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花のフィールド

​17話*「解釈」

 室内は閑散としているのに動悸がうるさい。
 キスしているのを目撃したのもあるが、一人が知っている人。一人は知らないのに同職(家性婦)だった事実に驚いているからだろう。
 気付いた慶二さんは慌てて女性を離し、私も頭を下げた。

「どうぞごゆっくり!」
「なぜそうなるんですか!」
『Oh、オレを置いて行かないで家性婦ちゃん!』

 

 部屋を出ようとするも、二つの声に止められる。
 急いで携帯を拾うが、独特な呼び方に女性が反応した。

 

「その声、シロウくんね?」
『Hi、リタイアした家性婦ちゃん』
「ちょ!」

 

 皮肉に、身長一六十ちょっとの茶髪ボーイッシュ女性は携帯に映るシロウさんを睨む。その目を私に移すと、ブーツ音を鳴らしながらやってきた。目前で止まった女性の目は冷たい。

 

「もしかして、貴女が今の家性婦?」
「は、はい……」
「ふーん……胸は立派だけど、そんな小さい口で慶二さんのが入るわけ?」

 

 そう言いながら私の唇を突く指先と視線からは悪意を感じる。自分が上だという自信も。
 携帯を握りしめていると、苛立った様子でやってきた慶二さんに肩を抱かれた。

 

「何度言わせるんですか。今の貴女には関係ないどころか生徒でもない部外者なんですから、さっさと出て行きなさい」

 

 よほど疲れているのか寝不足なのか口調は激しく、女性よりも鋭い目。
 抱く手も強いが、抱き寄せられると恥ずかしくなる。それが面白くないのか女性は顔を顰めるが、素直に部屋から出て行った。『明日も来ますね、先生』と、ウインクして。
 廊下に響くブーツ音が遠退くと、三つの溜め息が零れた。

 

『あの家性婦ちゃん、ホント、ニイ兄が好きだよね~』
「まさかの慶二さんファン。もしや付き合って「いません」

 

 即答されるが私とシロウさんは疑いの眼差しを向ける。手で前髪を掻き交ぜる慶二さんはまた溜め息を零した。

 

「言い寄ってくる女性こそ面倒で不愉快だと、シロウくんもご存知でしょう」
『Ya。脈があるって、どうして思っちゃうのかな』

 

 同意の会話に胸の奥が痛んだ。
 それは家性婦をセフレと変換した時と同じで、私も勘違いすることがあるからだ。兄弟を知れば知るほど、甘やかされるほど、好意を持たれているのではと都合の良い解釈をしてしまう。
 違う違うと必死に頭を横に振る私に、見合った二人は首を傾げた。

 

「零花さん、どうし……というより、何か御用ですか?」
『働きっぱなしのニイ兄の着替えを持ってきたんだって。なのにキスなんかわわわわ待って待って! dad(父さん)が来月帰国するって!!』
「……got it(わかりました)」

 

 一瞬、目を細めた慶二さんにテレビ電話を切られる。我に返る私を他所にダンボールを拾われた。

 

「? なぜ、三弥くん名義のが」
「あ、慶二さんに渡してくれって言われて」
「ひとまず、お茶でも淹れ……」

 

 振り向いた慶二さんは固まる。
 察した私は自分の鞄と着替えが入った鞄を下ろすとコートを脱いだ。

 

「お掃除……しますね?」
「……お願いします」

 

 いつも以上に散らかっている自室を認めてくれたことに、気合いの腕捲りをする。


 

* * *

 


「毎度ながらお見事ですね」
「だんだんっ!」

 

 誇らし気な私に、外から戻ってきた慶二さんは感心した。
 念願だった大掃除の結果、白い床も立派な対面式ソファも透明テーブルも顔を出し、大変満足である。夜の九時を回ってしまったが。

 

「三弥くんに連絡したら担当さんと食事されたそうで、気にせず泊まってこいと。掃除をはじめたハレンチ女は止まんねぇしなとも言ってました」
「おっしゃる通りです」

 

 デリバリーピザを食べながら頷く私は本やファイルの山を見る。これらを収めるまでは帰れぬと泊まり覚悟だ。当然、向かいに座る慶二さんは呆れている。

 

「そんなに掃除が好きなんですか?」
「好きっていうか強迫観念ですかね……物ひとつ置いてるだけで怒られる家だったので」

 

 今もまた、ピザの破片を拾う。
 綺麗好きとも潔癖症とも少し違う、片付けなきゃ叱られると記憶している脳と身体が勝手に動いてしまうのだ。料理と洗濯も然り。自分のことは自分でしろ、女は慎ましく男の数歩後に控えろという家訓だ。

 

「それはまた……このご時世にしてはその」
「古いですよね。長男主義で兄しか認めないっていう風習も嫌で家を出たんです。自活力は備わったので感謝はしますけど……慶二さんはなんで教師になったんですか?」

 

 飲み終えたカップを置いた私の問いに、ピザを頬張っていた彼は視線を上げる。
 シロウさんはジューンさんの伝手でモデル。三弥さんははじめさんに憧れ、紆余曲折あって漫画家。はじめさんは不明だが、画が好きで画家になったのだろうと想像できる。逆に特殊職が多すぎて、教師になった慶二さんの理由が浮かばない。

 

「父の影響ですね」

 

 はじめて聞くお父さんに目を瞬かせると、コーヒーを飲み干した慶二さんは続けた。

 

「ファッションデザイナーである母の会社を経営しているのが父です」
「あ、そうなんですか!」

 

 点と点が繋がると、慶二さんは自分と私のカップにコーヒーを注いだ。

 

「当時はまだネット社会になってすぐだったので、忙しそうな父の手伝いができればと学びはじめたのがキッカケですね」
「お父さんの会社に就職しようとは思わなかったんですか?」

 

 手伝いなら教師は違うのではと、カップを受け取った私は思う。一口飲んだ彼は少しの間を置いた。

 

「考えはしましたが、まだ日本に支社がなかったので就職となるとアメリカに住むことになります。そうなると私以上に生活力のない兄と、受験で落ち込んでいた弟の二人暮らしですよ?」
「ああー……それは心配ですね」

 

 真剣な眼差しに同情するしかない。
 それこそ家政婦さんという手もあるだろうが、はじめさんの全裸と謎行動、塞ぎ気味だった三弥さんを考えると身内が居た方が安心だ。

 

「なので両親とも相談し、諦めました。教える側になるのも貢献できると思ったので」
「……転職しないんですか?」

 

 聞かずにいられなかったのは、慶二さんなら今からでも叶えられるだろうし、兄弟ももう心配する必要がないと思うからだ。
 静寂が包む中、コーヒーの湯気が彼の眼鏡を曇らせる。だが、口元には笑みがあった。下手な笑みが。

 

「……なんだかんだで教師(こ)の仕事も好きですから充分満足してま「ウソですね」

 

 遮ると、互いの視線が絡み合う。
 不貞腐れの私とは違い慶二さんの目には苛立ちが含まれ、大きな息を吐いた。

 

「……零花さん。そうやって弟たちを懐柔したのは構いませんが、私に対しては不要です。触れられたくないことぐらいありますからね。ましてや貴女は」
「他人で性処理を悦んで受け入れる汚い女です」

 

 ハッキリとした声に慶二さんは顔を顰める。
 目尻に熱いものを感じるが自虐に傷付くなんてみっともないし、泣くのは卑怯だと堪えながら続けた。

 

「でも、みなさんが兄弟想いなのは見ていてわかります。今日も慶二さんを心配してました。ちゃんと休み取ってるかとか、一番自分のこと後回しにするって……大切にされてて羨ましいです」
「零花さ……」
「そんな兄弟だから……何かしたいことあるなら背中を押してくれると思います」

 

 横に置いていた鞄とコートを持つと立ち上がる。目を丸くする姿が少しだけボヤけるが、すぐに頭を下げた。

 

「今日は帰ります……お掃除はまた明日……先生がいない時にでも」
「それはさすがに鍵を掛け……じゃなくて、待ちなさい!」

 

 背を向けた私に掛かる声は焦っている。
 それは私も同じで、自然と早歩きになるとドアに手を伸ばした。が、背後から伸びた手に掴まれ、鞄とコートが落ちると抱きしめられる。
 耳元では熱い息遣いと声が聞こえた。

 

「なんでそんなに自暴自棄になってるんですか……」
「なって……ないです」
「私を見て言ってください……ほら」
「ひゃっ!」

 

 耳朶を舐め食まれ、反射で振り向く。
 目の前には眉を顰めた顔があり、眼鏡には涙をポロポロ零す自分が映っていた。顔をそらそうとするが、お腹に回った腕に身体ごと反転され口付けられる。

 

「んっ、ふ……んんっ!」

 

 逃げようとしても追い駆けてきて唇が重なる。
 背中がドアにあたるが、構うことなく深く荒い口付けを繰り返され、涎が落ちた。それすら舐め取った慶二さんと目が合う。

 

 その眼差しは真剣で、私を抱き上げるとソファに座り直した。逃がさないよう、あやすように背中を撫でながら落ち着いた声で話す。

 

「まずは謝罪を……心無いことを言って、貴女を傷付けてしまい申し訳ありませんでした」
「それは……私が余計なことを」
「そうですね……でも、苛立ったということは私自身まだ未練があったのでしょう。ちょうど准教授への話も持ち上がっていたので」
「すごいじゃないですか!」

 

 はじめて知る話に目を輝かせるが先ほどのことを思い出し顔を伏せた。苦笑と一緒に頬を撫でられる。

 

「なので余計に刺さったんですよ……教師の仕事が楽しいのも父を手伝いたいのも本当ですから。でも、零花さんを見て、教師(今)の道で良いと決めました」

 

 断言に驚くも、慶二さんはくすくす笑いながら私の肩に顔を埋めた。冷たい眼鏡よりも柔らかな唇に身体が跳ねると、首筋に舌が這う。

 

「新しい発見を見つけるのも生徒に教えるのも好きですし、零花さん一人に兄弟を任せるのも腹が立ちますからね」
「? 腹が立あぁっ……」

 

 どういう意味か問う前に首筋を吸われ、胸板に寄り掛かる。
 吐息を零しながら見上げると、顔を上げた慶二さんは眼鏡のブリッジを上げた。その晴れ晴れとした表情に未練も迷いもないことに、余計なことを言った罪悪感も自虐も吹っ飛び、自然と笑みが零れる。と、頬を赤めた慶二さんはそっぽを向いた。

 

「そういえば、三弥くんからのダンボールを開けな……零花さん?」

 

 呼び声は薄っすらとしか聞こえない。
 安堵感と疲労感。そして、心地良い腕に瞼が重くなってくると、くすりと笑う声がした。

 

「おやすみなさい」

 

 優しく撫でる手に誘われるように、私は夢の中へと落ちた。


 

 

 


「……どうしたんですか?」

 

 目覚めると朝の七時。
 ちょうど良い暖房に、慶二さんの白衣と気持ち良いブランケットに包まっていた私はソファから起き上がると首を傾げる。自分の席で仕事をしていたはずの慶二さんが私を見るなり頭を抱えたからだ。

 

「いえ、その……取り合えず、これを見てください」

 

 立ち上がった慶二さんは躊躇いがちに差し出す。
 それは三弥さんからのダンボールで、眠い頭で受け取った私は封が切られた箱を開いた。瞬間、パッチリと目を見開いた。


 

「ちょっ……!」
「零花さんに着せて感想くれ……だそうです」

 


 大きな溜め息をつく慶二さんのように顔が真っ赤になる。出てきたのは──セーラー服。
 三弥さーーーーんっ!?

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