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28話*「解けた」

 テレビの中で観る人。最初はそれだけだった。
 毎日はいない。でも、きてくれた時はプレゼントくれて、優しく頭を撫でてくれる。お母さんを笑顔にしてくれる人。

 その人が“荒澤 忠興”という政治家で“父”だと理解したのはいつだっただろう──。

 


*  *  *

 


 うるさく響く音楽に重い瞼を開く。
 けれど、カーテンの隙間から溢れる日射しに瞼は自然と閉じ、寝返りを打つと亀クッションに顔を埋めた。でも、室内に響く音楽は止まない。必死に携帯に手を伸ばすと、音の主に構わず出た。

 

「はひ~……」
『もーし、もーし、もしもしもし』
「は~ひ、は~ひ、はひはひはひ」
『…………バカはいいんで起きてくれませんか、ふぅ』
「アンタが替わらないと替われないっつーの」

 

 相方達を殴りたい衝動に駆られながら“あたし”と電話主の“冬”は大きな溜め息をついた。
 上体を起こし、顔に掛かる髪を上げるとカーテンと窓を開ける。暑い太陽と蝉の声に夏本番を感じるが、まだ時刻は朝の七時。布団に沈んだ。

 

「こんな朝……しかも休日になんの用? 来るなら朝御飯持ってきてよ」
『春が大喜びしてますが、残念ながら俺達は仕事です。しかし、その様子ですと御門総一郎と一緒じゃないですね』
「総一郎なら今日は六家会議」

 

 先週は仕事後に拉致られてマンションに泊まったけど、さすがに大事な会議前に店に来るバカはしないらしい。それ以降は会ってもいなければ電話もしてないが、今日が会議なのは事前に聞いてたから知ってる。重要会議を包み隠さず話すのはらしいと言えばいいのか自信家と言えばいいのか。
 欠伸しながら亀クッションを抱き込んでいると、一息つくのが聞こえた。

 

『一緒じゃないならいいです。野郎と会ったら許しませんからね』
「なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないわけ」
『なんででもです。では、また』
「あ、ちょっ!」

 

 まるで言い逃げのように切られてしまった。
 仕事が差し迫っているのはわかるけど、説明は欲しい。上体を起こした“私”は溜め息をつくが、すぐにまた別の着信が鳴り慌てる。表示されている名は噂の帝王様。
 動悸が早鐘を打ちはじめるせいか、少しの間を置いてから出た。

 

「はーひ、はーひ、はひはひはひ」
『よう、起きてたか。実はよ』
「ツッコんでください……私がバカみたいじゃないですか」
『くくっ、自虐で恥ずかしがってちゃ世話ねぇな』
「帝王様のイジワル」
『褒め言葉だ』

 

 クッションを抱えたまま頬を膨らませるが、楽しそうな笑い声に全身が熱くなる。太陽の暑さではない熱はいっそう動悸を速くさせ、電話越しでも聞こえてないか心配になった。誤魔化すように立ち上がると、冷静を装いながらキッチンに足を向ける。

 

「そ、それで、なんの御用ですか? 会議でズタボロに負けたんですか?」
『こんな早朝から会議があったらたまったもんじゃねぇぞ。用件はひとつ、お前こっちに来い」
「はひ?」

 

 冷凍庫を開ける手が止まる。こっちってどこ?
 冬くんといい、主語がない人に考えあぐねていると補足された。

 

『今日の会議に隆成が妹を連れて来るらしくてな』
「撫子さんですか」
『ああ。開催場所のホテルの上じゃケーキバイキングしてるとかで、会議が終わるまで話してたらどうかだと。ついでに晩飯も一緒に』

 

 車で移動しているような音を聞きながら冷凍庫を開ける。
 会議は十三時から新橋近くにあるホテルと聞き、家からさほど時間は掛からない。でも、大企業が勢揃いする会議ってことはマスコミも少なからずいるはず。冬くんの会うな発言がそれを危惧しているような気がして断りを入れようと口を開く。

 

『ちなみに奢りで、バイキングにはハーゲンダッチュ食べ放題があるらしいぞ』
「行きましょう」

 

 即決で、手に取ったジャイアンコーンを戻した。

 


* * *

 


 電車が新橋駅に着くと、人混みに押されるように降りる。
 時刻は十ニ時前。平日と変わらず行き交う人は多く、慣れていない“あたし”は内心溜め息を零した。アイスのためとはいえ、改めて考えると早まった選択をした気がする。

 

 半分ヤケで駅を出ると、スポットライトに当てられたかのような眩しい光に足が止まった。手で遮り、片目を瞑った先には雲もなく晴れた空と太陽。いつも見るのが朝日、夕日、月なせいか、昇りきった太陽の下にいる自分が不思議でならない。
 ずっと身を隠すように生きてきた自分には眩しすぎて、すぐ日陰へと移動した。

 

 たった数分だけでも流れる汗。
 ポシェットからハンカチを取り出すと額に宛て、一息つくように顔を上げる。けれど、目先にあった電気屋のテレビに映るニュースに父の顔を見つけるとハンカチが落ちた。

 

 辞任会見が映り“あたし”は眉を顰める。
 ちーにとって父は“嫌いな人”。元々“あたし”が生まれた要因が彼だと言っても過言ではない。でも、もう関係ない。怖くない。そう何度言い聞かせても暑さなのか緊張なのかわからない汗が流れ、身体が震える。足を止めたまま両腕を擦ると顔を伏せた。


 

「大丈夫ですか?」
「っ!?」

 


 突然かけられた声に上体を起こすと、ゆっくりと振り向く。
 揺れる瞳の先には茶髪のショートボブ、小さなフリルが付いた白のブラウスに、黒のパンツスーツを着た女性。身長はあたしより少し高く、パールのチェーンピアスを揺らしているが、まだ幼い顔立ちは二十代に見える。心配そうに顔を覗き込まれた。

 

「すみません、御加減でも悪いのかと思って」
「あ、いえ……大丈夫……です」
「それにしても顔が真っ青だし、汗も……あ、良かったら使ってください」

 

 未だ事態が飲み込めていない中、ハンカチを受け取る。
 見れば白地に綺麗な黄、紫、ピンクのパンジーの刺繍。けれどどこにも商品名はなく驚きの声を上げた。

 

「ちょ、これって手作り!?」
「あ、わかります? 貰い物なんですけど、本物と見間違うほど綺麗な刺繍ですよね。自分、感動して泣いちゃいました」
「いやいや! その気持ちは大いに賛同するけど使い難いって!!」
「しかも男性が縫ったんですよ」
「人の話を聞いてって、男が作ったの!?」

 

 微笑む女性と話が噛み合ってないことにも驚くが、作ったのが男というのも驚きだ。これは達人の域だなあと感心していると、屈んだ女性はあたしが落としたハンカチを拾う。

 

「あ、ごめ……っ!」

 

 女性は『いいえ』と微笑むが、途中で言葉を切ったあたしの額からは冷や汗が流れる。
 巨大モニターから聞こえていた父のニュースは終わった。監視カメラも範囲外。携帯を使ってる人はいるけど、写真や動画にあたしが入っている気配はしない。でも、ちーに替わらない。“あたし”のまま。
 そこまで考え気付く。この女性(ひと)……。

 

「どうかしました?」
「いえ……それより、お仕事は大丈夫ですか?」
「え、あ!」

 

 言おうか言わまいか考えたが、ひとまず別のことを訊ねると、腕時計を見た女性は慌てだす。休日にスーツ。しかも時間帯的に仕事の可能性からの推測だったが、当たっていたらしい。
 ハンカチだけ借りて後日お返ししようかと考えるが、突然手を握られ驚く。一瞬躊躇った様子を見せた女性は何かを決意したように真剣な眼差しを向けた。

 

「不躾ながらお訊ねしますが、このホテルってどこにありますか!?」
「はひ?」

 

 バックから取り出した紙を広げる女性に、あたしは視線を落とす。
 折り目のついた紙には手書きで住所と地図が載っているが、ホテルの名に目を見開いた。何しろ、あたしが目指す場所と同じだ。

 


* * *

 


 ビル群で出来た日陰を歩くあたしの隣にはさっき助けてくれた女性。
 そして今度はあたしが助けることとなった。言わば道案内だが、一緒に歩いていてわかったことがある。

 

「あ、千風さん! 赤になりますよ!! 急がなきゃ!!!」
「結城さん、そっちじゃない!!!」

 

 横断歩道の点滅に走り出す女性=結城さんを慌てて止めるように手を握ると、反対の青になった横断歩道を渡る。息を荒げながら渡り終えたあたしに、出会って十何分。何度目になるかわからない謝罪をされた。
 

 ちょっと目を離しただけで曲がっては走っての繰り返しで、目的地とは反対方向に進む彼女。間違いなく方向音痴。手で扇いでいると、自販機で買ったのであろうお茶のペットボトルを手渡される。

 

「本当にすみません。自分、車でしか通ったことないものでサッパリなんです」
「なんで今日も車で来なかったんですか……」
「せ、せっかく会社の代表として行くことになったなら、堂々と胸張って徒歩で行こ……すみません」
「……いえ、お茶ありがとうございます」

 

 しゅんと肩を落とす彼女に礼を言うとペットボトルの蓋を開け、喉に流す。
 結城と名乗った女性はまだ二十六歳ながら大手企業の代表として、ホテルで行われる会議へ向かう途中だったらしい。出だしから大丈夫なんだろうかと思うが、おかげで未だ“あたし”のままの理由がわかった。

 

 繁華街の道のりには何台もの監視カメラがあり、普段なら範囲外になれば“ちー”、範囲内になれば“あたし”と交互に替わるものだ。けど一度も替わることがない。それは結城さんから発せられる電波=盗聴器のせいだ。

 

 本人が知ってるかはわからないけど、録音式のものじゃなく無線式だから、少なくとも近くで聴いている人がいる。大手企業で代表なら、ライバル会社、はたもや身内が心配すぎて付けたか……ともかく迂闊なことは喋れないが探りは入れてみよう。
 知ってて何かあったじゃ後味悪いし、敵か味方ぐらいの判別は出来るかもしれない。

 

「結城さん、会議の相手方とは会ったことあるんですか?」
「はい! 兄さん方とは親戚のようなお付き合いをさせてもらっています。一社、三年前に交代してしまいましたが、仲は良好ですよ」

 

 え、会社ぐるみのお付き合いしてて交代って何? 倒産?
 再度歩き出した彼女の笑顔にウソらしいものは見えず、戸惑いながら会話を続ける。

 

「じゃ、じゃあ、結構気楽な会議なんですね」
「そうですね。自分ははじめて参加するのでどんな内容かはわからないんですが、前まで参加してた父が言うにはポーカーをするようなものらしいです」
「ポーカー?」

 

 似た話を聞いたことある気がするが、違う道を進む彼女を止めるのが先だった。もう手を繋いでいた方がいいような気がして、離すことなく先頭を歩く。若干戸惑うような気配がしたが、振り向いても柔らかな笑みが返されるだけ。その優しい笑みは『蓮華』のみんなのようで急に恥ずかしくなった。

 

 熱い頬を逸らすように見えてきた三十階建てホテル。
 階段を足早に上がるが、『歩くの速くないですか?』と言う、ちーの指摘に我に返った。だが構わず語りかけられる。

 

「千風さんはお友達とお約束なんですよね?」
「ま、まあ。上のカフェでケーキ……アイス食べ放題に釣られて」
「ああ、今日みたいな暑い日にはいいですよね。自分カップアイスが好きですけど、今は御祖父様が九州のお土産で買って来てくれたブラッチモンブランが気に入ってます」
「そうそう! あれ、美味しいですよね!!」

 

 まさかのアイスの話にテンションが上がるが、気付けば“私”。
 階段を上り終わり、目の前にはホテルの正面玄関が見えるが、立ち止まった私は顔を青褪める。けれど結城さんは首を傾げるだけ。

 

「どうしました? あ、兄さん達、もう揃ってるみたいですね」
「は、はひ……」

 

 どうやら彼女は替わったことに気付いていないようで安堵する。が、それも束の間。ガラス張りになったホテルのロビーに向かって手を振った彼女はなぜか私の手を握ったまま走り出した。

 

「ちょ、ちょっと……!」

 

 慌てて声を掛けるが、全速力で走ってるせいでまったく声が届いていない。
 な、なんなんですかね、この猪突猛進タイプな方。そもそも、知らない私が行くのはマズい……じゃなくて、替われたということは周波数が消えた。つまり、盗聴器の電源が切られたということ。
 走りながら辺りを見渡すが、怪しい人は見当たらない。既に身を隠したのか、彼女が無事に辿り着いたからなのか。

 

「……あれ?」

 

 ふと駐輪場に見たことあるような物を見つける。
 けれどすぐに正面玄関の自動ドアが開き、確認出来ないまま監視カメラで“あたし”に替わった。さっきから気になることばかりが引っ掛かるのはなんだろ。しかも誰かに当て嵌めれば繋がりそうなんだよね……ドS野朗とか。

 

「なんつった」
「っだ!!!」

 

 不意打ちで落とされたものに悲鳴を上げる。
 バッチリと染み付いた叩き方に涙目で振り向けば、高い天井よりも目が行く男。スーツに、ワックスの掛かった濃茶の髪は仕事モードだが、呆れているように見える。

 

「総一郎……」
「総兄さん、こんにちは!」

 

 嫌々に呟くあたしとは反対に、元気に挨拶をした結城さんに目を丸くする。だが、なんでもない様子で両手をポケットに入れた総一郎は彼女を見下ろした。

 

「よう、結城。てっきり迎えがいるかと思ったが、まさか本当に千風と一緒とはな」
「え、総兄さん。千風さんとお知り合いなんですか?」
「え、そっちこそ……こいつと知り合い?」

 

 瞬きしながらあたしを見る結城さんに、あたしも瞬きを返す。そんなあたし達に総一郎は溜め息をつくと頭をかいた。

 

「自己紹介ぐらい本名でしねぇと、揃ってジジイに怒られるぞ」
「ジジイって……仁左衛門様……っ!」

 

 つい呟いてしまったことに素早く両手で口を塞ぐ。
 けれど総一郎も、ロビーソファに座る櫻木隆成も、安室圭太も笑っている。疑問符を浮かべるあたしのように結城さんも唸っていたが、突然パンと手を叩いた。

 

「もしかして、風さんですか!?」
「え、え、あたしのこと知って……」
「はい、いつもお世話になってます!」

 

 大きく頭を下げられるが、源氏名を呼ばれたあたしは慌てふためくしかない。
 お世話って何? 店の常連?いやいや、女子は入れないし……でも、さっき名前が出た人は。

 ちーとぐるぐる回りながら整理するが、先に頭を上げた彼女に微笑まれる。さっきまでの無邪気な笑顔ではなく、キリっとした仕事の微笑。

 


「改めて。高科電機会長、高科 仁左衛門の孫にあたります、高科 結城と申します。どうぞ御見知り置きください」
「あー……はい、こちら……こそ」

 


 引き攣った顔でしか返せないあたしに総一郎は笑うが、殴る気も怒る気もしない。むしろ引っ掛かっていたものがすべて解けた。

 うん、納得……────。

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