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07話*「攻め落とす」

 堂々と総一郎の腕を掴み、あたしを睨む婚約者。
 そんな彼女に目を合わせる。と、すぐに頭を下げた。

「どうぞ、お幸せに」
「おいこら」
「あ、カニ御馳走様でした。さようなら~」

 

 爽やか笑顔で手を振りながら去ろうとするが頭にチョップが落ちた。

 

「いだいっ!!!」

 

 悲鳴を上げると、驚いた女性の手を解いた総一郎はあたしの頭を掴む。眉を吊り上げた怖い顔を寄せられるが、小声で抗議した。

(何すんの!?)
(そりゃ、こっちの台詞だ! 何考えて去ろうとしてんだ!?)
(面倒から逃げるために決まってるでしょ! あの人アンタの婚約者って言ったんだよ!?)
(信じんのか!?)
(1.本当です、2.親同士が決めました、3.あっちの一方的です。さあ、どれ!?)
(1除外の2半分3もありえる!!!)
(ホント面倒くさいな!!!)

 なんとも言えない争いに、女性もどこにいたのかわからない柳田さんも、車から降りてきた角脇さんも沈黙。すると、店から出てきた櫻木隆成が目を丸くした。

 

「あれ、撫子? なんでここにいるの」
「隆成兄様!」

 

 その呼び方にあたしは二人を見る。今……“兄様”とか言った?
 次に総一郎を見ると頷かれ、頭を抱える。苦笑いする櫻木隆成と眉を上げた女性が近付いてきた。

「ごめんごめん。さっき父親と電話した時に一緒いるの話したら、撫子が傍にいたらしい」
「てめぇのせいかよ」
「そう怒らないでよ。千風ちゃんもご……」

 

 あたしに視線を移した櫻木隆成は途中で言葉を切ると数度瞬きした。見つめられるのが嫌で無意識に総一郎の背中に隠れようとするが、女性の怒声が上がる。

 

「ちょっと、さっきから貴女はなんなんですか!? 名を名乗りなさい!!!」
「名を名乗れと仰るなら、そちらから名乗っていただきたいものですね」
「なっ!?」

 しまった、つい仕事の癖で売り言葉に買い言葉しちゃった。
 溜め息をついた総一郎と目を見開く櫻木隆成の視線に口元を手で覆うと女性を見る。今の会話だけでも顔を真っ赤にさせ、眉を吊り上げていることに大きな息を吐くと瞼を閉じた。そのまま深呼吸し、ゆっくりと瞼と口を開く。

 

「……失礼しました。私は仕事先にて御門様にお世話になっております、宇津木千風と申します。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「え、えっと……櫻木撫子と申します」
「撫子さんですね。失礼ですが、隆成さんとは御兄妹で?」
「は、はい。あ、兄がお世話になっております」

 

 突然微笑んで訊ねる“私”に女性は戸惑いながらも頭を下げた。私も会釈すると彼女と目を合わせる。

「今夜は御二人に夕食の御誘いをいただき御一緒させていただいたのですが、素敵な婚約者様とお兄様との時間を取ってしまい申し訳ありません」
「あ、え……わ、わたくしこそ突然連絡もなしに来てしまって……すみません」
「いいえ。また御機会ありましたら一緒にこちらの抹茶アイスを食べましょうね。とても美味しかったですよ」

 オススメに撫子さんが頷くと、隣で睨む男性に会釈する。

 

「御門様、今夜はありがとうございました。帰りは送っていただけるのでしょうか?」
「……ああ」

 

 低い声で返答した帝王様は背中を向けると車へ向かい、私もその背中を追うように歩きだす。

 

「千風ちゃん、またね」

 

 振り向くと、緩やかに手を振りながら微笑む隆成さん。
 私も笑みを向けたまま会釈すると車へ乗り込んだ。

 


* * *
 

 
 時刻は十一時を過ぎ、角脇さんの運転で夕方よりは少ない道を走る。
 行きとは違い車内は静かで、薫さんは助手席。真ん中がぽっかり空いた後部席に座る私は顔を青褪めたままお腹を押さえていた。

 

「お、お腹……痛いです」
「俺のマンションで休んでくか?」
「送り狼さんのお腹にばい菌を落としていいなら……」
「口が回るってことはまだまだいけんな」

 

 煙草を吸っていた帝王様は灰皿に潰すと次のを取り出す。けれど火は点けず、指に挟んだまま自身の膝を叩きながら視線を私に向けた。その顔は不機嫌そうで眉を落とす。

「なんですか……?」
「……さっき、妹と話していたのは“ちー”だったようだが、カメラの範囲内じゃなかったか?」

 

 指摘に『うぐっ』と、ふーちゃんが脳内で後退りした気がする。
 本当に勘が良いといいますかなんといいますか、お腹を押さえたままシートに背を預けた私は視線を外に向けた。

 

「白状した通りです……嫌いとまでは言いませんが、撫子さんはふーちゃんにとって苦手とする人みたいで強制交替しました」

 

 気の強い女性相手はふーちゃんの性格上ヒートアップにしかならないので、反動で腹痛が来ても替わります。でも、相性が悪い人に当たっても早々ふーちゃんは替わろうとしない……つまり。

「ふーちゃん、櫻木さん兄妹が苦手みたいです」
「隆成もか? お前は懐いてただろ。後半だいぶん引いてたが」
「若干好みが違うんですよ。食べ物も洋服も好感度も。例を挙げるなら薫さんのこと、ふーちゃんピラミッド図では“フツー”ですけど、私になると“好き”になります」
「ほう、俺は?」
「帝王様は二人共“普通”のちょい下あああぁぁーー!!!」

 

 ついバカ正直に言ってしまい頭を回される。
 ミラーには顔を青褪める薫さんを角脇さんが見ているのが見えた。ぐるぐると目が回っているとシートベルトを外され、帝王様の膝にダイブ。帝王様ベルトという名の腕に捕まってしまったため死んだふりをすると頬を撫でられる。でも、頭上から落ちてきた声は低かった。

「その三角図をひっくり返すためにも、やっぱ喰った方が良さそうだな」
「シニタエマひゃあぁぁっ!」

 

 片言で言うと、ヌルっとした舌が耳の中に入り悲鳴を上げる。
 一瞬で変な感覚に捕らわれた刺激に慌てて耳を塞ごうとしたが、その手を取られると耳元で囁かれた。

「生きてんなら問題ねぇな、千風……喰わせろ」
「ひゃああっ……あぁ」

 

 耳朶を甘噛みされながら囁かれると身震いする。
 怖い。けれど、酔わすほど甘美な声に身を任せそうになる。それでも必死に堪え、顔を真っ赤にさせたまま頭上で笑みを浮かべる人を見つめた。

 

「撫子さんっ……いるのに……ダメです」
「俺自身は違ぇよ」
「でも……彼女は……帝王様のこと……好んっ」

 

 顔を上げたのがダメだったのか、口付けられる。
 上から落ちる口付けは長い舌がいつもより奥を突いた。口付けをされる度、耳元で囁かれる度、名前を呼ばれる度に湧き起こる気持ちに名前を付けたくなくて考えをストップさせると唇が離れる。
 息を荒げる私を帝王様は意地の悪い笑みで見つめていた。

 

「なら、櫻木(むこう)との縁談を失くせば喰われるってことだな」
「え……そ、そうではなくて……私なんかより「千風」

 

 慌てて否定したが遮られる。その声は先ほどのような甘さはなく目も鋭い。見開いていると、大きな手で私の頬を撫でた。

「自分を“なんか”で片付けんじゃねぇ。実際俺は妹よりお前を喰いてぇんだ。その俺の御眼鏡に適ったお前が“なんか”なんて小っぽけな女なわけがねぇだろ」
「でも……私は帝王様が……好きってわけでは……」

 自分で言っておきながらズキリと胸が痛んだ。
 顔を伏せるが、彼の手に顎を上げられ目が合う。その瞳も口元も既にいつもの帝王様だ。

「“嫌い”じゃねぇなら上等だ。全力で攻め落としてやる」
「せ、攻め落とすって……簡単には……」

 

 頬を赤めながらそっぽを向くが、くっくっと楽しそうに喉を鳴らされる。

 

「そうか? 店の玄関前で口付けた時、自分から舌を入れてきたのを考えると陥落は早そうだがな」
「ああああれは!!!」
「くくっ、まあいい。そういうわけだ角脇。向こうさんに話があるとアポ取っておけ」
「承知しました」
「ままま待ってください、角脇さん!」

 

 淡々とした返事に慌てて起き上がると運転席に顔を覗かせる。でも、角脇さんも薫さんも口元に笑みがった。

 

「千風さん、申し訳ありません……我々は社長の部下ですので」
「嫌なら総一郎様に嫌われる方法を考えてください。ひとまず縁談が終わってからのお食事とのことで今夜はアパートにお送りしますが、次はわかりませんよ」
「そ、そんな……」

 

 どうすればいいかわからない私の横で、帝王様は笑いながら煙草に火を点ける。静かに紫煙だけが風に乗って飛んで行った。というか、何ひとつ承諾してないのに食べられるのは決定ですか。

 

 モヤモヤ考えている間にアパートへ辿り着き、お礼を言うと帝王様。ではなく、薫さんに部屋の前まで送ってもらった。帝王様は前科ありますからね。そんな彼の不機嫌顔が見え、私は顔を下げる。そんな頭を、薫さんは優しく撫でてくれた。

「明日は社長も遅くまで仕事ですので……今日のような連絡はないと思います。だから……千風さんも社長のこと考えてみてください」
「……え?」

 

 ドクンと心臓が鳴ると顔を上げた。
 サングラスをした彼の表情は読めないが、とても優しい空気が流れている。

 

「私も輝吉も、社長が誰かに執着したのを見るのは……千風さんがはじめてですから……千風さんにも真剣に考えてもらえればと思います。ホステスでも客でもなく……ただの女と男で」
「薫さん……」

 

 眉を落とす私に、薫さんは部屋に入るよう促す。
 会釈し、静かな家に入ればゆっくりと階段を降りる音。カーテンの隙間から車を見送ると、壁に背を預けたまま座った。手に持った携帯に映しだされた“帝王様”の文字をしばし見つめ、畳に寝転がる。

 

 ストールを取ると煙草のアップルレモンの匂い。
 それはここ数日で私の全身を包んだ匂いで、唇と首元に残った証をなぞりながら呟いた。

 

「ふーちゃん……私達どうすればいいのかな……」

 

 静かな呟きに返事はない。


 

* * *

 


「ふうり~ん、ど~したの~?」

 

 月曜の夕刻。『蓮華』に顔を出すと眉を落とした百合姉が“あたし”を見る。
 柳田さんに言われたからじゃないけど、総一郎のことを昨日今日考えてたせいで寝不足だ。嫌われる方法も必死に考えたけど、あの俺様帝王のS火を点けるだけな気がして余計わからなくなる。
 ならば他の意見も聞いてみようと、首を傾げる百合姉に訊ねた。

「百合姉の常連の六家ってどんな人? 俺様?」
「圭ちゃん? 俺様より~ワンコかな~」
「ドMか」
「ん~ふうりんの~ドMくんよりはないけど~面白いよ~火薬と火薬が混じって~大爆発だ~とか~」
「何言ってんの?」

 

 まったくもって意味不明発言な上に、総一郎と反対のMじゃ百合姉には相談出来ないと終了。ともかく総一郎が認めた通り六家は『変人集団』らしい。

 

 ママの挨拶が終わると開店と同時に黒服に指名だと呼ばれる。
 聞くと一見のお客様らしく、またドMか総一郎みたいな俺様なんだろうかと溜め息をついた。いやいや、今月のノルマ達成してないから頑張らないとマズい。

 

 月にいくら稼ぎましょうみたいなノルマがあるから、クリアしないと給料を減らされてしまう。バイトを掛け持ちしている子もいるけど、あたしは『蓮華』一本だから死活問題だ。減らされたら今月のご褒美ハーゲンダッチュが買えない。
 それは嫌だと部屋の前に立つと一息つき、今は総一郎を忘れて仕事に専念しようと扉を開いた──が。


「こんばんは、千風ちゃん」

 


 ソファに座り、微笑むのは六家──櫻木隆成。
 あたしは固まると同時に悟る。

 

 ヤバい、今月ハーゲンダッチュ買えないかもしれない────。

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