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18話*「第二の家族達」

 夜の七時を回っても断続的に振り続ける雨。
 音を遮るようにテレビを点けているのに、雨音だけしか耳には届かない。思い出す男性(ひと)どころか、ふーちゃんの姿すら霧が掛かったように見えなくなり、手を握り締めた。
 すると襖障子が開かれ、笑顔の百合姉ちゃんが顔を出す。

「ちうりん、寒くない~?」
「はい……色々とありがとうございます」

 

 十畳ほどの和室には座卓とテレビに座布団が四枚。
 その一枚に正座し直し、頭を下げると、百合姉ちゃんはくすくす笑う。

 

 ここは百合姉ちゃんの家。
 木造平屋の家はコの字になり、中庭には鯉が泳ぐ池も松の木もあったりと、とても広い。たまたま会っただけなのに、晩御飯もお風呂も着替えも借りてしまった私はピンクのロングワンピースを着ている。
 百合姉ちゃんも髪を下ろし、七分シャツにショートパンツとラフな格好。室内に入ってくると黒服の男性がお盆を差し出した。

 

「では、お嬢。何かありやしたらお呼びくだせぇ」
「うん、ありがと~」

 

 襖障子を閉める黒服さんを呆然と見ている間に暖かいお茶と栗饅頭が座卓に並び、向かいに百合姉ちゃんが座る。

 

「ちうりんは、ウチに来るのはじめてだっけ~?」
「は、はい。百合姉ちゃん家って広いですね」
「組長宅だからね~」
「組長?」

 

 首を傾げながらお茶を啜っていると、百合姉ちゃんは笑みを向けたままテレビを指す。つられるようにテレビを観ると、暴力団員が捕まったという報道。お茶を持つ手が震わせながらゆっくりと顔を戻すと、変わらない笑みを向けながら『ウチじゃないよ』と手を横に振られた。
 そうでしたそうでした、百合姉ちゃん家って──ヤクザさんだった!

 

「反発して『蓮華』で働きはじめたけど、まさかママとお父さんが知り合いなんてね~ビックリ~」

 

 くすくす笑いながら栗饅頭の包みを広げる百合姉ちゃんに私は苦笑するしかない。
 仁ちゃんがオーナーで、皐月ママが代行している創設五年の高級クラブ『蓮華』。従業員(ホステ)は愛姐ちゃんのような人、百合姉ちゃんのような家柄の人、ホステスとは別に職がある人、主婦の人、私のような人など理由様々。
 性格も個性的な人が多いせいか、今では大勢のお客さんが噂を聞き付け足を運んでくれる。帝王様もその一人……だった。

 

「今日って、婚約者さんとお話しする日だったよね~」

 

 唇を噛み締めていると緩やかな声が掛かる。
 目だけ向けると、栗饅頭を持つ百合姉ちゃんが笑みを向けているが店のとは違う。隆成さんのような何かを含んだ笑み。饅頭を二つに割りながら続けた。

 

「宣戦布告に行くって意気込んでたのに、どうして泣いてたの~。ちうりんでもふうりんでも、誰かに言い負けるわけないって私は思ってる。なのに……」
「…………勝ち負けも何も……意味がなかったからです」
「意味がない……?」

 

 眉を曇らせた彼女に胸が痛くなる。
 けれど理由を促すような真っ直ぐな瞳にテレビを消すと体育座りし、重ねた腕の上に顔を埋めた。それからポツポツと今日……先ほどの事を話しはじめた。

 

 少し話すだけでも思い出し、胸の奥から喉にかけて気持ち悪い何かが上ると喉に詰まる。言葉が切れても鼻水を啜る音が響いても、ぼやけた瞳の先には変わらず真っ直ぐな瞳を向ける百合姉ちゃんがいて、懸命に言葉を紡いだ。

 

 それが何分、何十分、何時間かかったかはわからない。
 うるさい雨音も時計の音も聞こえず、ただ自分の言葉が続く限り話を続けたし、顔を上げてないから話し終えた後の彼女の表情はわからない。長い沈黙に動悸が激しく鳴り、恐る恐る顔を少しだけ上げる。と、百合姉ちゃんは立ち上がり、襖障子を開けた。

 

「ねぇ、誰か櫻木鉄道が明日するパーティーの詳細持ってきて!」
「へ、へい!」

 

 聞いたことない低い声と叫びに身体が跳ねる。
 襖障子を閉めた百合姉ちゃんは向かいに座り直し、栗饅頭を口の中に入れた。よく見れば二つに割られていたはずの饅頭は三等、四等どころではないほど細かく割られている。
 変わらない笑みに見えるが、苛立っているのがわかる私は恐る恐る訊ねた。

 

「……怒りました?」
「うん、怒った。徹底的に潰す」
「はひいぃっ!!?」

 

 満面笑顔の怖さに顔を青褪めると座布団を抱きしめる。
 だって背景が、いつもほんわかなのにドロドロしたモノが見えます! 明らかに殺気ですよ!! ごめんなさい!!!
 カタカタ震えながら土下座していると、廊下から声が掛かり、黒服さんが驚きながらも百合姉ちゃんに紙を手渡した。

 

「私、勝手に事態が動くのが嫌なんだ。巻き込んでるってわかってるくせに何も言わず後回しされるとか」
「そ、それは私の気持ちがまだ決まってなかったから……」
「うん、ちうりんと御門様が意地っぱりのせいだね」

 

 目を丸くする私に構わず、百合姉ちゃんは携帯に何かを打ちながら話を続ける。

 

「ちうりんも櫻木様の妹さんと話してから、御門様も縁談を切ってからとか自分を縛るから、すれ違ったんだよ」
「すれ……違い?」
「確かにケジメを付けるのは大事だと思う。でも、今日まで待たず、先に御門様に気持ちを伝えておけば何かは違ったでしょ?」

 

 緩やかではない声と目に顔を伏せると考える。
 確かに気持ちに気付いたのは先週の火曜。そして今日は日曜。その間、帝王様が店に来なかったとはいえ、会おうと思えば会社も携帯番号も知ってるんだから伝えることは出来た。でも、撫子さんと話してからと決めてたから私はこの数日何もせず今日を待っていた。

 

「恋愛はね、躊躇っちゃダメなんだよ。あの子がいるから、明日こそって迷ってたら誰かに先を越されるし不安も大きくなって、気付けば見てるだけで良い人に終わっちゃう」

 

 携帯を置く音に顔を上げると、真っ直ぐな百合姉ちゃんの目が刺さる。
 動悸が激しく鳴りながらも見つめ返しているとバイブ音が響いた。携帯を手に取った百合姉ちゃんは栗饅頭を口に入れ完食。ボロボロに残ったものを袋で包むとゴミ箱へ捨てた。

 

「ちうりんの宣戦布告は別に悪いってわけじゃないの。ただ、布告するなら御門様と婚約者さん三人いる時の方が面白かったかなって~」
「お、面白いって……それ完全に修羅場ですよ」
「大丈夫大丈夫。女ニに対して男一なら、居心地悪いのは男だから~」

 

 いつものほんわか背景の笑みですが、とても怖いです。完全に人の恋愛で遊んでいるような感じ……百合姉ちゃんSですね。
 汗が流れはじめていると、裏返しにされた紙が差し出される。紙の上には百合姉ちゃんの人差し指が乗り、笑みを浮かべていた。

 

「それじゃ聞くけど、ちうりん」
「は、はいっ!」
「明日御門と櫻木で合同パーティーがあります。いきますか? いきませんか?」
「は……ひ?」

 

 何を言われたのか一瞬わからなくなり、首を傾げてしまった。
 お披露目と言ってたのでパーティーがあるのはわかりますが、それに“いく”“いかない”って……?
 まだわかっていない私とは反対に百合姉ちゃんはくすくす笑う。

 

「まだ御門様のことが好きで、気持ちを伝えたいって言うなら堂々と言ってきなよ」
「きなよ……って、まさかそのパーティーに参加してこいってことですか!?」
「だって、明日しかないんだよ。丁度二人も揃ってるだろうしチャンスチャンス」
「ダダダメですよ! 仕事ありますし……その」
「ちうり~ん、私さっき躊躇っちゃダメって言ったよ~」

 

 ぷうと頬を膨らませる百合姉ちゃんはちょっと可愛い気はするけど、それはマズい。告白するために休ませてください、なんて通るわけないし、無断欠勤は痛すぎる。死活問題の職業だと彼女も知ってるはずだ。

 

「ちうりん、私達が“どこ”で働いてるのかわかってないね~」
「はひ……」

 

 困惑する私の前に彼女の携帯が差し出されると目を見開いた。差出人は『皐月ママ』。タイトルは『いいわ』。本文──『それで千風が幸せを掴めるなら休むのを許可します。ただし、一ヶ月は休みなしよ。P.S.負けたら……ねぇ(笑)』。

 

 最後の一文がとても怖い。許可を貰えてるのも怖い。そして『蓮華』一本の私が休暇を取る事は先日の母の命日以外はない。とても緩すぎる罰に携帯を握り締めると顔を伏せる。雫が頬を伝うが、落ちる前に袖口で拭った。

 

「ああっ! す、すみません!! 百合姉ちゃんの服なのに!!!」
「私の前で見せる涙がそれで最後ならいいよ~」

 

 慌てる私に変わらない、いつも店で見る笑みが向けられる。
 ざわついていた胸の動悸も、掛かっていた霧も少しずつ収まり、晴れてきた。朧気だった小さな背中は、ずっと傍に、一緒にいた子。そして、その先にいるのは──。

 


「行きます……今度こそハッキリ告白して……それでもダメなら……婚約者(撫子)さんから分捕って……好きにさせてやります……!」


 赤く腫れた瞼など気にせず意地の悪い笑みを向ける。
 くすくす笑う声はどこか楽しそうで、紙を裏返す彼女は私と同じ笑みを返した。

 


* * *

 


 0時を過ぎた頃には降り続いていた雨も通り過ぎていた。
 何重もの層が覆っていた灰色の雲も遠くへ流れたのか、襖障子に薄っすらと月光が映される。職に合わない、というのはおかしいが邸宅もとても静かだ。

 明日に向けて泊まることとなり、座卓を退けた和室の部屋には布団が二組。微かに聞こえる風の音を瞼を閉じて聞いていたが、静かに口を開いた。

 

「……百合姉……起きてる?」
「うん……あれ……もしかして、ふうりん……?」

 

 反対を向いていた百合姉は“あたし”に振り向く。少しボーとしているようにも見えるが、小さく瞬きしている様子に補足した。

 

「ちーがぐっすり寝てれば替われる。まあ、誰かと寝るとかないから早々替わらないけど」
「うん……私も誰かと寝るの久しぶり……あ、でも昔、まなりんの家に泊まりに行ったことあったよね~」
「ああ、あったね……あたし達まだ二十歳じゃなかったから、ノンアルで乾杯して……」

 

 あたしと愛姐は『蓮華』創立メンバーで、百合姉は二期メンバー。
 二人はすぐ二重人格に気付いたばかりか実家のことも知ってたから仲良くなった。それからずっと楽しいことも辛いことも一緒に乗り越えて来たし、相談に乗ってくれた……今回も。
 思い出話に花を咲かせる途中で言葉を切ると、百合姉に顔を向けた。

 

「ごめんね……面倒かけて」
「ふうりんが謝るなんて怖い~やっぱり明日一緒に行こうか~?」
「喧嘩売ってんの?」
「うんうん、それがふうりんだよね~」

 

 睨むと、楽しそうな笑い声が響くがすぐに止んだ。障子に月明かりが阻まれても目が合い、微笑んでいるのがわかる。

 

「ママと“風お姉ちゃん”の朗報だけ待ってるね」
「うわっ、急に昔の呼び方やめてよ」
「だって本当は私の方がひとつ下だもん。さすがにもう、まなりんのことを“お兄ちゃん”とは言えないけど」
「確実に干されるな……」

 

 怖い笑みを向ける愛姐が浮かび、二人で笑うと百合姉の手が布団と布団の間に置かれる。一息ついたあたしも手を伸ばし、その手を握り締めた。
 雨に打たれる中、差し出された時と同じでとても暖かく、あたしより少し小さな手。

 

 第二の家族達に背を押され、今度こそ伝えよう────。

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