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幕間2*「初恋」

​*寺置視点です

 ずっとずっと被り続けていたモノが壊れようとしている。

 たったひとつの事だけで──。

 

 

 目覚めると、カーテンの隙間から薄っすらと星空が見えた。

 時刻は五時。真冬に上半身裸で寝るのは癖というか、まあ暑がりなんだろう。カーテンを開けると東京の自宅とは違う景色。目の前には海が広がり、窓を開けると小波が聞こえてくる。

 

 白い息を吐きながら眼鏡を掛けると視線を上げた。

 雲が掛かっていてハッキリとは見えないが、観覧車の影が見えると自然と口元が緩む。

 

 だが、シャワーを浴びた頃には“いつもの”表情を作っていた。

 

 

* * *

 

 

「次の日曜、みきの家に挨拶行くから仕事は入れるなよ」

 

 車で打ち合わせ場所へ向かう途中のこと。

 まき様の姉みっちゃん様こと、みき様と無事両想いになった腐れ縁で上司の海雲様が珍しく無口な口を開いた。運転しながら私も口を開く。

 

「早速ご両親にご挨拶ですか?」

「ご両親と言うか……母親だけだな。離婚してるらしいから」

「おやおや」

 

 以前みっちゃん様に父親は一緒に住んでいないとは聞い……おや、離婚なら違うような。

 そんな疑問を解くように海雲様が説明してくださいました。離婚されていても時たま会っていること、実はみっちゃん様が元根暗でオタク(海雲様はよくわかっていないみたいですが)なことを。

 

 そう言えば、ちびップルの女がなんか言ってたな。

 女と言えば観覧車の後、まきをホテルに連れ込みたかったのに中々起きなくて、結局自宅に送り届けたんでした。残念。と、苦笑していると、後ろからシートを蹴られた。なんでしょ?

 

「いや……“いつもの”と“素”……どっちだと思ってな」

「頭が花畑の人に判断は難しいようで」

「おいっ……」

 

 また強く蹴られた瞬間、あの女が言っていたことを思い出した。

 確か『ニ人揃って根暗』とか……つまり──まきも?

 

「おいっ、前!!!」

「ああ、すみません」

 

 気付けば赤信号に突入しようとしていました。

 運転中の考え事はいけませんね、後ろの人に代わってもらいましょうか。

 

 

* * *

 

 

 日曜日。一緒に御自宅へ伺うと、一週間振りだというのに予想通りまき様にはイヤな顔をされました。電話しても恐らく出てくださらないので、一日一回メールで『元気に跳ねてますか?』と送ったら、月曜『元気です』から、昨夜『ヒップドロップはいける』と進化。

 イチゴ大福ではなく、赤い帽子と髭をプレゼントしようかと思いましたよ。

 

 まき様とみっちゃん様のお母様は明るい方で、姉妹も揃えば賑やかな家庭。その暖かな空気にザワリと何かを感じたが蓋をした。

 

「どしたですか? お秘書さん」

「……いえ、後ろのニ人は無事に会話は出来ているのかと思いまして」

「あ~あ、まきたんも海雲さんもお喋り苦手ですからね」

 

 まき様と正反対なみっちゃん様はどこかボケてらっしゃるので話を逸らすのが簡単ですね。ニ人でお茶を用意していると『ドS変態腹黒眼鏡ヤロー』なんぞ聞こえたので新聞紙を失敬しました。間違ってはいませんが間違いですよ。ね、まき様?

 

 ニッコリ微笑むと黙ってしまわれたので、車内で必殺『イチゴで釣ってみよう作戦!』を決行──素直すぎてお腹が痛いです。こんなに笑ったの、いつ振りでしょう。

 

 そして小悪魔まきだ。

 ツンデレ風に大福をくれても逆効果って何故わからない。イチゴだけを残し、小さな唇に口付けた。

 

「んっ……ぁん」

 

 毎夜、海雲がみっちゃん様と電話している時は何も思わなかったのに、久し振りに味わう唇と舌に身体が“もっと”と疼いている。離れても抱きしめたい、押し倒したい……まさか俺が飢えていたとでも……?

 

 

* * *

 

 

 まき様の職業が介護福祉士というのは意外ですよね。

 施設内でも身長は低い方で、ポテポテ歩く姿は可愛いのですが、転けそうになったりと危なっかしい。それでも根は真面目で優しいですから入居者の方からも人気のようです。まあ、孫世代にあたるでしょうしね……それにしても。

 

「重原君! 食後の薬って私どこに置きました?」

「いや、辻森さん持ってきてなかったよ」

「え!? ああっ、持ってきます!」

 

 本来の一人称“ボク”を知っていると“私”が面白く聞こえますね。

 ギャップ萌えってこういうことを指すのかと考えていたら、まき様の同期の内宮様がお茶をくださいました。

 

「ありがとうございます」

「職場まで来るほど辻森っちのこと好きなんですか?」

 

 おやおや、ハッキリと言うお嬢さんですね。

 この方だけは“ボク”を使っていらっしゃるようなので無言はなしにしましょうか。

 

「働いているところって一度は見たいじゃないですか」

「娘を心配する父親ですか」

「邪魔虫観察です」

「そっち!?」

 

 大きな溜め息をつかれてしまいました。私、ひとつも嘘は言ってないんですが。

 邪魔虫も今のところ何人かいますが、一番は同期の重原様ですね。“ボク”を使っていなくても内宮様より頼ってらっしゃるように見えますし、彼も……そんな考えをしていると、重原と目が合った。

 

 少し鋭いような目で見られるが、すぐ会釈し去って行った。どうしたものか。

 すると今度は後ろの内宮様から呆れのような視線を感じ笑顔で振り向く。驚いたように目を見開かれるが、笑顔キープのまま訊ねた。

 

「なんでしょ?」

「……笑顔向けられるとは思わなかったわ」

「会社とは色々な思惑が渦巻く場所。どんな視線でも笑顔で迎えるのが大事ですよ」

「……ヤな笑顔」

 

 くすくす笑いながら『よく言われます』と返答すると、お茶を飲む。

 簡単に読まれても困る職ですし、面倒見ているのが堅物海雲様ですから、それ以上にならないと仕事になりません。

 

 一息つくと、目の端に薬を持って戻ってきたまき様が他の職員とぶつかるのが見えた。謝る姿に苦笑していると、内宮様がポツリと呟く。

 

「目で追うほどって……良い大人がはじめての恋みたいなことを……」

 

 一瞬思考が乱れたが『内宮様はあちらの男性が好』と返すと、お茶の御代わりを貰った。

 

 

 時刻は九時過ぎ。施設内は就寝の時間らしく、まき様達は忙しそうだ。

 人のいない休憩スペースの長椅子に腰を掛けると、先ほどの内宮様の言葉を思い出す。

 

 はじめての恋……さてさて初恋なんていつだったか。

 なんの印象もなかったのか、それともこの歳でまきなのか……それは笑えるなと苦笑する。それが良いのか悪いのかしばらく呆けていると、急に熱いものが頬に伝わり肩が跳ねた。

 振り向くと、変わらずのムッスリ顔に頬が緩む。

 

「まき様でしたか、お疲れ様です」

「そっちこそお疲れ……これお礼ね」

 

 背後を取られたのに気付かないとは余程呆けていたんですね。しかも一時間経ってますし。

 仕事中と違って、いつものぶっきら棒な口調の彼女からコーヒーを受け取ると他愛無い会話をはじめる。それが不思議と嬉しい。

 

 しかし、想像を絶する甘さのコーヒーはヤバかった。

 砂糖五杯ってどれだけですか。甘党海雲ですらそこまで入れないぞ。しかもワザとじゃないのか。

 “素”に戻りつつあると、隣に座ったまきが苦笑していることに首を傾げる。

 

「いや“普通”で安心するとは思わなくてさ」

「“普通”……?」

「だって今“いつも”じゃなくて“普通”の顔」

 

 瞬間、自分でも驚く速さでまきを押し倒していた。

 真下にいるまきも驚いたように瞬きしているが、俺の動悸は激しくなるばかり。今、なんて……確かに“素”に戻りそうだったが、それは思考だけで……まきは。

 

「違いがわかるのか……?」

「け、結構わかりやすい方だと思う……けど?」

 

 最近は海雲の前ですら見せない“素”。それが数日会っただけでわかるのか? しかもわかりやすい?

 まさかの告白に視線を逸らすと、暗闇の向こうで重原が仰天の眼差しでこっちを見ているのが見えた。魔が差したように彼女の首筋へ噛み付く。

 

「んあっ……!」

 

 一週間前に付けて消えた花弁をまた付ける。

 最初に比べ俺を意識してくれるようになったのか抵抗も少ないが、近くにいる男に声と姿を見せることは許さない。ただただ“俺の”という証を身体に唇に残す。

 

 しばらく経って唇を離すと、まきは良い具合にとろけた表情。

 そそられながらもヤツに聞かせるようリップ音を鳴らすと、まきを振り向かせないように立たせる。唾を飲み込むような音が聞こえたが、俺は振り向かなかった。

 

 “いつもの”仮面が簡単に剥がれるほどまきに溺れている自分が怖くもあり、そんな“執着心”もあったのだと何故だが愉悦感を覚える。

 

 さて今夜は────大人しく出来ますかね。

いちご
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