S? M?
いえ、フツーです
21話*「テンション」
同じことが以前もあった。来店した隆成さんに出会(でくわ)した時。
でも、あの時以上に空気は重く、威嚇という名の睨み合いに動悸が早鐘を打つ。それは悪い方な気がして、慌てて春ちゃんの胸を叩いた。二人の視線が私に移り、春ちゃんと目が合う。
「何……ちぃ?」
「な、何って、えっと、もう大丈夫だから早く報告しに帰った方が……案内ありがとう」
「ちぃ……俺は今……仕事中じゃないんだ……だから少し黙ってて」
抱きしめる手で頭を撫でられると髪に口付けが落ちた。
視線を上げた先には隆成さんがふーちゃんに向けるような冷たい目が見え、本気で苛立っているのがわかる。この状態の春ちゃんはマズい。ただのケンカ類になったら冬くんより春ちゃんの方が断然強いから帝王様なんて簡単にフルボッコだ。
「ちょっと待て。なんで俺が負けるの前提なんだ」
「前提じゃなくて確定ですよ! だって薫さんがいないじゃないですか!! 帝王様って護られてる人でしょ!!?」
いつもは柱の影でコソコソ見守ってる薫さんどころか、数歩下がって被害被るの御免な角脇さんさえいないボッチ帝王様。彼の末路に半泣きになっていると、満面笑みを浮かべる春ちゃんに頭を撫でられた。
「大丈夫だよ、ちぃ。きっと来世で『帝王アイス』って商品で逢えるから」
「そ、その時は私……お、美味しく食べます……出来れば……ストロベリー味に生まれ変わってください!」
「よっし、揃って自販機に頭を突っ込ませてやる」
ハンカチで涙を拭く私達に向かって足を進めた帝王様が勢いよく手を伸ばす。すかさず空いた手で春ちゃんが弾くと右足を上げるが、先に帝王様の左足に踏まれた。
一瞬の出来事に涙は引っ込み、春ちゃんも目を見開く。けれど、痛がる様子もなくただ目を細めていた。
「へー……意外とチョロくはないんだ」
「六家なんて面倒な家のおかげでな」
「ふーん……どうでもいいけど足退けて……男に踏まれるのは御免だ」
「“ちぃ”には踏まれていいのか?」
「あ、最っ!!!」
希望通り左足を踏んであげた。ヒールのある踵で。
両足を踏まれた春ちゃんは肩を震わせ、手で口元を覆う。ジと目を通り越して冷めた目で見つめる私に、帝王様は不思議そうに視線を彼に移した。呟きのような声が落ちてくる。
「ああー……半年の放置で踏まれるとか……最っ高」
「はいはい、今度は一年後に背中に乗ってあげますね」
頬を赤めながら嬉しそうに呟く幼馴染の胸を叩きながら今度はつま先で足を踏む。足を退けた帝王様は若干顔を青くするが、春ちゃんの顔は赤さを増し、揺れる瞳で私を見つめた。
「ちぃ……この状態で一年はキツい……むしろ今すぐ」
「帝王様、ドSならドM春ちゃんいかがですか?」
「いや……男は遠慮する」
珍しくドン引きしている帝王様は内ポケットから携帯を取り出すと操作しはじめる。でも視線は私のまま。頬が熱くなってくると呆れた様子で訊ねられた。
「つーか、痛いの大好きなドMがSPの上に次期社長とか大丈夫か? 俺以上に変わった幼馴染もってんな」
「サスガニソンナド変態デハナイデスヨ」
「片言になんな」
「大丈夫、俺が興奮するのはちぃだけ……それより、俺のこと調べたな?」
冷たくなった声に踏み続けていた足を止めた。
春ちゃんがSPであることは前回名前が出たことで薫さんから聞いているのがわかる。けど、後者のことも知っていることに帝王様を凝視した。携帯を見ながら彼は続ける。
「牛島春冬。二十三。民間警備会社『U・B』の一人息子。柔道、剣道、合気道諸々の有段者で若くしてトップ企業の警備にあたることもあるが、長期の依頼は断ってフリーで活動中。柳田は真面目で礼儀正しいとか言ってたが……とんでもねぇ変態の間違いだろ」
「…………仕事とプライベートは分けていますのでご安心ください。もっとも、貴方を護る気など微塵もありませんが」
淡々と告げられる情報に言葉を失っていた“あたし”とは違い、足を退けた“冬”は顎をあたしの頭に置いて抱きしめる。恐らく笑みを浮かべているだろうが良い意味ではなさそうだ。総一郎の目が上下に動く。
「なーる……てめぇ“も”とは、案外いるもんだな。そいつもドMか?」
「こっちはアンタと同じ……じゃない。調べたってあたしのことも?」
「いや、牛島春冬だけだ」
「じゃあ、なんで幼馴染って知ってるわけ?」
相変わらず妙なところで勘の良い男に今更とやかや言うものではないが、さすがに冬とあたしの関係までは出てこないはずだ。断言されたことに眉を顰めると総一郎は携帯を、一通のメールを見せる。
差出人は『階堂龍介』。タイトルは『降板?』。
内容──『アイス大好き追い剥ぎ屋とSP兼幼馴染の背後霊が大ホール西口にてラブラブ中。総さん、ヒーロー役やめたの? お疲れ様』……って。
「またこのパターーーーンっっ!!!」
「ふぅ、少々声を落としましょうか。無理ならネクタイで口を塞ぎますよ」
「口で塞いでやってもいいぜ」
二つの脅しという名の本気に口チャック。
ドS組の小さな舌打ちを聞きながら階堂龍介の礼を考え直す。でも、同伴してくれたし、また総一郎を呼んでくれた。ヤツは恋のキューピットにでもなりたいのかと思いながら、自分がここに来た目的を思い出す。携帯を仕舞った男と目が合うと、熱が急上昇するのがわかった。
「ちぃ……本気?」
抱きしめる手が心臓にあったせいか、動悸の速さが伝わったのかもしれない。
耳元で囁かれる“春”ちゃんの声は小さく、顔は見えないが驚いているのを感じる。そして“私”が頷くと肩に顔を埋めた。同時に身体が揺れる。
「最悪だー……千風が本気で俺達を棄てる気だ……廃棄処分されるー」
「春ちゃん大げさ。少なくとも私は春ちゃんに対しては何も変わりませんよ……あの時と同じ」
肩に埋まった彼の頭を撫でると揺れが治まる。
帝王様は何か言いたそうにしてるが、眉を上げたまま見ているだけ。暫くすると顔を上げた春ちゃん……ではなく“冬”。溜め息をつきながら眼鏡を掛け直す男に“あたし”も溜め息をついた。
「何、春のヤツ拗ねたの?」
「みたいですね。はあ、面倒くさい相方ですよ……病んだら責任取ってくださいね」
「今すぐ病院に行ってきな」
「そうしますかね……ま、精々頑張ってみてください。一応“俺”は幼馴染として言っておきますよ、千風様」
楽しそうに笑いながらあたしの額に口付けを落とした冬は歩きだす。
櫻木隆成に似てどこか掴みどころのない男に違和感を覚えていると、総一郎の前で足を止めた。身長差がある二人は暫し睨み合うが、何かを冬が……いえ、“春”ちゃんが呟くと、帝王様の眉が極限まで上がった。
それが面白かったのか、満足そうな笑みを“私”に向けた彼は楽しそうに去って……。
「ちょちょちょ! 帝王様、春ちゃんに何を言われたんですか!? 絶対怪しい話ですよね!!?」
「今年の紅白歌合戦はどっちが勝つかっつー話だ」
「なんで紅白!? まだ夏ですよ!!?」
「んなことより、てめぇちょっと耳貸せ」
「はひ?」
ちょいちょいと手招きされ、足を進めた私は耳を寄せる。前に、頭を掴まれ回された。
「はひいいいぃぃ~~~~っっ!!!」
「そうそう、この感じだよな。隆成回してもサイズ違ぇから面白くねぇんだよ」
「あ、遊ばないで~というか~騙した~」
脳内で、ふーちゃんの『バカ』が聞こえると回す手が離れた。
それでもまだ頭はグルグルと回り、よろけた身体が帝王様の胸に埋まる。一段とお高いスーツなのに、アップルレモンの匂いは変わらない。安心するようにシャツを握り締め、顔を埋めると、くすくす笑う声が落ちてきた。
「てめぇ、匂いフェチだったか?」
「そ、そういうわけっきゃん!」
耳朶に付けられた唇から発せられる声だけでも身体が跳ねるのに耳孔まで舐められ、大きく跳ねてしまった。その身体を止めるように背中と頭に手が回されるが、舐める舌は止まらない。
「あっ……ちょっ……帝王さ……っん!」
「なんだ……ん、俺は『耳貸せ』っつたろ……」
「そんっ……あ」
まるで『嘘はついてない』と言うように耳朶を、耳孔を舐め、声と共に小さな息をかけられる。
「あんっ……はぁぅ……っあ」
「くくっ、耳だけで感じるとは……さっきのドS加減はどこいった」
「いぇ……フツー……というより……そこで喋らない……で、あぁ」
「牛島春冬とシた時も……そんな風に感じてたのか?」
「はひ……っん」
耳から離れた舌が頬から首筋に落ちると舐められた。同時に小さな痛みが走ると、帝王様の指が擦る。それはさっき春ちゃんに吸われたところで、いつもの意地の悪い笑みを向けられた。
「見えてねぇだろうが、キスマーク付いてんぞ」
「はひっ!? あっ!!!」
驚くと同時に首筋に吸い付かれる。というより、噛み付かれた。
春ちゃんの痕を消すように覆った唇と舌。そして歯の刺激に身じろいでも、固定された身体は動かない。それどころか悦んでいるように思えるのは気持ちに気付いたせいなのか、下腹部がゾクゾクしてきた。
唇を離した帝王様は顔を上げ、喘ぎと息を漏らす私と目を合わせる。
大きな手で首筋をなぞられると先ほど以上の痛みが走るが、笑みのない表情で見られる方が刺激は強くて頬が赤くなった。
「……牛島春冬とはよかったのか?」
「はひ?」
「“幼馴染”とは違う意味で、あいつ……特に春はてめぇを見てただろ」
「ああ……ちゃんと振ったんですよ」
「は?」
表情を崩した帝王様に私もふーちゃんも頷く。
隆成さん以上にぎゅーぎゅー抱きしめ、私限定のドM春ちゃん。そこまで発揮する彼の想いが恋愛……愛だと知ったのは五年前。
「まさか、知ったと同時に『ごめんなさい』か?」
「いえ、その後に色々あって『ごめんなさい』しました。けど……」
「変わらずあの調子か。同じ男的には同情してやりてぇが、俺的にはしたくねぇな」
溜め息をつきながら帝王様が離れていく。
寂しさに胸が痛むと動悸は激しくなり、痕が付いたであろう首筋を撫でながら口を開いた。
「…………帝王様は……どう思ってるんですか?」
先ほどまでフツーに会話出来ていたのに、いざ聞きたいことになると声が、身体が震える。喘ぐよりも先にこっちが大事なのに。
「帝王様は……私のこと…………」
声が続かない。声量も小さい気がして彼まで届いているのかわからない。そんな考えよりも動悸が激しくて、どうすればいいのかもわからない。
それでも見つめる帝王様と顔を、目を合わせ、必死に声を振り絞った。
「ててて帝王様は……私のこと……れ、れれれ恋愛的な意味で好き……ですか!? ど
うですか!!?」
色々なテンションが混じった台詞に沈黙が訪れる。
ただ自販機の機械音だけが虚しく響いた────。