あったかミルフィーのお宿
三夜目
お父さんと娘
眩しかった太陽は真っ赤な夕日へと変わる。
海と空も同じ色に染まると今日を終えるモノ、はじめるモノ。様々な時間を過ごすモノ達が街道を行き交う。そんな中、何かをくわえたまま屋根を走るモノ。
真っ白な毛色に三角耳。長い尻尾を揺らしながら四本脚で駆けるのはシロネコミルフィー。
口にはヒト型時に着ている服をくわえ、慌てて屋根と屋根を飛び越えた。
(ふんみゃ~、猫会議が長引いてしまいました~!)
月に何度か開催される猫会議。
ジャヌウブに住むネコ族のメスが集まり近況を語る、会議という名の女子会にミルフィーも参加していたのだ。互いに主人をもつモノ、気まぐれなモノ様々だが、楽しいおしゃべりは時間を忘れさせるらしい。
宿の癖で部屋の掃除をしていると時間を問われ、とっくに帰宅時間が迫っていた時はシロネコに戻るほど驚いたのだ。マスターであるロウェットが怒ることは滅多にないが、仕事に遅れるわけにはいかず人目も気にせず走る。
屋根から飛び降り、積み重なった木箱へ着地すると海沿いへと出た。
海風にあおられながら続くのは上り坂。そこから宿までは一直線で、道のりに建物はひとつもない。海岸に降りられるわけでもないため人もまばらだが、沈む夕日と空と海を独り占めできるほどの絶景があった。が、今のミルフィーに景色を見る余裕はなく、ひたすらに坂を上る。
(んみゃ~、服が重いよ~)
上り坂はネコ型がいいだろうが、服の重さを考えるとヒト型の効率が良い。しかし、驚く以外戻る方法はなく、心の中で涙を流すしかなかった。すると、斜めった堤防に立つモノに目が止まる。
身長は二メートルほどあり、ガッチリとした体型。黄褐色の毛に三角耳。尻尾の先端には房状になった毛束。鋭い目は獲物を狙うかのように細く、風でなびく鬣(たてがみ_)は夕日でいっそうに輝いてみえる。
堂々と二本足で立ち、腕を組む姿こそ王者の風格を漂わせるのは――ライオン。
なのだが、グレイのスーツを着たお腹は少しぽっこり出ていて背中はとても丸い。
同じネコ科のせいか妙な親近感がわいたミルフィーはしばし観察していると、スーツの上着を脱いだライオンは後ろに下がり大きく息を吐いた。先ほど以上の鋭い目を向けた相手は岩に波をぶつけ、水しぶきを上げる海。
ミルフィーが嫌な憶測をしていると、ライオンは呻き声を上げながら海に向かって駆け出した。
『ふんみゃああああああ(死んじゃダメです)~~~~っ!』
「うわああああぁぁーーーーっ! 」
鬼の形相で跳びついたネコミルフィーに、ライオンの方が悲鳴を上げ、その声量と形相に驚いたミルフィーもまた悲鳴と白い煙を上げた。
* * *
「本当に申し訳ありませんでした!」
いつもの服を着て深々と頭を下げるミルフィー。
耳までへにゃんと曲がっている様子に、食堂の椅子に腰を掛けたモノは笑った。
「あっははは、元はと言えば私が勘違いさせるようなことをしたのが悪いんだ。お嬢ちゃんが気に病むことじゃない」
「ですが……」
「それに、岩陰に落ちたこいつをお嬢ちゃんが拾いに行ってくれたおかげで助かった。体がデカい私じゃ探せなかったかもしれないからな」
大きな肉球よりも一回り小さなヌイグルミがついたストラップ。
年月を感じるように黒くなっているが、彼に似ていて手作りだとわかる。顔を上げたミルフィーに、目先に座るライオンは優しげに微笑んだ。
「どうもありがとう」
「エジョン様……」
それだけで胸がいっぱいになったミルフィーは、また感謝を伝えるように頭を下げる。カップを手に取ったエジョンはまた豪勢に笑った。
その声をカウンター席で聞いていたロウェットが口を開く。
「ジャヌウブには……仕事で?」
「ああ、買い付けでね」
「ということは、バイヤーさんですか?」
ミルフィーの問いに頷きが返される。
バイヤーとは生産元を訪ね、売れる商品を見極め買いつけてくる仕入れ担当のこと。エジョンが務めるのは大手百貨店。食品から衣料まで多様のものを扱うため、国外のものも調査しにきたそうだ。
今もまたテーブルに敷かれたテーブルランナーを興味深そうに見ている。
「東国のハリハリコーポレーションのものだな。しかし、ハリネズミとシロネコデザインははじめて見る……」
「ご縁があっていただいた品なんです」
「ほう、特注品か。しかし、これはこれで……と、いかん。つい職業がら気になってしまった」
細めていた目を和らげたエジョンは参ったと苦笑混じりに頭をペチペチ叩く。
ライオン族はその見た目から怖いイメージがあるが、彼を見ているとそんなことはない。むしろ可愛いとミルフィーは笑う。
「職業病はなかなか治りませんよね。わたしも出先で掃除してましたもの」
「うむ、こればかりはな……しかし治さねば女房はまだしも娘が……」
大きなため息と一緒に顔を伏せたエジョンは、うなだれたように背中を丸めた。だが、暗い空気のようなものを感じる。既婚者だと知ったミルフィーとロウェットは一度顔を見合わせると彼に向き直した。
「そんなに娘さんは怒ってらっしゃるんですか?」
「いや……職業病というより、私自身を嫌っていると思うんだ」
「思う?」
「小学校高学年ぐらいまでは普通だったはずなんだけどね。今じゃ“おかえり”も言ってくれないよ」
「おいくつなんですか?」
「十四だ」
返答に、ミルフィーとロウェットはまた顔を見合わせ沈黙。数分後、ゆっくりと視線をエジョンに戻すと、ミルフィーが先に口を開いた。
「それはまた……」
「難しい時期の……お子さんで」
ロウェットも続いた言葉が予想外だったのか、エジョンは丸くした目をパチパチさせている。席を立ったロウェットはキッチンへと入り、水を入れたポットをお湯で沸かしはじめた。反対にミルフィーはエジョンと向かい合うように座るが、彼は戸惑っているようにも見える。
「えっと、二人だけ納得されると怖いんだが……なんなんだい?」
二人を交互で見るエジョンは本当に困っているようだ。膝に両手を乗せたミルフィーは『えっと』と、慎重に言葉を選ぶ。
「いわゆる反抗期というものだと思います。わたしの仲間にもお父さんに対して不満を持ったり、嫌いだと言う子がいて、だいたいが小学校高学年や中学生のころに感じたと聞きます」
「そういった理由で、母子だけで泊まりにきた客も……いなくはない」
口々に語られる内容にエジョンの口は開いたままだ。
コーヒー豆を挽く音に続き、お湯を注ぐ音が響くと、柔らかく苦味のある匂いが食堂を包む。我に返ったエジョンは慌てて前屈みになった。
「そ、それは私が何かをしたということなのか!? そんな覚えはまったくないぞ!」
先ほどまでの優しさなどない、迫力ある肉食獣の顔に攻められ、さすがのミルフィーも冷や汗を流す。だが、瞳の奥にある真剣な炎に喉を鳴らした。
「け、結構些細なことで喉の奥がムカムカするらしいですよ」
「些細なこと?」
「聞いたところによると、足が臭い、平然と屁をこく、ダジャレを言う、なれなれしい、勝手に部屋に入ってくる、なんかウザイ」
「ミル……その辺にしておけ」
今日の猫会議で聞いたことを指折りで数えていたミルフィーは指摘に顔を上げる。沈んだ様子で、エジョンが椅子の上で体育座りしていた。
身に覚えでもあったのか、慌てふためくようにミルフィーは立ち上がる。そこにカップを持ったロウェットが、さほど熱くない、ミルク多めのコーヒーを彼のテーブルに置いた。その匂いにつられるようにエジョンが顔を上げる。
「私は……どうしたらいい?」
捨てられた猫のような目に、ロウェットはゆっくりとミルフィーを見た。その顔は同じように“どうしたらいい?”と語っている。
同じ男としては苦手な話しなのだろうと感じたミルフィーは苦笑しながら主の背中を叩くと、エジョンにカップを薦めた。最初は気が進まないようだったが、一口飲むと目を開き、ゴクゴクと一気飲みする勢いでカップを持ち上げた。その様子にロウェットはキッチンへ戻り、ミルフィーも笑顔で席に座り直す。カップを置いたエジョンは一息ついた。
「ふー、大変美味いコーヒーだった。豆はどこの」
「エジョン様」
子供のように目を輝かせるエジョンに、ミルフィーは制止をかけると指を一本立てた。
「まず、お仕事のお話はあまりしない方が良いと思います。職業柄仕方ないとはいえ『また仕事の話』と、呆れた目を向けられてしまいますよ」
「う゛っ……」
言われたことがあるのか、冷めた目で見られたことでもあるのか、彼の瞳から輝きが消えた。
伏せた耳に、ゆったりとした声が届く。
「親子と言っても“男”と“女”。年頃ともなれば父親だろうと恥ずかしく思う方もいます。なので、家庭内でも距離というのは取られた方が良いかもしれません」
「距離……か」
呟きを漏らしながら、自身に似たストラップを見つめるエジョンの顔はどこか物悲しい。
「時間と言うのは恐ろしいな……ヌイグルミ(これ)を誕生日にくれたのはもう十年も前だというのに、昨日のように思える」
「……お外で働く方にとっては、それが強く感じられるのかもしれませんね」
二人は苦笑混じりに頷いた。
親の知らぬ間に子は成長している。テレビから、本から、話し声から、さまざまな物を見て聞いて感じて世界を広げている。良し悪し関係なく“知る”のだ。
「生まれた頃は帰るたびに変化があって嬉しかったよ。だが、成長が早すぎて追いつかないんだ。出張が多い私も悪いと思うが、久々に会って“おかえり”もないなんて……何があったのか言ってもらわないと心配してしまう」
その告白は“親”としての気持ち。
学校でのこと、友達とのこと。自身がいない間に起こったことは、教えてもらわないと親でもわからない。それが無機質な機械や物とは違い、感情を持つ者だからだ。
堤防に立っていたように瞳を揺らすエジョンにの前で、立ち上がったミルフィーが膝を折ると優しげに見上げる。
「そっぽを向く理由を答えてくれる方は少ないでしょう。ですが、そこで問い詰めてしまっては溝を大きく作るだけです」
「ケンカをするなということか……?」
「聞きだした理由が『お父さんがウザいから』だったら納得しますか? ケンカになりませんか?」
首を傾げる彼女にエジョンは黙る。
なぜ、どうしてと、知りたくなる理由。それがはっきりとした理由なら何も問題ないだろう。だが『なんとなく』は理由ではない。気分なのだ。
「そんな気持ちになる前に、奥様達からご自身がいなかった日のことを聞いてください。学校でのことや最近ハマっていること、食べたいと言っていたもの。それこそ些細なことでもいいので」
「まるで妻と付き合っていた頃みたいだな」
苦笑するエジョンに、ミルフィーも笑う。
そこに、戻ってきたロウェットがテーブルに新しいコーヒーとクッキーを置いた。椅子に座り直したミルフィーはクッキーを二枚手に取る。
「同じですよ。いつかは素敵な女性(レディー)になるんですから、男としてエスコートは大事です」
クッキーをくっつける彼女にエジョンは目を丸くする。だが、すぐに大声を上げるように笑った。
「あっははは、十四でもあなどってはいかんということか!」
「はい。まずはお土産でご機嫌を取って会話してみてください。それで最近情報を引き出せたら『よっし!』です」
ミルフィーのガッツポーズに、クッキーを食べるエジョンはふむふむと頷く。そこに、人差し指が立てられた。
「何かしらの情報があり、それが物であった場合は勝手に買ってきてはいけません。突然すぎて不審がられますし好みもあります」
「ふむ、家族で行った方が吉ということか」
「はい。ですが、高級な物を買ってあげたり、お金だけ渡して好きなのを買えはダメですよ。お父さん=お金をくれるになっちゃいますからね」
笑顔で話すミルフィーに、コーヒーを飲むエジョンと、立ったまま腕を組んでいたロウェットは互いに顔を見合わせた。その目は『女は怖い』と語っているようにも見える。
そんな気持ちなど知らず、クッキーを美味しそうに食べるミルフィーをカップを置いたエジョンがしばし眺め、ヌイグルミに目を移す。
しばらくすると腰を上げ、先ほどのミルフィーのように彼女の前で膝を折った。覗くように上げられた顔には優しい笑みがある。
「お嬢ちゃん。良ければ明日、土産を一緒に選んでもらえないか?」
「わ、わたしですか?」
「ああ。バイヤーとして品物を見る目はある方だが、娘の土産となると自信がない」
苦笑するエジョンに、ミルフィーはロウェットを見上げる。その表情はいつもと変わらないが、頷きが返され、頬を赤らめたミルフィーも大きく大きく頷いた。
「はい、わたしで良ければお手伝いさせてください!」
「ああ、頼むよ……それともうひとつ、一泊させてくれないか? 実は商談に手間取って、今夜の便を逃してしまったんだ」
参ったというように鬣をかくエジョンにミルフィーとロウェットは顔を見合わせる。だがすぐに立ち上がったミルフィーは頭を下げると笑みを向けた。
「ようこそ『あったかミルフィーのお宿へ』」
静まる夜に、見た目とは裏腹に優しい瞳を持つ一匹の父親が、丘の宿に迎えられた――。
* * *
翌日の朝。
多くの人で賑わう市場とは反対の場所にある船着場。大型帆船から下りる者もいれば、乗り込むモノ達もいた。大勢のモノが行き交い見送る中に、ミルフィーとロウェットの姿もある。
目先にはスーツケースを持つエジョンがいるが、その手にはジャヌブウ名の紙袋を持っていた。
「じゃあ、お嬢ちゃんにマスター。世話になったな。朝からステーキが出た時はビックリしたぞ」
「もてなすのが仕事ですので……」
静かに答えるロウェットにエジョンは大きな声で笑う。
すると何かを思い出したようにスーツケースを置き、ポケットから一枚の白い封筒を取り出した。
「これは宿代……と言っても金はダメらしいから、商品券だ。ジャヌウブにもウチの系列店はあるから良かったら使ってくれ」
「わー、ありがとうございます! 良かったですね、マスター!」
嬉しそうに受け取ったミルフィーに、ロウェットは頭を下げる。
同時に船の汽笛が出発の音を鳴らし、客たちが慌てて乗り込むように、エジョンもスーツケースを持ち直した。そこにミルフィーが制止をかける。
「あの、なんだか色々と出しゃばったことを言ってしまい申し訳ありませんでした」
謝罪するように頭を下げたミルフィーに、エジョンは目を丸くするが、スーツケースの上に紙袋を置くと、大きな手で彼女の頭を撫でた。
「出しゃばったなんてとんでもない。お嬢ちゃんはまだまだやり直せるヒントをたくさんくれた。職業病の指摘なんて妻以上に厳しかったからな」
「あうっ……」
「その成果を見せるため、今度は家族で遊びにくるよ。その時はどうか娘と仲良くしてやってくれ」
不安気に首を傾げる彼女の頭を、柔らかい肉球が何度もぷにぷに押す。その肉球のように優しく微笑む彼に、ミルフィーも笑顔になった。
「はい、またお待ちしています!」
元気な声と笑みに、エジョンもまた嬉しそうに頷く。
ミルフィーの頭からロウェットに差し出された手は握手を交わし、船へと乗り込んで行った。スーツケースの取っ手には自身に似たヌイグルミが揺れている。共に大切な家族のもとへ帰るように、船はゆっくりと動きはじめた。
大きな汽笛と風を受け進む船。
見送るミルフィーとロウェットの目には、甲板に立つ王者が見えた。出会った時とは違い、波風にも負けず堂々と立つ王者が。
「おお、周りがエジョン様を避けてますよ」
「内面……えらく不器用な父親なのにな」
「そういうマスターも女性関連のこと、身につけておいた方がいいんじゃないんですか?」
指摘するように人差し指を立てるミルフィーをロウェットは見つめる。だがすぐに顔を背け、彼女の頭を撫でた。
「俺はミルのことだけ知ってればいいんだ……」
「マスター……おだてても何も出ませんよ」
「市場の値切りぐらいはしてくれるだろう……早くも商品券は使いたくないからな」
買い物リストをひらりと見せるロウェットはどこか意地悪く笑う。その顔にミルフィーは頬を膨らませたが心地良い風に熱は消え、父親ではない、自分だけの主人に抱きついた。
共に歩く足は、今日もまた新しいお客様を迎えるため『あったかミルフィーのお宿』へと帰る。
さて、次のお客様は――――。