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17話*「拒絶」

 ふーちゃんの時とは違う笑みを向けてくれる隆成さん。
 けれど、何かを含んでいるようで『優しい』とは思えず、ゴクリと喉を鳴らすと聞き返した。

「縁談成立って……どういうことですか?」

 

 先ほどの意味深な言葉に私も撫子さんもアイスコーヒーを飲む彼を見つめた。
 氷と氷が当たる音が響く度に動悸が嫌な音を鳴らす。グラスをコースターに置いた隆成さんはソファに背を預け、私と撫子さんを交互に見ると眉と肩を落とした。

 

「せっかくせっかく仕事を詰めて詰めて千風ちゃんとデート出来る日曜が来たと思ったのに」
「私は撫子さんとしか約束してませんよ」
「ネズミランドか深海水族館か悩んでたのに」
「日帰りでそのチョイスは厳しいですね」
「わかった、一泊二日で考えておく」
「お話を進めてくださったら私も考えておきます」
「ははは、千風ちゃんSだね」
「いえ、フツーです」

 

 腕を組んで頷く彼と笑みを向ける私に、ふーちゃんと撫子さんはなんとも言えない眼差しを向ける。そんな視線に構わず腕を解いた隆成さんも笑みを返した。

 

「父親に呼び出されてね。なんでも撫子と総一郎の縁談が決まったから、お披露目を明日行うらしい」
「そ、そんなのわたくし聞いてませんわ!」

 

 慌てて彼のシャツを握る撫子さん同様、目を見開く。
 グラスを手に取った隆成さんは撫子さんを横目にストローに口を付けた。

 

「そりゃ、さっき決まったからね。だから撫子、打ち合わせがあるから早く帰りな」
「か、帰りなって。お兄様、それはあまりにもお粗末な言い草ではありませんこと!?」

 

 彼女に激しく同意。いえ、それ以前に……今、なんて言った?
 嫌な音を鳴らしながら誰と誰の何が決まって何があるのか繰り返し考えていると、席を立った隆成さんが撫子さんを立たせる。
 戸惑う彼女を護衛の女性二人が連れて行こうとしているのを呆然と見ていると、突如撫子さんが振り向いた。強い眼差しで。

 

「千風さん! 先ほどの宣戦布告受けましてよ!!」
「え……?」

 

 大声に我に返る。
 彼女の目は少し腫れているが、真っ直ぐ私を捉え、周りのお客さんが注目する中でも続けた。

 

「たとえ総一郎様がわたくしを好きではなくとも、貴女のように後から好きになってもらえる可能性があるなら負けませんから!」

 

 それは先ほどと立場が反対になったかのような布告。
 目を見開く私の隣に立つ隆成さんは小さな口笛を吹きながら去って行く妹に手を振った。徐々に静かになる店内に顔を伏せていると飲み干す音。同時にグラスを置く音も聞こえると、頭に大きな手が乗った。

 

「外に出ようか」

 

 静かな声に顔も上げず、ただ頷いた。

 


* * *

 


 ホテルを出るとまだ三時過ぎだというのに灰色の雲が連なり、まるで心を見透かされているかのように暗い。行き交う人々が足早に過ぎるなか空を見上げていると、上着を着た男は携帯を触りながら話す。

 

「“もう一人”のキミとならデートしてもいいけど、車を呼んで家まで送った方がいいかな?」
「…………アンタは準備とかないわけ?」
「そんな怖い顔しても僕にはどうすることも出来ないよ。親に逆らえないのはどこも一緒だろ?」

 

 眉を顰め睨む“あたし”に、櫻木隆成は携帯を上着ポケットに入れると笑みを向ける。ちーの時とは違う冷ややかな目に強制交替しそうになるが、離れているのもあって幾分マシだ。
 一息付き、防犯カメラのある繁華街を進むあたしの後ろを櫻木隆成も続くのがわかると、前を向いたまま訊ねる。

 

「……総一郎と連絡取った?」
「突然のことにバタバタしてそうだし、怒鳴られるのが目に見えてるからしてないよ。キミは?」

 

 立ち止まると携帯を取り出し、電話帳を開く。
 まだ一度も掛けたこともなければ取ったこともない番号。見つめる上から覗く櫻木隆成に悪寒が走るが、替わるのを堪える。

 

「女の子ってわからないよね。好きだと宣言してたのに、いざとなったら電話も掛けることが出来ないなんて」
「……アンタよりわからないヤツはいないと思うけどね」
「ははは、よく言われるよ。でも、お互い様だろ?」

 

 笑い声が消えると、悪寒と言う名の声が耳元で囁かれた。それは堪えきれるものではなく“私”へと替わる。ガバリと抱きしめられた。

 

「あ~癒される~」
「はひぃぃぃーーーーっ!!!」

 

 突然の路上ハグに駆け足だった人々も足を止め凝視する。
 慌てて離れようと身体を揺らすが、帝王様のようにピクリともしない。背に当たる暖かくて大きな胸板は帝王様と似てるが、染み付いたのとは違う匂い。
 もし、この腕が帝王様だったら今の私はどうなるんだろうと考えると、身じろぐのが止まった。顔を伏せる私の頭に隆成さんの顎が乗る。

 

「……そんなに総一郎が好き?」

 

 その声は優しい。
 来た時とも、ふーちゃんを前にした時とも違う心地良い声。でも、それだけで決してドキドキはしない。“アイツ”と同じ。

 抱きしめられたまま立ち止まった私達を横目に、人々が通り過ぎるのを感じる。いつもなら外で目立つようなことはしたくない。でも、今の私にはどうでもよくて声を振り絞った。

 

「好き……です」
「……じゃあ、言えばいい」
「は……」

 

 目を見開いた時には携帯を奪われ、発信ボタンを押される。
 はひぃぃぃーーーーっ!!?

 

「なななななんてことを!?」
「え? だって伝えた方が破棄になる可能性があるじゃない。総一郎が千風ちゃんをどう思ってるかは知らないけど」
「そそそそれで勝手に押すのは酷いです!」
「勇気がない時は誰かに無理やりにでも押してもらうのが一番だよ。ね、総一郎」
『………………同意してぇとこだが、それをてめぇがするのは腹が立つ』
「はひぃぃぃーーーーっ!!?」

 

 突如携帯から聞こえた黒い声に悲鳴を上げると、慌てて奪い返して耳元に宛てた。

 

「ててて帝王様、どこから聞いてたんですか!?」
『勝手に押すどーこぐらいだな。こっちは急なお披露目に、てんてこまいだってんのに悠長なこった』

 

 久々の声に頬が熱くなるが、不機嫌なことと電話越しに聞こえる銃撃音のようなものに冷めていく。だが『お披露目』に動悸は早鐘を打ち、喉の奥が痛くなった。それでも震える声で訊ねる。

 

「帝王様……撫子さんと……その……」
『ちっ。てめぇ、隆成から余計なこと聞きやがったな?』
「よ、余計って何!? だいたい解消するとか言ってたのはどこにいったわけ!!?」

 

 舌打ちに、痛かった喉の痛みも震えていた声も消えた“あたし”は反論する。けれど、それは総一郎も同じのようで、いっそう不機嫌な声が返ってきた。

 

『俺だってな、親父んとこに解消を言いに来たってんのに反対に言い渡されたんだ! 明日とかふざけんじゃねぇ!!』
「それはこっちも同じだってんの! 明日とか何!? 早々にお披露目して入籍して幸せになるって!!? おめでとさん!!!」
『てめぇの頭はどこまで飛んでんだ! そんなに俺に他と結婚してもらいてぇのか!?』
「アンタの頭こそどこまで逝ってんの!? アンタが誰と結ばれようとも、喰われるだけのあたしは不倫相手でいいんでしょ!!!」

 

 繁華街の真ん中で響く怒声と内容に、集まっていた野次が一瞬だけ静まり返る。
 さすがの櫻木隆成も笑みを崩し、眉を顰めているが、ちーと同じように今のあたしにはどうでもよかった。でも、携帯の向こうは変わらず騒がしい音が響き、総一郎の返答はない。

 

 息を荒げていると冷たいものが頬に当たった。
 見上げれば厚くなった灰色の雲からポツリポツリと雨が降ってくる。立ち止まっていた野次が我に返るように慌てて駆け出すと、あたしの頭に櫻木隆成の上着が被された。

 

「千風ちゃん……雨宿りしよう」

 

 静かな声に視線を移す“私”だったが、耳元で別の声が届く。

 

『…………てめぇはセフレを俺と望んで隆成の本命になるのか?』

 

 その声も静かで、隆成さんのように苦渋の色を浮かべてればいいなと思うのは最低だろうか。いっそう強くなる雨の中で私は顔を伏せた。

「そんなこと……考える……帝王様なんて……総一郎なんて……大っ嫌い……」

 呟きと共に通話を切ると、雨音だけが耳に届く。
 傍に櫻木隆成がいても替わらないのは、今の“あたし”にはなんの感情もないのか、ちーが総一郎を“拒絶(嫌い)”としたかはわからない。
 被っていた上着を櫻木隆成に返すと背中に彼の腕が回り、抱きしめられる。上着に顔を埋めると甘い匂いに包まれ、静かな声が耳元で聞こえた。

 

「何か……誤解されたんじゃない?」
「うるさい……アンタには関係ない……」
「本当、女の子ってわからないな……どうして言いたいことと反対のことが出るのか」

 

 “あたし”でも構わず頬に口付ける男の言葉は今のあたし達のことを指しているのだろう。
 冷静になっていれば想いを伝えることも、縁談をやめてくれとも言えたかもしれない……いや、言えないな。あたしに限らず、ちーでも……好きになってしまった相手に言うのは難しい。とても。

 


「恋愛なんて……人間よりも残酷だ……」

 


 吐き出すように言うと、櫻木隆成の腕から離れ駆け出した。
 彼の声では足は止まらず、がむしゃらに繁華街を駆け抜ける。雨音よりも人込みよりも監視機器よりも、自分の中に渦巻く感情に支配されそうで頭が痛い。全身が熱い。心臓が壊れそうなほど激しく動悸を鳴らしている。

 

 なぜ、恋をしてしまったのだろう。
 なぜ、彼と出会ってしまったのだろう。
 なぜ、期待してしまったのだろう。
 なぜ、気持ちを言えなかったのだろう。

 

 彼から本当の気持ちを聞いていなかったせいか“私達”が気付くのが遅かったせいか。何が良くてダメだったのかなんてわからない。時計の針なんて一秒も戻すことは出来ない。言ってしまった言葉も聞いてしまった言葉も取り消すことは出来ない。

 

 隆成さんが言っていたように言いたかったことと反対のことが出てしまう。素直になれない。言えないから、素直になれないから、こんなにも辛くて苦しいのだろうか。
 あんなにハッキリと撫子さんに宣言したのに、取り合うって決めたのに、感情に押し負けてしまった私は……なんて弱い人間だったのだろう。

 

 足がもつれ、転倒するのを堪えると立ち止まる。
 息を荒げ、顔を上げると雲の厚さは変わらない。気付けば繁華街を過ぎ、車が多く行き交う大通りに出ていたようで、監視機器もなく“私”に替わっていた。
 大粒の雨でハーフアップにしていた髪も落ち、毛先から肌に張り付いた服に雫が落ちる。

 

 瞼を閉じると、ふーちゃんが背を向けているのが浮かぶが、互いに何を言えば、何を考えればいいのかわからず両手で顔を覆った。両手に溜まるのは雨水なのか、それとも──。


「ちうりん……?」


 馴染みの声に手をゆっくり外すと、路肩にシルバーの高級車が停まっていた。
 傘を差す黒服が後部席を開けると、黒髪を左側で緩く団子にし、リボンの付いたシフォンブラウスにフレアスカート、ハイヒールを履いた女性が出てきた。目を見開く女性に私は口を開く。

 

「百合……姉ちゃ……ん」
「どうしたの? そんなに濡れて……泣いてるの!?」

 

 店では見たことないほど顔を青褪め駆け寄って来た百合姉ちゃんに、私はいったいどんな顔をしているのだろうと思った。泣いてなんかない……そう思っても、痛い粒が頬を伝うと震える手を彼女に伸ばす。

 

 その手が握り締められると、冷えた身体が少しだけ温かくなった気がした────。

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