あったかミルフィーのお宿
二夜目
大人と子供
時刻は朝の六時を過ぎる。
少しずつ昇る太陽に、ジャヌウブ島も暑さを増すが、港にある市場は既に熱気で溢れていた。テント下や小船の上では新鮮な魚や肉、フルーツや輸入品までもが並び、地元民の買いつけの場となっている。
宿を経営するヒト族ロウェットと、シロネコ族ミルフィーもその一員。
常連である店では庭に咲いた薔薇と品を交換したり安くしてもらったおかげか、二人の両手も大きな紙袋で塞がっていた。白い三角耳と長い尻尾が嬉しそうに動く。
「無事に生地が買えて良かったですね。これでテーブルクロスとランナー作って……」
紙袋から突き出ていた布生地を見るミルフィーに、隣を歩くロウェットは頷くだけ。
そんないつものやり取りを繰り返しながら街道沿いを歩いていると、ピタリとロウェットの足が止まった。同じようにミルフィーも足を止めると、少し壁が傷んだ街角に視線が向けられているのに気付く。
「はい、待ってますね」
理解した笑顔を向けるミルフィーの頭を撫でたロウェットは足早にたばこ屋へ向かう。
背中を見送ったミルフィーもまた、人や馬車の邪魔にならないよう影のある隅に寄ると、建物と建物の間、子猫が通れそうな隙間を見つけた。背中をあてると吹き通ってくる風がとても気持ち良い。目を閉じ、耳をピンっと立てれば海のさざ波も聞こえた。
「なんだか眠くなって……ん?」
『~~~け!』
波とは違う、フンフンと鼻を鳴らしながら駆けてくる音と声にミルフィーは目を開く。しかし、辺りを見渡しても慌てているモノは見当たらない。なのに確実に近付いてくる音に戸惑っていると、ふと振り向いた隙間から勢いよく何かが飛び出してきた。
「どけ~! オレ様のお通りだ~~!」
「ふんみゃああああああ~~~~っ!」
現れたのは黄色のリュックを背負った体長十数センチしかない薄茶色の丸い物体。だが、無数の針を立てたハリネズミだったせいか、ぶつかったミルフィーの悲鳴と白い煙が上がった。
「ミル!?」
たばこ屋から出てきたロウェットもさすがに大きく目を開き駆け寄る。
地面には食材の他に見慣れた服が散らばり、シロネコに姿を変えたミルフィーが目を回したまま埋まっていた。持っていた紙袋を下ろしたロウェットは彼女を抱き上げるが、白い毛に目立つ赤い血に目を細める。その眼差しは、ガサガサと紙袋の中でうごめく生き物に向けられた。
* * *
丘の上にひっそりと建つ『あったかミルフィーのお宿』。
ダイニングキッチンになっている食堂は、エアコン効果で涼しい。その風が観葉植物の葉を揺らすが、カウンターテーブルに敷かれた直径三十センチほどの赤いクッションに座る客は不機嫌そうだ。
「オレ様の通り道を塞いでた方が悪いんだろ」
「それについては謝罪しますが、普通ハリネズミさんが飛んでくるとは思いませんよ」
「ハリネズミじゃなくて、ハリハリコーポレーションの息子、ウガンガ“様”だ!」
ヤギミルクが入った小皿を置いたミルフィーに、子ハリネズミのウガンガは半分に割られたゆで卵を勢いよくかじる。困った様子のミルフィーに、キッチン側に座るロウェットは新聞をめくった。
「東国の……手芸用品を扱う大手会社のことだ。今朝買っただろ」
「え? あ、テーブルクロスさん?」
指摘に、買ったばかりの布生地を取り出したミルフィーはタグにハリネズミに似た会社ロゴを見つける。それと同じロゴがついた黄色のリュックをウガンガは誇らしく見せた。
「もっとも……いまだミルに謝罪しないのを考えると……マナーがなってない家なんだろ」
「なっ、マナーがなってないのはそっちだろ! オレ様は客だぞ!」
「勝手に人の荷物に侵入し爆睡したヤツを……客とは言わない」
新聞を見ながら話すロウェットの口はいつもより乱暴だ。
それというのも、ミルフィーとウガンガがぶつかったのは朝の六時過ぎ。今はもう夜の八時。薄暗いのを好むハリネズミの習性からか、ミルフィーが落とした紙袋にウガンガが入り込んだまま寝てしまったからだ。
しかし、夜行性でもあるのを知っていたミルフィーは、シューシューと威嚇のような音を鳴らすウガンガに訊ねた。
「いったい朝からどこへ行こうとしてたんですか?」
「冒険だ!」
お日様のような笑顔とは反対に、食堂の温度が下がった気がする。エアコンの冷風とは違う何かが。
しかし、ウガンガは興奮したように話を続けた。
「島には家族旅行できて明日帰るんだけどさ、やっぱこう知らない土地は冒険したくなるだろ!?」
「まあ、それが旅行の楽しいところですからね」
「だろだろ? しかも朝昼晩で見える景色が百八十度違うんだぜ。それ全部写真に撮って見せたら、父ちゃん達も学校の連中も羨ましがるだろうなあ」
器用に二本足で立ったウガンガは頬を赤く染め、大きく頷く。だが、ロウェットは呆れたような息をついた。
「自慢など……誰が聞きたいものか」
「なにおう!?」
「そもそも……自分が旅行を台無しにしていること、わかっているのか?」
冷たい主の声にミルフィーはあたふたするが、無数の針を立てていたウガンガが大きく目を開いていることに気付く。ロウェットは新聞を畳んだ。
「一人旅ならいい……だが、家族ときておきながら一人で冒険……しかも写真を父親達に見せたいということは……お前、家族に言わず出てきただろ?」
やっと小さな客と合わさった紫の瞳は針のように鋭い。
その瞳と気迫に負けてしまったのか、ウガンガは力なく頷くだけだった。ため息をついたロウェットは今朝買った刻みたばこを丸めると、煙管の先についた火皿に入れる。
「これがもしミルとぶつかっていなければ……お前は道路に転げ落ちて、最悪馬車に轢かれていたかもしれない」
「っ!」
「それか……ミルが入院などをした場合、お前は犯罪者になる……ミルの傷とお前の針を照合すれば証拠になるからな」
「マ、マスター!」
「本当のことだ……死亡事故ともなれば未成年として自身は法に守られるだろうが……親が責を負うのに代わりはない。会社経営などできなくなるほど……世間は叩くだろうな」
重くのしかかる言葉にウガンガの体は震え、ふと横を見れば両手に包帯を巻いたミルフィーがいる。立ち上がったロウェットは庭へ続く扉を開き、煙管に火をつけた。
エアコンの風とは違う自然の風に乗ってくる匂いは線香に似ている。海のさざ波に混ざって、ロウェットの声も届いた。
「どちらにせよ……親を悲しませる結果を自分が招いていることを自覚しろ。それがわからなければ、お前はずっと子供のままだ」
「マスター……」
声を落としたミルフィーは、顔を伏せたウガンガからロウェットに視線を移す。
吸い終わった灰を外の灰皿に落とした彼は扉を閉め、玄関に足を進めた。ミルフィーとすれ違う間際、大きな手が彼女の頭に乗る。
「少し出てくる……そいつを見ておけ」
「は、はい。お気をつけて」
見送りの声に返事はなかったが、小さく頷いたのがわかった。
しばらくして開閉される玄関の音が響き渡ると、食堂に静寂が包む。半分残されたヤギミルクとゆで卵の皿をキッチンに運んだミルフィーは蛇口を捻り、水を出した。目先にはクッションに体を丸めているウガンガがいるが、針は立っていない。
「マスターは別に意地悪で言ったわけじゃないですよ」
洗い物の音を立てながら届く声は優しい。
その声にウガンガが視線を上げると、同じ三角耳を動かすミルフィーは水を止めた。
「ただ『出かける時はどこに行って何時頃に帰ってきますのメモを残すこと』。あと『道に出る時は立ち止まって左右の安全を確認しましょう』と注意しただけです」
「そんな軽いノリだったか!?」
「でも、効果はあったでしょ?」
くすくす笑いながらキッチンから出てきたミルフィーに、ウガンガは口を閉ざす。
先ほどの彼女のような注意の仕方では『はいはい』と終わるだけだろう。だが、ロウェットのように具体的に言われ想像してしまっては背筋が凍る思いだ。
ウガンガの体がまた震えはじめていると、新しいヤギミルクと半分に割られたゆで卵が差し出された。繰り抜かれた黄身の代わりには大好物の虫、ミルワームが乗っている。
「マスターが大きなムチを打ったので、わたしはアメです」
ふふっと笑うミルフィーに戸惑った様子のウガンガだったが、顔を伏せた口からは『ありがとう』の声。ぶっきらぼうに聞こえても、嬉しそうに頷いたミルフィーは水通しした布生地を別のテーブルに広げた。
「ウガンガ様は手芸屋さんの方だそうですが、作ったりはするんですか?」
「あ、当たり前だろ! 得意中の得意だぜ。このリュックだってオレ様が作ったんだからな」
ゆで卵を食べていたウガンガは、また黄色のリュックを誇らしく見せる。だが、じーと見つめるミルフィーに顔が真っ赤になった。
「やっぱ……変か」
「え、綺麗に縫われてますけど、どこかダメなんですか?」
リュックを手に取ったミルフィーは首を傾げる。それが違う意味だとわかったウガンガは、慌てるように返した。
「縫い目のことじゃなくて男が裁縫してることだよ!」
「ダメなんですか?」
「ダメって……いうか……クラスの連中には笑われるし……」
「なんだか可愛いですね」
「うぐっ!」
ミルフィーにまで笑われ恥ずかしさが増したのか、ウガンガはクッションに顔を埋めてしまった。
「子供らしいお悩みで」
「え?」
意外な回答だったのか、顔を上げたウガンガは瞬きする。
その隣にリュックを置いたミルフィーはテーブルと布生地のサイズを測りはじめた。
「大人になればお料理やお裁縫をお仕事にしている男性は数多くいるじゃないですか。マスターとか」
「完璧超人かよ!」
ドンッと、悔しがるようにテーブルを叩く音にミルフィーはまた首を傾げそうになるが、構わず布生地にハサミを入れた。
「ウガンガ様も好きでお裁縫をされているんでしょ?」
「お、おう。作るの好きだし、父ちゃんの会社継ぎたいって……夢なんだ」
クッションに埋めていた顔を上げた彼は照れくさそうに言った。
その口元が緩んでいるのを見たミルフィーは余った布生地を片付けると、別の棚からアイロンを取り出し、コンセントをさす。そして微笑んだ。
「でしたら何を言われても諦めないでください。誰かに言われて諦めることができるならそれは夢ではありません」
「っ!」
ハッキリとした声とルビーのように赤い瞳。
それは真っ直ぐとウガンガに向けられ、彼の目は大きく見開かれた。裁断した布生地に目を移したミルフィーは四隅を折る。
「大人になると予想より遥かに高い社会という壁と、子供の時に浴びた悪口以上のものが待っています。そして、その壁に負けて夢と言う名の努力を諦めてしまう……平凡な生活が楽だと知ります」
少し寂しそうに言いながら布生地の下に分厚い台を置いたミルフィーは、温まったアイロンをかける。
「それが幸せなら何も問題はないでしょう。でも、ふと幼心に抱いていた夢を、諦めてしまった夢を思い出した時とても苦い気持ちになるんです」
折り目がついたのを確かめる彼女の瞳はどこか揺れている。
だが、アイロンを止め、呆然と見ていたウガンガに目を合わせた時にはいつもの笑顔だった。
「その気持ちを味合わせたくないからこそ、知らない子であっても悪いことは悪いと教え、背中を押します。それが先に生を受けた大人(わたし)達の仕事ですから、子供(あなた)達にはそのアメとムチを受け取って進んでもらいたいです」
自分達を正してくれるのは親や学校の先生だけではない。
それは大人も一緒で、知らない誰かから叱られ励まされることは決して悪いことではない。むしろ子供から学ぶことも多いだろう。
その一人に互いがなっていることをウガンガが気付いているかはわからない。だが体は震え、目からは涙が零れている。それをミルフィーに見られないよう毛で拭いたウガンガは大きく両手を上げた。
「よーーっし! 誰がなんと言おうともオレ様は社長になるぞ! でもって、アイツをギャフンって言わせてやる!」
意気込んだような宣言に、ミルフィー拍手が送られる。ちなみに“アイツ”とはロウェットのことだ。
そこでふと気付いたようにウガンガは訊ねる。
「お前さ、そのテーブルクロス、ミシンで縫うのか?」
「いえ、ないので手縫いです」
「そっか……なら手伝ってやるよ」
「え?」
目を丸くしたミルフィーに構わず、ゆで卵とヤギミルクを完食したウガンガは黄色のリュックを開くと黒い箱を取り出す。中には糸切りハサミや縫い糸などが入ったソーイングセット。また恥ずかしそうに顔を逸らす彼とは反対に、ミルフィーは目を輝かせた。
「うわーうわー、生で技を見れるんですね! あ、でもお客様に……」
「客じゃねーらしいからいいんだよ。まあ、オレ様としては礼と……詫びもかねて……な」
モジモジと照れくさそうに言う彼にミルフィーはわからないといった顔。その様子に意を決したようにウガンガは目を合わせた。
「う、美味い飯を……ありがとう……あ、あと……ケガさせて……わ、悪かったな」
顔を真っ赤にさせた彼の視線は包帯を巻いたミルフィーの手にある。それに気付いた彼女は今日一番の笑顔を見せ、針の痛さも感じない彼に触れた。
* * *
「つーわけで、オレ様は絶対おめーを超える立派(ビック)な大人になってやるからな! 手始めに手のこんだテーブルランナーを贈ってやる!」
「……意味がわからん」
十時を回った宿の外には、一メートルほどの小型馬車が停まっている。
それを見下ろすロウェットを窓から顔を出したウガンガは睨み、向かいに座る両親がなだめるも、ウガンガは笑顔を向けた。
「本人にも宣言しとかないとダメなんだよ。なー、ミルフィー」
「はい!」
馬車の前で腰を下ろすミルフィーはウガンガと握手を交わすが、ロウェットとウガンガの両親は何がなんだがわからないといった様子だ。
ロウェットがウガンガの泊まるホテルを捜し当て、両親を連れ帰宅した時には既にこの親密度。素晴らしいスピードでテーブルクロスを縫っていた二人に驚き呆然としたものだが、途中で手伝わされることにもなった。
普段仕事で両親がいなかったのか、一緒に縫っている時のウガンガはとても楽しそうで、両親も怒る気をなくしたように始終笑顔であふれていた。
出発を伝える御者に、ウガンガとミルフィーは握手を解く。
「じゃあな、ミルフィー。その不良主人が嫌になったらいつでもオレ様んとここいよ」
「たばこの美味さがわかってから出直してこい……子供(ガキ)が」
「十八歳になるまでたばこはダメですよ。それより今度はぜひ泊りにきてくださいね」
煙管を回すロウェットに、針を立てたウガンガはシューシューと威嚇し、ミルフィーが割って入る。
同時に馬車が動き出すとロウェットがミルフィーを抱き寄せるが、構わず手を振る彼女にウガンガはどこか肩を落としたようにも見えた。それでも最後には笑顔で小さな手を振り返す。互いの姿が見えなくなるまで。
静まり返った丘に、ロウェットの呟きが響く。
「俺がいない間……何があった」
「お客様からお友達になっただけですよ。マスターの超人伝説を話したら闘志を燃やされてました」
笑顔で話すミルフィーに、ロウェットはまた意味がわからないと首を傾げるが、冷たい風に宿へ入ってから聞こうと足を進めた。いくつもの灯りが光る街の夜景を見ていたミルフィーも、その背中と匂いを追うように走る。
主人がいない間にできた友達のことを、少しだけ大人になった彼のことを語るために。
それから数週間後。宣言通り、ウガンガからテーブルランナーが送られてきた。
白いレースで編まれたハリネズミとシロネコにロウェットは半分呆れた様子だが、ミルフィーは同封されていたジャヌウブの景色。そして、自身の知らない街並みの写真を嬉しそうに見ると、彼と作ったテーブルクロスと一緒に飾ろうと走りだした。
ここは『あったかミルフィーのお宿』。
シロネコ族の少女とヒト族の主人が営む宿は、出会ったお客様の気持ちと一緒に今日もまた新しいお客様を迎える。
さて、次のお客様は――――。