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花のフィールド

​01話*「第一関門」

『悪いけど、お前のこともう好きじゃないから別れてくんない? あと、新しい彼女と住むから出て行って』

 そう笑顔で言った(元)彼氏に、泣きながら腹パンを食らわしたのは間違ってないと思う。が、捨て台詞に『持ち物なんて全部置いて行ってやる! そして新しいカノジョとケンカしたらええが!! こんのっだらくそが!!!』と、本当に鞄しか持って出なかったのは愚かであった。

 

 佐々木 零花(れいか)、二十歳。
 大学二年の春。彼氏にフられた挙げ句、家なしになりました。

 


* * *

 


「れいりんは感情が高ぶると後先考えないし、方言が出ちゃうよね」
「すみません……」
「空手してたせいか、加減なく壊しちゃうしね」
「ホント、すみません……」
「その割りに尽くす系だもんね」
「紗友里ちゃん、それは関係ない!」

 

 反論するも、饅頭の包みに零れカスを入れたり新しい饅頭やお茶を出す私に向かいに座る女性。腰まである真っ直ぐな黒髪を揺らしながら頬杖を付く親友、朝比奈 紗友里ちゃんはニッコリと微笑んだ。

 

 家なしになって、三日目。
 携帯や財布、学生証は鞄に入っていたものの、通帳や印鑑、衣類は置いてきてしまった。迎え入れてくれた紗友里ちゃんには感謝しかないが、長居はできないとテーブルに突っ伏す。

 

「ええ~、私は居てくれて良いよ~」
「いや、紗友里ちゃんは良くても他のみなさんが……ね」

 

 チラリと廊下側の襖障子を見ると人の影。お付きの人だろうが殺気がダダ洩れだ。
 紗友里ちゃんはいわゆるお嬢様で、都内の高級住宅街にある木造平屋の家は鯉が泳ぐ池や松の木があるほど広く、使用人やボディーガードもいる。が、フられた悲しみと腹いせに投げ飛ばしたり岩を割る私に苦情と恨みが届いていた。

 

「はあ~。せめて住むとこ見つけないと、バイトもできないよ」
「それなら、私のところでする? れいりんなら、すぐ上を取れるよ」

 

 顔を上げると微笑まれるが、苦笑いしか返せない。
 何しろ彼女はお嬢様でありながら道楽半分、反抗半分で水商売のバイトをしていて、上位に入るほど人気らしい。銀座の高級クラブで上位となれば接客も容姿も最高級という御墨付きだ。働き次第では大金も稼げるだろう……が。

 

「あ、ありがたいけど、紗友里ちゃんが言ったように物とか壊しちゃうし、ケンカしやすいから……それで前のバイトもクビになったし」
「セクハラは投げ飛ばされて当然よ。まあ、れいりんを抱きしめたい気持ちはわかるけどね」
「セクハラだ~」

 

 またテーブルに突っ伏す私は一四六センチと低めの身長に対して胸が大きいためアンバランス。男受けは良いようだが、護身用で習っていた空手を見せた瞬間さようなら。
 涙を浮かべながら肩まであるウェーブの掛かった茶髪を手で払っていると、紗友里ちゃんは両手を叩いた。

 

「じゃあ、結婚して養ってもらおう! れいりん、家事全般も尽くすのも大好きだからすぐ見つかるよ」

 

 満面笑顔に三度(みたび)テーブルに突っ伏すと、額を打つ大きな音と鹿威(ししおど)しが響き渡った。


 

* * *

 


「はあ~、どうしよう……」

 

 夕暮の大学。廊下を歩く私の溜め息は日に日に深く増すばかり。
 日用品はまだしも、情報大学のためノートパソコンは必須。なのだが、肝心のパソコンも授業で使う資料も置いてきたため、朝から先生に頼み回っていた。

 

 当然呆れ顔で『見栄を張らず、謝って取りに行け』と言われたが、腹パンを食らわしておいてどんな顔で会えばいいのか。というか会いたくない。同じ大学でも学科が違うだけマシだが、絶対に会いたくないし謝りたくもない。痛みわけ、痛みわけ。

 

「忘れて、次を考えないと!」

 

 言い聞かせるように両手で頬を叩く。が、実際は御先真っ暗。
 県外にある実家には帰りたくないし、都内に住む兄とも性格が合わず会いたくない。紗友里ちゃん家はお付きの方々が怖いし、他の友達も彼氏と住んでいたり長期間は無理と断られてしまった。

 

「ああ~、私のバカあぁ~」

 

 誰もいない廊下で身を屈めると頭を抱えた。
 わかっていたのに、彼氏に浮かれ、フられ、捨て台詞を吐いたことに今さら後悔する。銀行口座は停めてもらえたが、再発行にもお金はかかるし貯金もいつか費えるし、来年からは就職に向けて色々と物入りだ。
 そのためにもバイトを探さねばならないが、履歴書に書く住所が……家が。

 

「家ええぇぇ! 家も仕事も手に入るのってないのおおおぉぉ……お?」

 

 そんな都合の良い話あるもんかと叫んだ後に思った。思ったが、ふと横にあった掲示板が目に入る。
 サークルメンバー募集やお知らせなど様々なチラシが無造作に貼られ大きく主張するなか、端のまた端。他のチラシに半分以上隠れている小さなメモ用紙の一文が見えた──『家政婦募集』。

 

「家政婦……」

 

 誰もいない廊下で呟きながら立ち上がるとメモを手に取る。窓から差し込む夕陽が影を伸ばし、次第に私に合わせて動いた。

 

 メモには『家政婦募集』と場所しか書かれていない。
 切迫詰まっていたのもあるが、不思議と惹かれた募集主がいる場所に駆け足を響かせながら向かう。

 

 そこは教授や講師たちの研究室(部屋)がある棟の二階の端、経営情報学科の『第二教員室』。学部が違うため訪れるのははじめてだが、深呼吸もノックもせずに扉を開いた。

 

「失礼しまって、汚っ!!!」

 

 開けてすぐ後ずさる。
 それもそのはず。誰もいない十畳ほどの部屋の両端は資料が詰まった戸棚が連なっているが、殆どが開いていて雪崩を起こしている。対面ソファやテーブルらしき上にも資料やノートパソコンの他、何枚ものYシャツやネクタイが床にまで散乱していた。

 

「き、汚い……というか、散らかりすぎ」

 

 幸い食べ物は落ちていないが、空気はよろしくない。
 何より『片付けなきゃ』と警報を鳴らす身体が自然と屈み、足元にある本や資料を集めはじめた。

 


「Don’t touch(触らないでください)」
「はいっ、ごめんなさっだ!?」

 


 冷ややかな英語に背筋を伸ばして立ち上がる。が、持っていた本や鞄が足の上に落ちた。
 涙を浮かべ地団駄していると、ソファの先。数台のパソコンが置かれたデスクと椅子の間から、にょきりと手が出てきた。咄嗟のことに悲鳴を上げるが、居たらしい男性に目を丸くする。

 

 てっきり外国人かと思ったが日本人。
 寝ていたのか寝不足なのか、目元に薄っすらとクマがあるが、整った顔にはファッション程度にしか見えない。短い黒髪も夕暮れに染まって普通なら綺麗だろうが、毛先が四方八方に跳ねている。ネクタイをしていないYシャツもズボンも皺だらけ。同様の白衣を着る意味があるかはわからないが、背もたれのある椅子に座ると、ブローの眼鏡を掛けた。
 細長い目がさらに細く鋭さが増して怯むが、覚えのある顔に気付く。

 

「時任(ときとう)……先生?」

 

 問いかけに、前髪を手で掻き上げた経営情報学部の講師、時任 慶二(けいじ)先生は眠そうな目を瞬かせた。

 

「そうですが……どちら様ですか?」

 

 容姿端麗で二十九歳の独身。さらに“噂”も合わせ学内では有名だが、先生からすれば私は何千という生徒の一人。学部も違うのだから当然だと慌てて頭を下げた。

 

「す、すみません。私、情報学科二年の佐々木 零花といいます。あの……掲示板でコレを見つけて……」

 

 恐る恐る持っていたメモを見せる。
 先生は眉を顰めたが『ああ』と、あっけらかんと言った。

 

「よく見つけましたね。それ、結構見えないとこに張っていたと思うんですが……最悪、他の先生に見つかって怒られることもあるんですよ」
「で、でしょうね……」

 

 てっきりこの部屋に通ってる誰かかと思ったが、先生はゼミを持っていないし、発言から募集主で間違いないようだ。しかも、許可なしの上にワザと。

 

「な、なんでまた……」

 

 メモと先生を交互に見ながら問うが、愚問だと、意地の悪い笑みを返された。

 

「なんでって、そのままの意味ですよ。だから貴女はきたのでしょう?」
「っ!」

 

 夕暮れが掛かった顔は艶めいていて、寒気のような歓喜のような疼きが全身に走った。次第に速くなる動悸を堪えるように顔をそらすと、メモを握りしめる。

 

「そ、それはそう……ですが……まずは……お話を……」
「腰をくねらせてどうしました? 貴女は言葉だけで感じてしまう淫乱な娘(こ)なんですか?」
「い、淫乱なんて……先生がそんなこと……」

 

 言わないでください。
 そう言いたいのになぜか下腹部が締まり、声を詰まらせてしまった。身体は熱く、息も零れていると、先生はくすくす笑いながら手招きする。

 

「なら、こちらにきてください……早く」
「は……い……」

 

 命令に聞こえるのは“先生”だからか別の“何か”なのか、自然と返事をすると震える足が進む。その度に動悸も呼吸も速く、下腹部から何かが零れた気がした。
 落ちている本や服を踏まないよう先生の前に立つと、眼鏡越しに自分が映る。夕暮れとは違う熱で火照った自分が。

 

 身長が一八十ある先生は座高もあり、立っている私との差が殆んどない。座ったまま伸ばした手に頬を撫でられた。

 

「っ……!」
「イい反応ですね。怯えているように見えて何かを期待している……いや、欲情している」
「欲じょ……きゃっ!」

 

 眼鏡の奥にある目が私を捉えると腕を引っ張られ、咄嗟に抱きついてしまった。

 

「す、すみま……!」
「ちなみに、住み込みでの炊事洗濯をお願いしてしまうのですが?」
「すすすす好きです! というか大歓迎です!!」
「? よろしい……では、テストを受けてもらいましょうか」
「え、テス……ひゃっ!」

 

 耳朶を舐められた衝撃で床にへたり込む。が、両手を掴まれると先生のズボン、大きく膨らんだ股間に手を乗せられた。元彼とシたことあるからわかる、男のモノ。視線を上げると、私だけを映しながら先生は微笑んだ。

 


「第一関門──フェラで私をイかせない」


 

 そう言って、躊躇うことなくズボンから自身のモノを取り出した。
 高校、大学受験よりも難題なモノを前に、思考がショートする────。

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