15話*「一番」
ボクが目覚めたのは朝五時。
ひとまず恥ずかしいキスマークを消そうと風呂に入ると、上がって鏡で確認する。薄くはなったけどすぐ顔が赤くなり、急いで下着や服をドライヤーで乾かした。
それから寺置さんを叩き起こす。
眼鏡を掛けていない彼はぼんやりした目でボクを見つめると手を伸ばして握手。そのまま勢いよく引っ張られ、胸板に倒れ込むと抱きしめられた。
「うおおおぉぉーーいっ!」
ベシベシ背中を叩くが、腕の力は増すばかりで苦しい! しかもシッカリとした胸板に顔があぁっ!!
脳内で発狂していると腕が解ける。が、顔を上げるとキスされた。
「んっ、ふぁぁ……んん」
「……ん……まき……」
名前を呼ばれると胸の動悸が激しさを増す。
心のどこかで『もっと』と囁いている気がするが、感情を押し込めるように再び背中を叩くと離れた。さ、寂しくなんかない、うん。
すると寺置さんはベッドの上で正座をし、お辞儀した。
「まき様……おはようございます」
「え、あ、うん。おはよう……ございます」
慌ててお辞儀を返す。本当にこの人のスイッチの切り替えがわからない。さっき呼び捨てだったよね?
そんな混乱中のボクが面白いのか、彼は“いつもの”表情でくすくす笑う。何さ?
「いえ、夢だけど夢じゃなかったなって」
「ボクはト●ロか!!!」
勢いよく背中を叩く。くすくす笑いながら眼鏡を掛ける彼はいったいどんな夢を見てたんだ。ていうか夢にボクが出たってこと!?
いやいやないないと考えを捨てるが、捨ててはいけないことを思い出した。
「というかなんで一緒のベッドに寝てんの!? しかも大量のキキキキ……」
「おや、そんなにキスマークありました? 見えないので脱いでください」
「するかバカーーーーっっ!!!」
近付いたらダメだと本能が働き、後ろに下がって枕を投げたが受け止められる。それでも笑っている彼はやっぱりMでSだと思う。
ボクの仕事は夕方から。
けど寺置さんは七時に藤色のお兄さんとホテルのラウンジで待ち合わせとのことで、軽めの食事を取るとホテルを出た。食事もホテル代も払ってもらい慌てるが『キスニ回でいいですよ』なんぞ言われ足蹴りを食らわす。が、車内で一回、彼のホテルに着いて一回とキッチリされた。長くて濃いも……うあぁぁっ!!!
ホテル前で寺置さんと運転を代わると、助手席の窓を小さく叩かれ半分開ける。前科もあるせいかシートベルトを外さないボクに彼はくすくす笑った。
「次にお会い出来るのは恐らく木曜の夜「夜勤」
遮ると、ニッコリ笑顔のまま固まった。
なんだか面白く思うも、苦笑しながら続ける。
「金曜に東京帰るんでしょ。何時の飛行機?」
「十八時前のです」
「ふ~ん……まあ、どうせ姉さんが藤色のお兄さんの見送り行くだろうから“ついでに”見送りに行ってあげる」
少し頬を赤めながら言うと彼は目をパチクリさせた。
な、なんだよ……別にいらないなら駐車場で待っててもいいさ。とか考えていると半分開いた窓から手が伸ばされ、ロックを解除すると助手席のドアを開けられた。一瞬で端正な顔が目の目に……うおおおぉぉ~~~~いっ!!!
「ななななな何さ!?」
「いえ……ツンデレ発揮が可愛くて気付けば動いてました」
「ど、どこがツンデレだ……んっ!」
さっきもしたのにまたキスをされる。
朝とはいえ、ホテルから出てくる人も歩いている人もいるのに彼は気にせず口内の奥深くまで舌を入れ、刺激を与えていく。ダメだ……本当この人に弱くなってる。
唇が離れると彼は視線を合わせニッコリ。
「仕事休んで、今から私の部屋(ホテル)にきません?」
「一人で行けーーーーーーっっ!!!」
そんな戦いをしていたせいか、家に着いたのは七時過ぎ。
玄関を開けると母が『朝帰りだ~』と、なんだか嬉しそうにしていたが、ツッコむ気力もなく布団に沈んだ。
* * *
夢の中で大きくなったボクとみきが手を繋いでいた。
すると突然手を離され、ボクは一人になった。
しばらくしてみきがまた手を繋いでくれた。
でもまた離れてまた手を繋ぐ。
ねえ、どうしてずっと一緒に手を繋いでてくれないの?
どうして離れていくの?
だから今度はボクから手を離してみた。
すると大きな手がボクの手を捕まえた。振り向くと顔は見えないけどみきじゃない。
大きくて優しい手の人は微笑みながら言った。
『俺はお前が好きで、お前だけを──愛すよ』
* * *
「──ん」
虚ろの世界で誰かが呼んでいる。寺置さん?
いや、なんでそこでヤツの名前が……それに声もシルエットもオーラも違う……同じ黒髪でも長くて……何さ、その笑顔は……殴るぞ。
「まっきたーん! お仕事に遅刻するよー!!」
「……笑顔で言わないで姉さん」
起き上がると、長い天パの髪を流す姉さんが座っていた。
その顔はいつもと同じニコニコだけど、いつも以上でキモチワルイ。
「ひどっ!」
「いや、ボク何も言ってないけど……」
「言わなくても考えてることわかるよ~」
ブーブー言いながら膝を折った姉はボクの膝に顔を乗せる。
よく見ると左手の薬指にはプラチナダイヤと誕生石のペリドットをあしらった指輪があり、思い出す。
「ああー……婚約おめでと……」
呟くと、姉さんはゆっくりと顔を上げ、目を合わせる。でも、さっきは笑顔だったのになんでか冴えない表情。ボクは首を傾げる。
「どうしたの、嬉しくないの?」
「嬉しいけど……まきたんが変な顔してるからさ」
「なんだよそれ……」
ボクは苦笑するが胸がズキズキするのも本当だ。
姉さんが……みきがボクよりも“大事な人”を見つけた時から離れていくような気がして怖かった。ずっと一緒だと思うのは変かもしれないけど、ボクにとっては“姉”で“ボク”で大事な人だったんだ……でも。
「……首にいっぱいキスマーク付けてる人に呆れてただけ」
「ふぇっ!? そそそんなに付いてる!!?」
姉さんは顔を真っ赤にしながら慌てて鏡を見ると『ひゃあっ!』と悲鳴を上げた。いや、ボクもそんぐらい付いてるんだけどね。首あり服に着替えて良かった、うん。
一呼吸すると、姉さんの方を向き、今度は笑顔で言った。
「おめでとう、みき」
「ありがとう、まき」
ニ人で言い合うとなんだかくすぐったくて、すぐ笑い声に変わった。
* * *
金曜の夕方、ボクと姉さんは福岡空港にいた。
藤色のお兄さんと寺置さんが東京に帰るから……なのだが、姉さんと藤色のお兄さんは空港内だというのに抱き合っている。恥ずかしくて目を逸らしたら、寺置さんがニッコリ笑顔で両手を広げたので足を蹴ってやった。
「お別れぐらい、サービスあっても良いと思うのですが」
「そんなんしたら拉致られる」
「おや、バレましたか。トイレででもシようかっだ!!!」
さすがに脛は痛かったのか、寺置さんは足を押さえながら藤色のお兄さんの元へ向かう。
「海雲様、そろそろ中に入りませんと。はい、チケット」
「……ああ」
藤色のお兄さんはチケットを受け取る。が、なぜか寺置さんの分も受け取り、姉さんを抱っこしたまま手荷物検査に入ろうと……ちょちょちょちょちょ!!!
「こらこら、幼女誘拐ですよーーーー!」
「おまわりさーーーーん!」
寺置さんとボクの声にお客さんがざわついたおかげで藤色のお兄さんは諦めてくれた。
その様子にお兄さんも中身すっげーSじゃないかと、隣の人を見る。すると寺置さんに抱きしめられた。
「ちょちょちょちょ!」
「後ろニ人はラブ中ですから大丈夫ですよ」
ラブ中とか言うな! ていうか恥ずかしい!!
彼の顔が徐々に近付き、額に瞼に鼻に唇に小さなキスが落ちる。そしてコートのファーを退かし、首筋に吸い付いた。
「んっ……!」
声を上げないようにするが、彼の唇に舌に身体が疼きはじめる。リップ音が鳴ると、耳元で囁かれた。
「東京に帰っても変わらずメールしますからね」
「な、なんでだよ……」
「それはもちろん……」
「ふゅっ!」
耳に舌を這わされ、甘噛みされて聞こえてきたのは──。
「俺はお前が好きで、お前だけを愛すからだ」
「っ、とっとと行け!」
恥ずかしさのあまり彼の背中を押すと、藤色のお兄さんにぶつかった。あ、お兄さんごめん。
寺置さんはくすくす笑いながら手を振る。それからボクを数秒見つめると、藤色のお兄さんとニ人、手荷物検査の人混みへと消えて行った。
これでもう会えないかもしれないし、忘れられるかもしれない。
でも、彼が最後に言った言葉が脳内を巡る。聞いたことないはずなのに聞いたような気がする。あの官能的な声だけでも身体がゾクゾクしだすが、まだボクの気持ちはわからない……けど。
「姉さん、帰るよ……」
「……うん」
ボクにとって今は彼が“一番大事な人”なのは確かだ。
それがどの感情なのか、離れたらわかるのかな────。