14話*「護衛解消」
「まったく、アンタって子は……その短気な性格は誰に似たのかしら」
「え? もちろん母さんだだだだ!」
間髪をいれず、背後に回った母さんの腕に首を締められる。
呻く俺など構わず、隣に座る雅は用意されていた和菓子を口に運んだ。
「冬花さん、これ美味いっスね。どこのっスか?」
「浅草にある『ナオ』。あ、春冬のも食べていいわよ。雅臣くんには毎回毎回迷惑かけてるし……そこの二人もさっさと座りなさいな」
「いや、しかし……」
「があ゛ざんっ、もうっ、ギブ……ギブうううぅぅっ!!!」
俺の菓子を食べながら携帯で検索をはじめる雅とは反対に、ガーゼ程度の傷になった筧と東雲は唖然と棒立ちしている。数日前に殴り合いを起こした俺達は学校帰りの今日『U・B』の社長室を訪れていた。
俺は出張でいなかった母さんの説教を食らうため、雅は説明。筧と東雲は真面目にも謝罪に付いてきた。
「ケンカを売ったアンタが謝罪するのが筋ってもんでしょうが!」
「向こうが先だよおおぉ!」
「どっちもどっちじゃね? ハルハルは千風嬢、筧は楠木嬢、女絡みなんだしさ」
「ま、待てっ、安心院氏!」
溜め息混じりの雅に割って入ったのは筧。
腕を緩めた母さんと共にきょとんとする俺の菓子を食べ終えた雅は続けた。
「去年だったか……ハルハル、楠木嬢に告られたろ? 千風嬢にアイス買ってこいって言われて買ってこれずダメ犬の烙印を押されたばかりか、カズカズが学校でヤ「捻り潰すぞ」
いらない情報の多さに笑顔で拳を見せる。
母さんの冷たい目を他所に先を促すと、雅の視線が真っ青な顔をしている筧に移った。
「で、実は楠木嬢は筧の婚約者だったんだよ」
「「(へー)」」
「あああ安心院氏! なぜ知っているんだ!?」
澄まし顔の雅情報に、冬と母さんと相槌を打つ。
対して筧は珍しく慌てているが、東雲が頷いているのを見るに本当らしい。まあ、金持ち学校じゃよくある話だし、驚きはしない。それよりもなぜ去年の話が出てくるのか疑問に思っていると母さんに囁かれた。
「千風ちゃんが雅臣君に告ったって聞いたら?」
「捻り潰すどころか殺す」
「例えが悪いよ冬花さんっ!!!」
本気の殺気に雅はソファから飛び降り、筧達は構える。と、コツンと軽く額を叩かれた。
「そういうとこは問題ね……」
一息吐いた母さんは腕を解くと後退る雅や筧達をソファに促し、自身の席に腰を下ろした。
既に外は濃いオレンジ色と小さな星々が混ざった夕暮れ時。鮮やかな夕焼けよりも、腕も足も組んでいる社長に目が離せないでいると三人が席に着く。逆光で見えなかった目と目が合った。
「まあ、アンタ達がケンカしようが何しようが、そういう子に育てたのは親(あたし達)だから、謝罪だって弁償だってなんだって責任は取るけどね。たとえ会社の名に傷がつこうとも」
淡々とした声に気付く。
有名企業の子息が多い学校で事件を起こせば、報道部をはじめ、暇を持て余した生徒達が面白がるように噂を広める。ここ数日だけでも嫌というほど聞かれ耳にし、適当にあしらってきた。どうでもよかった、会社(家)の評価に繋がるなんて考えもしなかったからだ。
逆に考えていそうに思えた筧と東雲も今回は頭に血が上って回らなかったのか、同様に顔を青褪めている。そんな他社の子がいようが構わないといった様子で母さんは続けた。
「跡継ぎと言われようとアンタらはまだ子供(ガキ)で、就職しても社会人一年生(へっぽこ)。ボロクソに言われしごかれやっかまれ、なんでこの家に生まれ入社したのかと葛藤するでしょうね」
今まさにボロクソに貶され、幼少時の不満を嬉々として突き刺す母に正直泣きたくなる。我が親ながら鬼だ。
雅まで眉間に皺を寄せていると、息を吐くのが聞こえた。
「ま、ケンカ内容は子供(ガキ)でも家業を誇りに思ってるのは評価するわ。ただし、継ぐ意志があるならすべての責任を負い、社員を護る覚悟を持ってから勝ち上がってきなさい」
先ほどまでとは違う柔らかな声に顔を上げると、足を解いた母さんは大きく背中を椅子に預けた。ガタっと、はしたない音よりも、意地悪く笑っている口元に目がいく。
「独りよがりな子供(ガキ)よりは張り合いのある大人になってるでしょうから、期待しないで待っててあげるわ。そうやすやすと社長(この)椅子は渡せないけどね」
自信満々に肘掛けを叩く姿に唖然とするが、不思議と緊張が解けていく。
さほどプレッシャーは与えない、けれどそそのかす。言うなればアメとムチ。なんだかんだで期待もしていることに肩をすぼめた俺達は苦笑混じりに頷いた。
それから改めて頭を下げた筧と東雲に次いで、雅も受験勉強をすると言って社長室を後にする。どこか晴々とした表情に思うところはあったが、見送るだけにした。
「春冬、あたしもうちょい掛かるけど、千風ちゃんが待てないようなら先に送らせようか?」
「んー……多分、寝てると思うんだよね」
デスクの紙をまとめる母さんの声に、俺は別室にいる千風の携帯にかける。
今日は『U・B』に行くことが決まっていたため、ハヤテ号は留守番。学校から会社までは雅家の車に乗せてもらい、母さんの車で帰ることになっている。つまるとこ、千風も強制的に会社(ここ)に来ることになるのだ。
当然『一人で帰る』と言われたが、母さんの『たくさんアイス用意してるわよ』メッセージと写メに二つ返事。千風ホイホイ、恐るべし。
だが、話しが長引いたことで寝てしまった可能性が高い。案の定、電話に出る気配はなく、メールを送った俺は眼鏡を外した。
「手合わせしてから千風のとこ行くよ」
「あら、珍しい。お灸を据えたかいがあったかしら」
「まあね……」
目を丸くする母さんに重い溜め息を吐くと、社内にある訓練場へ足を向けた。
「仕事は“冬”にさせなさい」
「(え?)」
突然のことにハモり振り向くと、眼鏡を外した母さんはレンズを拭く。
「前々から思ってたけど、今回で感情の起伏が激しい春じゃ仕事(SP)は務まらないのがわかった。絶対、依頼者ともケンカする。なら、冷静な冬を雇うわ」
「お、俺はクビってこと!?」
(長時間、替わったことないんですが……)
慌てふためく俺達だが、取れない汚れでもあるのか、眉を上げた母さんは必死に拭きながらも淡々と話す。
「千風ちゃんと違ってアンタ達は自由に替われるくせに、いつも春が表で冬が裏でしょ? なら、これを機に反対で過ごして、春は精神統一、冬はコミュ力を上げなさい」
「冬、コミュ障だったの?」
「意図的に避ける……春に替わる傾向があるわね。春が本来の春冬だとでも思ってんじゃない?」
細められた目に胸の奥が痛くなった。
それが“冬”の痛みだとわかるのは表情が曇ったからだろう。答えようがない俺とは違い、母さんは満足気に眼鏡を掛けた。
「ま、考えてみなさいな。本音を言えば、アンタら二人使えたら一石二鳥なのよね~」
「(ですよねー)」
ちゃっかりしていることに脱力するが、すべてを見透かしているような母さんには感服するし、信頼もしている。だからこそ、ひと呼吸おくと訊ねた。
「母さんは……千風の就職先、知ってる?」
ケンカの原因になった問いに、紙束を持つ母さんの手が止まると、ゆっくりと視線が俺に移る。
「知ってる。アンタに言ったら怒るとこ」
断言に両手を握り締める。
身体も熱くなるが、数日前と同じことをしたらいつまでたっても子供(ガキ)だ。必死に堪えると、次を訊ねた。
「それって……お金が関係してる?」
静かに、けれどさっきよりも語尾が強い。
だが、予想に反して母さんは怪訝な顔をしていた。目を伏せた俺は、汗をかいた手を上着ポケットに入れる。
「千世おばさんがいる頃……アパートで見つけたんだ」
一度だけ訪れた千風母子の家。
話してはいないが、ママ友の縁で母さんは行ったのを知っているだろう。けれど、差し出されたくしゃくしゃの名刺に今まで見たことないほど驚いているのを見るに、“これ”は知らなかったようだ。
名刺を受け取った母さんの視線に鋭さが見えると、ゆっくりと口を開く。
「教えて……千風は“何に”なるの?」
闇夜と共に母を見据える自分が窓ガラスに映る。
* * *
応接室の戸をノックするが返事はなく、暗証番号で鍵を開けても真っ暗。
手探りでスイッチを押せば電気が点き、コートを枕に、ソファで寝ている千風がいた。テーブルには空のアイスカップの他、勉強道具や携帯が置いてあり、俺からのメールは開かれず残っている。千風の傍で膝を折ると指で頬を突いた。
「ちぃーちぃー」
「ん~……」
柔らかい頬を何度か突いていると、薄っすらと目が開かれる。
俺を映す瞳にゾクゾクした身体は自然と前のめりになり、乾いた唇に口付けていた。
「ふ……んっ、なんか髪……濡れてません?」
「ん、訓練してシャワー浴びったたたた」
説明し終わる前に頬を引っ張られる。
悦ぶ俺とは違い不機嫌な顔をされるのは『勝手に連れてきておきながら、自分だけシャワー浴びるなんて』だろう。汗くさくても怒られただろうが、これはこれで可愛くて抱きしめると頬ずりした。
「ちぃもシャワーする? いいよ、俺も一緒に浴びる」
「春ちゃんはいりませー……んっ!」
背中を叩かれるが、構わず首筋に唇を宛がい舐める。
さらに動きを止めた隙に顔を胸元に埋めると、抱きしめる手を強めた。そのまま何もしないのが予想外だったのか千風は訝しむ。
「冬花さんの雷、そんなに大きかったんですか?」
「ん……俺、SPむいてないかも」
小声に、首を傾げるような仕草を感じる。
今までは千風を護るという名目で『U・B』に就職する気だったが、具体的な目標なんてなかった。筧のように国を護りたい信念もなければ、雅みたいにこれから探すわけじゃない。千風を護るだけで満足しようとしていた。跡継ぎなんて二の次だって。
もちろん生活のために働くのもいいだろう。
でも父と母を尊敬しているし、役に立ちたいとも思っている。出来るなら継ぎたいとも……それだけの気持ちでなれるほど甘くはないと今さら実感したのだ。
何も言わないでいると、一息と一緒に髪を撫でられる。
「護衛以外の春ちゃんなんて浮かびませんけどね」
「ちぃのお婿さんは!? 炊事洗濯できるし、サンドバッグにもなるよ!!?」
「ドMS変態野郎なんざお断りです」
「うわあ、本気の目にゾクゾクするぅ」
冷ややかな目に笑顔になるとまた頬を引っ張られるが、千風は夜景が見える窓に目を移した。
「でも、世の中には護衛を必要としている人がいるんですから『U・B』でいいじゃないですか。子供の頃から鍛錬してきたことを棒に振るなんてもったいないですよ」
「千風は……必要としてないってこと? 夜の仕事なんかに就くのに」
皮肉が篭った呟きに、一瞬だが千風の身体がピクリと跳ねた。
ゆっくりと移る視線も僅かに揺れ、鋭さも見える。けれど、瞳孔に映る俺の方が勝っていた。頑(かたく)なに閉ざし、暴かせないようにしていた将来に複雑な想いと怒りを抱く自分が。しばしの間を置いた千風は悟ったかのように頷く。
「はい……私達は水商売(ホステス)として働きます。そこで生き抜くためには甘えも春冬も必要ありません。だから……護衛解消しましょう」
弱々しくてもハッキリと届く声と真っ直ぐな目。
“あの夜”のような痛みを覚える一方で真っ黒に染まらないのは、無駄だと理解しているからか────。