幕間3*「一夜」
*第三者視点です
晴天の下、一羽の白い鳥がフルオライトの城下を飛ぶ。
色とりどりの花が咲く大通りは昼時のせいか鼻をくすぐる食事の匂いに包まれ、集まった人々の空かしたお腹を満たすと笑みが溢れる。だが、口々に上げる話題に表情が曇った。
「聞きまして? 昨日、城の薔薇庭園で大火災があったんですって。しかも管理してた方が放火したとか」
「ああ、確か『魔病』で噂されていた……」
「あそこで薔薇を買っちゃったんだけど捨てた方がいいかしら」
「しかもアルコイリスの青薔薇も共犯だってよ」
「そいつも怪しい噂あったもんな。捕まったって言っても自国の騎士が片棒を担ぐって大丈夫かよ、この国」
一夜にして広まった『薔薇庭園火災』。
商店からは薔薇をあしらった品が消え、人々は城で揺れる旗を不安気に見つめた。
風を伝って話を聞いていた男は、自身の頬にある薔薇に触れると瞼を閉じる。直後、ノック音が響いた。
『アスバレエティ団長 、いいっスか?』
「ひゃは~……なんだよ、メルス。戻ってたの」
小さな溜め息をつきながら紫の双眸を開いたムーランドの声にドアが開くと、銀色の髪をオールバックにしたメルスが入室する。書類と実験器具が散らばった室内を横目に、窓辺に立つ団長を見たメルスは体格に似合わず眉を落とした。
「ちゃんと食ってるスか?」
「何その母親みたいな台詞。そんなこと言う暇があるなら仕事に戻んなよ。王子様荒れてんでしょ?」
「私用が終われば戻るっス。それより団長、スっごい顔色悪いっスよ」
心配症の部下に、やれやれといった様子でムーランドはソファに置かれたベレー帽とファー付きマントを手にする。そのまま彼の横を通り過ぎるが、ドアの前で足を止めると振り向いた。笑顔で。
「メルス、団長命令。これ以降、騎舎にもボクのところにもくるな。ウザい」
「ええっ!?」
「伝達魔法使ったら減給にするから、用事は他の部下に行かせな」
「そこまで!? なんの苛めっスか!!!」
「ひゃははは、半分冗談半分本気さ。ま、至極簡単に言うと……」
突然の命令に困惑するメルスとは反対に、口元に弧を描いたムーランドはベレー帽を被るとマントの紐をリボン結びにする。翻したマント、竜と緑薔薇が描かれた背が向けられた。
「王子だけを護れ──それだけだ」
先ほどとは違う威圧感のある命令にメルスの肩が跳ねるが、それ以上彼は何も言わず静かに部屋を後にした。吹き通る風に散らばった紙が浮くと、窓枠に留まっていた鳥もはばたき、城を目指す。
* * *
フルオライト城、四十八階に部署を構える『情報総務課』はいつも以上に慌しい。
重要地のひとつ、薔薇園火災の処理を含め、国民や貴族からの問い合わせと言う名の苦情が入っているからだ。だが、奥の宰相室から漏れる声は別のようだった。
「モンモンが薔薇園を燃やすわけないだろ! 早く牢から開放しろよ!! 冷血漢鬼悪魔変態堅物ヤロー!!!」
「色々とおかしいでしょ。それと言葉遣いも直してください、セルジュアート様」
「申し訳ありません……」
頭を下げたのは怒声の主ではなく、教育係のトゥランダ。
机に両手を付けたフルオライト国第二王子セルジュアートの睨みに、椅子に腰を掛けた宰相ノーリマッツは一息つくと目線を合わせた。
「残念ですが事故事件両面で調査中ですので、彼女を出すわけにはいきません。貴方も『するわけない』と個人の感情で動くのはやめた方がいい。兄君の件も」
「お前……っ」
青も混じったセルジュアートの翠の瞳が揺れると、ノーリマッツは目を伏せる。
両手を握りしめたセルジュアートは苛立ちながらトゥランダと共に部屋から出て行った。入れ替わるように入室してきたナッチェリーナはしばしセルジュアートの背を見つめていたが、扉を閉めると報告を入れる。
「主(あるじ)、港町から連絡が入り、明後日には灰達が到着するらしい」
「明後日?」
ノーリマッツは数度瞬きした。
急いでも五日は掛かる道のりのはずだが、グレッジエル達が旅立ってまだ一週間も経っていない。彼の疑問を察したのか、ナッチェリーナは補足する。
「どうも灰が波を操って速度を速めているらしい」
「ああ……それはまた抗議第二段がきそうだな。で、肝心のモモカの様子は?」
頭を抱えるようにノーリマッツは天井を見上げるが、返ってこない答えに視線を落とす。両腕を組んだナッチェリーナは顔を伏せていた。
「変わらず……否定を続けてはいるが大人しくしている。ただ、昨夜から食事をとっておらぬようで……」
「……ナナ、お前が行ってこい。外に出さないのであれば会話も一緒に食事をとることも許す」
溜め息をついたノーリマッツの声にナッチェリーナは一瞬目を見開いたが、礼を取ると足早に宰相室を後にした。静まり返った室内で椅子に背を預けるノーリマッツは瞼を閉じる。
それを眺めていた白い鳥は西塔へと向かった。
* * *
火災の影響か、西方『蔓庭園』の客足も鈍い。
メイド達が心配そうに見つめる『福音の塔』内では、白い湯気と共に甘い林檎の香りが包むカモミールが三つのカップに注がれていた。紫紺の髪を揺らすマージュリーは、丸太椅子に座る二人に差し出す。
「ニーアさん、プラディさん、どうぞ。落ち着きますわよ」
「無理ですよ……薔薇園がなくなっちまって……モモっちが疑い掛けられてんのに……落ち着けとか」
「プラディ、やめなさい。そんなの……ジュリ様に言っても意味ないわ」
苛立つ少年プラディに、少女ニーアはカップを手に取る。だが、口元まで運ぶことはできなかった。二人の顔は真っ青で、瞼も腫れているのが見てわかる。
ポットを置いたマージュリーは階段へ足を向けると、上階へ姿を消した。数分後、下りてきた彼女の手には十一本の赤薔薇が活けられた花瓶。満開に咲く薔薇に、ニーアとプラディの目が見開かれると、テーブルに花瓶を置いたマージュリーは笑みを向けた。
「一輪、一種さえ残っていれば花に終わりはありません。御二人がモモカさんを信じていらっしゃるように、疑いのない心で植えれば何度でも咲きます。またみなさんで育てましょう」
静かに、けれど優しい彼女の声に二人の目尻からは涙が零れる。
ニーアは両手で顔を覆い、プラディは袖口で拭き取ろうとするが止まらない。そんな二人にマージュリーは手を伸ばすと、自身よりもまだ小さな二人を護るように抱きしめた。
腕の中で大切な友の名を呼ぶ二人の震える背を撫でながら、マージュリーはテーブルに飾られた赤薔薇を見つめる。
その瞳が切なく揺れているのを知るのは飛び立った白い鳥だけだった。
* * *
沈み出す太陽と空。
小さく開いた窓に降り立った鳥は隙間を通り、静寂に包まれた室内を飛ぶ。それは体長十センチほどしかない白いフクロウ。
「お帰りなさい……」
静かな声が聞こえるとフクロウは白いベッドに着地し、小さく跳ねながら差し出された手の平に乗る。指先で顎を撫でられるのが気持ち良いのか、フクロウが瞼を閉じるとベッドに寝転がる人物は静かに口ずさんだ。
*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*
どんな時でも見上げれば 空がある
たとえ世界に一人ぼっちでも 私は忘れない
あの日の面影 あの日の言葉 あの日の貴方を
見上げれば思い出すたくさんの日々
でも 遠い日を想うより
いま 会えたことに 私は涙を流す
どんな時でも見上げれば 空がある
繋いだ手が離れても繋がった空がある
信じている また会えることを
この──
*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*
歌声が途中で止まると手の平にいたフクロウも消え、室内は静寂だけが包む。
ゆっくりと起き上がった人物は覚束ない足取りで窓ガラスに手を付けると、窓下の薔薇園を見下ろした。
今はもう花も塔もない焼け野原と化した場所。
風が炭となった葉と花弁を散らす中で、唯一残るのは瓦礫から掘り出された『幸福の鐘』だけ。庭園と塔が焼け落ちても色焦げただけで形を遺した鐘に、上階から見下ろしていた人物は瞼を閉じると胸元に手を当てた。
「これ以上……好きにはさせない……」
その呟きは小さい。
けれど、怒気を含んだ手に力がこもり、窓ガラスにヒビが入る。裂け目ができたガラスに映る双眸は鋭く、開かれたシャツの間から見えるのは薔薇のタトゥー。
その色が何色かは裂かれたガラスには映らなかった────。