top of page
赤い花

 おはようからおやすみまで、幾度となく顔を合わせてきた。

 それこそ両親や侍女よりも多く、長く。たとえ護衛という仕事でも、ユーフェルティアにとってルーファスは家族といるようなものだった。

 

 なのに今、感じたことがないほど胸が高鳴っていた。

 ただ見つめ合っているだけなのに、言葉どころか自身を呑み込むほど重なる琥珀の目には力がある。戴冠式や国民を前にした時とは違う緊張感にユーフェルティアが何も言えないでいると、静寂が包む室内に一際大きな溜め息が響いた。

 

「なんですか?」

「え?」

「え、じゃないですよ。呼んでおきながら無機物のように動かないしバカ面晒してるし、いったい何分無駄にするつもりですか。ヴァーカ」

 

 呆れたように横切ったルーファスは、執務用の机から紙束を手に取る。

 確認するように捲るその背に、文句よりも昨夜のことを問いたいユーフェルティアだったが、喉元で突っ掛かったように言葉が出ない。こんなことは初めてだった。

 

「意外と楽しみにされていたんですね」

「え?」

 

 不意の呟きに、詰まっていた声が出る。

 振り向いたルーファスの手には紙束ではなく、ネジェリエッタが置いていったウェディングドレスのカタログがあった。あ、と気付いた時にはページが捲られ、机に寄り掛かったルーファスは興味深そうに目を動かす。

 

「私的にAラインが好きですが、これだけあると困りますね。それにしても新郎とは桁違いの数……さすが、チンチロリン」

「チンチロリン?」

 

 好みを聞けるとは思わなかったが、不思議な例えにもユーフェルティアは瞬きする。

 片手でカタログを持ったルーファスは机に置かれたピンクのカップに空いた手を伸ばし、取り出した三つのサイコロを上げてはキャッチしはじめた。

 

「花嫁は役あり、花婿は役なしのチンチロリンみたいだと一部から云われてるんですよ。実際花婿にメリットなさそうですからね」

 

 大きな溜め息をついたルーファスはサイコロを高く上げる。

 つられるように見上げたユーフェルティアの目には宙で回り、落ちていくサイコロ。その先にはピンクのカップを持ったルーファスの手があり、カンッと中で弾む音がした。

 

 カランカランとぶつかり、木霊していた音はいつしかやむ。

 カップを見下ろすルーファスの表情が変わらないためユーフェルティアには出目が分からない。ただ、彼の例え。花婿をゾロ目もない、つまらない役だと指しているように思え、考え込んだ。

 

「メリットは花嫁さんでしょ?」

 

 ポツリと呟いたことにルーファスの顔が上がるが、ユーフェルティアは気付かないまま続けた。

 

「幸せであること、皆に自慢出来る花嫁さんがいることが何よりのメリットではありませんか。逆転する機会なんて結婚後いくらでもあるのですから堂々と隣にいてもらいたいです」

 

 手を合わせたユーフェルティアは柔ら気に微笑む。

 自分ならそうしてもらいたいと考えたのもあり、頬は赤く、今もどこか夢心地だ。しかし、パンッと、現実に引き戻されるかのような音に肩が跳ね上がる。

 

 驚いたように目を瞠るが、どうやらルーファスがカタログを閉じた音だったようで安堵の息をつく。すると、腰を浮かせた彼はカタログとカップを置くと、サイコロをポケットに入れ歩きだした。ユーフェルティアに向かって。

 

 解けていた緊張が一瞬で張り詰めたものに変わり、肩だけでなく心臓すら跳ねたユーフェルティアは慌てふためく。反対に、ゆっくりとした足取りで近付くルーフェスは淡々と言った。

 

「では、もうじき貴女は自慢の花嫁になるんですね……知らない男の」

「っ……!」

 

 冷ややかな声に高鳴っていた動悸が嫌な音に変わる。

 震える手を握りしめたユーフェルティアは顔を逸らし、なんとか声を振り絞った。

 

「わ、私はまだ結婚するとは……」

「へぇ、サイコロに負けたのに断るんですか。それとも私が護衛を外れている間に逢瀬を愉しむ相手でも作りました?」

「そ、そんなわけないでしょ!」

 

 王位を継いで九年が経つとはいえ、ユーフェルティアにとっては毎日が必死だ。

 一日の殆どを執務室、会議室で過ごし、パーティーがあっても必ず騎士団の誰かが傍にいる。ましてや逢瀬など、自慢ではないが交わす度胸も自信もなかった。

 

 それはルーファスが一番知っているはずだ、心外だと、立ち止まった彼をユーフェルティアは睨み上げる。その目に結んでいた口元を僅かに綻ばせたルーファスは顔を近付けた。

 ドキリとした唇は頬を通り過ぎたが、耳元で囁かれる。

 

「では……昨夜俺としたのは逢瀬ではないと?」

「っ……!」

 

 官能な声と一緒に口付けが耳朶に落ち、リップ音が全身を巡った。

 それだけで腰を捩らせたユーフェルティアの足が背後にあったソファにぶつかり、背中から倒れる。

 

「きゃっ!」

 

 小さな悲鳴と一緒に伸ばした手を、ルーファスが当然のように取る。

 抱き留められた身体は壊れ物を扱うかのように優しく、ゆっくりとユーフェルティアをソファに下ろした。柔らかな素材を背と尻元に感じると、両腕も離れる。なのに胸の高鳴りがやまないのは、傍で膝をついたルーファスに見上げられているせいだろうか。

 気付けば長い彼の指先がユーフェルティアの首筋に触れていた。

 

「キスマーク、ありました?」

「っ!」

 

 くすりと笑う声に、ユーフェルティアの頬がかっと赤くなる。

 空調が整った室内とはいえ、気温は三十度近い。なのにユーフェルティアは首元まであるドレスを着ていた。

 

 理由は今朝、着替えの最中に見つけた花弁のような痕。

 首元にあったそれを最初ユーフェルティアは虫刺されかと思ったが、ルーファスに吸いつかれたことを思い出した。そしてそれが少ない知識でもキスマークだと分かり、侍女を誤魔化してドレスを変えたのだ。

 

 必死に首を横に振るユーフェルティアに、ルーファスは手を後ろに回し、ファスナーを下げる。

 悲鳴と暴れる手にも構わず首元が緩められると、琥珀の目にハッキリと痕が映った。悔しがるように両手で隠すユーフェルティアに、ルーファスの口元が弧を描く。

 

「ウソつきな女王がいますね」

「え、ちょ、ルー!?」

 

 ほくそ笑んだルーファスは、あろうことかドレスに手を潜らせた。

 タイツを履いた脚を撫でながら上るのを、ユーフェルティアは慌てて両手で止めるが、男の力には敵わないというようにルーファスの手がショーツに触れる。

 

「あっ……」

「濡れてますよ……淫乱」

 

 卑猥な言葉にユーフェルティアは反論しようとしたが、湿っているのは本当だった。まるで疼きが蜜を生み出しているように、自分でも知らない内に濡らしていることが恥ずかしい。

 

「ル、ルー……やめてください……こんな」

「これはお仕置きです。文句なら嘘をついたバカな女王に言ってください」

 

 正論なのか皮肉なのか分からないことを言いながら、指先が布ごと秘部に押し込まれる。ぐりぐりと秘芽も一緒に。

 

「あ、あぁ……」

 

 ゾクゾクしたものがユーフェルティアの背筋を駆け上る。

 それは昨夜よりも早く訪れ、反抗していた身体が痙攣したかのように小刻みな動きへと変わった。吐息を漏らすユーフェルティアにルーファスは片眉を上げる。

 

「お仕置きのはずがご褒美になってますね」

「ち、違……あっ」

「ああ、また嘘をついたから、はしたない蜜が出てきましたよ」

 

 抜き差しされる指からヌチュヌチュと水音が聞こえ、蜜が零れる。

 なんでもないように言ったルーファスとは違い、やはりはしたないことなんだと羞恥が勝ったユーフェルティアは必死に膝を閉じた。顰めた顔を上げる彼に、息を荒げながら訴える。

 

「だめ……もう……やめ」

「いいですよ。サイコロで勝てばやめましょう」

 

 目を伏せたルーファスは、蜜を弄る手とは反対の手をポケットに入れる。力なくソファに置かれたユーフェルティアの手の中に三つのサイコロが収まり、虚ろな目でサイコロを、ルーファスを見下ろした。

 

「陛下からどうぞ」

 

 あくまで自分は下だと言うように、膝に口付けが落ちる。

 ピクりと反応する身体よりも胸のざわつきが気になったユーフェルティアだったが、振り払うようにサイコロを落とす。間際、ショーツごと勢いよく秘部に指を差し込まれた。

 

「ひゃあっ!」

 

 突然の刺激に身体が跳ねると、手の平から落ちたサイコロがユーフェルティアの膝に乗る。出目はバラバラで、サイコロを拾い上げたルーファスはまたユーフェルティアの手に乗せた。

 

「三回まで振れるのがルール……次をどうぞ」

 

 密やかな声とは反対に、ルーファスは膝上までドレスの裾を上げる。

 熱を帯びた身体に冷気があたるが、下腹部には彼の手があり、今もまたショーツごと指を秘部へと押し込んでいた。底は既にぐっしょりと濡れているのに、ルーファスは気にしている様子もない。

 息を荒げながら、言葉よりもサイコロで勝った方が聞くだろうとユーフェルティアはサイコロを振った。

 

 だが、役は成立せず、ルーファスは腹部までドレスを上げる。

 白いショーツと一緒に留められたガーターベルト、そして臍が露になり、ユーフェルティアはルーファスの背中を叩いた。それを物ともせず、ベルトを外したルーファスは臍に口付け、舌すら這わせる。

 

「やっ、あ、ルー……」

「辱めた方が良い目が出るかもしれませんよ。本当に陛下がやめたいと願ってらっしゃればの話ですが……では、最後の一回をどうぞ」

「ああ……」

 

 臍の傍を吸いつくルーファスは甘い吐息を漏らすユーフェルティに落ちたサイコロを手渡す。既に秘部は彼の手どころかソファを濡らし、意識は朦朧としていた。

 最後の一振りで力尽きるようにユーフェルティアの身体がソファに落ちると、音も鳴らさず、絨毯へと転がったサイコロをルーファスが見下ろす。

 

「一、四、五……出目なし。なるほど、やめてもらいたくないと」

「そ、そんな……ひゃあっ!」

 

 絶句するユーフェルティアに、意地の悪い笑みを浮かべたルーファスは彼女の腰を浮かせ、ショーツを剥ぎ取った。驚きのあまり、ユーフェルティアは踵がソファにつくほど高く両脚を上げるが、ルーファスの手によって開かされる。

 琥珀の目には、充分すぎるほど濡れた秘部と零れる蜜が映っていた。

 

「やはり陛下は淫乱ですね。知らない男相手でもこんなに濡らして」

「ル、ルーでしょ!」

「ええ、そうですよ……でも本当の私を貴女は知らない」

 

 くぐもった声にユーフェルティアは涙目で見下ろす。

 手に取ったサイコロをルーファスが宙へ投げると、ユーフェルティアの傍で小さく弾んで落ちた。その目は、ニ、ニ、五。

 

 目を瞠る女王に、勝者となった騎士は開脚させた股に顔を埋める。そのままくちゅりと、音を立てながら蜜を舐め上げた。

 

「や、やあ! ルー、何をっ……ひゃあっ!」

 

 止めようと手を伸ばすユーフェルティアだったが、くちゅりくちゅりと舐める舌の刺激に敵わず、またソファに沈んだ。指で弄られ、挿し込まれるのとは違う刺激。

 一度舐められるだけでもビリビリと電流が駆け上り、喘ぎが漏れる。

 

「ふあ、あぁっ……ルー……ぅ」

「ああ、その声のように甘く美味しいですよ……もっと淫乱な女王になるよう可愛がってあげます」

 

 秘部を舐めながらドレスを胸元まで捲り上げたルーファスは、細いラインを描く白いビスチェに手を伸ばすとフックを外した。

 開放された乳房が陽射しの下、ふるりと露になる。

 

「や、ああ!」

 

 隠すようにクロスさせるユーフェルティアの両手をルーファスは手の甲だけで払い、柔らかな胸を手の平で包むと揉みしだく。

 

「あ、んっ、ああ……」

「待ち遠しかったように尖ってますね」

 

 糸を引いた顔を上げたルーファスの目に、ユーフェルティアも薄っすら目を開く。見えるのはルーファスの手によって形を変えた乳房。その先端は驚くほど尖り、戸惑う彼女の目の前で片方がルーファスの口に食まれ、片方は指先で摘まれた。

 

「やああぁあっ!」

「……本当に嫌か?」

 

 大袈裟なほど跳ねた身体と悲鳴に静かな声が届く。

 子供のようにしゃくり上げるユーフェルティアを、乳房から口を離したルーファスが見上げる。その顔は今まで見たことないほど苦痛で歪み、ユーフェルティアの胸は酷く痛んだ。

 それでも上体を起こすと懸命に声を振り絞る。

 

「あ、貴方が言ったのですよ……自分は騎士で私は王だと……だから、こんなことして良い関係では……」

「……申し訳ありません」

 

 改まったように膝をついたルーファスは頭を下げるが、ユーフェルティアの胸と喉は痛みを増すばかりで、涙で視界も揺らぐ。なのに……。

 

(なんで……貴方がそんな顔するの……)

 

 苦痛の表情を変えないルーファスに怒りよりも戸惑いが沸く。

 昨夜、結婚を聞いてからというものおかしい。いつもなら悩んでいる自分をヴァーカと皮肉ってはそれなりに解決策をくれるというのに、困らせてばかりだ。その皮肉さえ無理しているように思え、ユーフェルティアは一層分からなくなる。

 

 静まる室内に暖かな陽射しが射し込むが、徐々に汗ばんでいた身体が冷える。小刻みに震えるユーフェルティアを自分が怖がらせたとでも思ったのか、ルーファスは自身のマントを取り、肩に掛けた。

 ふわりと全身を包む匂いの安堵感に、ユーフェルティアはほっと息をつく。

 

 だが、立ち上がるルーファスを見て咄嗟に手を取ってしまった。

 当然驚いたように振り向かれ、何故取ったのか分からないユーフェルティア自身も戸惑う。何より冷えていたはずの身体。特に触れられた部分がまた熱を帯びてきていた。

 

 疼く下腹部からは蜜が零れ、胸の先端が尖る。

 まるで握りしめるマントと手だけで発情してしまったようで、マントを離した手で口元を押さえた。そこはまだ、今日一度も触れられていない場所。渇いた唇を小さく開いた。

 

「あ、あの……キス……してください」

「は?」

 

 突然の願いにルーファスは目を丸くする。

 昨夜から珍しい表情をする彼を見れて嬉しい反面、恥ずかしくなるが、ユーフェルティアは傍にあったサイコロを手に取ると落とした。カンカンとサイコロ同士が当たり出た目は、四、五、六。

 

 文句なしの一人勝ちとなる出目《ジゴロ》に、ルーファスは目を瞠る。

 そんな彼を見上げたユーフェルティアは高鳴る動悸を必死に抑え込み、命じた。

 

「キス……してください、ルーファス」

 

 真っ直ぐ見据える紅玉の瞳と声にルーファスは暫し黙るが、瞼を閉じると再び膝をついた。伸ばした手はユーフェルティアの腰を抱き、頬に触れる。

 ピクりと反応した身体に、顔を寄せたルーファスは眉を顰めた。

 

「本当に……いいのか?」

 

 躊躇い、口調を崩した彼がどこかおかしくて切ない。痛みと共に高鳴る鼓動の意味もまだ分からない。それでも彼の首に両手を回したユーフェルティアは頬を合わせた。

 

「して……ルー」

「……ユフィ」

 

 久し振りに呼ばれた愛称に、とくんとユーフェルティアの鼓動が跳ねる。だが、直ぐに塞がれた唇、挿し込まれる舌、口内を満たす味にすべての感情を持っていかれた。

 

 離れてもまた塞がれ、ただ貪るように支配する勢いは止まらず、抱きしめられたままソファへと沈む。気付けば耳に首筋に吸いつかれ、乳房と秘部も優しく包まれるが、喘ぐだけで受け入れた。

 淫らだと、いけないことだと分かっていても、涙が落ちても知りたい。

 

 知らない彼を、零す蜜を、優しい口付けを、服越しに当たる硬く膨れ上がったモノを、高鳴り続ける動悸を、快楽の正体を知りたい。

 

 また真っ白な波に意識が攫われた時“何か”が見えた気がした――。

 

 

* * *

 

 

 それから数週間が経つが、ルーファスと会うことは殆どなかった。

 互いに多忙を極める身であり、建国祭と結婚発表が明日に迫っているからだ。

 

 しかし、彼と口付けたこと、触れられたこと。

 それらは婚姻を控える身としてはしてはならないことだ。なのに、感触が忘れられないばかりか、思い出すだけでもユーフェルティアは下腹部を濡らしてしまう。

 そして、一日一日が過ぎ、ルーファスと会わない日が続けば続くほど罪悪感で押し潰されそうになっていた。

 

「まあ、素敵なレフアですわね!」

 

 訪ねてきて早々、執務室を埋め尽くす花にネジェリエッタは目を輝かせた。

 花冠のように房状になった深紅の雄しべ、幹と共に鉢植えで花を咲かすレフアの花。ペンを止めたユーフェルティアは苦笑する。

 

「セレーネ様から贈られてきたのです。私の瞳と似ていらっしゃるからと」

「まあまあ、まだ見ぬ花嫁へのプレゼントだなんて……愛されてますわね!」

「うえ~……ジェリー、こんなんで喜ぶの?」

 

 女王の婚姻相手からの贈り物にキラキラ舞うネジェリエッタとは違い、大きな溜め息をついた声。

 ソファに寝転がるのは身長が一七十あるかどうか。肩まである白銀の髪を一つに結び、騎士服も短パンに白のハイソックスとブーツを履いた男。南十字騎士団トップ四の一人、ソランジュ・マーモンラだ。

 疲れた様子で金の瞳を向けるソランジュに、ネジェリエッタは目を瞬かせる。

 

「あら、ランジュ。帰ってましたの。あまりにも遅いので火口に落ちて御臨終されたかと思ってましたわ」

「勝手に殺すな! こっちは死に物狂いで行ってきたんだぞ!?」

「ご苦労様」

「うおおおいっ! 労えーーーーっ!!」

「そんなに大変な調査だったのですか?」

 

 火口調査は騎士団の仕事のため、権限はルーファスにある。

 数週間もいないほど大変なことがあったのかとユーフェルティアは心配するが、息を荒げるソランジュは手を横に振った。

 

「別に火口自体は問題じゃ……まあ、花を気に入ってくれたんならいいよ」

 

 帰還早々レフアを運んできた彼の溜め息に、ユーフェルティアも花に目を移す。

 時間が経つに連れ進められる準備、ピッと身体に合う式専用ドレス、届く贈り物。国民の間にも婚約の噂が広がり、本当にこれでいいのかとユーフェルティアは膝に置いたマントを握りしめた。

 

「あら? 姫様そのマント、ルーのではありません?」

「え、ええ。ちょっと借りてて」

 

 指摘にピクりと身体が跳ねたが、誤魔化すように笑みを浮かべる。

 彼女が言うように膝掛けとなっているのは他の団員達とは違い、すべて銀糸で竜と十字架が描かれた総団長専用マント。

 

 再び意識を飛ばし掛けられていたマントを返そうとしたが、ちらりと見かけた時には新しいのを纏い、他に頼むのも躊躇ってしまったため今日までユーフェルティアの手に残ったままだった。

 上体を起こしたソランジュの口角が上がる。

 

「結婚相手の贈り物より他の男のを持つなんて、罪な女王様だね」

「ランジュ!」

 

 ケラケラと笑うソランジュをネジェリエッタは咎めるが、ユーフェルティアは何も言えなかった。

 手に握るマントは太陽で色褪せ、小さな裂け目が出来ている。何より洗濯しても残る彼の匂い。どれだけ鮮やかで蜜が香るレフアに囲まれても、ユーフェルティアはマントの方が好きだった。それが罪だと分かっていても。

 

 異様に落ち込んだ様子の女王に、騎士の二人は互いを見合うと冷や汗を流す。寝ていたマオンが起き上がり、ユーフェルティアの脚に頬擦りすると、ネジェリエッタが両手を叩いた。

 

「そ、そうですわ姫様! 息抜きに城下へ下りません!?」

「え……でも、明日が式典ですし」

「三十分ほどで戻れば良いですわよ! わたくしとランジュが御供しますわ!!」

「はあ!? やだよ、ボクっだ!」

 

 反論するソランジュの背中を勢いよく蹴ったネジェリエッタに、ユーフェルティアはただ呆気に取られた。だが、窓の外に見える空に、ふと心が揺れる。

 

 

 

 

 それから少し経ち、ユーフェルティアはネジェリエッタとソランジュと三人、お忍びで城下へと赴いていた。陽射しが強い中、明日が建国祭だけあって大通りは人でごった返し、音楽が奏でられる横では祝いの花が咲き溢れている。

 

 特に行き交う人々の顔は笑顔で、逆さにしたルーファスのマントを被ったユーフェルティアにとってほっと息をつける光景だ。なのに、明日を楽しむ声を聞くと表情が曇る。

 そんな彼女にネジェリエッタがキャンディ棒を差し出した。

 

「はい、疲れた時には甘い物が一番ですわよ」

「あ、ありが……」

 

 カラフルなキャンディに、ふとユーフェルティアは幼き日を思い出す。

 王の娘だからとサイコロで勝っても外に出してもらえず、ルーファスに駄々をこねた日。いつも通り『出せるわけないだろ、ヴァーカ』と言われ不貞腐れたが、夜、内緒で買ってきてくれたキャンディをくれた。勉強を頑張ればまたくれて『単純ヴァーカ』と言われたが、彼も苦笑していたのを覚えている。

 

 懐かしむようにチロリと舐めると、甘さが口内いっぱいに広がる。

 嬉しそうに頬を緩ませたユーフェルティアにネジェリエッタも笑顔になり、別の露店を指した。

 

「姫様、留守番のマオンにも何か買って行きましょ」

「そうですね。お忍びだと連れていけな……あ、でもまだランジュがきてませんよ」

「もうっ、飲み物買ってくるのにどれだけ掛かってますのかしら。時間がないというのに」

 

 腕を組んだままソランジュが入っていった店を見るネジェリエッタは眉を顰める。それを諌めようとしたユーフェルティアだったが、目の端に見知った人物が映った気がした。

 ごった返す中をなんとか目を凝らして見ると、路地の傍で同じマントをした男。その髪は太陽の下でも輝く浅葱色で、横顔でもルーファスだと分かった。

 

「ル……!」

 

 習慣のように呼ぼうとした時、誰かと喋っているのに気付く。

 物陰で相手は分からないが、何か言い合っているようにも見えた。だが、珍しくルーファスの頬は赤く、からかわれていると言った方が正しい。

 

 それだけ親しい相手なのだろうかと必死に背伸びをしていると、手の平サイズの箱を受け取るのが見えた。ルーファスの頬がふっと綻ぶ。

 

(あ……!)

 

 それは初めて見るほど優しい笑み。

 咄嗟にユーフェルティアの足は下がり、キャンディ棒を持つ手が震える。愛想の欠片もない仏頂顔で皮肉るはずの彼が笑ったこともそうだが、一番は柔らかな琥珀の目で見下ろす箱が怖かった。まるで誰かに贈る物のようで、自分から離れていくようで、目の前が真っ暗になる。

 

「姫様……っ!」

 

 異常に気付いたネジェリエッタが声を掛けるが、突然窓ガラスが割れる音が響く。我に返ったユーフェルティアをネジェリエッタが抱きしめると、ガラスの割れたレストランから逃げるように数人が出てきた。

 更に数人、蹴飛ばされたように地面に転がり、続くように出てきた大きなガタイをした男は両手に割れた瓶を持っている。

 

 覚束ない足元と呂律が回ってない様子に酔っ払いだと推測できた。

 すると、男の背後から跳び出したソランジュが回し蹴りを食らわし、地面へと大きく倒れる。悲鳴と一緒に瓶が割れる音が響き、着地したソランジュは銀の前髪を摘んだ。

 

「まったく、浮かれるのはいいけど仕事増やさないでよね。ボク、疲れてんだから」

「でしたら、もう少し早くなさいな」

 

 不機嫌な彼同様ネジェリエッタの呟きにユーフェルティは苦笑するしかない。だが、体格の違いか、男は起き上がり、呻き声を上げながら勢いよくソランジュの腹を殴った。

 

「がっ!」

「ランジュ!」

 

 人混みの中に突っ込んだソランジュに、ネジェリエッタは声を上げ、ユーフェルティアも両手で口元を押さえる。と、男は素手で割れた瓶の欠片を掴み、周囲へと巻き散らした。

 陽の光に反射する欠片は凶器となり、辺りは騒然とする。

 

「姫様、わたくしから離れないでください!」

「は、はい……あ!」

 

 剣を抜いたネジェリエッタの背後に隠れるユーフェルティアだったが、転んだのか、小さな子供が泣きながら倒れ込んでいた。そんな子供に、振り向いた男が近付く。

 

「危ないっ!」

「姫様っ!?」

 

 気付けば飛び出していたユーフェルティアは子供を抱きしめる。

 カンっとキャンディ棒が地面に落ちると、巨大な影で二人を覆った男の手が振り落とされた。ぎゅっとユーフェルティアは目を瞑る。

 

「ユフィっ! 夕焼け(ヘーリウー・デュシス)っ!!」

「っ!」

 

 聞き慣れた声と昔決めた合言葉に、目を開いたユーフェルティアは子供を抱きしめたまま丸くなった。瞬間、頭上でガンッと鈍い音がし、風圧で被っていたマントが取れる。

 蒸し暑い風に白金の髪を流しながら振り向くと、銀の竜と十字架のマントが目に入る。そして、落とされた握り拳を両手で握った鞘で受け止める浅葱髪の男も。

 

「ルーっ!」

「頭下げてろっ!」

「は、はいっ!」

 

 一瞬の喜びは怒号によって消え、ユーフェルティアはまた頭を下げた。

 勢いよく押し返された男は反動で後退り、反転しながら剣を抜いたルーファスは一瞬で男の靴を斬った。厚みがなくなったことでバランスを崩し、直ぐさまネジェリエッタが胸打ちする。

 

「がっ……!」

 

 口から唾液を吐いた男は意識を飛ばすようにその場に倒れ込んだ。

 まだざわつきがある中、剣を収めたルーファスは男の両手を掴むと、駆けつけてきた騎士と共にロープで縛る。周囲に落ちる安堵感に頭を上げたユーフェルティアも息をつくと、抱きしめていた子供に笑みを浮かべた。

 

「姫様っ、ご無事ですか!?」

「ええ、それよりランジュは……」

 

 泣きそうな顔でやってきたネジェリエッタは子供を親元に帰したユーフェルティアの両手を握る。大丈夫だとなだめていると、ゆっくりとした足取りでソランジュがやってきた。お腹を押さえてはいるが、本人は苦笑しているため胸を撫で下ろす。

 

 だが、突然ネジェリエッタとソランジュの顔が真っ青になる。

 不思議がるように二人の視線の先をユーフェルティアも見ると、鬼の形相でルーファスが近付いてきた。抱き合う騎士二人に構わず、ユーフェルティアは頭を下げる。

 

「ルー、助かりました。それと……その」

「貴女バカですか? バカですよね? バカだな」

「なっ、なんですか急に……っ!」

 

 カチンと頭にきたユーフェルティアは顔を上げるが、言葉に詰まる。

 それは今までにないぐらい彼の目が細められ、影も掛かれば一層恐ろしく見えた。何よりさっきまで晴れていたはずの空が雲を作り、太陽を隠しはじめている。

 空に、彼に驚けばいいのか分からないでいると、ルーファスの口が開いた。

 

「大事な日が控えているというのに、何油を売ってるんですか」

「ル、ルー! 姫様だって息抜きぐらっ……」

 

 慌ててネジェリエッタがフォローするが、冷たい目に口篭る。

 そんな彼らを周囲は『まさか女王様?』『何々?』と興味深そうに見るが、並々ならぬ空気に近付く者はおらず、ルーファスは冷たい声で続けた。

 

「息抜きしたい気持ちは分かりますが、城内だけにしていただかないと騎士《こちら》も暇ではありませんので非常に迷惑です。もっともバカに付き合うバカもいるので、再教育が必要ですが」

 

 ちらりと目線を向けられ、ネジェリエッタもソランジュも目を逸らす。顔を伏せたユーフェルティアは、ただ落ちてくる声に耳を傾けた。

 

「そもそも今の自分がいったいどこの誰か分かってますか? きゃっきゃと遊んでいた子供の頃とは」

「そんなの……分かってます」

「分かってる人はこんな場所」

「貴方には関係ないでしょ!」

 

 両手を握りしめたユーフェルティアの怒声に、その場の全員が目を丸くする。

 片眉を上げたルーファスは怪訝そうに見下ろすが、小刻みに震える身体を抱きしめたユーフェルティアは、その目から視線を逸らした。

 

 ルーファスだって明日が式典だというのに油を売っていた。嬉しそうに、逢引のように。

 そんなことする男ではないと分かっていても、触れられたことを思い出せば裏切られているような気分にもなり、ユーフェルティアは声を震わせた。

 

「今の私の護衛はジェリーとランジュで……ルーではありません」

「はあ? あのですね、私は貴女の」

「一介の騎士でしょ! それ以上でもそれ以下でもないのですから指図を受けるつもりはありません!! とっとと仕事に戻ってください!!!」

「だから私の仕事は貴女の護衛だと言ってるんです!」

「だったら辞めてください!!!」

 

 悲鳴にも近いユーフェルティアの声は数百メートル先の人々が振り向くほど大きく、ネジェリエッタもソランジュも呆気に取られた。だが、頭上に集まる薄暗い雲のように、目を瞠ったルーファスの顔も曇る。

 すると、勢いよくユーフェルティアの腕を掴んだ。

 

「っ!」

「ルーファス!?」

「今……なんて言った……?」

 

 感情を押し殺したような声に、止めに入ろうとしたソランジュの足が止まる。

 ユーフェルティアもまた、押さえ込まれた腕の痛みよりも怒りを露にしたルーファスに酷く胸が痛んだ。それでも砂にまみれたキャンディ棒を一瞥すると、喉を鳴らし、揺れる紅玉の目で見上げた。

 

「もう……私の護衛から外れてください。私にもう貴方は……ルーファスは必要ありません!」

「ユフィっ!」

 

 互いに声を張り上げるが、振り上げられたユーフェルティアのもう片方の手がルーファスの頬を叩く。それこそ空まで届いたのか、木霊した音がやむと、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。

 

 滅多にない雨がトルリットに降り注ぐ。

 それは沈静の雨のように佇む二人の熱も冷やし、ルーファスの手がユーフェルティアの腕を解いた。薄っすらとついた赤い痣に構うことなく踵を返したユーフェルティアは小走りで駆ける。

 それを慌てて追い駆けるネジェリエッタの背を見送ったソランジュは、張り付いた髪を払いながら溜め息をついた。

 

 

「ルーファス……」

「……分かっている」

 

 

 人もまばらになった通りで、ルーファスは黒い空を、雨を見上げる。

 その目に光はなく、ただ震える両手を握りしめ、唇を噛みしめていた――――。

bottom of page