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49話*「問答無用」

 真っ暗な世界。
 自分の姿も見えない暗闇。なんの音も聞こえない暗闇。本当に瞼を開けているのかもわからない暗闇。

 

 そんな世界に光が見えた。
 それは赤、橙、黄、緑、紫、白と多色の薔薇。その中にない色を浮かべると、突如灼熱の炎が前を遮り、薔薇が真っ黒に燃え──。


「──っ!?」

 


 息を荒げ、手を伸ばした先にあるのは岩の天井。
 ゆっくりと顔を横に向けると、鉄格子と六畳ほどの広さを蝋燭の火が点す。薄暗い中でタオルケットを退かし、上体を起こすと簡易ベッドがギシギシと揺れる音が響く。額から流れる汗を長袖ワンピースの袖口で拭うが、背中も腰まである髪も汗で濡れている。

 寒さとは違うものに身体は徐々に震えはじめ、両腕で抱きしめた。

 

 薔薇園が燃え、本城地下牢に入って四日。
 瞼を閉じる度に思い出す光景に声にならないものも震えもやまない。どうしてこうなってしまったのか、何が起きたのかもわからず、タオルケットの上に上体を丸める。と、遠くから駆けてくる音と声が聞こえた。

「──から!」
「──い!」

 それは徐々に近付いてくる。
 窓もない地下では時間がわからない。でも、染みついた身体が明け方だといってるからナナさんがご飯を持ってきてくれたのかな。今日は食べれるかな。吐いたりしないかな。何か……教えてくれるかな。
 虚ろな頭で考えていると、木霊していただけの声がハッキリと耳に届く。

 

「ですから、立入禁止がっ!」
「やかましい! 吊るし上げるぞ!! モモーーっ!!!」

 

 誰かが倒れる音と共に聞こえた呼び声に身体が大きく跳ねた。
 駆ける足音が止まり、鉄格子を握る音が大きく響くと、震える身体を抱きしめたまま顔をゆっくりと上げる。薄暗い中でもわかる人が立っていた。


 

「モモっ!!!」
「お……義兄ちゃ……ん……」


 一瞬、夢なのか現実なのかわからなかった。
 でも、蝋燭の火が揺れる中でも確かに藤色の髪と眼鏡の奥にある灰青の瞳が見える──グレイお義兄ちゃんだ。

 すごく久し振りに感じるお義兄ちゃんの姿と声にベッドから下りる。
 けれど、覚束ない足は思うように動かず、地面に倒れ込んでしまった。

「モモ! 大丈夫か!? モモ!!!」
「……お義兄……ちゃ……」
「待ってろ! すぐに出してやるから」
「ごめんな……さ……い」

 呟きにガシャガシャと鉄格子を鳴らしていた音がやむと、息を呑むのが聞こえた。静かになる地下で地面に張りついたまま、握りしめた両手を震わせながら必死にわたしは言葉を紡ぐ。

「薔薇、なくなっ……ちゃった……全部……全部……桃の……せい……です……ごめんなさ……い」

 起き上がろうとすると大粒の涙が頬を伝い、地面に落ちる。
 この世界にきて最初に見た薔薇。お義父さん達が必死に育ててきた薔薇。思い出が詰まった薔薇。国花の薔薇。それらすべてが目の前で燃えてしまった。恩返しどころか取り返しのつかないことをしてしまった……お義父さん、お義母さん、お義兄ちゃん。

「何も……できなく……て……ごめんなさい……」

 

 涙でぐしゃぐしゃになった顔でも、鼻をすすっていても構わず目の前に佇む義兄に告げた。顔を伏せたお義兄ちゃんの肩は震え、黒の手袋をした両手を握りしめる。

「くそっ!!!」

 

 大きな声と共に勢いよく上げた右足で鉄格子を蹴る。
 響き渡る音と土煙にわたしは咄嗟に瞼を閉じるが、何度もそれが繰り返された。けれど、音が木霊するだけで牢はビクともせず、舌打ちをしたお義兄ちゃんは距離を取る。その両手に水を集めだした。

「お、お義兄ちゃん!?」
「『爆水破(ばくすいは)』!!!」

 制止の声も聞かず振られた手に、水の塊が牢にぶつかる。
 けれど、先ほどと同じように音と土煙が舞うだけで、水飛沫すら牢に張られた結界に阻まれた。土煙が晴れた先にいたお義兄ちゃんは眉を上げるとさらに水を集める。慌てて立ち上がったわたしは手を伸ばした。

「や、やめてください! そんなことしたらお義兄ちゃんが!!」
「死ぬぞ、グレッジエル」

 

 鉄格子を両手で握るわたしと響いた声に、水を集める手が止まった。
 静かに聞こえる足音が近付いてくると、蝋燭の火で蜂蜜色の髪、お義兄ちゃんと同じ白のローブを纏うノーマさんが現れる。後ろにナナさんはいないが、護衛騎士を引き連れ立ち止まった彼はわたし達を交互で見ると溜め息をついた。

「まさか私や薔薇園よりも先にモモカのところに行くとはな。しかも牢を壊す気でいるとは……ただでさえ海を操った疲労があるんだ。それ以上使うと魔力消失死するぞ」

 

 呆れるノーマさんの話に、見送って一週間ちょっとしか経ってないことに気付く。
 慌ててお義兄ちゃんを近くで見ると、その顔は真っ青で息が荒い。それでも眼鏡を上げ、ノーマさんを睨んだ。

「ノーリマッツ様……色々とお伺いしたいことがあります」
「その様子だとアーポアクでも何かあったみたいだな。なら、ここで騒ぐのはやめて場所を移すぞ。ここでお前がモモカを出したら立場がいっそう悪くなる」

 

 ローブを翻し、虹色の竜と薔薇を向けたノーマさんに歯軋りしていたお義兄ちゃんは小さく了承の声を発した。その声に、ノーマさんが深緑の双眸をわたしに向ける。

「モモカ、何か気晴らしに欲しい物あるか?」
「欲しい……物」

 

 オウム返しのように呟くわたしは顔を伏せた。
 願うならここから出たい。自由じゃなくてもいい。ただ、燃えてしまった薔薇園を見たい。地下牢(ここ)にはいないルアさんと話がしたい。でも、それは“物”じゃない。
 胸元で揺れる青薔薇のネックレスを灰青の宝石が光る右手で包むと、聞こえるように口を開いた。

「折り紙……欲しいです」
「……相変わらず変なヤツだな。わかった、あとで食事と一緒に届けさせる」
「はい……ありがとうございます」

 

 去って行く足音に下げていた頭を上げると、眉を上げたお義兄ちゃんが灰青の瞳を揺らしながら見つめていた。心配とも呆れとも違う表情に戸惑うが、必死に笑みを作る。

 

「わたしは……大丈夫……だから……休んでください」
「モモ……」
「ね……お義兄ちゃん」

 

 お義兄ちゃんは悲痛な面持ちでわたしに手を伸ばす。
 けれど触れる直前で拳に変わり、瞼を閉じるとローブを揺らしながら去って行った。遠ざかる足音と背中を見送ったわたしは静かにその場にへたり込むと、震える両手で顔を覆う。

「お義兄……ちゃ……お……義兄……ちゃん」

 止まっていた涙がまた零れる。
 会いたかった。手を掴みたかった。抱きしめてもらいたかった。でも、すがってしまってはダメだ。自分でなんとかしないと……わたしのせいなんだから。

 

 すすり泣く声だけが響いていると、蝋燭の火を揺らす風が吹いた──。

 


~~~~*~~~~*~~~~*~~~~

 


 正午過ぎのアーポアク城、東塔。
 火災のあった『薔薇庭園』には規制線が張られ、瓦礫と化した扉が撤去された出入口では黄薔薇騎士が二名、門のない番をしていた。野次馬のように通り過ぎる人々の視線に、二人は居心地の悪さを感じる。

「まったく嫌になるよな。俺らが悪者みたいじゃないか」
「つべこべ言ってもしょうがないだろ。ただ、ボーと立っとけばいいんだよ」
「ああ、それで構わないよ。私が許そう」
「お、許しが貰えたぜ。やったな」
「ああ、だから入らせてもらうよ」
「どうぞどう……って、フォズレッカ団長!?」

 

 途中から割って入っていた声の主に、騎士の二人は驚いたように目を瞠る。
 目先に佇むのは緩やかにひとつの三つ編みにされた金茶の髪に赤の瞳。白の大判ショールを羽織り、口元に笑みを浮かべる橙薔薇部隊団長ヤキラスだ。

 突然の訪問者に野次も黄色の悲鳴に変わり、慌てて二人は礼を取る。ヤキラスは気にすることなく薔薇園へと足を入れた。

「お、お待ちください! ここは立入禁止です!!」
「おや、先ほど許しを貰えたのは私の気のせいだったのかな?」
「あ、あれは……ともかくコランデマ団長の命で誰もお通しできません!」
「違うよ」

 

 立ち止まったヤキラスの声の低さに、騎士どころか見ていた周りも息を呑むように静まり返る。雲間から太陽が顔を出すと、静かに振り向いた彼の口元に笑みはあるが、細められた赤の双眸は鋭かった。

 


「キミ達よりも上の私が“入れろ”と命令すれば入れる以外の道はない。葬られたくなければ、大人しく自分より下を入れないよう守りたまえ」

 


 それは太陽の下で問答無用に言い渡された命令だった。


 

* * *

 


 騎士を黙らせ、一人庭園を見渡すヤキラス。
 だが、庭園なんてものはもうない。出迎えていた薔薇のアーチも見上げればすぐ青空が見え、色事に分けられていた花壇も数本を残しては炭となり、パーゴラの下にあったベンチもテーブルも焼け焦げ、無造作に散らばっていた。

 足を進めた先にも建っていた塔は消え、瓦礫の山と焦げた臭いだけが今でも残る。残骸の下に『肥料』と書かれた袋を見つけたヤキラスは、苦々しい表情で瞼を閉じた。

「橙の君?」

 

 突然の声に瞼を開いたヤキラスが振り向くと、透明水晶の付いた杖を握る紫薔薇部隊団長マージュリーが立っていた。眉を下げながらも彼女は笑みを向ける。

 

「お早い……お帰りでしたのね」
「あははは、解放精に乗ってるような速さだったね……辛い中、連絡感謝するよ」

 

 変わらない笑みを向けるヤキラスだったが、その声は小さく、二人の表情は雲が掛かったように暗い。特にマージュリーの目元には薄くクマのようなものがあるが、ヤキラスは一息つくと確認を取った。

「ヘディングくんからも聞いたけど、火災当時モモの木はキミと一緒だったって?」

 

 口元に手を寄せるヤキラスに、マージュリーは瞼を閉じると杖をゆっくりと回す。

 

「夕刻に『幸福の鐘』について、お祖母様を訪ねにいらっしゃいました。ですからアリバイがあると言ったのですが、青の君と共謀すれば遠隔操作で可能だろうと」
「ルーくんか……彼は今どこに?」

 モモカと共に連行された青薔薇キルヴィスア。
 『解放』による庭園破壊の罪で捕らわれていると聞いたヤキラスだったが、マージュリーの瞳が鋭いことに足が一歩下がる。杖の回転も早くなった。

「特別室で拷問中ではありませんの? 彼が『福音の塔』に置いていたワイン箱が余計に火を大きくしたと聞きますし、見つけ次第木っ端微塵に掻き消してやりますわ!」
「そ、そうかい……」

 ドス黒い殺気に自身の贈ったワインとは言えず、さすがのヤキラスも顔が引き攣った。そんな目に映るのは塔が瓦礫となった山。だが、そこにあるはずの物がないことに、ヤキラスは再度マージュリーに訊ねた。

「『東の鐘』は本城に移ったのかい?」
「そう聞きますけど……橙の君、『幸福の鐘』についてご存知でしたの?」

 

 殺気と杖の回転を治めたマージュリーは手を頬に当て首を傾げる。だがヤキラスも数度瞬きすると、同じように首を傾げた。

「知ってるも何も騎士学校の教科書に載ってたじゃないか。友好の象徴だろ?」
「え!? わ、わたくしのには載ってませんわ!」
「マドレーヌちゃん、まだ二十二だというのに早くも呆けたのかい?」
「ほ、本当ですわ! 昨日教科書を見直しましたもの!! 塔のことも鐘のことも四日前お祖母様に聞いたのがはじめてですのよ!!?」

 

 大慌てで否定するマージュリーに、ヤキラスは何かを考え込むように口元を手で押さえる。珍しい表情にマージュリーが躊躇っていると、大きな声が庭園に響いた。

「ジュリ様ーーっ! キラ様ーーっっ!! 大変ですーーーー!!!」

 

 呼ばれた声に二人が振り向くと、庭園の出入口で門番に押さえられている少女、ニーアが手を振っているのに気付く。互いを見合うと、マージュリーは声を上げた。

 

「どうされましたのーーっ?」
「食堂部でグレッジエル様とケルビバム様がケンカしてるんです!」
「なんだいそれは……」

 

 呆れながらも頷き合った二人は急ぎ駆け出す。
 風に乗って漂う臭いにヤキラスは一瞬眉を顰めるが、今は食堂部だけを目指した──。

 


~~~~*~~~~*~~~~*~~~~

 


 静かな地下牢にカサカサと紙の音が響く。
 簡易ベッドの上でノーマさんから貰った折り紙を三角に折っていると、小さな嘴が折り終えた紙を差し出した。

「ふんきゃ! フクちゃん、器用ですね!!」

 

 目を見開いたわたしは綺麗な折り鶴を手に取る。それを折ったのは体長十センチほどのシロフクロウことフクちゃん(わたし命名)。

 お義兄ちゃんと入れ替わりでやってきたフクちゃん。
 最初は迷子かと折り紙を持ってきてくれた人に頼もうかと思いましたが、離れてくれず、一緒にいることにしました。一人だと深く考えてしまうのでとても嬉しいです。それに器用に体全体を使って鶴を折ってくれるので千羽も夢じゃありませんね。

 フクちゃんの頭を撫でると、片羽を差し出されたので新しい紙を渡す。
 ルアさんと話していた千羽鶴。快癒だけじゃなく、また外を駆けたい自分の願いも込めて、わたしも折りはじめた────。

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