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花のフィールド

​27話*「みんなのせい」

 一年。たったの一年だ。
 元彼とも一年だったし『またか』と割り切ればいい──それだけだ。

 


「零花……大丈夫が?」

 

 緑お生い茂る山々から高層ビル群に囲まれた大都会は日曜の夜でも多くの人が行き交っていた。高速バスで島根から東京へ戻ってきた私は安心するが、下車した兄は心配そうな顔をしている。

 

「私よりハチ兄が心配に。ちゃんと一人で帰れるが?」
「いや、そげやなくて……実家に戻るって……」
「ああ……」

 

 思い違いに気付くと顔を伏せた。
 露出狂の件に両親は『一人でいた零花が悪い』と呆れたが、ハチ兄が卒業するまで実家に戻って家業も家事もする。代わりに大学は自分で入学金を払い、奨学金も借りているから一年休学してちゃんと卒業したい。結婚もそれまで保留にしてくれと訴えると渋々了承してくれた。兄を除いて。

 

「なんも、零花が無理せんでも……実家、嫌なんやろ?」
「……そげや。ハチ兄がちゃんと卒業していれば関係なかったが」
「う゛っ!」

 

 皮肉に兄は顔を真っ青にするが、一息吐いた私は苦笑した。

 

「別にええが……家業全部ハチ兄に押し付けてきた私も悪いし、兄妹……やけ」

 

 私は兄が嫌いだ。でも、両親ほどじゃない。否、本当は好きなのだ。
 いつも明るく振るまってはいるが、一人の時に泣いていたのを知っている。好きだったスポーツを辞めさせられ、長男としての期待に応えるため勉強して、家業のためだと上京してたくさんバイトして全部を諦めて継ぐと言った強い兄。

 

 そんな兄に何度も助けられた。
 後継ぎはもちろん、上京後も今回も今も心配してくれている。良い兄なのに、良い人すぎて逆に腹が立つ自分に溜め息をついた。

 

「私より彼女さんが心配やが。絶対お母にイジメられるけ、よく話し合わんとフられんぞ」
「ははは、その辺が怖(おぞ)いほど強い女だけ惚れたんが。だけ、大丈夫に」

 

 一ヶ月ほどだったが、同居に応じてくれた彼女さん。おっとりな見た目の反面ハッキリと物を言うし若干黒かったので、姑問題は大丈夫な気がした。
 何より笑いながらも頬が赤い兄を見れば本当に好きなんだと伝わるし、幸せになってもらいたい。羨ましい……なんて、思ってはいけない。

 

「そーよも、零花こそ彼氏はええやが?」
「彼氏?」

 

 意外な話に目を瞬かせる。
 別れたことは連絡したはずだがと首を傾げると、兄は両手で眼鏡の形を作った。

 

「ほら。こなぁが、一緒にお好み焼き食べとった」
「ああ、三弥さん……て、居候させてもらってる家の人で、彼氏やないやが!」

 

 納得すると同時に頭を横に振って否定する。
 そういえばちゃんと紹介してなかったと悔いるが、なぜか兄は考え込んだ。

 

「そげか……けど、あげん嬉しそうな零花はじめて見たし、俺(わー)はあん人が彼氏でも歓迎するに。零花が好きならの話やが」
「……え」

 

 気恥ずかしそうな笑みに目を丸くする。
 それは考えてはいけない、気付いてはいけない気がした。

 


* * *

 


 慣れない路線と長距離移動に疲労はピークだが、馴染みの岐路になると気が楽になる。が、それは一瞬。周囲の家々とは違い真っ暗な時任家の前で立ち止まると緊張が高まった。

 

 去年の今頃、同じ時間。
 はじめて訪れた時は大きな家に圧倒され、女性が泣きながら出てきた。今度は自分の番だと思うと胸が張り裂ける思いだが、もう決めたことだと一歩出る。

 

「あのー……すみません」

 

 突然の声に身体が跳ねると振り向く。
 露出狂の件もあって身構えたが、隣家の影から同じ歳ぐらいの女性が三人出てきた。少しだけほっとするが顰め面に安心はできない。

 

「なにか……?」
「前もこの家に入られてましたけど御家族ですか?」
「? いえ……住み込みで働かせてもらっています」
「住み込み!?」
「ウソっ!」

 

 悲鳴に近い叫びと共に顔を真っ青にした女性たち。そればかりか鋭い目で睨まれ一歩引くが、詰め寄られた。

 

「なんでアンタみたいな女が一緒に住めるのよ!」
「なに、どうやって取り入ったの!? まさかその身体でSHIROをたぶらかしたの!!?」
「ふざけんじゃないわよ、乳デカちび女っ!」
「それ偏見! ……って、SHIRO?」

 

 罵倒に反論するも、一人の名で気付く。
 一週間前も彼女たちが家の前にいたこと、シロウさんのファンだったこと、返答ミスしたこと。本気で頭痛がするが悪意は止まない。

 

「まさかアンタ、SHIROの恋人じゃないわよね?」
「ヤダヤダ、それマジ最悪なんですけど」
「ていうか、出て行ってくれない? そんで、あたしたちのSHIROにもう近付かないで」

 

 嘲笑に顔を伏せると唇を噛む。
 握りしめた両手が震えるのは彼女たちの行いこそ愚挙で犯罪だと思うからだ。言われなくても時任家からは出て行く。でも、貴女たちに言われて出て行くなんてことは絶対にないと睨み上げると肩を捕まれた。

 

「何? 何か言いたいわけ?」
「ええ……まさかSHIROさんにこんな下劣(ストーカー)ファンがいるとは思わなかったので、早々に本人と事務所。あと警察に連絡しなっ……!」

 

 肩に爪が食い込み、苦痛に顔を歪ませる。だが、いきり立っている彼女たちに構えるのが先だった。


 

「Can you please step to the side(ちょっと退いてくれる)?」

 


 英語とクラクションで我に返る。
 眩しいライトを発する車が停車したことに女性たちは慌てて立ち去り、私も端に避ける。時任家の駐車場に停めた車から出てきたのは金茶の髪にスーツの女性。

 

「Hi レイカ。元気デスか?」
「ジューンさんっ!?」

 

 まさかのお母様に驚くと頬に口付けられる。
 状況が掴めない私を察してか、ハンドバッグを持った彼女は車の鍵を閉めると玄関に向かいながら夕方一人で日本にきたこと、仕事で一ヶ月滞在することを教えてくれた。
 兄弟がいないことは既に慶二さんから聞いているようだが、スリッパを出した私は躊躇いがちに問う。

 

「た、滞在は……家(ここ)ですか?」
「No。資料を取りにきただけで、いつものホテルに泊まりマース。でもでも、レイカのご飯も食べたいので今度きま……?」

 

 ボードの不在マグネットを手に取ったまま止まる。
 背を向けたまま何も言わない私の肩にジューンさんの手が乗った。先ほど捕まれた側だったせいか、つい痛みを零すと怪訝な顔をされる。

 

「……さっきのGirls、シローのFanデスね。なぜ応対したデスか?」
「あ……ちょうど居合わせてしまって……その、みなさんいないから、たまには外食もいいかなっ……!」

 

 取り繕うように笑顔を向けるが、背中に両手が回ると抱きしめられる。持っていたマグネットが床に落ちる音が響き、私たちもその場に座り込んだ。
 ジューンさんは抱きしめたまま優しく肩を、髪を撫でてくれる。

 

「無理に笑顔を作るの……日本人の悪い癖。それも私の大切な息子のせいで、息子たちが愛してるレイカが悲しむのは辛いデス」
「愛して……る?」

 

 妙な言い回しより、兄やファンからも聞いた言葉が引っ掛かる。ゆっくりと顔を上げると、目に掛かった私の前髪を手で払ってくれたジューンさんは微笑んだ。

 

「レイカ……願わくば貴女も愛してくれると嬉しい……誰かではない、息子たちを」

 

 電気だけでも輝く金茶の髪と柔らかな灰色の瞳。
 私が映っているはずなのに、なぜか同じ色と血で繋がった四人の背中が見えた。

 

 

 

 


 時刻は深夜0時を回る。
 ジューンさんもいなくなった時任家は本当に真っ暗で、自室で寝ていても筆を落とす音、階段を昇り降りする音、お風呂に入る音、玄関の開閉音も聞こえない。とても静かだ。
 強行帰省で疲れているはずなのに、ナーくんを抱きしめても目を瞑っても眠れる気がしない。

 

「寝込み魔もいないのにな……」

 

 振り向いても堅い胸板も元気な声も口付けもない。大きな身体で私を包み、胸を弄っては股間に挿し込むモノも。

 

「……っ」

 

 パジャマに入れた手で胸と秘部を弄っても、やはり気持ち良くない。むしろ痛くて苦しい私は起き上がると部屋を出た。
 明かりを点けて階段を上った二階も静まり返っているが、換気もかねて全部の扉が開いている。

 

 キャンバスの部屋、本の部屋、パソコンの部屋、服の部屋。
 バラバラなのに部屋主の個性が出ている上に散らかっているのは一緒。不思議と笑みが零れると、キャンバスの部屋から筆を、パソコンの部屋からバイブと張形を、服の部屋から上着を拝借する。そして、本の部屋のベッドに寝転がった。

 私の倍以上ある上着を羽織るとシリコンでできた張形を口に咥え、ショーツを下ろした秘部にバイブを挿し込み、スイッチを入れた。

「んふっ……! んっ、んんん……んはぁ」

 

 不規則に動いてはナカを刺激するバイブに身体が跳ねる。
 張形を舐めながら筆で胸の先端を弄れば秘部から蜜が零れるが、まだ足りない。

 

「っあ……もっと奥……もっと強く……っ!」

 

 四つん這いになると張形をぐっと奥、喉奥まで咥え込み、抜いたバイブを後ろから挿し込んだ。威力を中にして。

 

「んんん゛ん゛ん゛っ!」

 

 さっきより激しい刺激に身体がのけ反る。
 でももっとと喉を突き、片手で胸を揉んでは片手に持つ筆で胸の先端を弄った。卑猥な蜜音と矯声が響くが、構わずバイブの威力を最大にする。

 

「──っ!」

 

 頭の中で何かが弾け、真っ白になる。瞬間嘔吐き、バイブを抜いた秘部からは蜜が噴き出した。とても汚くて惨めで性臭い。なのに、涎まみれの張形を胸に挟んでは扱き、先端をバイブで弄ると秘部に筆を挿し込んで掻き回した。

 

「っはぁ……もう、シーツもシロウさんの服もびしょ濡れ……でも足りない……みんなのせい……」

 

 息を荒げながらも口角は上がっている。でも、目尻からは蜜と同じぐらい涙が溢れていた。

 求められるがまま、設定のまま、兄弟が満足するまで犯されるだけの家性婦だとわかっている。そんな可笑しな職からも解放されるとわかっている。なのに、調教された身体は足りないと疼き、偽物だとわかる舌も手も止まった。

 

 冷えた身体を上着で包むと、自分とは違う匂いがする。それはシーツも同じで、張形と筆からも浮かぶ人たちがいる。

 

「はじめさ……慶二さ……ん……三弥さん……シロウさ……っうあああぁぁっ!」

 

 呼んでも返事はない。あるはずない。
 私はただの雇われ家性婦で、それ以上を望んではいけない。でも、今夜だけはシーツに蜜を残すのも涙も求める声も許してほしい──最後だから。

 


 

 

 


「零花さん?」

 翌日、月曜の正午前。
 とても久し振りに聞く呼び方と声に顔を上げると、キャリーを持った慶二さんがいた。とても驚いているように見えるのは大学にある彼の研究室前で座り込んでいたからか、立ち上がると苦笑混じりに鍵を取り出した。

 

「まさかいらっしゃるとは……今日、授業でしたっけ?」
「……いえ、慶二さんが最初に帰ってくると思って」
「? そうですか」

 

 顔を伏せたまま言うと扉が開く。
 はじめさんの帰国は明日。三弥さんは今日の夕方、シロウさんは深夜の予定だが、慶二さんは午後から講義があるため大学に直行するだろうと待っていたのだ。
 三ヶ月前に掃除した部屋は早くも散らかっているが、悪気もなく入った慶二さんはネクタイを緩めた。

 

「帰宅といえば、母がこられて驚いたでしょう? 零花さんに連絡しようと思ったのですが繋がらなかったので……お土産も勝手に笹かまぼこにしてしまいましたよ」

 

 キャリーから取り出したお土産を渡されると、慶二さんは机にあるパソコンの電源を入れる。

 

「まあ、私が食べたかっただけですけどね。一応出張で今日も仕事で飲めませんから……今夜はぜひそれをツマミにした晩御飯を「作れません」

 

 遮ると、椅子に腰を掛けようとしていた慶二さんが止まる。顔を上げると、怪訝そうな彼の眼鏡の奥にある瞳と目が合った。

 

「ごめんなさい……もうできません」

 

 必死に開いた唇は声は震えている。
 本当は全員に話すべきだろうが、耐えられる気がしない。でも、彼にだけは言わなければと涙を堪え伝えた。

 


「佐々木 零花は……今をもって、家性婦を辞めさせていただきます」

 


 ここに導いてくれた────雇用主に。

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