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複雑なスノーフレーク
複雑なスノーフレーク

06話*「男として」

 満たされたはずなのに満たされない。
 手に入れたはずなのに入ってない。
 離れたくないのに離れていく。 


 手を伸ばしても──届かなかった。

 

 

 

 


「ああー、我が家だわー。会社に寝泊りとかホント最悪」
「ああー……なんで忠興(ただおき)様は普通でいられるんだろ」
「春樹くん、暗……って、家も暗っ!」

 

 玄関が閉まる音と大声に瞼を開く。
 薄暗い中、廊下の明かりが見えると重い身体をソファから起こし、床に座り込んだ。しばらくしてドアが開き、リビングにも眩しい電気が点る。

 

「うわあっ! ビックリしたあっ!!」
「何してんの、春冬」

 

 土下座していた俺に、父さんは心底驚いたような悲鳴を上げたが、母さんは淡々としている。顔を上げると、スーツを着た両親に向かって口を開いた。

 

「我を忘れて無理やり千風とセックスしました……ごめんなさい」
「「…………は?」」

 

 深々と頭を下げた謝罪に二人はハモり、父さんの鞄が落ちた。


 

* * *

 


 時刻は当に0時を回る。
 だが、明々と電気が点るリビングは重苦しい空気が張り詰めていた。

 

 着替えた両親と三人、カーペットの上に正座すると事のあらましを話す。
 始終無言だった父さんの顔は徐々に青くなり、聞き終わった頃にはパタリと母さんの肩に寄り掛かっていた。一方、濃茶ショート髪の母さんは眼鏡の奥にある目を瞬かせる。

 

「なんだ、まだシてなかったの」
「え?」
「とっくの昔にシてて、デキたのかと思った」

 

 現実よりも酷い話に伏せていた顔が上がる。
 足を崩した母さんはテーブルに置かれたカップに手を伸ばすが、慌てて父さんが口を挟んだ。

 

「なんでそう冬花は冷静なんだ!? やっぱり止めれば……ていうか、避妊しなかったの!!?」
「うん……あと、多分ナカで出した」
「ああああ゛あ゛あ゛ぁぁっっ!!!」
「春樹くん、うるさい」

 

 頭を抱える父さんを一蹴りした母さんは、なんでもない様子でカップに口を付ける。が、目は俺を捉えていた。

 

「で? あれから二日。あたしらが仕事で不在の間、進展はあったわけ?」

 

 指摘に喉を鳴らすと、再び顔を伏せる。
 ギリギリで保たれていた理性が壊れ、欲望がままに抱き明かした夜から丸ニ日。ふやけた唇、逃げる舌、尖りきった胸、溢れる愛液、甘い矯声。見たことも聞いたことも触れたこともないほど艶やかで淫らな彼女は幼馴染ではなく“女”。

 

 惑わし誘うような声で呼ばれる度に熱くなる身体は止まることを知らず、最後の最後ナカで出したことを薄っすらと覚えている。でも、嫌われることより、どうしようもないほどの幸福感に包まれた。
 純潔の血を見た時はもっと──でも。

 

「ちぃは……違った」

 

 振り絞った声に両親の視線を感じるが、顔を伏せたまま両手を握り締める。
 小刻みに震える手は冷たい。すべてを満たしてくれる彼女(ぬくもり)を捕まえたはずなのに、するりと脱(ぬ)け出してしまった。
 慌てて伸ばした手が届き、安堵したのも束の間。振り向いた彼女は物悲しそうに言った。


『ずっと一緒だったからこそ離れなきゃわからないことがあると思う……少なくとも今の私は春ちゃんと同じ気持ちじゃないし、離れたい……ごめんね』


 そう、ゆっくりと手を解いた彼女は飛び立ってしまった。
 虚無だけが広がる世界をただ見上げる俺の上を。

 

「つまり、棄て(フ)られたわけね」
「ぐふっ!」
「ふ、冬花。そんなハッキリ言ったら可哀想だよ……」
「可哀想って言う方が酷いわよ。あたしから見ても千風ちゃん、春冬に恋してる感じなかったもん」
「まあ、どちらかと言うとオモチャ……あ、ごめん!」

 

 容赦ない攻撃にバタリと倒れる。
 確かに子供の頃から投げ飛ばされ踏まれることが嬉しかった俺は、ちぃにとって良いストレス発散(オモチャ)だっただろう。理不尽な暴力はなかったにしても、機嫌が悪い時は自ら身を捧げたし、殴る宣言しておきながら股間に蹴りが入った時は最高だった。
 思い出すだけでも頬が緩んでいると、母さんが呆れたような溜め息をつく。

 

「離れても生きていけそうね」
「無理……あとから寂しさが込み上げてきて、何度会いに行こうとしたか……」
「会いに行くって……春冬くん、新居の住所知らないよね?」
「昨日の内に特定した」

 

 母さんすら絶句といった顔をしたが、気にせず転がる。
 『離れなきゃわからないことがある』。そう言われ、離れ、考え続けて二日。まだ二日。されど二日。間違ったことを犯したと思っても後悔はしてないし気持ちも変わらない。むしろ募るばかりで胸が苦しくなる。

 

「突撃しなかっただけ褒めてあげるわ……ともかくアンタの気持ちはわかった。じゃあ、もう一人は?」

 

 大きな息を吐いた母さんに、ピタリと動きを止める。
 視線だけ上げると、外した眼鏡を拭く母さんの代わりに父さんが続けた。

 

「昔から口を開けば『ちぃ』だった春くんはわかるけど、もう一人……冬くんはどうなんだい? 彼はそこまでお嬢さんに執着してなかっただろ?」

 

 躊躇う父さんに次いで、眼鏡を掛け直した母さんも見下ろす。
 その顔が冴えないのは雅と同じように“俺”と“冬”を別で考えているからだ。一人ではない、もう一人の息子だと言ってくれた親の愛。でも今は嬉しさよりも罪悪感に瞼を閉じた。

 

「残念ながら……同じです」

 

 呟きを零すと、身体をゆっくりと起こす。
 目に掛かる前髪が二人を隠しているのを良いことに、視線を落としたまま口を開いた。

 

「春はちぃを……“僕”はふぅを抱きました」

 

 自白に息を呑む気配がしたが、僕も後悔していない。
 同じはずなのに、弱いところも気持ち良いところも違う、もう一人のナカで果てたこと。何より嫌がる彼女を征服した時の愉悦感に前髪を掻き上げると微笑んだ。

 

「淫れるのが可愛くて可愛くて、苛めれば苛めるほどゾクゾクして、もっと啼かせたくなる……その気持ちは春と同じ“好き”だからだと思います」
「どうしよう……春くんより生々しいことを悪気もない笑顔で言ったよ」
「なんであのドMからこんなドSが生まれたのかしら」

 

 また絶句している両親に小首を傾げるが、一番驚いているのは僕自身だ。
 自分は違う。そう思っていたはずなのに、いつの間にか芽生えていた気持ち。それが春と同じ“愛”からくるものかはわからない。でも、認めざるを得ない。僕も千風という幼馴染ではない“女”に執着していると。

 

(冬……)

 

 思考が読めている春は面を食らったような顔をする。
 それが面白い反面、少し癪な気がして満面笑顔で言った。

 

「ま、僕は離れてても別に寂しくありませんけどね」
(裏切り者ーーーーーーっっ!!!)

 

 脳内に響く大絶叫に構わず、冷えたカップを手に取る。
 察したように互いを見合った両親は一息吐き、立ち上がった父さんが母さんのカップと一緒に空になった僕のも持って台所へ向かう。その背を目で追っていると頭を叩かれた。
 ちぃではないため“俺”は瞬きしながら母さんを見るが、見据える目は鋭い。

 

「揃って好きって言うなら今以上に護れとしか言えないし、デキたなら責任持てしか言わない。ただし、無理やりしたことは反省なさい。それで手に入るなんて思ったら大間違いなんだからね」

 

 心を見透かされたような叱責に、一瞬ドキリとする。
 冷静になった今では最低だと、嫌われる行為だと理解している。それでも唇を噛みしめると小さく頷いた。

 

「うん……頑張って、俺のモノにすだだだだ!」
「全っ然反省してないわね! もうフられたんだから諦めなさいっ!! しつこいヤツは本気で嫌われるわよ!!?」

 

 突然背後から腕を回した母さんに技をかけられるが、必死に抵抗しながら反論した。

 

「飛び蹴りもバックドロップもしてくれたから嫌われてないっ! それに『今はまだ』ってことは可能性あるっ!! 諦めるもんかっ!!!」
「こんのっ、ポジティブドMっ!」

 

 抑込や絞など、様々な技をかけられ悲鳴を上げる。
 すると落ち着いたのか諦めたのか、熱々の湯気が出ているカップと出張の土産菓子を持った父さんがいつもの緩い笑顔でやってきた。

 

「離れて変わる想いもあるだろうしね。冬花さんとの遠距離を思い出すなー」
「思い出さなくて言いわよ! ていうか、春冬。アンタどこでセックス覚えたの!? 春樹くんっ!!?」
「そうそうっ、父さんの部屋で怪しい本を見つけてさー!」
「待って待って春冬くん、なんの話してるの!? お父さんとお母さんに離婚危機を招いても楽しいことないよ!!?」
「は~る~き~く~んっ!」

 

 突然の話題転換に母さんは父さんに標的を替える。
 新鮮な空気に喜ぶ俺とは反対に二人の顔は真っ青と真っ赤だが、ケンカというより仲が良いのを見せつけられているような感じだ。

 

 父さんの方が十以上も年上なのに母さんに叱られて謝って、でも最後は父さんが綺麗に丸め込んで終わる。息子(おれ)の話も最後まで聞いてくれるし、説教も、進むべき道も教えてくれる自慢の親。
 当然そんなこと面と向かっては言えないと、冬と二人笑いながら窓に目を移す。

 

 カーテンに覆われ、外は見えない。
 それでも僅かな隙間から見える夜空に早く朝になってほしいと願った。制服を着れば、ハヤテ号に跨れば、学校に行けば会える。
 たとえ嫌われる結果になっていたとしても俺の、俺達の気持ちは変わらないと伝えたい。

 

 だから、早く。

 


 

 

 


 願わなくとも、当たり前のように朝は訪れた。
 雲もない澄みきった空と一緒に、千風は欠席という現実付きで。

 

 幸い離婚というスキャンダルは広まっていなかったが、千風のことならすべて知ってます、千風セ○ムです、千風と離れるのは手洗いと選択授業です、千風が休めば俺も休みます。
 そんな式が半年で成り立っていたのか、担任やクラスメイト、雅すら欠席理由を知らない俺に驚き、心配の眼差しを向けた。うわの空のまま放課後を迎えた時には机にお菓子が積まれていたほど。

 眺めていた空は徐々に明け方に見た色に変わり、お菓子を鞄に入れると教室を後にする。
 

 部活や放課後の楽しいお喋りを聞き流しながら昇降口で靴を履き替えると、駐輪場へと足を向けた。どこまでも伸びる影はひとつだけ。その上を一羽二羽と通り過ぎる鳥の影に顔を上げた。

 

「なんだよお前ら……」

 

 片手で夕日を遮りながら、真上を飛ぶ鳩を睨む。
 鳩女と称されるほど千風は子供の頃から鳩に懐かれている。千風が外に出れば下りてくるし、動けば後ろをついて来る。俺のポジションを奪う最悪な敵だ。

 

(その敵もたまには良いことするんじゃないんですか?)
「ないない。邪魔してるだけだって」
(我が物顔の女王様を護るため?)
「冬、何いって……!」

 

 今日はじめて喋った相方に顔を顰めると、指す先に目を瞠る。
 迎えも電車通学も不要になった俺が乗ってきたマウンテンバイクに座るのは、頭にも肩にも鳩を乗せた不機嫌そうな幼馴染。降りる彼女に鳩も飛び立つと、私服のスカートを両手で叩きはじめた。

 

「日直でもないのに、なんで遅いんですか。もう帰ろうかと思いましたよ」
「ちぃ……こそ、学校休んでどうしたの……?」

 

 声と身体が震える。動悸が速くなる。ざわりと吹く風は冷たいのに、頬以上に熱いものが目尻に溜まる。そんな俺に気付いてないちぃはバツが悪そうに口を尖らせた。

「いろいろ手続きがあったんです。それで学校にも寄ったら、先生どころか学校中の人に春ちゃんの元気がないって言われて……様子がてらアイスをおごってもっ!?」

 

 飛び出した俺に、地面にいた鳩が一斉に飛ぶ。
 邪魔くさい羽音も翼も今は関係ないように小さな身体を抱きしめると、今までとは違う家の匂いが香る。でも心地良さは変わらず、激しかった動悸が別の音を鳴らすと囁いた。

 

「ちぃ……やっぱり好き……大好き」

 

 消すことの出来ない想いと共に頬に口付ける。
 けれど、一息吐いた彼女は足をつま先で踏んだ。

 

「残念、私は特に変わってないです」
「うん、いいよ……ずっと耳元で囁くから」
「ヤダ、怖い、変態、ドMS、春パカ冬ッチョン」
「あはは、何それ。冬が替われって怒……あふっ!」

 

 膝で股間を蹴られ、痛みと悦びにうずくまる。
 だが、上着ポケットに入っていたマウンテンバイクの鍵を奪ったちぃに慌てて腰を上げると、走り出す背中を追い駆けた。

 

 向かい風が涙を飛ばし、鮮やかな夕焼けが笑う彼女を濃く魅せる。
 小さい頃からずっと見てきた、恋愛感情はない幼馴染としての笑顔。それがいつか自分だけに向けられることを願い、護り続けることを誓った。

 

 幼馴染ではない────男として。

/ 本編 /

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