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​モん!

   35話*「嫌い」

 淑女さんの手には確かに私の『婚約指輪』がある。

 

「どこに……ありました……?」

「指輪を外された場所に落ちていましたよ」

 

 つまり単純に入れたと思っていたのが、抜け落ちただけということでしょうか。

 無事に見つかったのは良かったけど、廊下掃除から既に四時間は過ぎている。同じ疑問を持ったのか、かえでんが珍しく強張った表情で淑女さんに問うた。

 

「……みきさんのとわかっていたように聞こえます。なぜすぐにお返しにならなかったんですか?」

「純粋に“宝石”として興味があっただけです。それにしても海雲さんもこんな安っぽちな物で……貴女、愛されていませんわね」

 

 淡々とした口調だが、強くハッキリと射抜くような目は、かな様とはじめて会った時と似ていて、私も負けじと目を見る。

 

「指輪そのものが海雲さんの“女”で愛されているという証拠なんです」

 

 値段は関係ない。もちろん高かったら私は困ると思いますが“私に”と嵌めてくれた事に意味がある。その気持ちを疑ったりはしない。

 すると淑女さんは目を細め、私の指輪を掲げる。

 

「……愛は物ではないと言いながら指輪(これ)に頼ってらっしゃるのね。なら、なくなったら普通の女になるだけですわよね……?」

「へ……あ!」

 

 私の声と共に淑女さんが指輪を投げる。

 同時に私は跳び出すが、遠くまで投げられることはなく、プールに届くギリギリのところでキャッチすることが出来た。否、仁くんが淑女さんの腕を掴んでくれたおかげで。

 地面に倒れ込むと、怖い顔で仁くんが淑女さんを睨んでいるのが見えた。

 

「何してんだよ……母さん」

「楓仁……」

「みきさん、大丈夫ですか!?」

 

 慌てて駆け寄ってきたかえでんに私は頭を少し打っただけだと、真冬のプールに入って寒中水泳するよりは全然平気だと苦笑した。

 でも解いていた髪の半分がプールに浸かったせいか、かえでんが慌てて上着を被せてくれる。嬉しいが、今は睨み合っている二人が先。そして、淑女さんの方が怖いです。

 

「……楓仁、貴方も何をしているの? バカな付き合いをしていないで部屋に戻って勉強でもなさい」

「こ、困っている方を助けて何が悪いんですか!」

「楓……昨日から口調が激しいですね。大地さんから彼女と漫画の付き合いが出来たと聞きましたが……まだ幻類の夢を追い駆けているのですか?」

 

 淑女さんの威圧感がハンパなく、仁くんとかえでんは苦渋の色を浮かべている。でも大丈夫と、かえでんの前を遮った私は眉を吊り上げると、淑女さんに向き合った。

 

「幻類な夢なんてありません。人は空にだって宇宙にだって行けますし、何を目指すのもその人次第です」

「貴女……アルバイトされているようですが、特に目標もなく過ごしているのでしょう? 夢にも破れ落ちた人が大きな口を叩けるものではありません」

 

 突然のことを言われ、一瞬言葉に詰まる。

 

「ゆ、夢は海雲さんの……」

「『お嫁さん』など小学生ですか? そうやって甘えているから考えが幼稚なのです」

「……母さんが人様の婚約者に口を出す話じゃねーだろ」

「交流がある家との繋がりは利用するかされるかです。私と華菜子先輩のように。この方が藤色家に入るなら汚点に成りうるでしょうね」

 

 散々な言われように頭を抱える。

 淑女さんはちーパパさんと違い、完全に私やかな様を嫌っているようです。毛嫌いなのかなんなのかわかりませんが、淑女さんは冷めた目を仁くんに移した。

 

「楓仁、貴方もダラダラとして何がやりたいのか明確になさい。そのようでは彼女のように不必要な人間に……」

「残念ながらみきも楓仁も必要ですよ、千秋さん」

「千秋っ!」

 

 気付けば海雲さんとちーパパさんがやってくる。

 顔を青褪めているちーパパさんとは違い、海雲さんは鰐巾のおじさまを前にした時と同じ、憤怒の表情だった。淑女さん達を横切った彼は私の前へ来ると鋭いチョップを頭に落とした。

 

「いったあ~いっ!」

「……本当に良いも悪いも騒動を起こすのが得意なようだな。ひとまず中に入れ。話はそれからだ」

 

 

* * *

 

 

 温かい暖房が入った室内のソファに腰を下ろし、私は髪を拭く。

 事の顛末を話すと、ちーパパさんが私の指輪を持って淑女さんと何か揉めはじめるが、海雲さんも仁くんもかえでんも黙ったまま……この空気はマズい。

 ドクンと嫌な心臓の音がすると、ちーパパさんが私の元へとやってきた。

 

「悪ぃーな嬢ちゃん。千秋が粗相しちまって。ほれ、指輪返すな」

「あ、ありが……」

 

 海雲さんにジと目で見られてる! 無事に指輪が手元に戻ってきたと同時にバレた!! 明らかに怒ってる怒ってる怒って大きな溜め息をついた!!!

 

「……それでジャンプしてたのか」

「みみみみ見てたんですか!?」

「……部屋からそれが見えたから急いで降りてきたんだ……このバカ」

「す、すみません……」

 

 髪を荒く混ぜられながら謝罪するが、海雲さんの顔は冴えない。

 さっきの“不必要”の言葉を気にしているんだろうか……私の方が普通は怒るべきなのに。

 

「千秋もちゃんと謝るんだ! 偶然拾ったとはいえ、投げ捨てることはないだろ」

「……なぜ貴方まで彼女の肩を持つのですか?」

「何?」

 

 ちーパパさんが声を荒げていると、黙っていた淑女さんが吐き捨てるように言った。

 

「私のした行為は愚かだったとは思いますが、彼女は私達を乱しすぎています! 現に貴方は今朝になって藤色と手を結んだと……来る前はあれだけ拒否されていましたのに何故です!?」

「そ、そりゃ……会社の為にだな……」

「嘘です! 来る前は『会社の為でも藤色なんぞ』と仰っていたではないですか。それが昨夜部屋に戻ってきたと思えば『嬢ちゃんが嬢ちゃんが』と言って……」

 ……えーと、なんか私が話をややこしくさせました?

 私とちーパパさんは“ちんちくりん同盟”みたいなもので浮気などは……と思っていると、風呂上りでバスローブ姿のかな様がやってきた。牛乳パック持ってワイルドに。

「心境の変化がそれぞれあって上手くいくなら良いじゃない。アンタの好き嫌いで社会は何も動きはしないのよ」

「ですが、その変化が私達を狂わしているんです! 彼女と会ってから楓仁も楓も悪い方にしかいっていないと……」

 

 ……えーと、なんか私、疫病神扱いされてません?

 自分に正直に生きてきたつもりなのにちょっとショックですよ。素行は褒められたものじゃないかもしれませんけど。そう思っていると海雲さんが機嫌悪そうに割って入った。

 

「……“誰か”で人は変わるもんですよ。俺や寺置がそうだったように……千秋さんがニ人の変化を望まないのは自分通りの道を歩かせたいからですか?」

「そ、そんな……私は確かなる道をニ人に歩んでもらいたいだけです」

 

 完全に淑女さんが悪者扱いになっていて、重たい空気に眩暈を覚える。

 それを堪えながら聞く相手が違うと、私は海雲さんの腕を握った。

 

「まあまあ海雲さん、子供の意見も聞きましょうよ。仁くんとかえでんの夢はなんですか? ここはもう明確に宣言しちゃいましょう、ね」

 

 笑顔で振り向く私にニ人は不安そうな表情をするが、顔を見合わせると意を決したように頷いた。自分の夢の発表なんて小学校の時以来だろうけど、その頃と今では全然違うはず。たどたどしい口調で仁くんから話しはじめた。

 

「俺は……昔は『家を継げ』って強制されて嫌だったけど……今は親父の作った機械すげーって……継いで俺も良いの作りてーって……思う……」

「……楓仁?」

 

 仁くんの告白に、ちーパパさんは驚き、淑女さんも目を見開く。かえでんも弱々しい口調で続けた。

 

「私は……漫画……描きたい……です。ドキドキを貰ったし……お父さんと大恋愛したって……小さい頃お母さんに聞いて……いつかその物語を……描いてプレゼント……したいって」

「……楓」

 

 淑女さんは絶句しながらニ人を見つめる。

 私も知らなかった理由に驚くが、言うと言わないとでは違う。私がそうだったようにニ人も変われる……ううん、もう歩き出してる。

 

 海雲さんを見ると少し機嫌が治った表情でニ人を見ていた。

 ちーパパさんも安堵の息をつきながら淑女さんに近付く。

 

「だそうだ……千秋。俺は好きな道でいいと……」

「何故ですか!?」

 

 突然の大声に全員が肩を揺らした。

 同時に私の脳裏には別の出来事が重なる。

 

「私はずっとニ人には貴方の手伝いをと育ててきました!」

『私はずっと一緒にいたいって言った!』

「だから……楓仁は俺の跡をって言ってくれたじゃねーか。楓まで強制はないだろ?」

『だから……それを強制しなくてもいいだろ!?』

 

 胸の動悸が速くなり、冷や汗が流れる。

 仁くんとかえでんは顔を青褪め、かな様と海雲さんはマズいと思ったのか、二人を止めようとするが口論は続く。

 

「貴方は甘いんです! そういうところを治していただかないと!!」

『だったらその癖を治しなさい!』

「お、俺だって厳しくは言ってるが……」

『お、俺だってそれなりに治そうとは……』

 

 ダメだダメだ。これ以上はダメ。それ以上は言っちゃダメ。

 怒りからか淑女さんは立ち上がり、自分よりも身長の低いちーパパさんを睨む。そんな彼女を落ちつかせようと、ちーパパさんは慌てふためくが、逆効果だったようだ。

 

 

「そんなウジウジとした貴方なんて嫌いです! シッカリと告げる貴方が好きだったのに……私の事なんて何も気にせず……そんな人を私はもう愛せません!! 別れてください!!!」

「母さん!?」

「おいっ、千秋!」

「名前も呼ばないでっ!!!」

 

 

 瞬間、淑女さんの振り上げた右手が、ちーパパさんに落ちた。

 大きな音が大晦日の夜に木霊する────。

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