07話*「一人称」
それはもう十年も前のことで、記憶の最奥へ封じ込めたはずだ。いまさら出てこなくていい……いまさら。
眩暈を覚えるボクとは反対に、同級生の柿原さんは笑いながら話を続けた。
「でも貴女って双子のどっち? 姉?」
「いえ、妹……です」
無意識に寺置さんと繋いでいる手が強くなる。
顔を伏せているボクは彼がどんな表情をしているかはわからないし、知る余裕もない。すると、柿原さんの隣にいる男性も笑いながら話に入ってきた。
「なんだよ、あり歌。このちびちゃん双子なの? て言うか俺らとタメかよ」
「そうそ。ホントニ人揃って根暗な感じでさ。暗さはマシになったけど身長は変わってないからすぐわかったわ」
そう笑う柿原さんはヒールもあるせいか、ボクより一回り高いし、隣の男性も一七十ぐらい。これが今の姉さんだったら突っ掛かって行きそうだが、ボクは今になっても足が竦んで何か言いたくても喉元で止まっていた。
二人が会話を続ける度に胃がムカムカし、身体から血の気が引いていくのを感じる。けれど“ぎゅっ”と、暖かく強い手に我に返った。
「でも、私よりは御二人も“ちび”ですよ」
「「は?」」
ニ人の素っ頓狂な声にボクは伏せていた顔をようやく上げた。
そこには“いつもの”笑顔だが、どこか冷めた雰囲気がある寺置さん。後退りしそうになるが、柿原さん達は苛立ったように食い付いてきた。
「あたしも一緒に比較するのはナシじゃない?」
「私は男女平等です。ちなみに可愛さ美人さイケメンさを比較しても私達が勝ちですけどね」
「なんですって!?」
「ちびちゃんが、あり歌より“美人”だって言うのか!?」
「おや、では“可愛い”のはまきだと思ってらっしゃるんですね。ありがとうございます」
「ちょっと、和義!?」
醜い争いがはじまったが、隣の人はニコニコ笑顔のまま。
こいつ本当に性格悪いな! 口だけでカップルが何組も別れるぞ!? 実は別れさせ屋か!!? ……と言うかさっき呼び捨てされた?
そんな一悶着を起こしている間に順番が来てしまい、ボクらはゴンドラに向かい合うように座る。窓を見下ろすと柿原さん達も次のに乗ったようだ。
「相乗りにすれば良かったですかね?」
「冗談に聞こえないし……私は嫌です……」
もこもこ羊に顔を埋めながら溜め息をつく。
助かったと言えば助かったけど、せっかくの景色も見る気がおきない。さっきまで暖かかったものも全部が消えたように寒くなる。
静寂が包む中、ゴンドラがゆっくりと上がる音だけが響く。
すると『まき』と、静かな声をかけられ、反射で顔を上げた。変わらず微笑んでいる寺置さんに苛立ちが募る。
「……いつの間に呼び捨てになったんですか?」
「その方が顔を上げてくださるでしょ? それと、一人称の“私”、あと敬語を使う貴女に違和感があるので私の前では止めてください」
指摘にさっき“私”を使ったこと、敬語だったのを思い出す。
オレンジ色の夕日がかかる彼は“普通”の微笑のせいか艶やかに映る。その目はボクを捉えているかのようで、身体中が悪寒ではない“何か”に疼いた。視線を逸らせないボクは呟きを漏らす。
「そ……んなの……お互い様だろ。そっちだって敬語……使わない時……あるし」
そうだ……いつから“この人”に“ボク”を使っていた? 本来の喋りが出てた?
姉さんが言ってた。『まきたんは本当に親しい人にしか“ボク”や“手と足”出さないよね』って。それを聞いて背中を蹴ったけど、最初から“この人”相手には蹴りも手も出てた……なんで。
次々と沸く疑問に収集がつかないが、ボクも“この人”に違和感がある。
いつもとは違う雰囲気と一緒に何度か聞いたことがある彼の人称。それを指摘するように口を開いた。
「そっちも本性……“私”じゃ……ないでしょ?」
「…………まあな」
見開いた目をすぐに細めた彼は意地の悪そうな笑みを見せた。
瞬間『しまった!』と身体が警告音を鳴らし、回避するように顔を逸らした。が、目に映った光景に固まる。様子が変だったのか、寺置さんが横へと移動してきた。おい、重心で傾く……じゃない。
「ああ、先ほどのちびップルがキスしてますね」
ちびップルって、アンタから見ると殆どは……じゃなくて言葉に出すなよ。
そう、後ろのゴンドラに乗っていた柿原さん達が“キス”しているのが見えるのだ。しかも柿原さんの目は明らかにボクらを見ている。あれは絶対笑ってるな。
「やるの早くないですか? まだ真ん中にきてませんよ」
「そこ前提なの!?」
衝撃発言を聞いてしまい、羊で彼の顔を叩く。
けれど、外側から回ってきた両手に頬を撫でられ、身体が跳ねる。羊が音もなく転げ落ちた。隔てる物が何もない今、ボクらの目には互いしか映っていない。
ダメだ、心臓がバクバクしてる……ダメだダメ。
そう必死に抑えていると、耳元じゃないのに、官能な声が届いた。
「乗る前……“俺”は言ったよな?」
「っ!」
敬語ではない口調と“俺”に激しく動揺し、身体も視線も動かせない。それでも時間は過ぎているように、ゆっくりとゴンドラは真ん中に辿り着き──。
「“キス”はするって」
見計らったように頂上で──口付けられた。
「んっ、んん……んっ、はぁぅ……」
何回かしかしていないのに、逆らうことなく彼の唇を、舌を、口内へと招き入れる。彼はそれを悦ぶかのように舌を絡み取っては激しく掻き乱し堪能する。
それを何度も繰り返し、やっと唇が離れる。なのにボクは寂しくなってしまった……おかしいよ。
そんな感情を抱いていると彼は床で両膝を折り、コートを脱ぐと眼鏡を外した目でボクを見つめた。そういえば、明るいところで眼鏡を取った彼ははじめて見る。思考が鈍っているボクはポツリと呟いた。
「……綺麗な瞳……だね」
「……それははじめて言われたな」
苦笑された。両膝を折っても座っているボクと差はない彼は視線を少し上にやると、また顔を近付け、額と額をくっつける。
「それじゃ、誘惑と挑発にお応えしようか」
「誘惑……と……挑発?」
なんじゃそりゃ、と思っているとチロリと舌で唇を舐められた。
「ふぎゅっ!」
「ああ、また出たな」
笑いながら首筋をゆっくり舐めては吸われ、耳朶は咬まれる。
小さな悲鳴を上げるが、彼の息遣いまでもが聞こえ、身体中が下腹がゾクゾクしてきた。そのまま耳を舐められると囁かれる。
「誘惑は……その表情と声を出す……まきだ」
誘惑って……ボク、そんな表情してんの?
わけがわからなくなっていると、今度は反対の首筋に耳に舌を這わされ、また囁かれる。
「挑発は……上の連中への仕返し、だな……」
「上……!?」
その言葉で我に返る。ゴンドラはもう降(くだ)りになっている。つまりさっきと状況が反対になるわけで……視線を上に向けた先には仰天の眼差しでボクらを見下ろす柿原さん達。
「ちょっ!」
「ここまで来て、ナシはない」
「そそそそそれでも“キス”まででしょ!?」
明らかに今キス以上のことをされている。
見られているのを知り、急激な羞恥に襲われるが、彼は気にした様子もなく笑う。
「キス“ぐらい”とは言ったけど、キス“だけ”とは言っていない」
「屁理屈いうなっひゃっ!」
必死に抗議していると彼の手に両脚を開かれ、レギンスの上から太腿を撫でられる。くすぐったさもあるけど手つきがなんだか厭らしい。すると指で下腹部を撫でられた。
「やあぁ……何して……」
「段々と声が心地良くなってきたな……ここもだいぶん濡れてそうだ」
何を言っているのか考えていると、腰を浮かされ、レギンスを膝下まで下ろされた。冷気が肌にあたると同時に白のショーツが丸見えになり、恥ずかしさで彼の頭を叩く。
「ちょちょちょ止めてよ! 何すんのさ!!」
「何って……味見」
ニッコリ微笑まれても寒気がするが、それでも身体は何かを期待している。でもボクの手は止まることもなく彼を叩いていた。が、それが不快になったのか、彼はネクタイを解きはじめた。あのー……何するんですか?
「邪魔なので縛りますね」
ニッコリ“いつもの”笑顔で言われた瞬間、今度こそ本気で寒気がした────。