよね」

 

　動悸や考えはウエーターさんの声で遮断し、手を振る撫子さんの元へと足を進めた。

 

＊  ＊  ＊

 

　窓際という特等席からはエレベーターからも見えた景色が広がる。
　けど今はカラフルで柔らかなアイスに目がキラキラ輝いていた。向かいに座る撫子さんは既に呆れているが。

 

「千風さん、本当にお好きですのね。晩御飯が入らなくなってしまいますわよ」
「好きな物は別バラです！ そう言う撫子さんも中々……」

 

　以前会った時は和服で抹茶系だった撫子さん。
　でも今日は髪をハーフアップにし、白のブラウスに小花柄スカート。ケーキも新作全制覇と、少しイメージが変わった。ニコニコする私に咳払いした彼女はコーヒーを飲む。

 

　会議は間に休憩を入れた三時間。
　人によって長いか短いか、手札を出すか、出さず終わるか微妙な時間。まあ、帝王様は心配する必要なさそうですし、撫子さんとお喋りしてれば時間なんてあっと言う間です。
　アイスを口に運んでいると、カップをソーサーに置いた撫子さんが言い難そうに口を開いた。

 

「あの、わたくし……ずっと千風さんに謝りたくて」
「はひ？」
「その……貴女のお仕事について失礼なことばかり言って……軽率でした」

 

　頭を下げる彼女に、スプーンを持つ手が止まるが、すぐアイスを掬った。

 

「気にしないでください。良いイメージがないのは理解してますし、なんだかんだでお金目的ではじめましたから」
「？ 失礼ですが、千風さんはなぜその職を……」
「ん～嫌なお話し、借金してたんですよ」
「え！？」

 

　口元を両手で覆った彼女の顔が青くなる。
　慌てて返済が終わっていることを付け加えると、安堵の息をつかれた。終わってなかったら財産目当てとか別のバトルが勃発してただろうなあと、アイスの冷たさとは違う意味で震える。まあ、終えたのは去年なので、すっからかんなのは本当ですけどね。

 

「だから今は自分のために働いているんです。育ててくれた店に恩返し出来る分の貢献したら……新しい道を行きたいなって」
「何かしたいことがありますの？」
「農業です！」
「…………総一郎様との結婚ではありませんのね」
「え？」

 

　元気に宣言した私は瞬きし、撫子さんは深い溜め息をついた。
　言われてみれば今まで恋人とか結婚とか考える暇なかったですけど、今は違いますよね。借金も終えて、両想いになった人がいる。その人と一緒に……。

 

「帝王様、付いてきてくれますかね」
「まさかの総一郎様を農業に誘いますの？」
「意外にトラクター運転する姿いけると思うんですよ。今のところ茨城か岐阜を検討してて」
「お気は確かですかしら？」

 

　素早いツッコミを入れる撫子さんは半分以上呆れている。アイスを食べ終えた私はうなだれた。

 

「やっぱりダメですかね……あー、なんでITの人を好きになったんだろ。夢は農夫のお嫁さんだったのに」
「掛け離れすぎですわよ。譲ったわたくしがバカみたいですわ。あ、総一郎様やめて、お兄様に替えません？ 最近は昼食に誘ってくださったりと、丸くなりましたのよ」
「……………考えようかな」

 

　呟いた瞬間、向かいからブリザードが吹雪く。
　見れば隆成さんがふーちゃんを見る時と同じ目と微笑を浮かべる撫子さん。冗談だったのかはわかりませんが、気付けば深々と頭を下げていた。

 

　この兄妹やっぱり怖いですが、ちょっと仲良くなれた……はず。

 

＊　＊　＊

 

　時刻が五時を回る頃に帝王様から会議が終わったと連絡が入る。
　予定より遅いが、マスコミ関係の取材が終わり撤退したところらしい。地味な配慮になんと言えばいいかわかりませんが、撫子さんと二人エレベーターに乗ると会場になっている階で停まる。が、目の前の光景に“あたし”達は顔を引き攣らせた。

 

「制酸薬……いや、足りねー……っ！」
「じ、自分はなんて浅ましいことを……終いには遡上に失敗してしまうなんて……屈辱！」
「………………………」
「ああっ！？ そりゃ、ただのナマズだろ！」
「やあ、撫子達」

 

　ロビーの椅子に腰を掛けた櫻木隆成はいつも通りだが、他……安室圭太は腹を押さえたまま床に座り込み、結城さんは半泣きで壁を両手で叩き、ソファに仰向けになって寝転がる階堂龍介は死人のよう。総一郎に至っては電話でナマズ議論をしている。秘書、護衛、スタッフ以外はいないとはいえ、これは酷い。
　唖然とするしかない中、櫻木撫子が恐る恐る兄に訊ねる。

 

「た、ただの会議ですわよね？」
「そうそう、言葉遊びがメインの会議。楽しかったよ。ねえ、総一郎」

 

　視線を後ろに向ける櫻木隆成につられるように振り向く。前に、頭に手が乗り、荒々しく回された。

 

「ちょちょちょちょちょ！」
「ああっ、後味悪ぃ……千風、どこでしてもらいたい？」
「あたしで鬱憤祓うのやめてよ！ やるなら櫻木隆成でしょう！？」
「末路わかってんじゃねぇか」

 

　顔を上げた真上には多少不機嫌ながらも意地悪く笑う総一郎。
　大きな手に引っ張られ、胸板に顔が埋まる。さすがに煙草は吸っていないのか、いつもの匂いが薄い。やはり匂いフェチだったのかと頬を擦ると、頭上から声が落ちた。

 

「そういや、柳田見なかったか？」
「え、いないの？」
「いないから聞いて」
「柳田はんなら、えらい急いで階段へ行かれましたで」

 

　口を挟んだのは関西弁の男。
　カフェに着いた時に聞いた声と一緒だが、聞き覚えのある声に動悸が早鐘を打つ。汗が流れる。身体が震える。
　だが、確認するようにゆっくりと頭は上がり、総一郎が見つめる先にいた人物を目が映す。

 

　白のシャツは腕捲りされ、濃青の千鳥柄のネクタイも緩く、黒のベスト。濃茶に染められたショートの髪は毛先が左右上下に跳ね、赤のオーバル眼鏡を掛けた一七十後半の男。
　櫻木隆成とは違う、何かを含んだ笑みを向けるのは……。

 

「英（はなぶさ） 赤司！！？」

 

　悲鳴にも近い声に、全員の目が向けられる。
　それが“私”だったせいもあり帝王様の目が大きく見開かれるが、私は目の前の男性から目が離せないでいた。同じように彼も上から下、下から上へと観察するような目で見ると、口元に弧を描く。

 

「なんや、御縁ありますなあ、御嬢はん。返済後の調子はいかがですか？」

 

　皮肉も込められた声に両手を握り締める。
　それは二度と会いたくなかった――――借金の相手。