カモん!
31話*「今の夢」
真剣な目を向ける私に、楓さんも目を見開いたまま動かない。
手を離した私は彼女の筆箱からある物を失敬した。
「ペン軸と丸ペンとGペン」
肩がビクリと跳ねたが、さらに攻める。
「ネーム」
「あっ!」
「ノドとタチキリ」
「とっ!!」
「トレペ」
「のっ!!!」
「あお「もういいです!」
今まで聞いた中で一番大きな声で遮った楓さんは恥ずかしそうに両手で顔を覆っている。
おおっと、イジメてたわけではないですけど、心が痛いですね! ごめんなさい!! これがわかった方もお仲間さんですね!!!
しばらく沈黙していると顔を少し上げた楓さんが、か細く訊ねる。
「あの……なんで……」
「あー……いえ、私も以前描いてたので」
「そうなんです……か?」
頷くと、落ち着きを取り戻した楓さんは飲み物を取ってくると部屋から出て行った。
クッションに座る私は彼女の今までの行動を思い返す。
違和感と言うよりは私自身もしていた行動。
それは漫画を描くのに必要な『資料』と言う名の『観察』。漫画を描いている人は目に映る物すべてを観察する癖があります。ドアひとつ、デザインから開き方まで……私が海雲さんの会社や家を見てウズウズ絵に起こしたかったように、一種の職業病みたいなもの──そして。
紅茶とお菓子を持って戻ってきた楓さんは向かいに座ると、カップを差し出す。お礼を言って一口飲んだ私は頬を赤らめながら訊ねた。
「私と海雲さんの……キスは……お役に立ったでしょうか……?」
「すっ、すみません! ……ビックリもしたのですが目が離せなくて」
聞くと楓さんは少女漫画家志望で、現在一月締切でニ作目の原稿をしてたらしいのですが、今回のお泊りで厳しくなり持ってきたそうです。そして漫画ラストにキスシーンがあるものだから……うん、キスって滅多に日本じゃ見れるもんじゃないですよね。私もドラマ録画して、繰り返し観てはまきたんに蹴られたことあります。
「みきさんは……もう描いてないんですか?」
その言葉に胸がズキッとした。
いま頑張ってる子に言っていいものか、夢を壊すことは言えないと口篭もる。けれど苦手なジと目に、苦笑しながら答えた。
「残念ながら今では落書き程度ですね」
「いつ頃からされてたんですか……?」
「初投稿は楓さんと同じ十四歳です。高校まで描かなくて、十八から二十四までは集中して投稿してましたね」
「え、じゃあ最近まで……」
そう、根暗な中学の頃にはじめて小さな賞を取りましたが、しばらく描かず高校の時に再開して去年やめました。賞は何度か取れてたけど、デビューには至らなかったし、就職してたわけでもなかったので。
正直に話すと楓さんが暗い顔になってしまい、慌てて手を横に振る。
「でも、こればかりは会社側の基準や私の努力不足ですから、何事も諦めず続けることが大事ですよ!」
「続ける……」
「どんなことでも一回選外や失敗すると『むいてないかも』って気落ちしますけど、そこで諦められるのならそれは夢じゃないと思います」
「でも、みきさんは……」
あうぅ、確かに目の前に諦めた私ヤツがいると説得力ないですよね。でも、私はシッカリ区切りをつけたつもりです。
「少女漫画家は無理だったんですけど、ネットで公開していたら絵のお仕事を貰えて、少女本や絵本に数ページ漫画載せてもらったんですよ」
「そうなんですか!? すごい……」
「それも一種の『夢が叶った』かなと今では思ってます。だから私はもう大丈夫なんです。今の夢は海雲さんのお嫁さん……でしょうか」
恥ずかしそうに言うと楓さんも頬を赤らめ、可愛い笑顔を見せてくれた。
そして私達は両手を取り合って改めて自己紹介すると『友達』になった。楓さん改め“かえでん”です!
* * *
「……何があったんだ?」
晩御飯の時間になり、リビングに向かう途中で海雲さんと会う。
仲良く手を繋ぐ私とかえでんを不思議そうに見つめるが、手を離した私は海雲さんの隣に並んだ。
「いいですか、かえでん? 身長一八十越えの人と一五十の人の身長差はこのぐらいで、肩は横に広く、手の大きさはこんなにも違います!」
「なるほど……」
海雲さんの手の平に自分の手の平を合わせると、かえでんは観察する。
突然はじまった講座に海雲さんは意味がわからないといった顔ですが、私の知っている漫画知識が、かえでんの役に立つならと部屋でずっとお喋りしてました。
ちなみにかえでんが海雲さんを直視出来なかったのはイケメンすぎたらしいです。良かった、ちょっと気があるのかと思っちゃいましたよ。
そこで海雲さんの方を向いた私は手招きし屈んでもらうと、“ちゅっ”と、小さなキスをした。海雲さんは固まったように動かず、かえでんは両手で口元を覆っているが、目はバッチリ見ている。
ベッド以外で自分からするのははじめてかも……恥ずかしい。そして海雲さん瞬きしてませんよ! 大丈夫ですか!? もしかして私、キス下手ですか!!?
そんな事を考えていると壁に寄せられ、私のとは全然違う、熱くすべてを溶かすような舌と液が混じった口付けをされた。
「ふぁあ……んっ、あぁん」
「誘ってるなら……みきを“晩御飯”にしてもいいんだぞ」
「そそそそそれはご勘弁を~~」
海雲さん相手だと健全な少女漫画ではなく、R指定が付いちゃいます!
まだ小さなキスを続ける海雲さんに私はジタバタするが、まったく聞いてくれない。そんな私を見兼ねたかえでんが勇気を振り絞ってくれた。
「か、海兄さん……その……もうリビングに行かないと……」
「…………………………わかった」
長い沈黙がありましたが、なんとか止まってくれた。
かえでん、ありがとう。海雲さん、ごめんなさい。夜、頑張ります……多分。そんな海雲さんがかえでんと見つめ合っている。あれ、りんちゃんの時みたいにお似合いに見えてきましたね。
「……みきで良かったか?」
「……はい」
嬉しそうに言うかえでんに海雲さんは小さく微笑み、先にリビングへと向かった。なんだか初々しいニ人で私の方が恥ずかしい。まさかのヒロイン交代の予感がしていると後ろから抱きつかれた。
「ふひゃあっ!?」
「ん~婚約者ちゃんはやっぱ抱き心地良いな~~」
「楓仁兄さん!」
「よっ、楓。婚約者ちゃんと仲良しじゃ~ん」
仁くんにまた捕獲されてしまった。
呑気に喋ってますが、やっぱり身長のことを言ってるんだろうかとジタバタするが離してくれない。それを制止させたのは別の声。
「楓仁、はしたないことはお止めなさい」
振り向くと、ゆっくりと淑女さんがやってくる。
薄く微笑んでいますが、さっきの海雲さんのとは違い睨まれている感じがします。かえでんも仁くんも黙ったまま。
「もうすぐ食事なのですから早く行きますよ」
「……はい」
「はーい」
二人の返事に通り過ぎる淑女さんは一旦止まり、私を見る。
「……貴女も一応成人していて、この子達よりも年上なのですから見っとも無い真似は慎んでくださいね」
「……すみません」
私の謝罪に一息ついた淑女さんはリビングへと姿を消した。
あの敵視通りではないですが、かえでんの“少女漫画家”という夢も淑女さんには反対されているらしく、コソコソ描いてるそうです。どうしたもんかと悩んでいると、顔を寄せた仁くんに耳打ちされた。
「ごめんね、婚約者ちゃん……それと楓と仲良しになってくれてありがとう」
その笑みは人懐っこいけど“お兄さん”の顔。
ここにも問題があるようです────。