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花のフィールド

​30話*「佐々木零花」

 それはとても幸運で至福の一時だった。
 端から見れば珍奇でありえない、都合の良い夢か妄想。正直、私自身も思う時がある。でも、残っている。

 消したいのに消せない。消してはいけない。私だけの記憶と想いが──。

 


* * *

 


「ふわあぁ~! こ、これ、ホントに食べて良いの!?」
「もっちろん。だって今日はれいりんの誕生日だもん」
「~っ、だんだん!」

 

 向かいに座る紗友里ちゃんの笑顔に御礼を言うと、テーブルに広がる豪華なランチに手を合わせた。

 

 新年を迎え、春風も吹きはじめた初春。
 暦では三月一日だが、閏年二月二十九日生まれの私にとっても誕生日。今年のカレンダーに載っていなくても、祝ってもらえるのは嬉しい。
 食後のデザートにも花を飛ばす私に紗友里ちゃんはくすくす笑う。

 

「それで、復学届はもう出したの?」
「ううん。この後、大学に行くから……あ、卒業おめでとう。これ、お祝い」
「わ、ありがとう。じゃあ、私も誕生日プレゼントね」
「えっ、食事だけじゃなかったんが!?」

 

 驚きながらもありがたくプレゼント交換し開くと、小花のストラップが付いたピンク色のイニシャル入りボールペン。メーカー名には覚えがあった。

 

「あ、これ使いやすいんだよね」
「もしかして持ってた?」
「ううん。私じゃなくて慶二さん……が」

 

 語尾を落とすと口を閉ざす。
 気付いた紗友里ちゃんは悲し気な表情で立ち上がると私の隣に座り、優しく頭を撫でてくれた。一緒に卒業したかったのはもちろん、未だに目が潤むのは本当に好きだったからだろう。

 

 あの日から時任家に行ってもいなければ会ってもいない。
 書面での契約書があったわけではないし、辞めることは伝えたので、戻らなくても違反にはならないはずだ。戻れないのが本音だが。

 

 私物はどうするかと紗友里ちゃんを通して慶二さんから伝言を貰ったが、出て行くことは決めていたので必要な物は既に持っていた。なので、持っていけないカップや洋服やナーくん。ボードやアドレスから私を棄ててくれと深謝のメールを送信後、私も時任家のアドレスを削除。目頭を押さえながら、また鞄ひとつで帰郷した。

 

 しばらくは窮屈な思いをしていた実家だったが、収穫期前後は暇なので昼過ぎまで田んぼと近所の手伝い。夕方から高校まで通っていた空手道場で情報大学のノウハウを活かした事務バイトをさせてもらった。投げ飛ばしもできるし、ちょうど良いストレス発散にもなる。
 父の退院後は母の小言も減り、無事卒業が決まった兄も年末年始に彼女さんを連れて帰省。結婚話で親類が大盛り上がりしたものだ。

 

 対して、私の結婚に進展はない。
 何度か相手には会ったものの、三つ年上の無口な人で、話らしい話もできていない。破談を期待しているが、世間体を気にする互いの両親を考えると難しそうだ。

 

 そんな時、兄に復学の話を出され、紗友里ちゃんからも誕生日を祝いたいからと上京した今日。
 故郷に比べたら寒くもないし、人通りも以前と変わらない東京には安心感がある。何より欲しかった物が揃っているのがありがたい。

 

「あ、あった! ……うわぁ、レジに持って行くの恥ずかしいがやぁ」

 

 紗友里ちゃんと別れ訪れたのは大型書店。
 声を弾ませては頬を赤める私は地元には置いていなかったはじめさんの画集、三弥さんの新刊、シロウさんの写真集を手に取った。シロウさんの裸なんて見慣れているはずなのに、写真だと赤面してしまう。

 

「それにしても、まさか三弥さんがTLを描くなんて……」

 

 レジに向かいながら見下ろす漫画は肌多めだが、男性向けではなく女性向け。名前も異なるが絵が似ているし、コッソリ見ているSNSで本人が宣伝していたので間違いないはず。

 

「どうりでニヤニヤしてると……わあ、綺麗」

 

 書店を出ると、大通りの一角で足を止める。
 ショーウィンドウに並ぶのは煌々と輝く宝石やネックレス。宝石店だけあって目眩くばかりだ。特にブレスレット。ダイヤの小花に、プラチナパーツが四つ付いている物に心惹かれる。

 

「良いなぁ……」
「お嬢さん(レディー)の好みなのか?」
「うーん、パーツが数字だったらもっと良わあああぁぁ!」

 

 割って入ってきた声よりも磨かれたショーウィンドウに映る姿に絶叫した私に、トレンチコートを着た男性は黒の皮手袋で眼鏡を上げる。揺れるチェーンよりも訝し顔に声を震わせた。

 

「ごごご五郎校長っ!?」
「……いったい、お嬢さんの中で俺はなんのポジションなんだ」

 

 突然のことにパニクった私に、時任兄弟の父である五郎さんは大きな溜め息をついた。

 


* * *

 


「あっははは! 社長はまだしも校長とかっはは!!」
「うるさい。さっさと持っていけ、華菜子」
「はいはい。って、ジューンったら派手に切ったわね」

 

 宝石店の二階にある応接室。
 眉を顰めた五郎さんは、チェーンが切れたネックレス入りの箱を知人だという店長さんに渡す。向かいに座る私は居た堪れず、宝飾が掲載されたカタログに目を通した。専門店だけあってピンキリだが、見ているだけで頬が緩む。

 

「気になるのがあるなら、はじめたちに頼めば良い。お嬢さんを愛しているのだから買ってくれるだろ」
「そ、そんなつもりは……って、愛!?」

 

 二人になったとはいえ、予想外の話に顔を真っ赤にした私は固まる。用意されたコーヒーに口を付けた五郎さんは片眉を上げた。

 

「四人ともお嬢さんを愛してると聞いたが?」

 

 断言に全身が疼くと目頭が熱くなる。
 同時に彼は知らないのだと、顔を伏せた私は震える両手を握りしめた。

 

「……知ってます……でも、断りました」 
「断った?」
「はい……実家で結婚の話が出て……春に家政婦を辞めたんです。今日はたまたま東京にきてて……」
「……アイツ等(ら)、止めたのか?」
「はい……止めてくれました……愛してるって言ってくれました……でもっ」

 

 振り絞っていた声が詰まり、涙が零れる。
 兄弟の父を前に言うことではないとわかっている。それでも待ってくれている目に本音を口にした。

 

「私が悪いんです……実家が嫌いなくせにNOって言えなくて……何も持ってないから結婚しかなくて……みんなが好きなのに……それだけじゃ世間は許してくれない」

 

 上手く伝えることができず、もどかしい。
 でも、五郎さんは何も言わず耳を傾けていた。視線もそれないことに、啜り泣きながら続けた。

 

「それに、四人から愛されるだけでも卑しいのに……誰かを選ぶなんて出来ない……四人とも愛してる私はどげしゃもない女だが」
「急な方言が気になるが……確かにどうしようもできんな。両想いなら」
「……え?」

 

 目を丸くする私に、一息吐いた五郎さんはソファに深く背を沈めると眉間の皺を押さえた。

 

「放任していた俺が言うのもなんだが、息子たち(アイツ等)はジューンに似て自由気ままで性欲が強い……お嬢さんもだいぶん犯されたんだろ?」
「ふぐっ!?」
「それでもお嬢さんは愛してると言う……なら、四人とも貰ってくれ」
「What!?」

 

 性行為を知られたことより、突飛発言に涙が引っ込んだ。
 英語で聞き返すほど困惑する私に腕を組んだ五郎さんは溜め息をつく。

 

「不本意だが、頑固なとこは父(俺)似な上に家訓は『曲げるな、守れ』。お嬢さんを愛してることを曲げる気もないようだし、お嬢さんも愛してるならWinWinだろ? 事実婚でもなんでも好きにしてくれ……お嬢さんが嫁なら俺も安心だ」
「はいいいぃぃっ!?」

 

 あたかも好しと頷いているが、私は鳩が豆鉄砲を食らった気分だ。
 認められるわけない、バカじゃないかと罵られる覚悟だったのに、否定どころか公認を得てしまい途方に暮れる。と、ノック音が響き、店長さんが入室してきた。

 

「お待たせー……どしたの?」
「いや……息子たちを頼むと言っただけだ」
「あら、ついに? まあ、ウチの息子嫁(ちんちくりん)よりはシッカリしてそうね……て、息子たち?」
「華菜子、別に頼みがある」

 

 店長さんは違和感に気付くが、立ち上がった五郎さんの声に部屋を出て行く。彼もまた続くが、ふと立ち止まると振り向いた。

 

「何も持ってないとお嬢さんは言ったが、考えを改めた方がいい」 
「え?」

 

 まだ呆けていて反応が遅れるが、眼鏡越しに私を捉えた目は優しかった。

 

「何かを持っているから四人が惹かれたんだ。俺に言ったように、アイツ等にも本音をぶつけて貪欲になればいい」
「そんな……今さら」

 

 泣き明かした日から半年以上が経っている。
 連絡先も消した。住所も移した。あれだけ業を煮やし、拒否した私をまた愛してくれるとは思えない。愛想が尽きているに決まっている……きっと家性婦だって。
 胸が張り裂けそうな思いでいると、僅かに喉を鳴らすのが聞こえた。

 

「言っておくが、俺はお嬢さんは帰省中で辞めたとは聞いてないぞ」

 

 伏せていた顔を上げると、五郎さんは少しだけ口角を上げていた。それはよく知る笑みと重なっても違う、父親の顔。

 


* * *

 


 窓の外に見えるのは夕暮れ。
 久し振りに訪れた大学は春休みに入り、人もまばら。さほど時間も掛からず学生課で復学届の書類を受け取った私は自分の足音しか響かない廊下を歩く。

 

 その目は書類ではなく右腕。ショーウィンドウ越しではない、手首で輝くブレスレットにあった。息子たちが世話になっていたからと、五郎さんに有無を言わさずプレゼントされた品。
 鮮麗な輝きに高揚の溜め息が零れるが、ダイヤの小花より小さな四つのパーツに目が留まる。これが数字だったらと思うのは病気だろうか。

 

 立ち止まると、書類を鞄に入れるのとは反対に本屋で買った三冊を取り出す。そこに、先ほど貰った今年度の大学パンフを入れた。上から二番目に。

 

「……っ」

 

 自然と動いた手が震えると、ビニールに包まれた画集に涙が落ちる。
 繋がりがあったとしても、今の私は一般人。ただのファン。なのに画集の題名『0』、家政婦のTL漫画、写真集の題名『I love you』が自分宛に思えてしまう。

 違う。勘違いするな。私のことじゃない。私はもう違うと覚束ない足で駆けるが躓いてしまった。

 

「っととと……!?」

 

 なんとか転倒を避けると顔を上げる。そして目を瞠った。
 目前にあるのはサークルメンバー募集やお知らせなど、様々なチラシが無造作に貼られた掲示板。覚えのある場面に嫌な動悸が鳴る。震える。なのに視線は動いてしまう。端のまた端。他のチラシに半分以上が隠れながらも確かにある小さなメモ用紙に、一文に。

 

「──っ!」

 

 咄嗟にメモを引き千切った私は駆け出した。
 あの時のように窓から差し込む夕陽が影を伸ばし、私に合わせて動く。息を切らし、涙を落としながら向かうのは別棟二階の端。

 

 なぜ行くのか、行く意味があるのかなんて考えはない。
 感情のままに動く身体と気持ちを抑えることはできず、見慣れた『第二教員室』の扉を深呼吸もノックもせずに開いた。

 

「失礼しまっ──!」

 

 開けてすぐ後退る。
 あの日と同じ行動をし、物が散乱しているのも変わらない。でも、あの日よりは散らかっていないし、黄昏を背に受ける人が自身の席に着いていた。キーボードを打つ手が止まると顔が上がり、視線が私に移る。

 

「ノックもせずとは困った生徒ですね……何か御用ですか?」

 

 電気も点いていない部屋は薄暗いのに、差し込む夕暮れが綺麗な黒髪と私だけを捉える灰色の瞳──慶二さんの笑みを魅せていた。
 耳慣れた声と姿に鞄と持っていた四冊が落ち、涙が零れる。

 

「御用って……こんなの見たら……」

 

 啜り泣きながら手を開く。
 握りしめていたのは、引き千切ってくしゃくしゃになったメモ。私も手に取った『家政婦募集』のメモだ。

 

「なんですか……やっぱり新しい家性婦……ひっく……捜すんですか……また、フェラで決めるんですかぁ」

 

 嗚咽する私の動悸は痛みに変わり、悲しみとショックが全身を覆う。
 新しい家性婦を捜すのは予想していたが、愛してると言ってくれてどこか安心していた。でも間違いだった。やはり時間と共に気持ちは変わるのだと、想い続けてきた自分がバカみたいだと、資格はないとわかっていても裏切られた気分になる。
 対して慶二さんは無情にも、くすくすと笑った。

 

「ええ。私の関門は突破しているので、イラマで十回ほど犯してから最終関門をしましょうか」
「死ぬがっ!!! ……って、最終関門?」
「Oh。ならオレは、立ちバックで犯す」
「俺はバイブとローターの同時攻めだな」
「じゃあ僕は……みんなの愛撫で出た蜜を筆に付けて、レイちゃんに塗る」
「っ!?」

 

 口々に述べられる不吉で甘美な行為と声に違和感よりも先に振り向く。
 廊下に佇むのは慶二さん同様、艶やかな笑みを浮かべる人。否、人たち。床に散らばった四冊と同じ顔、作者である残りの兄弟。はじめさん、三弥さん、シロウさんが揃っていた。

 

「なん……で」

 

 理解できていない私に三人は苦笑し、シロウさんが指す。私の手首で輝くブレスレットを。

 

「Dad(父さん)からレイカと会って大学に行くらしいって連絡を貰ったから急いで駆けつけたんだよ」
「そしたらケイ兄が、お前を釣るにはこの方法が一番とか言ってな」
「ふふっ……まさかこんな風に家政婦さんを選んでたなんてね」
「選出は任せると言ったのは三人でしょ。まあ、零花さん専用の受験票ですから、他がきても無効ですがね」

 

 余計に混乱するが、噛み合ってないことに受験票(メモ)を見つめると裏返す。
 瞠った目に映るのは自分の字で書かれた『佐々木 零花』の名。顔を上げた私を映す四人は微笑み、慶二さんは手招きした。

 


「では、最終関門──零花さんの本音を聞かせてください」

 


 それはあの日よりも平易で難解な命令────。

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