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08話*「誰?」

 二人掛けソファの真ん中に堂々と座る男。
 膝の上で手を組むのはスーツに、一昨日と変わらない笑みを浮かべる──櫻木隆成。

 ちょっと待てーーーー!!!
 なんで『蓮華(ここ)』にいんの! 総一郎は言ってないって言ったよね!? 他二人の告げ口!!?

 ツッコミどこ満載の事態に激しく動揺するが、なんとか頭を切り替える。
 ここは仕事場だ。たとえ本名を呼ばれたとしてもあたしとこの人は今ホステスとお客様。それ以上でもそれ以下でもない。総一郎と同じだ。
 言い聞かせるように視線を合わせると通常通り会釈する。

「ご指名ありがとうございます、風です。失礼ですが、お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「あれ? 知ってるよね」
「申し訳ありませんが“私”とお客様は”はじめまして″になります」

 

 顔を上げると笑みを向けた。
 この部屋にもカメラはある。けど、一昨日の段階でも櫻木隆成(この男)の中身が見えなかったせいか、人称を『蓮火(あたし)』ではない、通常の『私』にするほど慎重になってしまう。
 数度瞬きした櫻木隆成は同じような笑みを返した。

 

「そうだね、キミとは一応はじめましてになるのかな。僕は櫻木隆成。よろしくね、もう一人の千風ちゃん」
「……櫻木様、私は風です。どちらかのお嬢様と間違わられるなんて泣いてしまいます」

 

 眉を落とし、手で口元を押さえるなど、総一郎が見たらツッコミを入れそうだ。けど、櫻木隆成は楽しそうに笑う。

「ははは、千風ちゃんに泣かれるのは困るけど、キミが泣く分は全然構わないよ」

 

 ちょっと、さっきからまったく話が噛み合ってないんですけど! しかもサラリと笑顔で酷いこと言わなかった!?
 殴りたい衝動に駆られていたせいか、立ち上がった男が一気に間合いを詰め、目の前に佇んでいたことに驚く。総一郎と変わらない身長差。でも威圧感に足が一歩下がると、彼の手があたしの顎をゆっくりと持ち上げた。端正な顔が近付き、心臓が嫌な音を鳴らす。

「ねえ、千風ちゃん……」

 

 一昨日とはまるで違う声。
 心地良い、けれど恐ろしく感じる声は総一郎とは別の意味であたしを支配していく。

「さ、櫻木様……私は千風では……」

 

 必死に抗うかのように振り絞った声は震えていた。それに気付いていそうなのに、彼は外側の頬と頬をくっつけ、耳元で囁く。

 


「うん……だから──“キミ”は誰?」
「っ!?」

 


 ゾクリと下腹部まで落ちた声に心臓が大きく跳ねると目が合う。
 あたしを捉えるその眼差しは夜のように深く、底が見えない闇のようだ。何より口元にある笑みが“ヤツ”を思い出させる。思い出したくない衝動に闇から視線を逸らそうとするが、逆に引き摺り込まれるかのように囁かれた。

「キミは千風ちゃんであって千風ちゃんじゃない、よね?」

 

 淡々と訊ねる声に全身から血の気が引いた。
 頬から離れても全身を伝う声に視界が揺れる。笑みが“ヤツ”と重なる。ダメだ……ダメ……ダメダメ……この人……こいつ……こいつは──嫌だ!!!

 

 瞬間、とても大きな何かが弾け、世界が真っ白になる。
 その先に“ヤツ”ではない人が見えた。でも、誰なのか気付くよりも先に口を開く。

 

「…………で……よ」
「ん?」

 

 静寂が包む室内でも聞き取れなかった呟きに聞き返す声。ゆっくりと顔を上げた。


 

「……彼女“も”私ですよ、隆成さん」


 

 微笑む“私”に隆成さんは目を丸くするが、すぐ口元に弧を描いた。
 その意地悪な笑みはよく知る男性と同じ。


* * *

 


 困った。困りました。今更ながらこの事態に戸惑ってしまう。
 第一に『櫻木隆成お断り』プレートを置いて、仕事場での初強制交替&完全引き篭ってしまったふーちゃん。第二に犯人である隆成さんに本当にバレたのかどうか。第三に……。

 

「千風ちゃん、ホームサイズが良かった?」
「いいいいえ! 充分です!! ありがとうございます!!!」

 隆成さんの隣に座った私は顔と両手を横に振る。
 テーブルにはバニラ、ストロベリー、クッキー&クリーム、グリーンティー、キャラメルクラッシュ、コーヒーバニラが整列……第三に、微笑む隆成さんからのお土産、ハーゲンダッチュセットを貰ってしまったこと。

 

 わーい、ご褒美がタダで来たよーふーちゃん……ダメだ、信号が赤しかない。結局保冷剤バック付きでいただいてしまった。

 御礼を言って黒服に預かってもらうと、注文された白ワインのビアンヴィニュ・バタール・モンラッシェを注ぐ。ふーちゃんの時とは大違いのニコニコ笑顔の隆成さんにバレているのか判断がつかず、ワインをコースターに乗せると訊ねた。

 

「あの、さっきなんで私のこと『もう一人の』って仰ったんですか?」
「ん? だって違う子だったからね。あ、千風ちゃんも飲んでいいよ」
「え、あ、ありがとうございます」

 

 お言葉に甘えて自分のも注ぐが、頭には疑問符がポンポン。それがわかっているのか、隆成さんはグラスを回しながら答える。

「総一郎も言ってたけど、僕って物でも動物でも人でも癒されオーラが出てるのが好きなんだ」
「人も……ですか?」
「あ、決して人を物扱いしてるわけじゃないよ。この人といると落ち着くな~って意味。まあ、人は珍しいんだけどね」

 

 グラスを上げる手に相槌を打つと、自分のグラスを持ち、乾杯をとった。
 黄金のような綺麗な色と柔らかい味のワインを喉に通す。百合姉ちゃんや薫さんが私にとって『落ち着く』対象に当て嵌まっていると、数口飲んだワインを置いた隆成さんは私を見た。

 

「その癒されオーラが千風ちゃんから出てるんだけど、さっきの“彼女”からは出ていなかった。だから違う子だってわかったんだよ。一昨日、撫子と最初に会ってた方だって」

 

 細められた瞳に肩が小さく跳ねる。
 撫子さんと会った時、彼が妙な目で見ていた気はしましたが……まさかその時からとは。ゴクリと喉を鳴らすと、動悸を激しく鳴らしながら顔を上げた。

「私に、なんの御用ですか?」

 

 真っ直ぐ彼を見据える。
 隆成さんは驚いた様子だったが、いつもの笑みに戻すと飲み干したワインの注ぎ足しを頼まれた。ボトルのラベルを見せ頷いた彼は笑う。

「凄いね。一瞬どっちかわからなくなったよ」
「これでもこの店の一員ですから」
「そう、だから僕が『蓮華(ここ)』に“癒され”に来てもおかしくないよね」

 コースターにグラスを置いた私の手の上に彼の手が乗る。帝王様と同じように大きいけど、指は細い。見つめたまま私は言った。

 

「本当に“癒され”に来て下さったのなら嬉しいです。でも、お忙しい身の隆成さんが週初めで開店と同時に来て下さることに違和感があります。携帯も先ほどから鳴ってますよ」

 

 視線を彼の上着ポケットに向けると僅かに揺れ、バイブ音が聞こえる。四月に社長さんになったと帝王様が言っていたので多忙なはず。だからこそ大切な話があるのだと思った。
 すると、隆成さんは止んだ携帯を笑顔で見せる。不在着信五十四件。絶句した。

 

「ははは、ちゃんと『癒されに行ってくる』って言ったのに心配症だよね。誰しも一人になりたいのにさ」
「た、隆成さん……外に出る時はどこに行って何時に帰って来るかを言わないと……ともかく掛け直「千風ちゃん、後ろにGがいるよ」
「はひぃぃぃっ!!?」

 

 後ろを指しながらの衝撃発言。
 瞬時に黒い塊で触覚を動かす物を想像した私は抱きついてしまった。覚えのある匂いと両腕に抱きしめられると頭を撫でられる。でも、顔を青褪め動悸が早鐘を打つ私とは反対に、頭上からは楽しそうに笑う声。

 

「ははは、冗談だよ冗談。あ~癒される~」
「じょじょじょ冗談!?」
「だって、こうでもしないとカメラあるから触れないよ。あ、黒服に何か言われたら僕の悪ふざけでしたって言ってね」

 

 過度なスキンシップを撮られては黒服が部屋に入って来ること、音声までは録られていないことを知っているのか、監視カメラに目を向けた彼は離れる。けれど私の嫌な動悸は治まらない。まさかまさか、癒されるためだけにGを持ってくるなんて。

 やっぱり帝王様の幼馴染だと妙に納得すると、六家が『変人集団』+『危険な人』だと心に刻んだ。そんな私を余所に、楽しそうに笑う隆成さんはさらに衝撃発言。

「キスが良かった?」
「はひっ!?」
「角度を考えれば出来ないこともないよね。総一郎みたいに」
「そそそれ……え?」

 

 わけがわからない発言に顔を真っ赤にさせていたが、帝王様の名前に熱が飛ぶ。目を見開く私に、ワインを飲み干した隆成さんはソファに背を深く沈めた。視線が交差する。

「キス……してたって撫子がうるさく言ってたんだけど、総一郎は『妹の目が悪いんだろ』って否定してね。まあ、僕も総一郎の背中しか見えなかったからなんとも言えないけど」

 

 何かを含んだ笑みに見えるが、帝王様が配慮してくれたならと、私は何も言わないまま彼を見つめる。静寂が包む中、先に目を逸らしたのは隆成さん。

 

「うん、やっぱり千風ちゃんはいいね。総一郎が落ちたのがわかるよ」
「お褒めいただき光栄です」

 

 小さく会釈すると、彼は笑いながら上体を起こし、膝の上で手を組んだ。

 

「僕の今夜の目的はもちろん千風ちゃんに癒して……もらうついでじゃないけど撫子がうるさくてね。キミと会いたいって言ってるんだ」
「御門様とのことなら私は……」
「『そんなことない』って、女の勘が働いてるとかよくわからないこと言ってたよ」

 

 困った様子の隆成さん同様、私も溜め息をつきたい。
 ちなみに聞くと、撫子さんは私と同い歳で洋服デザイナーの卵らしい。夜のお仕事をしてると眩しく感じるのはなぜでしょう。そして私が妹さんと同い歳と知った隆成さんは眉を落とした。

「はあ~、どうせなら癒される千風ちゃんが妹に欲しかったな」
「撫子さん、充分綺麗で可愛くて癒されるじゃないですか」
「撫子に癒されたのは一歳二ヶ月までだった」
「早っ! というかお兄さん酷い!!」
「だって僕、癒されるものしか興味ないもん」

 

 爽やか笑顔で良い大人が『もん』って……そんな酷い。
 両手で顔を覆いながら撫子さんに同情していると名刺を差し出された。名刺?

 

「千風ちゃん、レギュラーだろうから休みは土日だけでしょ? なら、今週のどちらか決めて連絡ちょうだい」
「あの、私まだ行くとは……」
「お土産のアイスは撫子からだよ」
「今すぐお返し「クーリングオフは出来ません」

 

 連続爽やか笑顔と帝王様並みの我が道一本に何も言えなくなってしまった。
 ああ、私も癒されたい……。

 


* * *

 


 見送りのため玄関へ向かうが、隣を歩く隆成さんは苦笑いしていた。

 

「千風ちゃん、隠れSなんじゃない?」
「いえ、フツーです。ご馳走様でした」

 

 あの後オススメのお酒注文してと頼まれたので白ワインで中々お値段が張るのを注文。美味しゅうございました。
 笑みを向ける私に隆成さんは苦笑いしたまま立ち止まり、向かい合う。

 

「まあ、キミも仕事だからね。今夜の代金がNO.3様とのデート予約券ってことかな」
「デートするのは撫子さんとだけで隆成さんとは……」

 

 気付けばまた目の前に上体を屈めた彼の顔があった。
 ふーちゃんの時とは正反対の柔らかい笑みに動悸が激しく鳴ると、頬を撫でながら目の前の口が動く。

 

「じゃ、キスしたら僕とデートしてくれる?」
「キ……スって……」

 

 甘い声に頬どころか顔全体が熱くなる私に彼は顎を持ち上げる。そして、唇を近付け──。

 


「それ以上いったら、ジョリーヌを粉々に潰すぞ」

 


 地を這うほど低い声に身体が揺れ、近付く唇も止まった。
 声の主を確認するように振り向くと、玄関から不機嫌な人が現れる。

 

 真っ白世界になった先でも見た────帝王様。

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