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花のフィールド

​16話*「悪い癖」

 新しい年を迎え、寒さも落ち着きはじめた二月下旬。
 後先真っ暗だった家性婦の仕事にも時任家にも慣れた私は二階へ上がると、扉のない部屋に顔を出した。

「三弥さーん、宅急便と洗濯物ー」
「置いとけー」

 

 振り向くことなく、部屋主はペンで床をさす。
 扉を直す気がないのは申し訳なく思うが、家に居ても携帯でやり取りしていた以前よりコミュニケーショが取れて嬉しいし、新しい仕事にも挑戦するようで楽しそうだ。が、内容を聞いたら意地悪な笑みが返ってきたので嫌な予感しかない。

「今度は何設定だろ……はじめさーん、入りますよー」

 

 溜め息まじりに扉がある別の部屋をノックすると入室する。
 いつもなら独特な絵の具の臭いに包まれ、黙々とキャンバスに向き合っている背中があるが、今日は臭いどころかキャンバスも背中もない。否、ベッドで寝ていた。

 

「はじめさーん、大丈夫ですかー?」

 

 洗濯物を置くと、声を掛けながら肩を叩く。長い前髪から覗く目がぼんやり開いた。
 開けている窓からは冷たい風が吹き通るのに、はじめさんは変わらず全裸。やっと視線が合うと力ない手が伸び、自然と抱きついた。冷えた胸板に頬を寄せると頭を撫でられる。

 

「ん……レイちゃん……あったかい」
「そろそろ窓を閉めてくださいね。もう出掛ける時間ですし」
「…………I don't want to go(行きたくない)」
「もうんっ!?」

 

 呟きに顔を上げると口付けられる。
 深く重ね、歯列を割って挿し込まれる舌は荒い。さらに上着に潜った両手に胸を揉まれ、長い指先が先端を捏ねては摘まむと身体が跳ねた。

 

「打ち合わせっん、行かないと……個展っあ……もうすぐですよ」

 

 唇を離すと腕を叩く。
 だが、上着を捲ったはじめさんは胸に埋めた顔を左右に振った。嫌だと駄々をこねるように。

 

 来月から個展がはじまるのだが、開催が近付くに連れて打ち合わせや取材が多くなり、今日も外泊となっている。嫌いな服を着るのはもちろん、画を描く時間が減っているからだ。
 不満からか胸への吸い付きも強く、スカートとショーツに潜った長い指先で秘部を激しく掻き回される。

 

「っああぁ……でも私、もうっ……個展の前売りっん、買って……楽しみにしてる……です……だから……行ってもらわないと……中止になったら悲しんん、で……」
「右に同じく」

 

 訴えと別の声に指が止まる。
 振り向けば、宅急便の箱を持った三弥さんがドアの前に立っていた。顔を上げたはじめさんに三弥さんは口を尖らせる。

 

「はじ兄の個展なんて三年振りだし、生で見るの楽しみにしてんだぜ。初日のトーク付きチケット取るのも苦労したし」
「そうそう、慶二さんとシロウさんにも手伝ってもらってやっと二枚ですよ!」

 

 大変だったと頷く私たちにはじめさんは何も言わない。でも、ゆっくりと口元が弧を描くと苦笑した。

 

「っはは……チケットあげるって……言ったのに」
「何度も見たいんです! それに、トークってことは初はじめさんのスーツ!! 謝恩会でスーツ着た三弥さん並にレアですよ!!?」
「てめぇ、犯すぞ」

 

 ドスが効いた声で向かってくる三弥さんに、慌ててはじめさんへと抱きつく。が、頭を掻き回され涙目で謝罪すると、くすくす笑うのが聞こえた。

 

「そっか……うん……見てもらいたいから頑張る」

 

 長い前髪が風で揺れ、柔らかな微笑を見せる。
 三弥さんと見合った私も笑顔になると、上体を起こしたはじめさんは指に付いていた私の蜜を舐めた。

 

「終わったら……レイちゃんをいっぱい犯すね」
「っ……!」

 

 舌先と指先を繋ぐ糸と灰色の瞳に映る自分。
 それだけで全身が熱くなり、クッションに顔を埋めた。エロさの破壊力では長男が一番だとドキドキしていると『俺もー』と『僕の後にね』の声に少しだけ顔を上げる。仲良さそうに話す兄弟が微笑ましい一方で胸が痛むのは気のせいだ。

 

「ハレンチ女。今日、大学に行くんだろ?」
「あ、はい。慶二さんの着替えを持って行きます」

 

 考え事をしていて反応が遅れるが、すぐに頷いた。
 私は既に春休みに入っているが、それは学生の特権。大学講師である慶二さんにとっては研究はもちろん、受験の時期もあって最近は大学に泊まることが多く、定期的に着替えを運んでいるのだ。

 

「ケイくんも……忙しそうだね。ちゃんと休み……取ってるのかな」
「なんだかんだで一番自分のこと後回しにするからな」

 

 頷き合う二人だったが、時計を見た三弥さんの視線が私に移る。

 

「はじ兄と一緒の時間で良いなら車で送ってやるぜ」
「いいんですか?」
「俺も打ち合わせあるしな」

 

 時任家で免許を持っているのは慶二さん、三弥さん、ジューンさん。他二人が持っていないのは性格の問題だろうが、片道でも電車よりはありがたいと頷く。が、なぜか三弥さんの口角が上がった。

 

「代わりに、コレをケイ兄に渡してくれ」

 

 そう言って、私が運んだ荷物を手渡される。
 宛先は三弥さんだし、送り主は知らない会社。怪しい笑みにロクでもない物が入っている気がして、下着を履くはじめさんのような嫌々顔になる。

 

 それでも受け取ってしまうのが、後先考えない私の悪い癖だ。

 


* * *

 


 大学に着いたのは十五時過ぎ。
 幸い三弥さんの荷物はA4ながら重量はなく、胸を置くのにちょうど良い。肩凝りと体重の原因が軽減されるが、周囲の目は微妙だ。特に男性はガン見で、鼻の下を伸ばしているように見える。
 自慢しているわけでも見せたいわけでもないのに、そんな目でしか見られないのは辛い。

 

「元彼もそんなだったな……」

 

 はじめて『好きだから付き合って』と言われ、舞い上がった昨年。
 一年同棲したが、私というより胸が好きだったようで、嫌がる私に愛想を尽かしたばかりか浮気した最低男……だが。

 

「家性婦(セフレ)の私もどっこいか」

 

 認める、家“性”婦。
 セフレのようなものだと変換したが、声に出すと胸が痛んだ。次第に歩くのが遅くなるのは、覚えのある掲示板の前だからか。

 

 チラシは大幅に減り、小さなメモもおかしな募集もない。
 それでも緊張してしまうのは、また掲示板に張ってあったらと考えてしまうからだ。振り払うように小走りで通り過ぎると心の中で念を押す。これは仕事、求められるのも身体だけで愛はいらないと。

 

「ああー……シロウさんみたいなこと……ん?」

 

 溜め息をつきながら階段を上っていると振動に気付く。
 携帯を見ると話題にしていたシロウさんからのテレビ電話で、片手にダンボール、片手に携帯を持つとスワイプした。

 

「もしもし?」
『Hi、家性婦ちゃん。元気ー?』

 つい『もしもし』と言ってしまうが、画面に映ったシロウさんは気にした様子もなく笑顔で手を振っている。が、裸なことに眉を顰めた。

 

「全裸じゃないですよね?」
『? 全裸だよ』
「切ります」
『Noooo! One moment(少し待ってて)!!』

 笑顔が真っ青に変わり、携帯を置くと慌ただしい音。
 天井の前に見慣れたモノが映った気がしたが、気にせず二階の廊下に出る。しばらくして息を荒げるシロウさんが映るが、ちゃんとTシャツも着ていることに笑った。

 

「偉い偉い。それで、ハワイは楽しんでますか?」
『Ya。パンケーキ食べたり、ホエールウォッチングしたよ』
「えー、良いなぁ」

 

 口を尖らせる私を照らすのは夕日だが、シロウさんの後ろに見える窓には夜空。四泊六日でハワイに撮影へ行っているからだ。
 出発前ははじめさん同様『行きたくない~』と言っていたのに、満喫しているようで安心するような嫉妬するような気持ちになると『家性婦ちゃんは何してるの』と問われ答える。

 

「大学に着いて、慶二さんの着替えを運んでいるところです」
『ズルいー! オレにも運んでー!!』
「シロウさんが私にパンケーキとクジラさんを運んできてください」

 

 言い返しに反論できないシロウさんは口を尖らせる。くすくす笑いながら冗談はさておきと続けた。

 

「四月の予定ってもうわかります?」
『Way?』
「なぜって、シロウさんの誕生日をお祝いしないと」
『っ!』

 

 虚を衝かれた顔にまた笑う。
 とはいっても、四兄弟の誕生日を知ったのは最近で、去年のシロウさんの誕生日はまだ出会ってもいなかった。そんな彼は今年で二十歳。セックス慣れし過ぎて忘れていたが、やっと成人だ。

 

「難しいでしょうが、お休みわかったら教えてくださいね。はじめさんと慶二さんのお仕事も落ち着いてるでしょうし、三弥さんもやっとお酒が飲み合えるって言ってましたよ。あ、まさか知らないとこで飲んでませんよね?」

 以前までの夜遊びを思い出し、ジと目を向ける。
 顔を伏せているシロウさんは何も言わないが、知っている表情に足を止めると微笑んだ。

 

「食べたい物や欲しい物あったら遠慮なく言ってくださいね。ジューンさんも呼んで、盛大にお祝いしますから」

 

 多様な職業一家のせいか、全員が揃うことは滅多にない。
 あっても一日半で、本当に誕生日会ができるかは五分五分。それでも今年は揃う自信があるのは嬉しそうなシロウさんを含め、全員が兄弟想いだからだ。
 ベッドに寝転がったシロウさんは顔に携帯を近付けるとはにかむ。

 

『Ok、すぐ連絡する……オレの好きなのいっぱい作ってね』
「おにぎりですね」
『Yeah!』

 満面笑顔に笑顔を返す。
 時任家で過ごす時間は楽しくて暖かくて、人数が足りない食卓は寂しい。実家に居た頃は揃いたくなかったのに不思議だ。

 

『あと……プレゼントは家性婦ちゃんでよろしく』
「え?」

 

 我に返ると、画面からシロウさんが消えた。代わりにズボンチャックを下ろすのが映る。

 

『本当は今すぐ犯したいんだよ……こんなになってるから』
「ちょっ!?」

 

 雄々しく勃ったモノがアップで映され、慌てて周囲に誰もいないことを確認すると小声で抗議した。

 

「な、なんてもの見せているんですか!」
『そう言って、家性婦ちゃんは今からニイ兄のをフェラするんでしょ? 想像するだけで射精(で)そう』
「変態っ!!!」

 吐息を零しながら自身のモノを扱く姿にツッコむが、耳まで真っ赤になる上に股間が疼いた。見越したように笑うシロウさんは携帯に顔を近付ける。

 

『家性婦ちゃん、舐めて?』
「ど、どうやっ……!?」

 

 東京とハワイですよと言う前に、舌を出したシロウさんが画面に向かって舐める。何度も何度も。触れてないのに蜜が零れる気がしていると、画面に付いた涎を指先で拭ったシロウさんは囁いた。

 

『ね、舐めて……レイカ?』
「っ……!」

 

 艶やかな声に股間が締まり、先走りを滲ませるモノが映る。次第に震える舌を出すと、画面越しに舐めた。

 

「っん、ふ……」
『あぁ……イいよ……カワイイ、大好き』

 

 興奮顔と扱きを速める手が見えたが、構わず画面を舐める。
 春休みで誰もいないとはいえ、味なんてしない画面を舐めるなんて卑猥だ。でも、シロウさんの舌が画面を舐めると、互いの舌が絡み合う錯覚に陥る。揃って変態だ。

 

『あぁ……出る……口、開けて……』
「は「Cut it out(いい加減にしろ)!」

 言われるがまま口を開けたが、怒鳴り声に閉じると背筋を伸ばす。同じく聞こえたのか、射精したものの不完全燃焼のシロウさんは汗で湿った前髪を掻き上げた。

 

『……What is it(いったい何)?』
「慶二さんですよね」

 

 覚えのある声に駆け出すと、ドアが開けっぱなしの『第二教員室』こと慶二さんの部屋に顔を出す。

 

「慶「諦めきれないんです!」

 

 また遮ったのは慶二さんではなく、知らない女性。そんな彼女は涙を浮かべ、椅子に座る慶二さんに──キスしていた。

 

 突然のことにダンボールも携帯も落ちる。
 床を滑って停まった携帯から目撃したシロウさんは瞬きした。

 


『Oh、前の家性婦ちゃんだ』

 


 時任家は修羅場も多いのか────。

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