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スケッチ掲示板

一夜目

恋人
青猫のシルエット
 温かな太陽と風を受け、何隻もの船が港に到着する。それらは個人が所有するクルーズ船もあれば、大型客船もあった。

 
 ここは小さな諸島が集まった島のひとつ。ジャヌウブ島。

 年中定まった気候と白い砂浜、透明な海、青々と茂った木々。
 自然と交ざり合うように造られた古風な建物が多く、坂道も多い石畳の路は馬車が行き交う。自然とノスタルジックな景色で有名リゾート地にもなった島には、今日も大きなスーツケースや荷物を持った人々が楽しそうに下船する。中には人間ではないモノもいるが、止めるモノもまたいなかった。

 快晴だった青空はいつしか夕暮れへと変わり、海に反射した光が色鮮やかなグラデーションを魅せる。はじめて訪れたモノは美しい光景に甘い溜め息を漏らしながら、玄関ランプが灯る宿へと足を進めた。旅の疲れを癒すため、知らぬ食を味合うため、明日の予定を立てるため、様々な理由で腰を下ろす。

 それは街外れの丘にある一軒も同じ。

 木々と花々に囲まれた白の煉瓦造りの洋館はどこか色褪せ、壁には蔓草が伸びている。だが、夜空から降り注ぐ月と星々も合わさると、不思議と幻想的にも見えた。

 玄関を飾る薔薇のアーチに括り付けられているのは木の看板。
 尻尾でハートを作った白猫の雛型と、大きなピンクの肉球には白文字で『あったかミルフィーのお宿』と書かれ、下には別の看板に書かれた『OPEN─一見(はじめて)様専用─』の文字。

 訪れたモノは一瞬迷いながらもアーチを通り、玄関ランプが照らす両扉を開いた――。


「いらっしゃいませ。ようこそ『あったかミルフィーのお宿』へ」


 

 出迎えたのは、一五十ちょっとしかない幼い少女。
 天井から吊り下げられたランタンの明かりで輝くのは白銀のショートボブの髪。薄紅の長袖マキ丈ワンピースに、首元には濃紺の太いリボン。フリルとレースが付いた白のエプロンドレスと靴下にパンプス。真ん丸な瞳はルビーのような光を見せる真紅。

 だが、頭には白のふさふさな三角耳がピクピク動き、スカートの後ろからは耳と同じ長く真っ白な尻尾がふりふり動いている。 
 愛らしい笑顔を向ける彼女に、小さなお客様用の扉から訪れた客は仰天した。

「ぴええぇぇ~~っ! イーヴァン、ネコ族よっ!! 食われる~~っ!!!」
「お、落ち着け、アネット! 猫耳付けたヒト族かもしれないだろ!?」
「はい、シロネコ族のミルフィーと申します。スズメ族二名様ですね。美味しそうです!」
「「ぎゃああーーっ 食われるーーーーっっ!!!」」

 絶叫と共に、片羽で持っていた数センチしかない旅行鞄が落ちると、二羽は天井をバタバタ飛ぶ。
 客の全長は十ニ、三センチ。頭と翼は赤茶、お腹回りは白、嘴は黒のスズメ。二羽にとって、少女ミルフィーは敵とも言えるせいか、混乱したように飛び回る。だが、小さな丸眼鏡に赤の蝶ネクタイ、青のリュックを背負った一羽が壁に激突した。

「イ、イーヴァン!」
「ア、アネット……ごめんよ……僕がちゃんと宿を手配していれば……キミをこんなところには」

 

 オスのイーヴァンの墜落に、慌てて下りてきたメスのアネットは彼の片羽を握る。イーヴァンと同じ赤のリボンを頭と首元に巻いたアネットの睫は下がるが、大きく嘴を開いた。

「いいえ! きっと私がネット決済のボタンをちゃんと押してなかったのよ!! なのにアナタを責めてケンカして……私、バカだわ」
「アネット……」

 大切な恋人の涙を優しく羽で拭ったイーヴァンは、そのまま包むように抱きしめる。そこに小さな拍手が贈られた。

「うわ~、素敵な愛ですね! わたしも涙が出てきちゃいました」

 

 薄っすら零れる涙を袖口で拭ったミルフィーに、ニ羽は抱き合ったまま睨みあげた。

「イーヴァンと一緒なら、ネコなんて怖くないわ! 食べるなら食べなさいよ!!」
「そうだ! たとえ食べられても、僕達は愛と共に離れることはない!!」
「食べる? 離れる? なんのお話ですか?」

 震えながらも豪語する二羽にミルフィーは首を傾げる。
 そんな彼女の後ろから静かにやってくる足音が聞こえると、低い声が響き渡った。

「ミルが言ってるのは……オス……お前が持ってる煮干を食いたいという意味だ」
「「え?」」
「あ、マスター!」

 背負っていたリュックからはみ出していた煮干を凝視する二羽とは反対に、ミルフィーは嬉しそうに振り向く。


 現れたのは一八十以上はある長身に、身体付きのいい男。ショートの濃茶の髪は前髪左部分だけ隠れ、紫の瞳がモノクル越しに見える。白の長袖シャツは前ボタンが殆ど開かれ、黒のベストとズボンに靴。手には煙管。

 ミルフィーのような耳も尻尾もないが、二羽にとっては巨大な怪物が現れたようなもので顔を青褪める。震える二羽を他所に、ミルフィーは紹介した。

「こちらは『あったかミルフィーのお宿』のオーナーで、私のマスターでもあるロウェットです」
「ミル……」
「あ、ヒト族で、ちょっと口下手なところもありますが、優しくて料理上手なんですよ」
「ミル……客が伸びてる」
「え?」

 煙管で指すロウェットにミルフィーも目を向けると、二羽のスズメは泡を吹いて気絶している。ため息を漏らすロウェットにミルフィーは笑うと、小さな小さなお客様達を両手でゆっくりとすくい上げた。


* * *

 


 スズメのアネットが目覚めた時には既に辺りは薄暗く、月が見える。
 その光とは別に自身が眠る花かごをアンティーク調のスタンドライトが照らしていた。事態を思い出したアネットは慌てるが、隣で安らかな寝息を立てるイーヴァンに安堵の息をつくとまた辺りを見渡した。

 家具やベッドがあるのを見るに客室のようだが、二羽は大きなベッドではなく、窓際に置かれた花かごの中。木で編まれたかごにはタオルとティッシュが敷かれ、小さな布が体に掛けられている。それはまるでお布団のようで、傍に置かれたスタンドライトから発せられる熱は温かい。

 定まった気候と言えど、夜になると気温も下がるジャヌウブ島。
 鳥族である二羽にとって寒さは大敵だが、手作りベッドとライトのおかげで寒さは感じなかった。むしろ心地良い。

「上手いことして、ぼったくる気かしら……」

 不満そうに呟いたアネットだったが、かごの後ろに置かれている物に気付く。
 下りてみると、小皿に雑穀や小松菜をカブの葉で包んだ食事と水。匂いを嗅ぐと無農薬の野菜だとわかる。そんな小皿を文鎮代わりに、置手紙が挟まれていた。嘴で引っ張ると『お客様へ』と綴られている。

『お手洗い、お風呂は鳥族様専用のが部屋にございます。必要な物、ご気分が優れないなどあれば、いつでも備え付けの電話1のボタンでお呼びください。朝食は階段を下りられた一階左手にある食堂で、五~九時の間で用意しています。お客様の旅のひとつの幸せになれますよう……。あったかミルフィーのお宿 より』

 小さい自分達に合わせてあるのだろう、数センチしかない紙でも丸っこい丁寧な字で書かれてある。そして宿名の後にある『追伸、お代金はお客様がお持ちの煮干と交換できれば嬉しいです』に、アネットは笑った。

「ふふふ、何よそれ。たかがイーヴァンが別島で買った土産を……」

 瞼を覆っていた片羽を離すと、カブの葉で包まれた物を食べる。
 自分達にとっては定番と言える食べ物ばかり。けれど手を加えているのか、知らない味だった。それは自分達がこの島に、違う土地を訪れた証拠でもあり、地元では味わえない味。旅に出てはじめて会える味。窓から見える景色はそれをいっそう実感させた。

 窓の外には数千の薔薇が咲いた庭と大海原。
 夜空の下を漂う海は吸い込まれそうなほど暗くて広い。だが、雲間から差し込む月明かりが水面と色鮮やかな薔薇を輝かせ、空も地上も星々が集う場所へと変わっていた。

 しばし景色を見つめていたアネットはベッドに戻ると、イーヴァンに寄り添うように瞼を閉じる。


* * *


 翌朝。卒倒した玄関に置かれた白のシューズボックスに乗るのは旅行鞄を持つスズメ達。お客様を見送るように白の猫耳と尻尾を揺らすミルフィーが立っているが、ロウェットは受付であろうスペースの椅子に座って、のん気に新聞を読んでいる。
 彼をチラ見しながら、イーヴァンはリュックから煮干を取り出した。

「本当にこれが代金でよろしいんですか?」
「はい。この宿のお支払いはお客様がお持ちの物。この島にない物をいただけるだけで充分です。しかも、ガルブ島の煮干!」
「ミル……」

 数匹の煮干を受け取ったミルフィーの瞳は輝き、耳と尻尾は明らかに興奮しているように前後左右に動いていた。新聞を置いたロウェットはため息を付きながら立ち上がると、彼女を抑えるように頭を撫でる。アネットは呆れた眼差しを向けていたが、改まったように頭を下げた。

「ネコ族ってだけで騒いでごめんなさい。夜食もありがとう」
「いえ、元はと言えば私が勘違いさせることを言ったのがいけないんです。実際ネコ族の中には食べる者もいますし……あ、私は食べませんよ! マスターのご飯が一番美味しいですからね!!」

 

 我に返ったようにミルフィーはロウェットの腕に抱きつき、イーヴァンも納得するように頷いた。

 

「確かに、マスターさんの料理とても美味しかったです。ミルワーム漬けとか、他の宿では見ませんよ」

 鳥族の主食は雑穀の他に虫類。
 特に生きた物を好むため、一般の宿では他の客の目もあるせいか滅多に出ない。他に客がいなかったとはいえ、堂々と朝食の席に出た時は二羽も驚いたものだ。

「マスターはお客様の種族に合わせた料理を作る凄腕さんですからね」
「そうね。アナタも害はないみたいだし、料理だけでもまた来たくなっちゃうわ」
「はい! 一見様専用のお宿ではありますが、日によっては昼のランチをしている時もあるので、ぜひまたお越しください。その時はわたしももっとたくさんの虫を捕りますから!」
「「え?」」

 笑顔のミルフィーの言葉にイーヴァンとアネットは目を瞠る。しばしの間を置くと恐る恐る訊ねた。

「えっと……あの虫は、ミルフィーさんが捕られたのですか? 買った、ではなく?」
「ウチは自給自足ですから、家庭菜園もしているんです。なので、そこから発生したものを……あ、無農薬なので安心してください。それに、元の姿に戻れば簡単に捕れますから!」
「も、元の姿……?」

 ゴクリと喉を鳴らす二羽に、ミルフィーは嬉しそうに耳と尻尾を揺らすだけ。そんな彼女の耳元にロウェットが口を寄せると、息を吹きかけた。

「ふんみゃっ!?」

 短い悲鳴と同時に白い煙が立ち昇る。
 シューズボックスから見下ろす二羽の先には床に散らばる服や靴。それらを身に着けていたはずの人物はおらず、代わりに体長三十センチの真っ白な生き物がいた。足は四本、長い髭が数本。けれどさっきまで見ていた三角耳と長い尻尾。何より真ん丸なルビーの瞳は変わらない――シロネコ。

『ふんみゃ! みゃみゃ、みゃ!!』

 さっきまで聞こえていたはずの言葉は突然聞こえなくなり、シロネコは半分怒り、半分泣くようにロウェットのズボンを引っかく。気に留めない様子でロウェットは二羽を見た。

「ネコ族は……ヒト型になれるものと、なれないものがいてな……ミルは前者なんだが、刺激を与えすぎると戻ってしまうんだ」
「「そ、そうですか……」」
「ちなみに……」

 点目の二羽は頷くことしかできない。そんな二羽の前に、ロウェットは抱き上げたネコミルフィーを近付ける。少なからず、ルビーの瞳はランランに輝いているようにも見え、二羽はゴクリと喉を鳴らした。片方しか見えないロウェットの紫の瞳がモノクルと共に光る。

「元の姿に戻ると……野生的本能も目覚める」
『ふんみゃああああーーーーっっ!!!』
「「ぎゃああーーっ食われるーーーーっっ!!!」」

 大喜びで跳びついたネコミルフィーに、二羽はまた卒倒するようにシューズボックスから墜落。床に落ちるギリギリでロウェットが片手でキャッチすると、暴れるネコミルフィーの尻尾を掴んだ。

『ふんみゃああああああっ!』

 また悲鳴と共に白い煙が立ち昇るが、ヒトの影が見える。
 煙が晴れると白銀の髪に、ルビーの瞳。真っ白な耳と尻尾を持つヒトミルフィーが、肌が見える身体を服で隠していた。その表情はどこか呆れていて、耳は下がっている。

「マスター、お客さんを怖がらせちゃダメじゃないですか」
「嬉しいことも危険なことも……旅の醍醐味さ。礼の菓子は作る」

 大きな片手に簡単に収まる二羽のスズメに、ロウェットはティッシュを掛けるとミルフィーの頭を撫でる。だが、その頬は膨らんでいるようにも見えた。苦笑を漏らしながら空いた手で彼女を抱きしめたロウェットは、銀色の髪に口付けを落とす。

「ちゃんとミルの分も作ってやる……甘い木苺を乗せたケーキを」
「本当ですか!?」

 さっきまで膨らんでいた頬は消え、満面の笑みになったミルフィーにロウェットは小さな笑みを浮かべ頷く。それが嬉しかったのか、ミルフィーは勢いよく抱きついた。

「嬉しい! マスター大好きです!!」
「そのためにはまず……朝の仕事と……このお客人を最後までもてなすことだな。任せたぞ」
「はい! お任せください!!」

 元気な声を返したミルフィーは服を着直すと、ロウェットから目を回すお客様を引き受ける。
 小さな両手で運ぶ先は日当たりが良く、心地良い風が吹くとっておきの場所。目覚めたお客様は果たしてその景色を楽しんでくれるかはまだわからない。

 丘の上に建つ静かな洋館には、シロネコ族の少女とヒト族の主人が営む宿がある。そこはシロネコが飛び出してくるかもしれないし、ちょっと気まぐれな主人のお遊びがはじまるかもしれない不思議な宿。

 けれど、一度ドアが開けば種族など関係ない、素敵な笑顔と美味しい料理が待っているだろう。それはとてもとても小さいが、温かな何かを残してくれるかもしれない宿。

 ここは『あったかミルフィーのお宿』。

 さて、次のお客様は――――。

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