11話*「あん人も」
施設に入ると、予想通り職員全員の目が向けられた。
ボクと言うより、後ろの寺置さんに。六十代のおっとり中太り課長が目をパチクリさせながら控えめに訊ねてきた。
「えっと、辻森さん……後ろの人は?」
「…………そこで出会った業者の人でっぴ「責任者の方はどなたでしょうか?」
的外れな事を言うと、人差し指で上から下に背中をなぞられた。
勢いよく身体が跳ね、変な声も出そうになったが、おかげ様で……じゃないよ! コンチクショー!!
* * *
「あれが噂の辻森っちストーカーか……」
えりさんの言葉にボクは何も言えない。
寺置さんは施設長と応接間へ向かったが、残されたボクは質問責めに遭い、なんとか女子更衣室に逃げ込んだ。既に疲れたが今から仕事のため、施設ジャージを羽織る。
「それにしても予想以上のイケメンじゃない。そりゃパートのおばちゃん達が群がるわよ」
「恐ろしかった……」
思い出しても眩暈がする。
既婚者も多いパートさんだけあって『婿に!』とか、なんとか目がギラギラしていた。私的に『独身お買い得セール!』とヤツに掲げてやりたかったが、その力もなくお母さんパワーに負けた。
そんなボクに同情したかのように、えりさんが頭を撫でてくれる。
「ま、パートの人達はもう仕事終わりだし大丈夫でしょ。あのストーカーが何したいかは知らないけどさ」
いや、ホント何したいのかボクもわからない。と言うか、えりさん。ボク以外の前で“ストーカー”とか言わないでね。
そんな溜め息をつきながら恐る恐る廊下に出ると、同期の重原君に出くわし、肩が跳ねた。
「あ、辻森さん大丈夫?」
「は、はい……なんとか。お騒がせしてすみません……」
「いや、俺はいいけど、なんかあったら言えよ」
苦笑しながら重原君は一口チョコをくれると、去って行った。
重原君はボクのひとつ歳が上だが、職員内では親しみやすい方だ。貰ったチョコを食べているとえりさんが顔を出す。
「新(あらた)の方が辻森っちにはお似合いだと思うけどね」
「“あらた”とは先ほどの男性ですか?」
「名前知らなかった? 同期だし、良い距離感で話すしさ」
「彼女はいらっしゃらないんですか?」
「うん。こういう職場だと職場結婚多いし、可能性は……」
「えりさん! 話してる相手が違うよ!!」
「へ……!?」
いつの間にか寺置さんが話に入っていた。
えりさん、ボクと重原君が“お似合い”かはわからないけど、さすがに名前は知ってるよ。そして後ろのヤツ、黒いモノ纏ってくるな! そのニコニコ別もんだろ!! ブリザードも寒い!!!
訴えがわかったのか、一息ついた寺置さんは“いつもの”笑顔でえりさんに自己紹介をした。えりさんはなんとも言えない表情でボクに『ヘルプ!』と言う始末。そんな男なんだよ。
* * *
時刻は六時になり、ホールで入居者のおじいちゃんおばあちゃん達が集まって食事をしている。ボクはお茶を汲んだり食事を手伝ったりと忙しくしているが──。
「しょりゃ、まきちゃんはよかこにきまっちいる」
「そーやか。しゃーしぃー見のよか方やから毎日の楽しかでしょうね」
うおおおぉぉーーいっ! そこの寺置(おまえ)さんは優雅に座って何を喋ってんだ!! しかも博多弁!!!
見事に溶け込んでいる男にボクもえりさんも重原君も唖然。どういうわけか、施設長と話して居ることを許されたようだ。迷惑だな!
もっともそんなヤツに構っている暇もないし、おばあちゃん達と話してくれるならありがたいことだ。施設に居る人はだいたい独り身で寂しがっているから助かる。
すると、三森のおじいちゃんに声をかけられた。
「まきちゃん。あん人は新しい人かい?」
「いえ、たまたま今日だけ居る人ですよ」
「そーかい。そいは残念……面白か人なんに」
苦笑するしかない。
恐らく寺置さんは姉さんと同じで、気兼ねなく人と接し話が出来るタイプだ。ボクと違って。
そんな彼を見つめていたせいか気付かれてしまい、急いで目を逸らす。
顔が赤いボクを三森のおじいちゃんは楽しそうに笑っていたが、すぐ物悲しい表情に変わった。熱が下がったボクは訊ねる。
「どうかしました?」
「いや、あん人もまきちゃんも優しくてよか人なんに、どっか寂しそーだっち思っちな」
「……え?」
その呟きが姉さんが言っていた台詞と重なり、ボクはまた寺置さんを見つめた。
* * *
気付けば十時を過ぎ、入居者の人達は就寝。
ボクも書類整理を終えると、飲んでいたコップを片付ける。ついでにキッチンで新しいコーヒーを淹れ、事務室を出ると辺りを見回す。殆ど消灯された施設内で、自販機の電気しかない休憩スペースの長椅子に背を預けている人がいた。スーツのおかげか後ろ姿でも彼だとわかるが、なんだか切ない雰囲気を漂わせている。
そんな彼の頬にコーヒーを当てると、珍しく肩を揺らして振り向いた。
見開かれていた瞳がボクを捉えると“いつもの”笑顔を向けられる。
「まき様でしたか、お疲れ様です」
「そっちこそお疲れ……これ、お礼ね」
「まき様のはないんですか?」
「ボクはさっきまで飲んでたからいいの」
ぶっきら棒な言い方をしながら後ろからコーヒーを渡すと、肩を思いっ切り揉む。秘書なんだからと思っていたがそんなに凝っていないようだ。
「ふふふ、まき様の力が足りないだけでは?」
「そこかよ!」
頭を強く叩くが『そのぐらいで』と言われ絶句する。
おいおい、アンタ実はMでSか? もう名前を秘書からMS(モビルスーツ)にするか?
と、考えていたら手の甲で額を叩かれた。コンニャローと涙目になるボクに彼はくすくす笑いながらコーヒーを飲む──が。
「あまっっっっっ!!!!!」
「あ、ごめん。ボク甘党だから砂糖五杯は入れてるよ」
まさかの絶叫を聞けたが、前屈みで口元を押さえているのを見ると罪悪感が沸く。ワザとではないんだ決して。信じてくれ。
隣に座ると彼の肩をポンポン叩く。当然ジと目を向けられるが、つい苦笑してしまった。
「……なんです?」
「いや“普通”で安心するとは思わなくてさ」
「“普通”……?」
「だって今“いつも”じゃなくて“普通”の顔……っ!?」
瞬間──押し倒されていた。
コーヒーを隅に置く音と唾を飲み込む音だけがする。跨った寺置さんは“普通”の表情でボクを見下ろす。
「まきは……違いがわかるのか……?」
「け、結構わかりやすい方だと思う……けど?」
そう言うと彼は一瞬目を見開いたが、すぐ意地の悪そうな笑みを浮かべ『ふ~ん』と唸る。なんだかマズい予感に胸板を押すが、彼はどこかを見ると突然首筋に噛み付いた。
「んあっ……!」
仕事中は髪をひとつに結んでいるせいか、簡単に噛み付かれ悲鳴を上げる。が、片手で口も身体も押さえられては身動きが取れない。それでも必死に身じろいでいると、噛み付いた痕を舌で優しく舐められる。
身体がゾクゾク疼きだすと、ジャージのジッパーを口で下げられた。
「んっ!?」
まさかの行動に目を見開くと、ボタンをひとつ空けていたシャツの合間に舌を這わされる。ダメだダメだと思いながら身体は観覧車の時のように悦んでいるように感じた。
涙目で見上げると目が合い、口を塞いでいた手が退けられるとすぐ口付けられる。
「んっ……あんっ、んっ」
何分間していたかはわからない。
唇が離れると息は上がり、視界はぼやけている。寺置さんは満足そうに微笑むとボクを横抱きにし、額に“ちゅっ”と小さく響くキスを落とした。
「まき……もう仕事終わりだろ? 早く着替えてこい」
「……なん……で」
「夜のデートするからだ」
こいつはと思いながらも逆らえず、くすくす笑う彼に支えられながら更衣室へと向かった。重原君に見られているとは知らず────。