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14話*「準備」

 さっきまで溢れていた気持ちが大きな蓋で閉じられ、その上でお茶を啜るふーちゃんが浮かぶ。
 

 あ、落ち着けばいいんですよね。目の前に帝王様がいることも不吉な発言が聞こえたのも落ち着けば白昼夢だってわかりますよね。それにしては押さえられてる頭がホント痛くて泣きそう──と、思っていると口付けられた。

「っ……んっ」

 

 店内にどよめきが起こり、愛姐ちゃんの笑みが見えたが、知った唇と舌が夢ではないと語る。
 閉めていたはずの蓋からまた溢れだす気持ち。ずっと閉まっておきたかった想いが舌によって引きずり出されるかのように喘ぎが漏れる。

 

「んっ……あん……はふっん」

 

 気付けば自分から舌を入れ、彼の舌に絡めては返される。
 どのくらい続いたかはわからないが、離されると息を荒げ、火照った顔で帝王様を見上げていた。そこには先ほどまでの不機嫌顔から一変、変わらない意地悪な笑み。

 

「なんだ、エラくSじゃねぇか」
「フ、フツーです!」
「くくっ、フツーなヤツはこんな場所でやんねぇだろ」
「は……ひぃっ!!!」

 

 見渡せば店内のお客さん、マスター全員が顔を赤くしながらもガン見。
 やっとのこと事態を呑み込むと顔から火が出る思いで、帝王様の胸板に隠れる。と、楽しそうに笑う声が届いた。

 

「ふふふ、ネットで話題になるかもね。『白昼堂々口付け目撃』って」

 

 嫌ですぅぅー! みなさん今すぐ記憶から抹消してください!! 出来なければ私の頭をカナヅチで叩いて記憶喪失にしてください!!! 
 心の中で溢れる涙を傘を差すふーちゃんに落としていると、帝王様の大きな手に頭を撫でられた。

 

「俺は別に構いやしねぇが、そっちのお……前、先月の水橸興行のパーティーで見たな。誰だ?」
「ふふふ、覚えててもらえて嬉しいわ。No.1って言えばわかってくれるかしら」
「……なるほどな。道理で珍しく龍介がメールを寄越したはずだ」

 

 途中、帝王様の声が途切れた気がして顔を上げる。
 互いに笑みを向けているが、怖い空気に怯んでいると、帝王様が自身の携帯を見せてくれた。差出人は『階堂龍介』。タイトルは『ご案内』──本文。

 

「会社左折。信号四つ目右折……喫茶『ナオ』入店。なんですか、これ?」
「その案内に従ったらてめぇがいたんだよ。反対にたどれば俺の会社に着くぜ」
「はひっ!? あ、まさか愛姐ちゃん!!?」

 

 慌てて顔を上げると、自身の携帯を見せる愛姐ちゃん。
 さっきの早打ちはそれですか! まさかの百合姉ちゃんに続いて!? ていうか、会社が近くにあるんですか!!?
 驚愕の私に対して二人は呆れた。

 

「てめぇ、マジで御門(ウチ)を知らねぇな?」
「職的に問題ね。ほら、窓から本社が見えるでしょ」

 言われるがまま窓を見ると、高層ビルに並んで『Mikado IT』の文字が見え……あー、たまたま選んだ場所に凄い会社があったんですね。でも我が家はネット繋いでないし、新聞やニュースで仁ちゃんの会社は観るけど帝王様の会社は観ないですよと、社長さんに向かって拳を握った。

 

「頑張って!」
「ケンカ売ってんのか?」
「あ、私が経済欄を見ないからかもしれません!」
「売ってんだな?」
「拒否反応出るので!」
「よっし、買ってやる」
「はひっ、ちょっ!?」

 

 コメントを間違えたようで黒い帝王様の手が伸びる。
 チョップに身構えるが、手は頭ではなく腰を抱き、そのままヨイッショーと抱え上げられた。また店内にどよめきが起こり、顔を真っ赤にさせながら彼の背を叩く。

 

「ちょちょちょ勘弁してください! 恥ずかしいです!! 食べたばかりで重いし!!!」
「恥ずかしいって言うヤツは堂々と言ったりしねぇよ。構わねぇな?」

 

 確認の声は私ではなく愛姐ちゃんに向けられ、微笑だけが返される。
 顔を青褪めた私は身体を動かし抵抗するが、ガッシリと固定された腕は解かれる事なく、帝王様は私の荷物と伝票も持つ。が、愛姐ちゃんの手に遮られた。

 

「結構よ。面白いものを見せてもらったし、この倍、店で落としてちょうだい」
「ちっ、さすが同じ店で働くだけはあんな。それで、龍介はてめぇの正体知ってんのか?」
「あら凄い。あの子といい六家は勘がいいのね。店で会う時はもう少し磨いておくわ」

 

 楽しそうに笑う愛姐ちゃんとの意味深な会話に動きが止まり、帝王様の顔を覗く。変わらず意地の悪い笑みを浮かべてますが、その目と合うと心臓が大きく跳ねた。
 肩に顔を埋めると、解放された蓋を必死にふーちゃんが閉めようとしているのが浮かぶ。頬に彼の頬が当たった。


 

「悪いが俺の指名(おんな)は“こいつら”だけだ」
「『っ!』」

 


 震えた。ふーちゃんも。
 寒気ではない、耳元で発せられた声に身体が歓喜するような震え。疼く下腹部を抑える私を抱えたまま帝王様は歩きはじめ、携帯で角脇さんであろう人と話しはじめた。車云々の会話と一緒にざわつきが耳に届き、少しだけ顔を上げる。
 驚く客の中で一人笑みを浮かべる愛姐ちゃんと目が合うが、その笑みは優しく、手は胸元を指していた。

 

 玄関に備え付けられたチャイムが鳴ると、向かい風と太陽が当たり、咄嗟に彼の肩に顔を埋める。理由は太陽が眩しかったから、店内以上のざわつきがあったから、会社が近くにあるから……当然。

 

「“あたし達”をどうすんの……?」
「さっき言った……ああ、ふーには言ってねぇか」

 

 “あたし”に替わる監視機器(もの)もあったからだが、一番は熱を帯びた顔を総一郎に見せたくないから。けれど携帯を仕舞い、立ち止まった男は繰り返すように耳元で囁く。

 

「ちょっと啼かせろ、千風」
「嫌っあ!」

 

 即答で拒否するが、耳孔に舌が入り、場所を考えず声を出してしまった。慌てて塞ごうと、なぜかシャツ超しに総一郎の肩に噛み付く。

 

「っ!」

 

 ……何してんのあたし。
 ゆっくりと口を離すが、目を移したのがバカだった。黒い気配を漂わせる男のS火と目が合っ……──。

 


* * *

 


 暑い太陽はスモークフィルムによって遮られ、車内に篭った熱もパワーウインドーの隙間から出て行く。けれど、身体から発せられる熱や噴き出した気持ちは今のあたしに防ぐ術がなかった。

 

「あっ……総一郎……っダメ……ああ」
「その割にココは悦んでるようだが?」
「ああぁんんっ!!!」

 

 大きな刺激に嬌声を上げるが唇で塞がれる。
 駐車された車内の後部席でカメラを“ON”にされたまま向かい合うあたしは総一郎の膝に座り、両手を彼の首に回していた。

 

 上げられたトップスとブラから零れた乳房は当に舌と口で愛撫され、吸い尽かされた花弁(あと)が付いている。手はスカートの中に入り、ショーツの隙間から太い指で膣内を出たり入ったりを繰り返していた。
 宣言通り“啼かされ”ているわけだが、腑に落ちず抗議する。

 

「アンタ……ちょっとって言ったじゃ……ないですかあああっっ!!!」

 

 途中で“OFF”にされ“私”に替わると、最奥を突かれた。
 愛液が彼の手とズボンを濡らすが、気にする様子もなく帝王様は耳朶を甘噛みする。

 

「ちー“は”まだ啼かしてねぇだろ?」
「い、今、ないて……ああっ!」

 

 膣内に入った手とは反対の手が胸の先端を摘むと、愛撫されきったせいか痛みが走る。涙も零れると咄嗟に手を窓に伸ばした。
 外には呆れる角脇さんと戸惑っている薫さんがいる。けど。

 

「啼き足りねぇみてぇだな」

 

 低い声に手を捕まれると、首筋に噛み付かれるばかりか二本の指が膣内に押し込まれた。

 

「『あああ゛あ゛ぁぁーーーーっっ!!!』」

 

 痛みと快楽が同時に駆け上ると、悲鳴という名の嬌声をふーちゃんと上げる。意識を飛ばす前に、薫さん達が止めてくれるのが薄っすら見えた。

 


 

 

 


 揺れる車内、帝王様に膝枕された状態で目覚める。
 服も戻され、下腹部の濡れがないのは拭かれたのかと顔を赤くするが、窓に目を向けると空がオレンジ色……今日は火曜……平日。

 

「仕事っきゃ!」
「向かってる最中ですよ」
「時刻は……四時半になります。洋服はこちらで用意させていただきました」

 

 大きな手に頭を掴まれ再び膝に埋まる。
 運転席の角脇さんと助手席の薫さんの言葉に安堵の息をつくと顔を上げた。真上には煙草を吹かしながら車内に備え付けられたテーブルでノートパソコンを打つ帝王様。
 仕事中なのか見慣れない顔に頬が熱くなっていると打つ手が止まり、意地悪な笑みが向けられる。

 

「いい啼き(こえ)だったぜ」
「はひっ!?」

 先ほどの場景を思い出し、膝に顔を埋めると髪を撫でられる。その手は優しい。

 

「昨日より抵抗が少なかったが、喰われる気になったのか?」
「ち、違います……帝王様こそ啼かせろって……なんですか」
「そりゃ、てめぇが腹立つ男共を連れてっからだ」

 

 よくわからない返答に顔を上げると、紫煙を吐く帝王様に訊ねる。

 

「男共って?」
「隆成、柳田、牛島春冬、No.1」

 

 えーと……どこからツッコめばいいんですかね。取り敢えず薫さんと知らないはずの名前は置いといて……NO.1。

 

「よく、愛姐ちゃんが男性(ニューハーフ)だとわかりましたね」

 

 車内沈黙後『勘だ』と言う帝王様は妙に顔が青い。
 仰る通り我がクラブNo.1の愛姐ちゃんは元・男性。性転換手術をされているので胸も本物で、声も仕草も私以上に“女”と完璧なお姐様。
 そんな愛姐ちゃんを一目見てわかるなんて凄いと拍手を送ると、帝王様は大きな溜め息をついた。

 

「さすが、変わり種が多い『蓮華』だな」
「各種揃えておりますので、どうぞご贔屓にったたた!」
「あまりの衝撃に龍介に心配メール送っちまったじゃねぇか。変わらずな返事寄越しやがったが」
「にゃんふぇ?」

 

 頬を引っ張られながらまた同じ差出人でメールを見せてくれた。タイトルは『総さんなんて』──内容は。

 

「『ハサミで会社全部の回線切られて困って倒産すればいいんだ』……なんですか、この人?」
「ギャグと見せかけて地味に痛いことを言いやがる階堂呉服の次期社長だ」
「さすが変人揃いの六……あ、すみません。ちょっと電話させてください」

 

 六家と先ほど出た名前に思い出し、御三方から許可を貰うと起き上がって電話を掛ける。静かな車内に無機質な呼出音が響くと『プツッ』と音を鳴らし、先方が出ると確認した。

 

「あ、宇津木と申しますが、櫻木隆成さんの番号でしょ「ちょっと待てこらーーーーっっ!!!」
『ははは。千風ちゃん、総一郎(そいつ)を轢きに行くから居場所教えて』

 

 静かだった帝王様の怒声と電話相手の隆成さんの笑い声に挟まれ耳がキンキンする。意識を飛ばしてすっかり忘れていた私はなんとか助手席から手を伸ばした薫さんに帝王様を止めてもらい、隆成さんに曜日だけ伝え終了。
 同時に帝王様の手が私の顎を持ち上げ不機嫌顔で睨まれる。

 

「本気で喰われてぇのか?」
「……その準備です」

 

 頬を赤くさせたまま見上げる私に帝王様は目を丸くする。
 それは他の二人も同じような気がしたが、車が『蓮華』に到着すると急ぎ降りた。まだ明るい空が銀座の街に佇む“あたし”を照らす。早く店に入って着替えて化粧して髪を結って電気の下で笑って話す“風”にならなきゃ。

 

 愛姐と話すまではそう思っていた。
 けれど、今のあたしは“風”ではなく“宇津木千風”。溢れた気持ちに蓋をすることも出来なくなってしまった“あたし達”は振り向くと、同じように見つめる男に呟いた。

 


「……もうちょっと……待ってて」
「千風……」

 


 呼ばれるだけで大きく心臓が跳ねる。
 気付きたくなかった。名前を付けたくなかった。けど、知ってしまった。


 “あたし達”は貴方が好き、だと。


 でもまだ勇気が足りない。素直になれない。
 まだ他にやることがあるから……だから、もう少し待ってて。

 

 それが終わって、まだ望んでくれるなら“あたし達”を────食べて。

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