後 編
びしょ濡れで帰城した女王に、城内は騒然となる。
心配する声が飛び交うが、虚ろなユーフェルティアの耳には入ってこなかった。
入浴を済ませた頃には日も暮れ、ネジェリエッタが寝室へ連れて行こうとする。
だが『仕事があるから』と、ユーフェルティアは執務室の前で足を止めてしまった。衰弱しているようにも見え、ネジェリエッタは躊躇うが、先刻のことを思うと強く止めることは出来なかった。ただひとつ。
「姫様……それ」
不安そうに見下ろすのは、ユーフェルティアが抱える白いマント。
雨に濡れたそれをユーフェルティアも見下ろすが、頭を横に振ると何も言わず執務室に足を入れた。伸ばそうとするネジェリエッタの手は扉によって遮られ、閉じる音が虚しく響く。
反響した音がやんでも、降り続ける雨音がしとしと届く。
戸に背を預けたユーフェルティアの目は赤いレフアよりも白いマントを映し、ぎゅっと抱きしめると顔を埋めた。その時。
「むっははは! ハイヨ!! シルバーー!!!」
気持ちとは不釣り合いなほど明るい声に、はっと顔が上がる。
直後、隣室へと続く扉から勢いよく飛び出してきた物体に小さな悲鳴を上げた。その声に、楽しそうに駆け回っていたマオンが急停止し、背中に跨る人物が振り向く。ユーフェルティアの目が丸くなった。
「おお、ユフィ! お帰り!! あと邪魔してるぞ!!!」
「ヒ、ヒナタ様っ!?」
笑顔で手を上げた女性がマオンから跳び下りる。
身長はネジェリエッタほどで、漆黒の髪は後ろで団子結び。白の胸開きタートルネックには大きな谷間、黒のロングスカートとブーツ。そして、爛々と輝かせる瞳は黒耀石のような漆黒。彼女は海を渡った中央大陸を治めるアーポアク国の重鎮で、ユーフェルティアの親友であるヒナタ。
未だ呆けているユーフェルティアに、ヒナタは勢いよく抱きついた。
「いやあ、久し振りだな! 私の結婚式以来か? ん? どうした、元気がないぞ」
「い、いえっ、何も聞いてなかったので驚いてしまっ……お、お一人なのですか、うぷ」
「いや、仕事に行ってるが、フィーラとスティが一緒だ。ベルとアウィンは嫌だと断……大丈夫か?」
ぎゅうぎゅうと抱きしめるヒナタより一回り小さいユーフェルティア。彼女の豊満な胸に顔が埋まり、酸欠状態になった。
コーヒーと菓子を用意したユーフェルティアはソファに座るが、ヒナタは絨毯の上で胡坐をかいていた。傍で眠るマオンを撫でながら辺りを見渡す。
「ほう、ではこのレフアは結婚相手からか」
「はい。でも、まだ実感が沸かなくて……」
「はっはは、当事者とはそんなものだ。しかし知らない相手と結婚とは……良いのか?」
レフアを一瞥したヒナタは心配そうに見上げるが、サイコロの入ったカップを揺らすユーフェルティアは苦笑した。
「もう決まったことです。それに知らない方でも夫婦になれば良い関係になれるかもしれません」
「それはそうかもしれんが……浅葱少年達は何も言ってないのか?」
浅葱少年。それはヒナタがつけた、ルーファスのあだ名。
カラコロと鳴っていたサイコロの音が途切れ、カップを握りしめたユーフェルティアは微笑んだ。
「はい。ルーは騎士で、私とは関係ありません」
言葉にした時、泣きそうになった。
胸だけが痛んでいた今までとは違い、ひゅっと喉元まで飛んだ何かがそれ以上言ってはいけないと止める。言ってしまっては根元から崩れてしまいそうだ。
すると、目を伏せたヒナタが一息つく。
「私は少年達としか言ってないんだが……そうか、元気がない原因は浅葱少年か」
「っ!」
納得するように頷かれ、ユーフェルティアは口元を押さえた。
ヒナタに騙す意志はなかっただろうが、こうも簡単に墓穴を掘ったこと。何より関係ないと言っておきながら狼狽している自分が恥ずかしくなる。
それが伝わっているのか、立ち上がったヒナタはマオンに拳を見せた。
「よっし、マオン。浅葱少年のところに殴り込みに行くぞ!」
『ギャウッ!』
「えええぇぇーーーーっ!?」
とびっきりの笑顔で宣言したヒナタに、待ってましたとマオンが吠える。
慌てて立ち上がったユーフェルティアの手からカップが落ちるが、音は絨毯によって掻き消され、サイコロが散らばる。扉に向かって歩きはじめる一人と一匹を止めるように、ユーフェルティアはヒナタの手を掴んだ。
「ま、待ってください!」
「むははは、心配するな! 悪党を成敗するのは話し合いよりも得意だ!! それともスティに闇討ちさせようか!!?」
「そ、そんな物騒な……そもそもルーは悪党では」
「何を言う。私のユフィを泣かせた罪は重いぞ」
「え?」
何を言っているのかわからず、不意に掴んでいた手が離れる。
振り向いたヒナタはユーフェルティアの頭に手を乗せると額同士をくっつけ、内緒話をするようにそっと口を開いた。
「泣いてるぞ」
「っ……!」
泣いてなんかいない。
そう言おうとしたのに、ポツリポツリと紅玉の瞳から雫が落ちる。
「わ、私……」
必死に手で拭っても拭っても止まらない。
まるで塞き止めていた栓を抜かれたように、大粒の涙が頬を伝って落ちていく。頭を撫でる手も合わされば、もうダメだった。
「わからないん……です……ルーなんて……バカって言うばかりで……私の心配もしないし……結婚だって何も……言わなかったのに……キスしてきてっ……」
突然何を言っているのだろうと頭の片隅ではわかっている。
だが、泣きじゃくるユーフェルティアを見つめるヒナタの目は優しく、両手で顔を覆うと羞恥すら忘れ言った。
「でも……嫌じゃ……むしろ気持ち良くて……身体がおかしなほど疼くんです……ダメだと……結婚するとわかってるのに……ルーばかり考えて……はしたなくて」
「はしたなくなんかない」
否定と共に抱きしめられ、ユーフェルティアは目を瞠った。落ち着かせるように背中を撫でられる。
「結婚前にキスされたり触れられたことなど私だってある。今まで出したことない嬌声も蜜も……でもな、それは感じてる証拠なんだ」
「感じて……る?」
「うむ、本当に嫌だったら寒気が走る。だが、気持ち良い……それこそ意識を飛ばすほどの快楽なら、好きな相手に触れられているからだ」
「好き……?」
オウム返しするユーフェルティアは理解出来ていないようで、腕を解いたヒナタは微笑んだ。
「きっかけがなんであれ、建国祭よりも結婚よりも浅葱少年のことを考えてしまうなら、ユフィはヤツが好きなんじゃないか?」
「私がルーを……好……っ!」
声に出して直ぐ浮かんだルーファスに、顔から火が出る思いがした。
金魚のように口をパクパクさせるユーフェルティアにヒナタは満足そうに頷くと、絨毯に落ちたサイコロに目を移す。それを指すと、お座りしていたマオンが応えるように腰を上げた。
「まあ、私もいつ旦那を好きになったかは覚えてないがな」
ユーフェルティアの目が、サイコロへ向かうマオンからヒナタが身につけている宝石に移る。
王位継承の年に結婚した彼女が愛し、愛してくれる者から贈られた彼女の瞳とは違う色の宝石。腰を屈めたヒナタは、戻ってきたマオンが咥えていた三つのサイコロを受け取る。
「ただ、一緒にいる時に好きだとわかった」
「わかった?」
訊ね返すユーフェルティアに、胸元でサイコロを握ったヒナタは瞼を閉じる。
「ああ……鼓動が教えてくれるんだ。ユフィや家族といる時とは違う速さになって、それこそ名前を呼ばれただけで大袈裟に跳ねる」
苦笑しながらもどこか頬が赤いヒナタに、ユーフェルティアの動悸が速くなる。
彼女にではない。ルーファスに愛称(名前)を呼ばれ、胸が高鳴ったことを思い出したからだ。手の平でサイコロを転がしながらヒナタは続ける。
「ユフィ、結婚は喜ばしいことだ。だがな、国のため親のためなら私は祝福出来ない」
「ヒナタ……樣」
「一緒に笑い合ってケンカしてまた笑って……そんな些細なことを何十年もやっていける人と一緒になってもらいたい。女王など関係なく、一人の女の子として幸せになってもらうのが親友としての望みで我侭だ」
再びサイコロを握りしめたヒナタは微笑む。
長い夫婦生活を送っている彼女がどれほど幸せかユーフェルティアは知っている。ケンカしても、愚痴を零しても、愛する者といる時の彼女の笑顔は自分といる時とは違うのだ。
いつか、彼女のように愛する者と添い遂げたいと思っていた。
そして今、ユーフェルティアがそうありたいと思うのは――ルーファスだ。
皮肉なことを言って呆れられても、決して護衛が嫌だと辞めることなくニ十年も一緒にいてくれた。傍にいるのが当たり前すぎて、家族に抱く気持ちと同じだと思っていた。でも違う。
彼を考えるだけで胸が高鳴り、口付け、疼く身体は家族という言葉では収まらない。彼だからだ。
小さかった想いが徐々に大きくなり、胸の奥で音を鳴らす。身も心も許せるほど彼が、ルーファスが……好き、だと。
「なのに……私っ……」
ポロポロとユーフェルティアの目から涙が落ちる。
想いが形になったのに、自分はルーファスに必要ないと言ってしまった。自分から突き放してしまった。このまま彼の前で結婚相手を前にし、花嫁衣装を着て永遠を誓うことを想像すれば胸が張り裂けそうになる。
「諦めるのはまだ早いぞ」
「っ……!」
察したような声に伏せていた顔を上げたユーフェルティアの目に、仁王立ちするヒナタが映る。
「ユフィは女の子だが、騎士団長や父親や結婚相手。それどころかこの国に逆らえる者は一人もいない銀竜(女王)だ」
「ヒナタ……様」
弱々しい声とは違い、三つのサイコロが勢いよく放り上げられる。
空中で回るサイコロではなく、ユーフェルティアを見つめるヒナタは力強く親指を立てた。
「ウチのバカ王(お)を見習えとは言わぬが、遣えるところで権力遣って好きにやってしまへ!」
満面笑顔だが、さっきと言っていることが矛盾している。
だが、一切の迷いもない彼女に呆気に取られていたユーフェルティアは次第に笑いが込み上げてきた。つられるようにヒナタも笑いだし、室内が穏やかになる。が。
『こんのっクッソガキャアアアアァァアーーーー待ちやがれえぇぇーーーーっっ!!!』
「む? いかん、スティが何かやらかしたらしい。ちょっと行ってくる」
突然響き渡ったソランジュの怒号に思い当たる節があるのか、急いでヒナタが部屋を後にする。その背を見送ったユーフェルティアは瞬きを繰り返すが、床に視線を落とした。
落ちていたサイコロの目は、六、六、六。
くすりと笑みを零したユーフェルティアはソファの下に落ちていたカップを拾うと、中にサイコロを落とす。カランカランと木霊する音を消す雨音がないことに気付き、窓へと足を向けた。
雨がやんだ雲間からは薄っすらと月が見える。
窓に寄り掛かったまま見上げるユーフェルティアはふと昔を思い出す。ルーファスと二人、バルコニーで夜空を見上げ交わした日を。
「私は……月に負けない銀竜になれたでしょうか……ルー」
呟きを落とすと、椅子に置いていた白のマントを握りしめた。
濡れていても匂いは消えない。既に自身へと染みついた鼓動と共に──。
* * *
レフアの花。正式名称オヒアレフア。
遠い昔、オヒアという男とレフアという女の恋人達がいた。そこに一人の女神がオヒアを気に入り結婚を申し出たが、レフアを深く愛していた彼は振り向かなかった。
怒った女神はオヒアを木に変え、レフアは悲しみのあまり泣き続けた。
その姿に自身の過ちに気付いた女神はレフアを花に変え、オヒアの木にそえたことで、木はオヒア、花はレフアと名付けられることとなった。
レフアを摘むと雨が降るという伝説を残して──。
レフアが悲しみを拭ったかのように快晴が広がるトルリット。
建国祭にふさわしい青空に国民は朝から飲んでは食って歌っては踊ってとお祭り騒ぎ。もうじきはじまる式典後には、バルコニーから女王が挨拶することになっており、早くも城下には人だかりが出来ていた。
待ち望む笑顔を城の一室から眺めていたユーフェルティアは手を握りしめる。
そこに白のファー付きマントを身につけたマオンが寄ってくると、黄金に輝く鬣を撫でた。
「陛下、そろそろ参りましょう」
いつもとは違う声質に振り向けば、頭を下げているのはソランジュ。
目を伏せたユーフェルティアはレフアに彩られた部屋を出ると会場へと足を進めた。
白い肩が見える純白のドレスはAライン。
何重ものレースが縫われ、ビーズとスパンコールが散りばめられている。両手にはチュールレースの手袋を嵌め、胸元にはプレシャスオパールのネックレス。編み込みで上げられた白金の頭上にも、同じ色が輝く王冠がある。
歩く度に揺れるのは銀糸で編まれた竜と十字架のマント。この国の君主である証……だが。
「それ……ルーファスのですよね」
マオンと共に後ろに続くソランジュの小声にユーフェルティアは一瞬目を移すが、直ぐ前を向き直した。
「いけなかったでしょうか?」
返された声に、これといった感情は含まれておらず、ソランジュは目を丸くする。だが、一息つくと肩をすくめた。
「別に……ただ昨日のこともありますし、迎えも急にボクになったから戸惑っているのではと思って」
「総団長として、セレーネ様のお迎えに上がるのは当然のこと。それに式典で会えるのですから何も心配する必要はありません」
「……姫様、なんか変わった?」
聞き慣れた口調に戻ったソランジュに、立ち止まったユーフェルティアは笑みを返す。目を丸くした彼に、再び歩きだしたユーフェルティアは訊ねた。
「ランジュは結婚なさらないのですか?」
静かな問いに、ソランジュの足が止まるのは彼も独身。実のところ、ルーファスとネジェリエッタよりも年上だからだ。
難しい顔で考え込んだソランジュだったが、大きな溜め息をつくと距離を埋めるように足を速める。
「……正直な話、幸せになってもらいたい人がいるんだ」
「自分よりもですか?」
「そ……ホントもう呆れを通り越して感服するぐらいの人でね」
「応援してる……のですか?」
自分なりに解釈したことを呟くと、ソランジュはお腹を抱えたまま上体を丸めた。
肩が揺れているのを見るに笑っているようだが、ユーフェルティアは小首を傾げるしかない。顔を上げた彼は零れる涙を拭った。
「はは、は……そんなもんかな。ともかく幸せになれるよう願ってるよ。陛下のも合わせて」
小さなウインクにユーフェルティアは瞬きするが笑みを零す。
彼の願う幸せと自分の幸せが同じかはわからない。それでも大扉の前で足を止めると胸元で手を握りしめ、瞼を閉じた。
「ユーフェルティア女王陛下、御入室!」
一呼吸後に掛かった号令に目を開く。
開かれた扉からは光が溢れ、真っ直ぐ伸びた赤い絨毯の先には銀色の玉座。普段閉じられている『王の間』にはステンドグラスの光が注がれ、多くの来賓客が集っていた。
その中に親友であるヒナタの姿はない。昨夜挨拶も早々に本物の結婚式に呼んでくれと言い残し帰ってしまったからだ。
心強い笑顔を思い出しながら絨毯を進み、数段ある階段に足を掛けると壇上へと上がる。
玉座の後ろで一礼した父タージェラッドは健康上から先に腰を下ろし、傍には敬礼を取るワンダーアイとネジェリエッタ。そしてソランジュとマオンが並ぶ。
振り向いたユーフェルティアはドレスの裾を持ち上げ一礼した。
「今日という日を迎えることが出来たのもここにいる皆様、そして我が有衆のお力添えがあってこそ。一人の民として誇りに、一国の女王として深く感謝申し上げます」
涼やかな挨拶に拍手が送られる。
継承した頃は女だから、若いからと納得しなかった高官も貴族も今では彼女を認めている音。それらをまた失うことになってもユーフェルティアは続けた。
「つきまして、この良き日に私(わたくし)事で大変恐縮ですが、先日父タージェラッドよりルベンルクのアルファ・セレーネ様との婚姻の話をいただいたことをご報告させていただきます」
突然のことに拍手が途切れ『嘘?』『誰だそれは?』と囁きが聞こえる。だが、混乱と呼べるほどのものではない。国民の間でも噂が広がっていたように、好奇の目を送る彼らも予想していたのだろう。
その視線に緊張の音が鳴るが、ユーフェルティアは意を決したように口を開いた。
「ですが、私(わたくし)には別にお慕いしている方がいるため、破棄いたします」
思いがけない言葉に会場は騒然となり、さすがのトップ四の三人も絶句する。ただ一人、タージェラッドだけが喉を鳴らした。
「ほう、まだ会ってもおらぬというのにか?」
「はい……女王としても娘としても我侭なことだと重々承知していますが、それほど恋焦がれ、共に国を導いてくださる方なのです」
「姫様……」
一目父を見たユーフェルティアの眼差しに、ネジェリエッタは感嘆の息を漏らす。
その確固たる信頼と信念に想い人が誰かなど問う者はいなかった。それこそ騎士達も警護を忘れ、次の言葉を待つように女王を見上げる。
緊張が包む中、薄紅色に塗られた唇と、握りしめられていた手が開かれた。
「それでも異論があると言うのならば勝負しましょう……チンチロリンで!」
「「「………………え?」」」
力強い宣言に素っ頓狂な声を返したのはトップ四の三人。
だが、タージェラッドも会場にいるすべての者も目を点にしている。ユーフェルティアの手に乗る三つのサイコロに。
「たとえこの場にいる全員と勝負することになっても私(わたくし)は勝ってみせます!」
「「「はいいいいぃぃーーーーっっ!!?」」」
会場全員の代弁をするかのような悲鳴を上げたトップ四の三人は、顔面蒼白のまま慌てて自信満々の女王に抗議した。
「おおおお待ちくだされ姫っ……陛下! 全員とは小生らもか!?」
「もちろんです。騎士(ワンダー)達の不満も聞かず誰が王と言えるのですか」
「そ、それでもいったい何人いらっしゃると……」
「騎士も合わせ八千と六百十人と一匹……さすがに時間が掛かりますので一回勝負にします」
「うわっ、マオンまで入ってるよ……じゃなくて、不満聞くならチンチロリンはやめて!」
「自信があるもので勝負せずどうします!」
「「「賭博(そんなの)に自信もたないでえええぇーーーーっっ!!!」」」
総ツッコミにタージェラッドはお腹を抱え笑っているが、他は呆気に取られるしかない。顔色が優れない者がいるのは思い出したくない過去でもあるのだろう。
再びサイコロを握るユーフェルティアは目を伏せた。
「話し合いで終わるほど私(わたしくし)の決意は甘くありません……なら、生まれもった天運に賭け、掴むまでです」
「そこまでして掴みたい相手とは誰ですか?」
割って入ってきた怯みもない声に、はっと顔が上がる。
遥か先を見据える女王に大衆も振り向くと、大扉付近に一人の男が佇んでいた。距離があるせいか、壇上から見てもハッキリとした姿はわからない。けれど、聞き違うはずはない。何よりユーフェルティアの胸が高鳴る相手は一人しかいなかった。
「ルー……ファス」
か細い声で呼んだユーフェルティアに、男は絨毯の上を歩きはじめる。戸惑う周囲に構わず、大きな溜め息がつかれた。
「まったく……バカはバカだと思っていましたが、ここまで来るとバカを通り越して大バカですね」
「なっ、なんの違いがあるので……!」
場所もわきまえない嫌味に、ついユーフェルティアも反応するが、壇上の傍までやってきた男の姿に目を瞠った。
「違い? ありますよ」
不満気な声とは反対に、射し込む光に輝く髪は浅葱色。
その前髪は上げられ、白のフロックコート。中もベストにアスコットタイと、見慣れた団服でもなければマントもない。だが、腰に掛けられた剣と、夕暮れのような琥珀の瞳。
立ち止まった男は間違いなく総騎士団長ルーファスだ。
「バカにつける薬はありませんが、大バカは全力で阻止させていただきます。お望み通り──天運を賭けて」
白い手袋を嵌めたルーファスの手には三つのサイコロ。
顰めた顔と鋭い琥珀の双眸に見上げられたユーフェルティアの動悸は今までにないくらい早鐘を打つ。
「なん……で……」
サイコロを握りしめたまま口元を押さえたユーフェルティアは小刻みに震える。その目尻に薄っすらと涙が見えるのは服装よりもサイコロよりも大バカよりも『全力で阻止する』と言った彼に胸が痛んでいるからだ。
覚悟を決めて壇上に上がった。
反対されても本気でサイコロで勝つ気でいた。
なのになぜ、想い人(本人)が止めるのか。
なぜ……。
「バッカっ! バッカっ!! ルーのバカーーーーっ!!!」
「は?」
泣き叫ぶような罵声に虚をつかれたのか、ルーファスの目が丸くなる。
他も同じ顔になるが、両手を握りしめたユーフェルティアは思いの丈を放った。
「なぜ貴方が止めるのですか! 今まで一度だって……話が出た時だって止めなかったくせに酷すぎます!! 最低です!!!」
「な……聞き捨てなりませんね。私とて嫌なことは抗議しますし、騎士とも勝負すると言ったのはどこのバカですか」
癇にさわったのか、言い返すルーファスの口も荒い。
だが、長年仕え見慣れている騎士や高官に止める者はおらず、来賓も口を挟めるものではないと見守るだけにした。そんな周囲の気遣いなど知らない二人の言い合いは続く。
「ええ、ええ、私です! でも何が嫌で勝負するのですか!? そんなに私をセレーネ様に嫁がせたいのですか!!!」
「そうだ! そのまま俺のとこに来ればいいものを面倒なことするな!! それとも勝負に勝って拐ってやろうか!!?」
「いいですよ! その代わり私が勝ったら結婚してください!! 私は貴方以外と結婚する気なんてないんですから!!!」
「望むと……は?」
何かに気付いたようにルーファスの声が途切れる。
息を荒げるユーフェルティアも違和感があったのか瞬きを繰り返すと、放出された熱と沈黙だけが会場を包んだ。そこに三つの呟きが零れる。
「ふむ、小生も歳だろうか。今、ダイナミックな告白を聞いた気がしたのだが」
「うん……すっごいすれ違いが起こったよね」
「同時にプロポーズなんて素敵ですわ!」
背後からの黄色い悲鳴と額を押さえたルーファスの大きな溜め息に、ユーフェルティアは両手で頬を覆った。
(え、ま、え? わ、私、何を……というよりルーはなんて……っ!?)
両手に伝わる熱が全身から出ているのがわかる。
立場も忘れ口走ったこともそうだが、ルーファスが言ったことを思い返せば返すほど混乱し、熱と動悸が増す。沈黙を破ったのはタージェラッドの笑い声だった。
「っははは! そうかそうか、ユフィの想い人はルーファスか」
「お、お父様、その、これは……」
醜態を晒した気分になるユーフェルティアは慌てふためくが、肘をついたタージェラッドは喉を鳴らす。
「いやはやまったく、最後までどんな目が出るかわからぬものだ。のう、ルーファス……いや──アルファ・セレーネ?」
愉し気な紅玉に目を瞠ったユーフェルティアは視線をたどるように振り向く。自身の紅玉に映るのは跪いている浅葱の男。
再び父を見れば、目が伏せられた。
「我が国を守護する騎士(イポティス)は夜空に瞬く最も小さき星団、南十字。交差する四の輝きには星名がつけられている。四等星、δ(デルタ)のワンダーアイ。三等星、γ(ガンマ)のソランジュ。二等星、β(ベータ)のネジェリエッタ。そして──」
物語を語るような口調に、呼ばれた三人の頭が順に下がる。
戸惑いながらも、自然と最後の一人を捉えたユーフェルティアに、瞼を開いたタージェラッドは口元に弧を描いた。
「それら星々を束ね導く一等星、α(アルファ)のルーファス。銀竜(トルリット)に近し月光(セレーネ)の名を借り、アルファ・セレーネ。彼こそユーフェルティア、お前の結婚相手だ」
「え……?」
結婚相手? 誰が?
告げられたことに理解出来ないまま再び見下ろすユーフェルティアの目と、頭を上げたルーファスの目が重なる。サイコロが落ちた。
「ええええぇえぇぇーーーーーーっっ!!?」
階段に転がるサイコロの音は悲鳴によってかき消され、また真っ赤になった頬を両手で覆ったユーフェルティアは意味もなく足踏みする。
「ま、姫様ったら可愛い」
「てか、本当に気付いてなかったよ」
「はて、ユフィに騎士の仕事を教えてなかったかな」
「内偵の時にしか使わぬ名ですしなっははは!」
他人事のような会話に振り向いたユーフェルティアの顔が一瞬で真っ青になる。まさか……。
「知っていたのですか……?」
「「「「うん」」」」
「えええぇっ!!!」
四人どころかマオンにも頷かれ、ユーフェルティアは驚愕の声を上げる。だが、瞬時に浮かんだ疑問をぶつけた。
「でででは、あの肖像画は誰なのですか!?」
「小生の二十年前の画ですなっははは!」
「じ、次男というのは!?」
「ワンダーは次男ですわ」
「レ、レフアは!?」
「タージェラッド様と奥方様の思い出とかで、ルーファスに頼まれたボクが摘みに行った」
「お世話になったというのは!?」
「ふむ、代々騎士を輩出し、側近を担っているリッテンバルク家には世話になっておる」
「マオンちゃ『ギャウ!』
迷いもない返答に言葉を失う。
思い返せばワンダーアイに似ていた肖像画、両親の新婚旅行先であるルベンルク、身を引いたマオン、疲れて帰還したソランジュ。妙な引っ掛りが解けるのは、はじめからこの結婚が仕組まれ、全員が共犯者(グル)だったからだ。
「どうして……」
企図の中心が誰かは今までの会話でわかる。
それでも明確な答えにはならず、マントを握りしめたまま訊ねたユーフェルティアにルーファスは一息ついた。
「貴女って聡いようでバカですよね……まあ、それを読めなかった俺も同じか」
聞き慣れた『バカ』に嫌味がないのは苦笑しているからだろう。誰もが珍しがっていると、再びルーファスは頭を下げた。
「ニ十六年前、貴女の護衛に就いた頃は無茶ぶりの数々、すべての要求がチンチロンリン。それによって与えられる甚大な被害と私へ向く叱責に自分の天運を恨みました。なぜこのバカを俺が見なければならないと」
人称を変えるほど恨みがましく語る過去に会場が静まり返る。
十歳という若さで王族直属の騎士に選出されたルーファスとはいえ、護衛相手は当初三歳のユーフェルティア。その大変さを身をもって知っている者達は同情の目を送り、当人であるユーフェルティアは穴があったら入りたいと両手で顔を隠した。
そこでふと、自分に就いた経緯はなんだったかを考える。
「でも……貴女だけだった」
思い出す前に呟きが遮る。
さっきとは違う柔らかな声に両手を離すと、少しだけ顔を上げたルーファスは口元を綻ばせていた。
「幼いが故、非難の目で見られ罵倒され続けた私を、貴女だけは一等星に負けない騎士になれると言ってくれました。自分も月に負けない銀竜になるとも……」
それは昨夜、ユーフェルティアも思い出していたニ十年も昔のこと。
覚えてくれていたばかりか、笑みを浮かべている彼に胸が熱くなる。速くなる動悸を抑えるように胸元に手をあてても、熱を帯びた告白は続いた。
「一点の曇りもないその瞳に、私は生涯仕えることよりも恋をしました」
「恋……?」
「ええ。自分でも恥ずかしいほどですが、ヴァカで大ヴァカで手を煩わせる貴女が可愛いらしくて欲しいなどと思ってしまったんです」
「ちょちょちょ!」
耳を疑いたくなる言葉に、ユーフェルティアは慌てふためく。
『バカ』だけなら何千万回だって聞いてきたが、自分に恋をした、欲しいなど一度だって言われたことはない。それこそ触れられ、キスされた時だって……それともこれは都合の良い夢だろうかと夢心地さえ覚えたが、彼の懐から取り出された物に目が覚める。
それは昨日、城下で見かけた時に誰かから受け取っていた手の平サイズの箱。ズキリと胸の奥が痛み、咄嗟に目を閉じた。
「貴女は約束通り月に負けぬ銀竜(王)となり、私も一等星(総団長)になったことで……やっと言えます」
どこか安堵している声に目を開く。
見上げるルーファスの瞳と重なった時、彼はふっと微笑んだ。
「ニ十年前からずっと貴女を、ユフィだけを愛していました。どうか俺だけの姫君(プリンキピサ)になると共に、愛する妻(ピレイン・スィズィゴス)になってください」
「っ……!」
甘く優しい声と共に開かれた箱にはピアスが二つ。
ステンドグラスも敵わないほど鮮やかな光を放つ宝玉は、ユーフェルティアだけを映す瞳と同じ琥珀。ひとつは騎士の忠誠を、ひとつは愛しき者へと贈る証だ。
何かの間違いだと心のどこかで思うが、高鳴る動悸と零れる涙。
何よりワンダーアイ、ネジェリエッタ、ソランジュ。そして、タージェラッドは笑みを浮かべ、不満顔ながらもマオンも後ろからユーフェルティアを押す。本当だと、頑張れと後押しするように。
なのに緊張からか、ユーフェルティアは上手く言葉にすることが出来ない。
国民を前にしているわけじゃないのに、たった一言、一頷きすればいいだけなのに、涙だけが溢れ喉が詰まる。それを察したように、ルーファスは反対の手に持っていたサイコロを高々と上げた。
ぶつかることなく宙を舞う三つのサイコロを全員が見上げ、絨毯の上でワンバウンドする。出た目は、四、五、六。一人勝ちの目にルーファスは口角を上げた。
「ほら、俺の勝ちだ。とっとと嫁に来い、ヴァーカ」
「っ、バッカあああぁ~~~~っ!!!」
意地悪く言う彼に、詰まっていた声がするりと出たユーフェルティアは階段を下りるのではなく飛び降りた。数段しかないとはいえ、乱れるドレスと髪。翻るマント。ついには王冠すら落ち、来賓と騎士達の顔が真っ青になる。
ただ一人、立ち上がったルーファスを除いて。
見越したように、当然のように。それこそ王冠など目もくれず伸びた手がユーフェルティアを受け止め、小さな身体が広い胸板へと収まる。昔と変わらず暖かい。けれど、あの頃にはない気持ちをしゃくり上げながら伝えた。
「私も……貴方が……好きです」
「貴方って誰ですか?」
「わ、わかってるくせに……!」
「わかりませんね。ちゃんと名前で言ってくださらないと」
ワザとらしく聞き返すルーファスを恨みがましく思う。
それでも耳元で愉しそうに笑う声だけでユーフェルティアの身体は歓喜に震え、溢れる涙によって薄れた化粧も腫れた瞼も気にせず顔を上げた。
「私もっ……ルーを愛してますっ……好きにさせた責任……取って……結婚してくださいっ!」
見栄を張ったような求婚返しだが、その両手は箱を包んでいる。表情を和らげたルーファスは彼女の顎を持ち上げると顔を近付けた。
「ええ、ここにルーファス・リッテンバルクは十字の君主(ひかり)であるユーフェルティア・イーリス・トルリットに忠誠と共に愛し護ることを誓いましょう──我が姫君(プリンキピサ)」
誓いの言葉と共に唇が重なる。
ユーフェルティアもまた想いを伝えるため両手を首へと回し、深くなる口付けのように会場から盛大な拍手が贈られた。
タージェラッド達も安堵した笑顔で祝福し、頭で受け止めた王冠を被るマオンは視線を落とす。
絨毯に散らばるのはルーファスが振ったサイコロと、ユーフェルティアが不意に落としたサイコロ。もはや意味をなさないそれは巡り合わせのように同じ目を出していた。
天運のお告げのように──。
* * *
「貴方……いったいどこまで手を回していたのですか」
仰天続きの式典を終えた夜。
ドレスのまま自室の長椅子に座るユーフェルティアの両耳には琥珀のピアス。その手には空となった箱とマントがあるが、両想いになったとは思えないほど不機嫌だ。
フロックコートを脱いだルーファスは、飾られたレフアを横目に答えた。
「貴女以外の全員」
「ウソっ!?」
「ウソですよ、ヴァーカ」
いつもの返しにユーフェルティアは握り拳を作るが、数時間前を思い出すとあながちウソとも思えなかった。
それは口付けを終えて直ぐのこと。
ユーフェルティアを抱えたままテラスに出たルーファスは待ちわびていた大勢の国民を前に堂々と結婚宣言をした。それこそ今まで聞いたことがないほどの声量と真剣な眼差しにユーフェルティアは見惚れ、国民も大歓声を上げながら祝福してくれた。
しかし、容易に受け入れられたことに引っ掛かりを覚えたのだ。
極めつけは式典後に用意されていた祝宴。
事前に設けられていたことは知っていた。けれど、口々に祝いを述べる高官や貴族。そればかりか騎士の中にも『本当に良かった』『長かった』など、父達のように安堵する者がいて、終わった今も釈然としないのだ。
「二十年前に貴女を娶ると宣言したので、居合わせた高官と騎士。あと、貴族の半数以上は知ってましたよ」
察したような返答はさらに小首を傾げるもの。
だが、タイを解く彼の口から出てきたのは説明という名の驚愕の事実。
なんでもニ十年前、ユーフェルティアへの恋心に気付いたルーファスは無謀にも両陛下に妻に欲しいと直談判したらしい。当然その場にいた高官や騎士は唖然としながらも怒り狂ったが、タージェラッドは笑いながら『チンチロリンで勝ったらいいぞ』と承諾し、ルーファスは負けた。
「負けたのですか!?」
「自分が誰の血を受け継いでいるのか考えてもらいたいですね……そんな私を見兼ねた妃殿下が条件を二つ出してくださったんです」
荒々しく解いたタイと手袋がコートの上に投げ捨てられる。
悔しさを滲ませた顔を見るに一回の敗北ではないのだろうと内心合掌するも、母の出した条件に耳を傾けた。
「ひとつは貴女の結婚候補になり得る貴族連中を黙らせること。そして、貴女が言ったように一等星……つまり総騎士団長になること」
ユーフェルティアは眩暈を覚えた。
上流貴族の中でもリッテンバルク家は名の知れた名家で、結婚相手としては申し分ない。だが、総騎士団長は違う。剣技や戦術はもちろん、王族だけでなく団内からも国民からも支持されなければ与えられない称号だ。なのにルーファスは平然と言う。
「総騎士団長にさえなれば貴族連中は黙ると思ったので楽な方でしたよ。ま、バカな貴女が早く一人前にならないので今日までかかりましたが」
責任転嫁に今度こそ怒鳴ろうとしたユーフェルティアだったが、手を止めた彼の瞳が揺れていることに気付く。
考えれば総騎士団長になる前に母は他界し、父も病を患った。
念願叶っても成り立ての彼はまだ未熟で、替わるように王位を継いだユーフェルティアも未熟。結婚を申し出ても周囲からの許しは得られなかっただろう。
「ルーって……本当に真面目でバカだったのですね」
呟きに片眉を上げたルーファスが振り向くが、ユーフェルティアは苦笑する。
無謀とも言える条件を果たし、一人前の銀竜になるまで待ち続けた二十年。その想いに偽りはないだろうが、よほど真面目でバカでなければ待てない歳月だ。だからこそ父やワンダーアイ達も手を貸したのだろうが、疑問が残る。
「私が断ったらどうするつもりだったのですか?」
「貴女にそんな度胸はない」
「なっ!」
「と、思っていたので、慕っているのがいると聞いた時は焦りましたし、それが自分だったのは驚きましたよ」
その割りに大きな溜め息をついている。
実際ヒナタの後押しがなければユーフェルティアは断らなかっただろうし、ルーファスや父達にとっても滞りなく進んだだろう。それを台無しにしたのは申し訳ないと思うが府に落ちないと、ユーフェルティアは頬を膨らませた。そこに、か細い声が届く。
「“ただの俺”が好かれてるなんて微塵も思ってなかったから……偽名使ったサプライズしたのに……俺がバカみたいじゃないか」
さっきまでの自信を失くしたような呟きは、静寂が包む室内でも聞き取れるかどうかの小さな声。そして、顔を背けたルーファスの口元はへの字なのに、頬はほんのりと朱色に染まっている。滅多にない色にユーフェルティアも顔を伏せてしまった。
「ル、ルーだって今までそんな素振り見せなかったじゃないですか。だから他に好きな方がいると……」
「なんでそうなる」
「だ、だって昨日……嬉しそうに誰かから箱を受け取ってたし……」
声を落としたユーフェルティアは身を縮こまらせる。
握りしめる箱は明らかに贈り物。自分への好意など知らなかったのだから疑っても当然だ。すると、考え込んでいたルーファスが『ああ』と頷く。
「アズフィロラ様といるところを見てたのか」
「ア、アズフィロラ様!?」
意外な名前にユーフェルティアは驚く。
アズフィロラはアーポアク国でルーファスと同じ騎士団長を勤め、親友ヒナタに忠誠を誓う男だ。ヒナタからはフィーラと呼ばれ、ルーファスにとっては憧れであり好敵手。そんな彼に忠誠の宝石を頼んでいたという。
トルリットにある宝石とは違い、名産元であるアーポアク品は純度も輝きも一級品。その点、規制の厳しさから中々手に入らない。
そこでアズフィロラに頭を下げたところ快く引き受け、届けてくれたそうだ。
突然現れたヒナタと、帰り際挨拶にきたアズフィロラの深い笑みに合点がいったユーフェルティアは身体を丸めた。なんという勘違い。
「つまり俺は嫉妬から叩かれたと?」
近付く足音に、はっと顔を上げる。
直ぐ目の前に佇むルーファスに見下ろされ、昨日のことを思い出したユーフェルティアはそっぽを向いた。
「い、いつもムッスリな貴方が紛らわしく笑ってたせいです。結婚の話が出ても平然としてたのに……」
「? 自分の女になるとわかってて喜ばない男も止める男もいないだろ」
「っ……!」
恥ずかしがりもなく言われ、ユーフェルティアの顔が真っ赤になる。
そんな頬に膝を着いたルーファスの手が触れ肩が跳ねるも、撫でられる気持ち良さに自然と笑みが零れた。
「……煽ぐな、ヴァーカ」
「え……んっ」
気付けば頬を撫でていた手が後頭部に回り口付けられていた。
「んっ、あ、ルー……ん」
会場でしたのとは違い、貪るように激しい口付けにユーフェルティアは翻弄されるが、全身が歓喜しているのを感じた。もっと欲しい。ただそれだけに支配されそうになった時、唇が離れてしまい『あっ』と寂しい声が零れる。
すると、立ち上がったルーファスに横抱きされ、持っていた箱が落ちた。
「きゃっ!」
「物欲しそうな顔して……その顔のせいで二十年の我慢があっけなく崩壊して襲われたの分かってるのか……」
最後は独り言のように聞こえたが、瞬く間もなく豪華な天蓋がついた寝台に運ばれたユーフェルティアは、皺もないシーツの上に下ろされた。
これから何がはじまるのか動悸を激しくさせる身体は気付いているのに“女王”としての僅かな理性が働く。
「あのあのっ、ルー……私達まだ夫婦ってわけじゃ……」
「タージェラッド様にはサイコロで勝って何をしても良い許可は得ています。ついでにウチの親もリッテンバルク家の世継ぎも産んでねとGOサインもらってます」
「ええっ!?」
どこまでも用意周到なことに唖然としていると、ベッドに腰を下ろしたルーファスの手が伸びる。
「それとも、コレだけで我慢出来ると?」
「あ……!」
ひらりと、彼が掴んだのは白いマント。
元はルーファスの物で、式典どころか今さっき落とした箱とは違い手放さなかった物。染みついていた匂いに心地良さを覚えていたのは本当で、ユーフェルティアは押し黙った。
すると、マントを投げ捨てたルーファスに押し倒される。
突然のことに驚くも、覆い被さった彼の瞳に映る自分にユーフェルティアは喉を鳴らした。そんな喉元と、同じ瞳色が輝く輝石《ひかり》に口付けが落ち、耳元で囁かれる。
「お前の全部を“俺”に染めてやる」
ゾクリとするほど甘く艶かしい声。
何より意地悪く微笑む口元と欲情を滲ませた瞳に、もう抗うことは出来なかった。頬を赤めたまま、震える両手を彼の首へと回したユーフェルティアは頭を浮かせ、薄っすらと涙を浮かべながら微笑んだ。
「……はい」
隔てるものがなくなったように自分から口付ける。
自分はもう女王でも何者でもない。ただ目の前の彼を愛し愛される一人の女として共にありたい。
そんな彼女に応えるように、抱きしめたルーファスも口付けを深くした。
さっきと同じように激しく重ねては角度を変え、隙間から差し込まれた舌がぐるりと口膣を舐めるとユーフェルティアの舌を突き絡みつく。
「んっ、ふ、ん……」
「もう身体が熱い……お前、犯されるの好きだろ」
「ち、違」
「太陽(ソール)」
否定しようと唇を離したユーフェルティアだったが、突然の“命令”に自然と両手が上がる。と、腰を抱かれ、俯せにされた。ドレスのホックを外される。
「ひゃっ!」
「忘れてないとは、良い子じゃないか」
褒めるように白金の髪を撫でるルーファスは後ろ身頃を開き、その下にあったコルセットも解く。軽くなる胸元にユーフェルティアは慌てるが、白い背中に口付けが落ちた。
「あっ!」
「どこを触っても敏感に反応して……どれだけ無垢な身体なのか分かるな」
くすくすと笑いながら背中を這う舌にユーフェルティアは吐息を漏らす。
たったそれだけで濡れる下腹部に恥ずかしくなるが、上ってきた舌がうなじや耳乱を舐めれば身体が喜ぶように反応してしまう。そしてまた『太陽』と耳元で囁かれ、操られるように両手が上がった。
息を乱しながら仰向けに転がされると、胸元を引っ張られ、ふるりと揺れる乳房が露になる。大きな両手に掴まれた柔らかなそれは形を変えるように揉み込まれる。
「あっ、あっ……」
「俺の手を飲み込むばかりか、こんなに赤く実って……厭らしい」
「あんっ、言わっ……ああ!」
自分でも分かるほど尖っていた胸の先端は赤く実った果実のようだ。
それをぱくりと食んだルーファスは舌先で転がしては甘噛みし、反対の先端は指先で摘んでは弾く。ゾクゾクする刺激とくすぐったさにユーフェルティアは身じろぎながら両手で口元を押さえた。
吸い上げた先端を離したルーファスに咎められる。
「声を我慢するなユフィ。ただ俺と快楽に身を任せろ」
「んっ、ルー……ああぁ!」
涙目で見下ろすユーフェルティアに、ルーファスは反対の熟した実を食む。
歯に挟まれた先端が引っ張られるとビリビリと電流が流れるような錯覚を覚えたが、痛みよりも快楽の方が強かった。声を上げれば一層気持ち良くなり、下腹部からあられもない蜜が零れる。
そこにルーファスの手が触れ、ビクりと身体が跳ねた。
「ぐしょぐしょに濡れてるな……」
ワザと声に出して言う彼が憎らしいが、ドレス越しでも分かるほど濡れていることにユーフェルティアの顔は真っ赤になる。それを満足そうに見下ろしていたルーファスはドレスの中に手を潜らせ、下着を剥ぎ取った。
「きゃっ!」
「既に濡れているのを触っても面白みに欠ける……なら、直に苛めた方が楽しいだろ」
下着を捨てたルーファスの手が脚を、太腿を、下腹部を撫でる。
その指先が零れた蜜に触れれば、くちゅりと水音を鳴らした。恥ずかしさからユーフェルティアは両脚を閉じようとするが『時間(クロノス)』の囁きにピタリと止まってしまう。
そんな両脚を曲げたルーファスはくすくす笑いながら指を一本秘部へと挿し込んだ。
「このニ十年も無駄だったわけじゃなさそうだな」
「ああっ、ルー……だめぇ」
ニ十年前から仕込まれていたかのように“合言葉”が“命令”としてユーフェルティアを支配する。
あの頃よりももっと凶悪で甘美な声だけでなく、片方の胸を弄られながら、ぬちゅぬちゅと卑猥な水音を立てる指を抜き差しされる。次第に指を増やされ、喘ぎと蜜が増した。
「うっ、あん、ああ……っ」
「これだけでイきそうか? 良いぞ、イって」
「ああっ、あ……!」
シーツどころかルーファスの手を濡らしているのに、彼は楽しそうに笑う。
まるで濡らしていることは恥ずかしくないと言われているようで、ユーフェルティアは覚えのある快楽に身を任せるようにぎゅっと瞼を閉じた。瞬間、身体が仰け反り、大きな音を立てながらベッドに沈んだ。
息を乱し、汗を流す彼女にルーファスは口付けを落とす。
「良い子だ」
褒める声は優しく、ユーフェルティアは虚ろな目を開く。だが、彼の姿は折り曲げた自分の両脚に隠れてしまい、暫くするとちゅっと、リップ音と刺激が駆け上った。
「ひゃああぁっ!」
それは股に顔を埋めたルーファスが蜜を零す秘部を舐めた音。逃がさないよう両脚は掴まれ、熱い舌が蜜を舐めては吸い上げ、ユーフェルティアはビクビクと腰を浮かせた。
「あ、ああ……だめぇ……変になるぅ……」
「なればいい。気持ち良いんだろ?」
達したばかりの身体に追い打ちをかける刺激と声。
既にユーフェルティアの頭の中はぐちゃぐちゃで、羞恥すら忘れて素直な言葉で喘ぐ。
「あ、あ……気持ち良い……ルぅ、気持ち良いの……もっと……」
そこに女王という姿はなく、ただ頬を赤めた淫靡な女がいた。
開いた両脚から覗く彼を見下ろせば、顔を上げたルーファスと目が合う。その口元に弧が描かれると、蜜と秘芽を舐める舌を速め、ユーフェルティアを追い詰める。
「ひゃあぁ、あああっ、ああぁぁん」
達したばかりの身体は大袈裟なほど跳ね、あっけなくユーフェルティアはニ度目の絶頂を迎えた。ぐったりと力を失くした身体を起こしたルーファスは、全身に口付けながらドレスを脱がす。生まれたままの姿は汗ばんでいるが、吸いつけば直ぐに痕が残る。
それを嬉しそうにつけるルーファスのシャツを、ユーフェルティアは震える手で握った。
「ルーにも……していい?」
予想外なことにルーファスは目を丸くしたが、一息吐くと残りのシャツボタンを外す。
次第に露になる身体は引き締まっていて、適度な筋肉と腹筋があった。騎士とは思えないほど細身だと思っていたユーフェルティアは目が覚めたように両手で口元を押さえ、シャツを脱ぎ捨てたルーファスは怪訝そうに見下ろす。
「なんですか?」
「い、いえ、その……弱点がなさすぎると思って……」
総団長ばかりかサイコロにも勝ち、三十六でも充分な色気と若々しさがある彼に天は与えすぎたとユーフェルティアは直視出来ない。
すると、溜め息と一緒に『ヴァーカ』と呟いたルーファスに抱きしめられた。
擦れ合う乳房と堅い胸板にユーフェルティアは慌てるが、自身のとは違う熱を感じる。むしろ、もっと熱いと顔を上げた。
「ルー……?」
「弱点なんてない……お前がいれば」
そう言いながらそっぽを向いたルーファスだったが、案にユーフェルティアが弱点だとも聞こえる。実際彼の頬は赤く、ユーフェルティアは嬉しさから抱きしめ返した。
耳に聴こえる鼓動は重なるように速く、目に映るのは無数の切り傷。
騎士なら当たり前の傷だろうが、今まで知らなかったこと、護ってくれたことに感謝するように一つ一つの傷跡に口付けていく。抱きしめたまま横たわるルーファスもまた白金の髪や額、そしてピアスに口付け、ユーフェルティアも彼の耳に光る十字のピアスに口付けた。
それだけの行為なのに二人の身体は熱を帯び、浅い呼吸を繰り返す。
視線も絡まれば、喉を潤すように何度も口付けた。何度も何度も。
「んっ、んっ、あ……あぁ」
口付けながらルーファスの手がお尻に回り、指先が蜜を掻き混ぜる。
その刺激にぎゅっと彼を抱きしめるユーフェルティアだったが、股に当たる大きな何かに気付き、片膝でそれを擦った。
「っ……!」
「ご、ごめんなさい!」
呻きのような声に慌てて退けようとしたが、ルーファスの股に膝を挟まれてしまう。顰めた顔の彼に戸惑いながらまた膝で擦った。ズボン越しでも硬くて熱いそれが自分にはない男のモノだとやっと理解したのか、ユーフェルティアは更に顔を真っ赤にさせ、抱きしめるルーファスが耳元で囁く。
「ナカも穢していいか?」
蜜を零れさせる甘い声。だが、耳にかかる吐息と落とす汗。
それらは結婚の話が出た夜に触れられた時と同じだった。あの時は何故苦しそうにしているのか分からなかったが、今なら分かるユーフェルティアは抱きついた。
「うん……ルーに穢されて満たされたい……」
「どこでそんな凶悪な言葉を覚えた」
「ヴァーカと言う大好きな人です」
「……っ、もういいっ!」
何か不都合なことでも言ったのか、ルーファスは荒々しく口付ける。
そのまま器用にズボンも下着も脱ぐと、ユーフェルティアの片脚を持ち上げた。蜜で濡れた秘部に宛がわれるモノに、ユーフェルティアは目を瞠る。
「ル、ルー……」
「お前が煽いだせいだ」
膝で触った時よりも大きく硬くなった肉棒の先端が食い込み、ユーフェルティアは声を震わせた。
「んっあぁ……入って……んんぅ」
「力を抜け……じゃないと全部入らない」
「あ、ああ……」
簡単に言うが、指とはまったく違う長大なモノにユーフェルティアの身体は強張ってしまう。隘路を押し進む度に痛みが走り涙が出るが、同じように息を乱しながらナカを蹂躙していくルーファスの姿に大きく息を吐いた。
「あ、ああ゛あ゛ぁっ!」
緩んだ隙をついたかのように肉棒が最奥を突き、高い嬌声が上がる。
「良い子だ……」
優しい声と共に、目尻から零れる涙に口付けが落ち、髪を撫でられる。虚ろな目にも彼と繋がっているのが見え、嬉しさで胸いっぱいになった。
「動くぞ」
「はい……」
自然とユーフェルティアの両脚がルーファスの背中に回り、大きな両腕が彼女を抱える。一層深くなったナカをこじ開けようとルーファスの腰が動いた。
「ふ、ああぁ……あああぁっ!」
先ほどまでとは桁違いの刺激が襲うのに、抽挿を繰り返せば繰り返すほど痛みは薄れ、快楽へと変わる。徐々に速まる腰は角度を変えながらユーフェルティアを攻め立てた。
「う、あっ、ああぁ……」
「ユフィ、ここが好きなのか?」
「あぁ、待っ……あああぁんっ!」
自分でも知らない弱点を探り当てたルーファスは嬉しそうに突く。
じゅぶじゅぶと増す水音と喘ぎは疲れを知ることなく響き渡り、絶頂がユーファルティアを襲いはじめていた。
「あああぁあっだめぇっ……イっちゃ……イっひゃぅぅ」
「ああ……存分にイけ……俺ももう……っ」
呂律が回っていないユーフェルティアの締めつけに、ルーファスは絡みつくように抱きしめると瞼を閉じる。瞬間、子宮の奥まで到達しそうなほど熱い飛沫が放たれ、結合部からは蜜と一緒に白濁が流れ出てきた。
「っはあ……はあ……ル-?」
共にベッドへと沈んだルーファスを、頭の中が溶けきったユーフェルティアは心配そうに見つめる。だが、顔を上げた彼はどこかバツが悪そうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「いえ……ちょっとがめつきすぎたかと……」
砕けた口調のユーフェルティアとは違い、騎士口調に戻ったルーファス。
どうやら年上のくせして我を忘れたことを失態だと思っているらしい。それがおかしくて可愛くて、ユーフェルティアはくすくす笑いながら浅葱の髪を撫でた。
「それだけ私を好きでいたのなら嬉しいです。その……とても気持ち良かったし……また……」
モジモジとしてしまうのは、達しても疼きが治まらないせいだろう。こんなにも性欲があったのかと自分でも驚くユーフェルティアだったが、突然影に覆われる。
見上げれば、上体を起こしたルーファスが意地悪そうに笑い、ユーフェルティアの背筋に悪寒が走った。
「ル、ル」
「仰せのままに──我が姫君(プリンキピサ)」
遮った言葉は胡散臭いのに、口付けは優しい。
そしてまた、ニ十年の想いを刻みつけるように重なり合って沈んだ。数え切れないほどの快楽に襲われても、染みつく愛しい人の匂いにユーフェルティアはただただ幸福を感じた。
自分が彼のモノになったのだと──。
翌日、雲ひとつない晴れ渡ったトルリット。
城下は昨日のめでたい話で盛り上がり、未だお祭り騒ぎが収まらない。それは城内にある一室も同じだった。
「いやっははは! ニ十年前はどうなることかと思ったが、丸く収まって良かった良かった!!」
「ホントホント……なのに実は両想いだったとか、こそこそ動いてたボクらはなんだったわけ」
「それもこれも、ルーが姫様にアピールしなかったからですわ。だからマオンにも信用されず……もしかして『ヴァーカ』が『好き』って意味でしたのかしら?」
「ふむ、ルーファスはツンデレであったのか」
ソファで賑やかに談義するトップ四の三人と前王。
反対に、部屋の主であるユーフェルティアは今までにない腰痛に襲われ、仕事椅子から離れることが出来ないでいた。見返りだと思えばたいしたことないだろうが、彼らの話を聞く度に恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになり、傍で眠るマオンを足の甲で撫でる。
すると扉が大きく開き、全員が目を向けた。
「仕事サボって……何してるんですか」
現れたのは総騎士団長ルーファス。
その眉間には皺が寄り、肩を小刻みに震わせている。だが、目の前の彼らはなんでもないように手を上げた。
「おおっ、ルーファス! 良いところに!! お前さんがツンデレとは本当か!!?」
「好きのひとつも言えないなんて男としてどうかと思いますわ」
「てなわけで、今から女王様に『愛してる』って言ってよ」
「む、それは父親として嫉妬するな……」
飲み会のようなノリにユーフェルティアは止めようとするが、ルーファスが遮った。
「ええ、来月の結婚式が終わればニ十年分の有給を使って新婚旅行に行きますので、その時にたっぷりじっくりと言ってやりますよ」
「「「「「え?」」」」」
何を言われたのか一瞬わからなくなった室内が静まり返る。
その後、ルーファスがいかに真面目で用意周到なのか城中が知ることとなるが『新婚旅行先には南十字座が見えますよ』と知らされたユーフェルティアは嬉しそうに微笑んだ。
そんな彼女の耳で光るピアスにルーファスは口付け、ユーフェルティアもまた彼のピアスに口付けた。
二人の傍には赤い花を咲かすオヒアレフアとピンクのカップ。
愛する彼との幸せを願う花と共に、カップの中にある銀竜の天運サイコロもまた一番の目を出していた。
幸福と祝福を贈る目を────。
~Fin~