S? M?
いえ、フツーです
09話*「小童共」
私と隆成さんを睨む眼差しに動悸が激しくなる。
でも、嫌な音じゃない。ゾクゾクはするけど、背中からではなく胸の内から来るもの。一歩一歩静かに近付く足音に高鳴る動悸は無意識に手を伸ばし、口を開かせた。
「総一郎っ!」
声を上げ、彼の服を掴んだのは──“ふー(あたし)”。
総一郎も櫻木隆成も、次いで入って来た角脇さんも柳田さんも驚いたように目を瞠る。でも、一番驚いているのはあたし自身だった。
カメラがある廊下で替わるのは当然。
けど“あたし”が拒絶した一人、櫻木隆成のせいで世界は真っ黒、ちーと替わることは出来なかった。なのになぜ、総一郎を前にしただけで替われたのか。
わからない感情が胸の動悸と共に渦を巻くが、無意識に掴んでしまった手を総一郎に見つめられ恥ずかしくなり、咄嗟に叫んだ。
「ジョ、ジョリーヌって誰!?」
「ああっ?」
総一郎は間抜けな声を出す。
いや……だって、気になるっちゃ気になるし、口から出たもんはしゃーないって言うか。別の意味で恥ずかしくなって顔を逸らすと、溜め息をつく総一郎の手が頭に乗る。心臓が跳ねるが、片眉を上げた総一郎は櫻木隆成を見た。
「ジョリーヌは隆成が四つの頃に川岸から拾って来た石っころの名前だ。癒されコレクションの最古だな」
「……は?」
今度はあたしが間抜けな声を上げる 。川岸で拾った人? いや、そもそも人でもない? 石?
リアクションに困ってると櫻木隆成が近付いてくる。慌てて総一郎の背に隠れたあたしに総一郎は眉を潜めたが、櫻木隆成は気にする風もなく話す。
「総一郎、酷いよ。石じゃなくてペンギン」
「に、見える石っころだろ」
「み、見える?」
「よくあんだろ。『あ、あの雲、たこ焼きに似てねぇか?』みたいな錯覚。あれと同じで俺からすりゃただの石っころが隆成にはペンギンに見えんだよ」
「総一郎様、たこ焼きは少数派だと思いますよ」
角脇さんのツッコミに同意するように頷くと頭を回される。
訴えるような目を向けると、素直に離した総一郎はあたしを抱き寄せた。頬が胸板に当たると動悸がまた激しく鳴り出すが、不思議と落ち着く。そんなあたしをしばし見つめていた総一郎は目前の男に向き直した。
「で? 新プロジェクト云々で忙しい社長様が悠長に何してんだ」
「もちろん癒されに来たんだよ。総一郎は違うの?」
「悪いが、その癒されタイムをブチ壊しにだ。てめぇの秘書が捜索連絡寄越しやがってな。まさかとは思ったが……どうやって『蓮華(ここ)』を知った? 圭太と龍介か?」
険悪な顔付きで睨む総一郎に櫻木隆成も不適な笑みを作るとあたしに目を移す。それはちーの時とは正反対の冷たさで、総一郎の服を握る手が強くなった。するとまたいつもの笑みに戻る。
「うん。メールで『キミの通ってるクラブ教えて』って聞いた」
「脅迫としか思えねぇな……で、返事は?」
「圭太は『蟹はてめーから貰ったのしかねーよ』で、龍介は住所だけだった」
「その住所あったか?」
「あったよ。駄菓子屋『くらぶ』。常連だった。あ、お土産」
言いながら櫻木隆成は懐から昔懐かしいココアシ○レット、FE○IXガム、モロ○コヨーグルトなどが入ったビニールを総一郎に渡す。その中から吹き戻しを取り出した総一郎は口に咥え『ピーヒュロ~♪』と、音を鳴らしながら伸びた紙筒を櫻木隆成の鼻にぶつけた。
「った! 総一郎、危ないって」
「うっせぇ。土産より犯人を言え」
「ああ、結局弱味握ってる圭太に白状させたよ」
「角脇ーっ、圭太の研究室回線遮断してやれー」
「承知しました」
総一郎の声に角脇さんは頷くと携帯を取り出す。
なんだろ、険悪な空気は続いているのに緩く感じるのは。まあ、幼馴染ならこんな感じか。覚えのある空気に納得するが、百合姉に付いてる客が犯人だとわかり、どうしてやろうかと考え込む。その横で総一郎が吹き戻しを仕舞った。
「犯人はわかった。が、わざわざ風に会いに来た理由は“癒され”だけじゃないだろ」
「確かに別の用もあったけど、癒されに来たのも本当。もっとも、そっちの子じゃないけど」
くすくす笑っていた櫻木隆成の目が細められるとゾクリと背筋が凍る。瞬時に“私”へと替わり、隆成さんの顔が満面笑顔に変わった。それに違和感を感じたのか、帝王様に耳打ちされる。
(まさかバレたのか?)
(な、なんかオーラでわかるみたいです……“何で”はバレてないと思うんですが、本当にふーちゃんは苦手みたいで)
(ちっ、面倒なヤローに好まれたな)
それ貴方もですけどねとは口が裂けても言えない。
でも、すぐ傍にある帝王様の顔と声に、なんでか動悸が速くなる。そんな私など知らないであろう帝王様はまた耳元で囁いた。
(で、ヤローの用件はなんだ?)
「知らないし! アンタの婚約者とか面倒な話なんて!!」
「おいこら。今、何をどーして替わった」
顔を真っ赤にさせたまま“あたし”は両耳を塞いだ。
何で替わったかなんてあたしもちーもわからない。いや、総一郎の息が耳にかかった時に替わった気がする。気がするっ!
もう何がなんだかわからないのは総一郎も同じのようで、見つめ合っていると櫻木隆成が溜め息をついた。
「総一郎やめてよ。僕、そっちの千風ちゃんは嫌なんだ」
「店内でその名を呼ぶのはやめろ。つーか、その様子じゃ“もう一方”にしか興味なさそうだな」
「うん、“そっち”の子に興味はないよ。癒されないから」
両耳を塞いでいるため会話は聞こえない。
でも、口元に手を寄せたまま冷めた目と笑みを向ける櫻木隆成に良い話ではないことがわかった。その恐怖にちーとまた替わろうとするが、総一郎の楽しそうな顔に止まる。
「くくっ、久し振りにその顔(つら)を見るな」
「総一郎こそどうしたの? えらくそっちの子に執着してるね」
「そう勘違いしてていいぜ。もっとも“千風ちゃん”もお前のもんにはならねぇがな」
「……なんで?」
「バーカ。言っただろ」
櫻木隆成の表情が曇った。同時にキモい寒気が走ったのはなんでだろうか。
手を外そうか迷っていると、後ろを向いた総一郎が角脇さんと柳田さんに何かを言う。つられるようにあたしも振り向くが、総一郎の両手に頬を、顔を上げられた。耳から手が離されると、意地の悪い笑みの口が開く。
「売約済みだ──両方な」
心臓が大きく跳ねると口付けられる。
「んっ!?」
突然のことに大きく目を見開く。
次いで抱きしめられ、後ろ頭を固定されると口付けが深くなり“総一郎”が入ってきた。口を閉じることもせず、招き入れた長い舌が唾液が、味のすべてがあたしを包む。
「んっ……あぅ……総一……ろ……んっ!」
“ちゅぱっ”と、ワザと大きな音を鳴らすと唇が離れる。
けれど身体はまだ総一郎の腕の中にあり、櫻木隆成が短い口笛を吹いた。それだけで充分な羞恥に顔を伏せるが、ここが仕事場であることを思い出し、慌てて顔を上げる。
「角度は考えてあるから安心しろ」
頭上で笑みを浮かべる男の声に振り向くと、角脇さんと柳田さんが別々の場所に立っている。その先には監視カメラがあり、角度的に丁度二人に隠れて見えるか見えないか。安心すればいいのかなんなのかわからないあたしとは違い、総一郎は喉を鳴らす。
「くくっ、まあバレたところで辞めさせられたら俺んとこに来ればいいだけだが」
「ちょっ!」
反論するが、頬を撫でられ言葉が切れる。そのまま総一郎は櫻木隆成に向き合うが、彼の笑みは変わらない。
「総一郎は場所を選ばないね。でも、そっちの子で良かったよ」
「負け惜しみか?」
「ううん、言っただろ。僕は千風ちゃんの方にしか興味ないんだ。それが彼女との口付けだったら……ねえ?」
「っ!」
駆け上った恐怖に“私”へ替わると、隆成さんは優しい笑みを向けてくれる。でも、氷のように冷たい目を知ってるとふーちゃんじゃなくても怖くなり、帝王様の服を握った。が、また意地の悪い笑みと一緒に顎を持ち上げられる。え?
「ちーだな。んじゃ、もういっちょいっとくか」
「はひぃぃぃっ!?」
「ちょっとちょっと総一郎。僕を怒らせる気?」
たたた隆成さんの言う通りですよ! 明らかに今したら彼の反感を買いますよ!! 貴方は鬼ですか!!?
ダラダラと冷や汗をかく私と、黒い背景を漂わせる隆成さん。でも、帝王様は変わらない……むしろ。
「お前ら誰に向かって指図してんだ? 止めたきゃ力尽くで止めろ」
輝いてるーーーーっっ!!!
ライト以上のキラキラ帝王様に慌てて周りを見るが、隆成さんは額に手を当て、角脇さんは合掌、薫さんはなんでか玄関を見ている。止めてくれない御三方に口を金魚のようにパクパクさせていると、舌先に唇を舐められ身体が跳ねた。
こういう時は望むがまました方がいいのかと思うが、玄関から複数の足音が聞こえ、他のお客様が来店したのがわかる。必死に両手で胸板を押すがビクともしない。反対に面白がるように顔を近付けた帝王様は首筋と耳朶と頬にキスを落とし、唇を塞──。
「ほうほう、最近の若いもんは進むのが早いのぉ」
静かに淡々と、けれど抑制ある声が響くと帝王様が止まった。
同時にリズム良く刻む杖の音に振り向くと、頭を下げる角脇さんと薫さん。その先から現れるのは私より少し低い身長に抹茶の着物に身を包み、腰を曲げながら黒の杖を突く御老人。深く被ったベージュのミルキー帽から覗かせた目が私達を捉えると小さく笑われる。
「ほうほう、しかしながら公私を弁えんとならんな」
その知った姿と声に目を見開いた。
「仁(じん)ちゃん!?」
「ジジイ!?」
「御老公!?」
声を上げたのは私だけではなかった。
帝王様と隆成さんの視線が私に向くが、構わず御老人に駆け寄ると手を握る。
「仁ちゃん、お久し振りです!」
「ほうほう、一ヶ月振りかのう。元気にしておったか、風?」
「はい! 仁ちゃんも息災のようで」
「ふむ、少々九州に仕事に行っておってな。メールをすれば良かったか」
「使い慣れてないんですから無茶してはダメですよ」
苦笑いする私に御老人は楽しそうに笑うと視線を別に向ける。同じように振り向くと、帝王様と隆成さんが冷や汗をかきながらも笑みを浮かべていた。
「マジでいやがったか……ジジイ」
「まさか御老公も……?」
「ほうほう、御門と櫻木んとこの倅(せがれ)か。なんじゃ、こやつらも主に付いておったのか?」
信じられないといった二人だが、御老人は変わらない様子で私を見る。帝王様は先週から、隆成さんは今日はじめてと伝える私は口元に人差し指を立て、眉を落とした。
御老人は笑い出し、杖を突きながら前に出ると二人の男を細めた目で見る。
「公共の場ならぬ、このような場で出会うのも縁か。しかし、儂がおる限り早々──“千風”は獲らせんぞ。小童共」
眼差しは七十六歳とは思えないほど鋭く、一気に緊張感ある場へと変える。
その力をよく知る二人こそなのかはわかりませんが六家にして頂点。そして、私の常連である高階電機グループ会長──高科 仁左衛門(じんざえもん)様を前に喉を鳴らす音が聞こえた。
仁ちゃんも本当は変人なんでしょうか────?