12話*「熟知」
「昨日は大変申し訳ありませんでした」
教室に入って早々、席を立った白鳥さんに深々と頭を下げられる。隣の席に座る雅と目を合わせると苦笑した。
「気にしなくていいよ。特に怪我もなかったし、後始末はそっちが受け持ってくれたからね。むしろマスコミを押さえてもらえて大助かりだよ」
「紙面トップとかマジ勘弁だからな」
白昼堂々、大勢が見ている中で起こった拉致事件は白鳥不動産の傘下で、破産申告中の社長が逆恨みで起こしたものだった。
幸い数時間で解決し、白鳥財閥が情報操作してくれたおかげで大きく報道されることもマスコミに捕まることもなく平和に登校。高校三年という大事な時期にはありがたい……が、それは俺達の話。
雅と二人振り向くと、白鳥さんも気付いたように視線を移す。
俺の背後で黙り込んでいる千風に。
「あ、あの、荒澤さん……」
前に出る白鳥さんが怯えているように見えるのは、俺達以上に巻き込んでしまったからだろう。不穏な空気と沈黙に喉を鳴らすと、千風の口元が弧を描いた。
「はひ、白鳥さんとのショッピング楽しかったです」
「え……いえ、その後」
「はひ? 他に何かありました……けっ!」
「あっはん!」
とびっきりの笑顔で尻を叩かれた俺は歓喜を上げる。
白鳥さんは唖然としているが、一息ついた雅が『アイスで手を打つって』と言うと、俺も笑顔で頷いた。千風にとっては記憶から抹殺したいほどの“拉致後”だろうが、俺にとっては最っ高の思い出だ。
「(逝ねっ!!!)」
千風の大声と蹴りに加え、脳内に冬の怒号が響き渡った。
Sである“もう一人”にとっては屈辱だったらしく、滅多に見ない怒りの顔。でもそれは良いことだと笑みを浮かべた。
やっぱり“俺”は“俺”だ。
* * *
「それでは出席番号順に男女とも指導室に来てくださーい」
昼休みも終わり、眠い午後の授業。
自習とはいえ、六限と合わせた『進路相談』に教室はどこか忙しない空気が流れている。だが、中学の頃から『U・B』と決めていた俺は気楽なものだ。
「お前が警備員なー」
「SPって言ってください」
「ドM特集(スペシャル)?」
「先生、ケンカ売ってるなら買うよ?」
指導室は薄い壁で四部屋に仕切られていて、耳をすませば他の先生と生徒の声がぽそぽそ聞こえる。フツーなら俺も真剣に相談しているはずが、向かいに座る男性教諭に拳を見せていた。笑顔で。
大きな溜め息を吐いた先生は頭を掻きながら進路紙に目を落とす。第一志望以外は無記入だ。
「まあ、親御さんもぜひにと言ってるし、成績も多分大丈夫か」
「多分って大丈夫と同義なの?」
「問題はお前が荒澤以外の護衛が出来るかどうかだが……」
疑問をスルーし、掻く手を止めた先生の視線が上がる。
真剣な眼差しとは反対に俺は顔を伏せた。
俺にとって千風は幼馴染で護衛主。
だが契約書もない、口約束のような関係だ。父さんのように専属として契約を交わせば良いのだろうが、今までのことを考えると交わしてくれそうにない。むしろ、喜んで仕事に専念してくれと言われるだろう。自分ではない他人(ひと)を護ってくれと。
「……嫌だな」
呟きは本音だった。
けれどまたスルーされたのか、してくれたのか、先生は何も言わない。
脳裏を過るのは離れていく彼女。
これからもずっと消えない、忘れない、許されない記憶。それでも傍にいることを望む“俺達”は顔を上げると、ニッコリと微笑んだ。
「というわけで、千風の進路先を教えてくださいっだ!」
「何が“というわけで”だ」
容赦ないデコピンに額を押さえる。
涙目の俺に構わず大きな息を吐いた先生は、別紙に記入しはじめた。
「女子は担当外だから俺も詳しくは知らんが就職らしいな」
「就職……」
「ああ、それで揉めてるらしい」
「揉めてる?」
額から手を離すと瞬きするが、先生は視線を上げることなく書き続ける。
「担当が必死に止めてるらしいが、荒澤も譲る気がないらしくてな。お前……まあ、聞いてきたってことは知るわけないか」
一瞥しただけで察したのか、ペンを置いた先生はまた髪を掻きはじめるが、掻く音よりも心臓の音がうるさい。
就職なのは予想していた。アイス屋とか農園とかアイス屋だと。
でも、揉めているということは違う。しかも先生が必死に止めていることに、俺も冬も顔を顰めると、ポケットに手を入れた。どこにでも付いて行くとは言ったが、一抹の不安が拭えないのは“これ”のせいだろうか。
嫌な動悸だけが続いていると、記入した紙と一緒に就職用の書類を差し出した先生は溜め息混じりに言った。
「詳しく知らないはずの俺がなんで荒澤が就職するって知ってたと思う? 担当から絶対に言うなって口止めされたからだ……牛島、お前にな」
ささやかな情けなのか忠告なのか。
見据える先生に、書類を持つ手が震えた。
* * *
「なんで不機嫌そうなんだよ」
相談を終えると、別の仕切りから出てきた雅と会う。
呆れた様子の指摘に指導室から出ると、強張った顔をした自分が窓に映っていた。
「別に……そっちはどうだった?」
逸らすように歩きだすと、溜め息をついた雅が隣に並ぶ。手には覚えのある大学名が入った封筒がある。
「親父の許可も貰ったし、成績ももうちょい上げりゃ、第一志望には受かるだろうって。お前は? 『U・B』で決まりだろ?」
「うん……多分」
「多分って……」
怪訝そうに足を止めた雅に、俺も背を向けたまま止まる。
ぎゅっと書類を握ると、震える口で訊ねた。
「雅、さ……千風の就職先、知ってる?」
「千風嬢? いや、知らね。つーか、就職なのか……って、おい!?」
最後まで聞くことなく歩きだす。
次第に急ぎ足、駆け足へと変わるのは焦っているからだろう。
女子の出席番号一番である千風は俺と雅と同時に女子用の指導室へ赴いた。まだ面談中かもしれないが、それは教室に戻ればわかる。
早く教室へ、早く千風に会って話を、これからのことを聞かないと動悸はきっと止まない。感情が爆発する前に早く早く。自分の将来よりも、彼女が望む将来……否、“今”望むことを知らなきゃ、“あの夜”を繰り返しちゃダメだ。なのに、背後から腕を掴まれた。
「待てよ、ハルハル! いったいどうした!?」
「離せっ! 急いで千風のとこ行くんだ!!」
「よくわかんねーけど落ち着けって! その状態で行って話が出来ると思ってんのか!? そもそも、千風嬢もまだ面談中かも」
「いや、荒澤氏は戻っているよ」
息巻く俺達とは反対、冷静な返答に振り向く。
目前に立つのは、クラスメイトの男が二人。
一人は優形で、身長もさほど変わらないが鋭い目。俺より短いショートの黒髪は毛先が跳ねているが、制服を着崩すことも皺ひとつもない。警視総監を親に持つ、筧(かけい) 篤志(あつし)。
その彼から一歩下がって控えているのは、無愛想でベリーショートの黒髪。ニメートルはある長身と巨体を持ち、筧とは親が上司部下の関係にあたる、東雲(しののめ) 刀吾(とうご)。
「また面倒くせぇのが……」
ぼやきながら眉間を押さえる雅を他所に、腕を組む筧と睨み合う。
警察と警備会社。外側から見れば似た職種だろうが、実際は業務も体制も大きく異なり、ある意味ライバル関係にあたる。
俺も良い印象は持っておらず、そっけない返事をした。
「そ、教えてくれてありがと……俺らは終わったから次どうぞ」
「いや、僕達の順番はまだだ。君達二人に聞きたいことがあって待っていた」
「教室でいいじゃねーか……」
「白鳥氏と荒澤氏の拉致事件の件だ……関わっていないとは言わせない」
濁す気などない用件に俺と雅の目が鋭くなる。が、同時に両手を横に振った。
「悪いけど話す気ない……というか、聞きたいなら白鳥財閥に聞いてよ。なんなら執事の連絡先教えようか? 俺、電話どころかメル友だから」
「俺なんか巻き込まれただけだから、マジ知らねーよ?」
断固拒否を示すも東雲から殺意らしきものを感じ、身構える。だが、筧が手で遮った。
「白鳥氏には既に話を聞いているし、荒澤氏も牛島氏と同じことを言っていた」
「何? 千風をナンパしたの?」
「事情を聞いただけでナンパ扱いとは、低俗の考えだな」
「ちょ、バっ!」
止める雅よりも先に、筧の胸倉を掴んでいた。
散らばる書類よりも互いを睨むが、横から伸びてくる手に後ろへと飛び退く。空ぶった東雲は鬼の形相で睨み、俺は鼻で笑った。
「用心棒連れじゃなきゃ話にもこれないわけ?」
「二人一組(ツーマンセル)は警護の常識だろう? まあ、信頼できる相棒(パートナー)がいない上に、主人も護れない君には……ああ、荒澤氏とはただの幼馴染か」
蔑むような目と口調に、ピクリと眉が上がる。
「お金で雇われ護るだけの君にとっては別に護らなくても良い相手だな」
「おい、筧っ! 煽るだけなら放課後に……っ!?」
まずいと思ったのか慌てて割って入る雅だったが、俺を見ると顔を青褪めた。構える東雲の額にも汗が見えるが、俺の目は筧だけを捉えている。
「……そりゃ、御国を護る御偉いお前達と違って、こっちはただの会社員。お金を貰って護るのは当然だし、貰った仕事ならお前らと同じぐらい真剣に勤めるさ……就職したらな」
世界が徐々に黒く塗り潰されていく。
覚えのある感覚は“あの夜”よりも前……“生まれた日”と似ている。
「けど、ここは学校だ。俺もお前達も一般生徒で、事情なんて偉そうに聞ける身分じゃないし、答える義務もない。俺を従わせたいなら本物の警視総監になるか千風を連れてこい」
不敵な笑みを浮かべると、筧は歯軋りする。と、東雲が跳び出してきた。
「待てっ、刀吾!」
「殺気に敏感なのは良いことだと‟思いますよ”」
脱いだ上着で東雲の拳を防ぐと、懐に潜って片脚にしがみつく。そのまま勢いよく押し倒した。崩れる巨体音が廊下どころか指導室にも響いたのか、先生と生徒が慌てて出てくる。
ざわつく周囲に構わず起き上がるが、東雲に足を捕まれると壁に叩きつけられた。
「っだ!」
「春冬っ!」
「お前達やめろっ!」
血相を変えた先生が止めに入るが、落ちた眼鏡など気にせず起き上がった俺は東雲に向かって飛び出す。が、拳は割って入ってきた筧に塞がれた。
距離を取るように下がると、顰めっ面で構える筧と目が合う。
「先に刀吾が手を出したことについては詫びるが、迎え撃つ牛島氏もどうかしている! 正当防衛なんて言い訳は立たないぞ!?」
「篤志、違う……」
余裕を失くした様子の筧の肩に東雲の手が乗る。起き上がった東雲は息を乱しながら、ネクタイを解く俺を睨みつけた。
「こいつは……“こいつら”は法など微塵も考えていない」
「正解」
目を見開く筧とは違い笑みを浮かべると、ネクタイを放り投げ、シャツのボタンを外す。さらに両腕の袖を捲くった。
「刑法も校則も別にいいんだよ。ただ貴方達がムカツクから殴りたいだけです」
「やべー……口調が混じってやがる……“あん時”と同じだ……」
ざわつく野次馬の中で、口元を手で隠す雅臣。
その身体は震えているように見えるが、当に思考も真っ黒に染まった“俺達”の視界には目前の敵しか見えていない。懐かしい感覚に、ゆっくりと前髪を掻き上げると冷笑を浮かべた。
「二人でこいよ……こっちも二人一組(ツーマンセル)、俺を熟知した相棒(僕)と二人で──捻り潰してやりますから」
この高揚感は“二人”になった時と同じだ────。
※次話、千風視点で進みます