S? M?
いえ、フツーです
06話*「よーれろーれ」
乾杯すると、テーブルに白い湯気を上げる鍋が置かれる。
大皿には旬の野菜と太いカニ足! お刺身、煮付け、茶碗蒸しもカニカニカニ!! カニ尽くし!!!
目を爛々に輝かせ、ゴクリと喉を鳴らした私は目先で微笑む男性に確認した。
「さ、櫻木さん……本当にいただいてもよろしいんでしょうか?」
「うん、僕のこと名前で呼んでくれたら遠慮なく総一郎の分まで食べていいよ」
「はい! ありがとうございます、隆成さっだ!!」
お礼を言っただけなのに、なぜか帝王様のチョップが頭に落ちた。さらに鷲掴みされると、向かい合わせにされる。く、首が痛いけど黒いオーラの帝王様が怖い。
「なななんですか!? あ、御門さんもありがとうったたたた!!!」
「名前呼びされないからって八つ当たりはやめなよ。千風ちゃんにとって総一郎はそれだけの男ってことだろ」
「揃って頭を鍋に突っ込ませるぞ。つーか隆成、まさかいつものアレか?」
舌打ちした帝王様は離した手で箸を取り、カニを湯でしゃぶしゃぶしながら隆成さんを睨む。同じように箸を取った隆成さんもカニをしゃぶしゃぶすると、なぜか二人のカニが私のポン酢皿に入った。
あれ? これ食べていいんですか?
二人を交互に見ると頷かれたので手を合わせ、箸を取るとカニを口に運ぶ。はひ~! ぷりぷりしてて美味し~い!! 幸せです~!!!
満面笑顔の私に帝王様は溜め息、隆成さんはニコニコ。
「うん、可愛いよね。癒されオーラが花畑を描いてる」
「ああ、そりゃやべぇよ。死期が近い証拠だ。角脇ー、夜間やってる精神科を探してやれー」
「いらないよー」
角脇さんと薫さんが食事を取る隣室に向かって叫ぶ二人に私は首を傾げる。
「隆成さん、どこか悪いんですか?」
「いや、まあ、多忙すぎて鬱になりかけてたけど、千風ちゃんを持って帰って愛でれば元気になるかな」
「持って帰る?」
お刺身を食べる手を止め、帝王様を見ると眉を上げながら箸で彼を指した。
「昔から癒されるもんを見つけると持って帰る性分があんだよ。ヌイグルミやら狸の置物やら爬虫類やらなんやら」
「北海道行った時は牧草ロールに癒されたな~。買うの止められたけど」
「良いですよね、ロールベールラップサイロ」
「同意すんな。つーか、正式名かよ」
熱い茶碗蒸しをハフハフしながら食べていると二人の視線が刺さる。
バームクーヘンのような形が可愛いし、良い匂いがするじゃないですか。農業も良いけど酪農も良いかもしれませんと、牛を引き連れスキップする自分を想像しているとチョップが落ちた。
「てめぇはハ○ジにでもなりてぇのか!?」
「いっだいっ! あれはヤギです!! って、あっついっ!!!」
「よーれろーれ……じゃないや、千風ちゃん大丈夫?」
頭も痛いが熱々の茶碗蒸しを呑み込んでしまい咳き込む。立ち上がった隆成さんは私の横で膝を折り、おしぼりを差し出すと背中を擦ってくれた。
「あ、ありがとうござっきゃ!」
「うんうん、癒されるっだ!」
おしぼりを口元に寄せてお礼を言うと、なぜか隆成さんに抱きしめられる。けれど帝王様のチョップが彼に落ちた。なのに腕を離してくれず段々頬が熱くなっていると、バニラとココナッツを合わせたような甘さが伝わってくる。覚えのある匂いに顔を上げた。
「隆成さんも喫煙者なんですね」
「あれ、匂ったかな? 総一郎よりは吸わないんだけど」
「六家じゃ吸う方だろ」
「食事中はダメですよ」
煙草を取り出した人に注意すると数秒手が止まり、箱とライターをテーブルに置いた。隆成さんは笑いながら私に頬擦りする。
「珍しいね。煙草嫌いの圭太と龍介の前でも平然と吸うのに」
「配慮してください、御門さん」
「腐れ縁連中に配慮なんざ今更だ。そういや、千風はその六家(ふたり)と店で会ったことねぇのか?」
「はひ?」
「え、千風ちゃんどこで働っだ!」
再チョップが隆成さんに落とされ腕を離されるが、今度は帝王様の腕に捕まる。隆成さんのような甘さはないけどアップルレモンのような爽やかな匂いに包まれながら考え込む。六家で『蓮華』といえば。
「お姉様達のお客様(ゲスト)のことですか?」
「ああ。安室圭太がNO.2、階堂龍介がNO.1に付いてるはずだ」
百合姉ちゃんから聞いたことを思い出すが、そんな名前のゲストのヘルプに付いたことはなく頭を横に振る。と言うよりなんでその情報を知っているんですか。
不審の目を向けるが、私の頬を引っ張りながら鍋に野菜を入れる帝王様は知らんぷり。さらに疑っていると隆成さんが瞬きをする。
「NO.1にゲスト……え、もしかして千風ちゃんが総一郎を落と「隆成、カニを一気に突っ込め」
一瞬目を見開いた隆成さんと目が合うが、帝王様の声に彼は笑みを浮かべると私の頭を撫で自分の席へ着いた。同時に帝王様の手が離されたため、ご飯の続き続きと箸を進める。前に、カニを鍋に入れ終えた隆成さんに空となったグラスを渡された。
「千風ちゃん、悪いけど焼酎作ってもらえるかな」
「水割り、お湯割り、ロックのどれになさいますか?」
「水割りで」
「かしこまりました」
笑みを浮かべながらグラスを受け取った私に帝王様は頭を抱え、隆成さんは楽しそうに笑う。水割りを作りながら職業柄二人の会話に耳を澄ました。
「なるほどねー。総一郎にしては珍しい子を連れてると思ったんだ……彼女か」
「だからてめぇを呼ぶのは嫌なんだ」
「ははは、最初に話したのは総一郎だろ。おかげで余計行きたくなった」
「やめとけ。身包み剥がされるぞ」
「あれ、見かけによらず千風ちゃんってS?」
「いえ、フツーです」
キャッチした内容を否定すると焼酎を渡す。
私的にSでもMでもないと思ってるのになんでだろ。Mは他にいるし、まあ確かにふーちゃんは見た目Sっぽいですが……あ、怒られた。脳内で謝罪すると、てんこ盛りに積まれたカニしゃぶを食べる。二人の会話を受信し続けながら。
「じゃあ、もう全部したの?」
「いや、ここ出たら喰う気だ」
「あ、ドナドナ。競(せり)に出されるなら僕も参加するよ」
「悪ぃが売約済み……おいこら、どこ行く千風」
気付けば箸を置き、正座のまま襖障子まで移動していた私。
ここで襖を開ければ優しい優しい薫さんと、まだマシであろう角脇さんがいらっしゃる部屋なのに、二人の視線に動けない。
だって二人とも面白そうな顔してるんです! 帝王様の方が邪悪ですけど隆成さんもSっぽいですよ!! お持ち帰りってそういう意味ですか!!?
嫌な解析をしていると笑みを浮かべる隆成さんに手招きされた。
「総一郎よりは優しいからおいで」
「“より”が付いた時点でアウトです! 嫌です!! 食べても美味しくありません!!!」
「安心しろ。味見した時点で美味いのはわかっている」
「あ、それは楽しみだ」
「薫さああぁぁぁーーーーんっっ!!!」
大慌てで戸を開くと、驚く二人に両手を伸ばし、悪魔の巣窟から抜けだす。震える私を二人は隣室で煙草を吹かす悪魔帝王様と、微笑み悪魔様を呆れた眼差しで見ていた。六家コワイ。あの二人ヤダ。キケンキケン。
脳内でもふーちゃんが危険赤信号を点す。
なのに、悪魔帝王様ご注文の抹茶アイスに安全青信号が点った──故障かな?
* * *
「あたしは売られる気なんてないからね」
「ほう、アイスを受け取った時点で交渉成立だと思ったがな」
「あ、あれは食べていいってアンタが言ったから不用意にちーが……」
「くくっ、頬が赤いぞ。ふー」
料亭の外玄関にカメラがあるせいで“あたし”に替わっている。
外は当に夜空と雲も漂わせる月に変わり、竹林の葉が揺れると夕方とは違う冷たい風が伝った。寒さに両腕を擦っていると、隣で喉を鳴らしながら煙草を吹かす総一郎に肩を抱かれる。
温かいが、また頬が熱くなる気がした。隠すように店の人間と話すもう一人の男に目を移す。
「隆成って男に、あたしのこと話してたわけ?」
「ちょろっとな。『蓮華』のことまでは言っちゃいねぇ」
ありがたいような違うようなで頭を悩ます。
総一郎は口が堅いと思うが、先ほどの会話であたしがホステスだとわかったようだし、同じ六家が上二人に付いてる以上いつバレるかわからない。よっし、店に来ることがあれば百合姉に頼もう。隆成(あいつ)癒し系が好みみたいだから、あたしとじゃ絶対合わない。
そう決意しながら櫻木隆成という男の言動と行動を思い出すと呟いた。
「六家ってもしかして変人揃い?」
「否定はしねぇな」
「またまた……え、しないの?」
てっきり『俺は違う』とチョップが来るかと頭を守っていたのに来なかった。それどころか腕を離し、煙草を携帯灰皿に入れる。
「てめぇがそうさせたんだろうが」
「あたし? ああ、確かによく客をMにすることがあっだ!」
チョップが落ちた。
くそっ、構えてない時に来るなんて卑怯だ。第一本当に『お前みたいな女に俺の相手が務まんのかよ』って威張ってた客に後日『もっと罵ってください!』って土下座で頼まれっだだだだ!
「そりゃ、マジモンの変態だ。関わんな」
「それ以上の変態を知ってるって言うか、一番はアンタと関わりたくないっと!?」
背中に回った手に押されると、総一郎の胸板にぶつかった。顔を埋めたせいか一気に彼の匂いに包まれる。戸惑っていると、耳元に顔を寄せた総一郎の声が響く。
「関わらない選択肢は既にない」
「なんで……あっ」
囁きと頬を撫でる指に小さな声を漏らす。
楽しそうに笑う声は巻いていたストールを緩めると、指で頬から首筋をなぞり、ある部分を撫でた。ここへ来る前に上書きされた赤い痕を。
「ちーとふー……って、変わり種を欲しがった時点で俺も変人の仲間入りしちまったからな。その責任は取れよ」
「なにそれっあ!」
反論するが首筋に吸い付かれる。
彼の大きな身体に遮られカメラには映ってないのかもしれないが、ちーに替わってないからわからない。動悸が激しくなるあたしとは違い、カメラの前でも外でも気にしない男はうなじに吸い付き、痕を増やしていく。
「ちょっ……総一郎……っん」
両手で彼の背を叩くと顔を上げるが、すぐ唇を塞がれた。
上唇と下唇を舐め、空いた隙間に舌を挿し込むと、舌先であたしの舌を舐める。食事前の荒いのとは違い、優しくて気持ち良く、無意識に自分の舌を伸ばした。
「ちょっと、何してますの!?」
突然の大声に舌も唇も身体も離す。
息を荒げ、顔を真っ赤にさせたあたしを総一郎は眉を上げ見つめるが、その視線よりも別の視線が痛くて振り向く。そこには振袖を着た女性。
身長はあたしと同じぐらい。
桜色の振袖には幾つもの牡丹が暖色に染められ、帯留めは四色の飾り結び。装履と小ぶりのバッグも振袖と同じ桜色で、上でまとめられた漆黒の髪には牡丹の髪飾り。長い睫にパッチリとした瞳と艶らかな唇は化粧をしなくても十分綺麗だろと思える美人さん。
そんな美人顔台無しで険悪の表情を向ける女性はあたしを横ぎると総一郎の腕を取った。
「総一郎様はわたくしの婚約者ですのよ!」
────よっし、逃げよう!!!