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50話*「行きたい放題」

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 昼下がりの第一食堂は空腹の身体を誘う匂いで溢れ、混雑していた。
 受付から注文の声が掛かる度に白のコック服と帽子を被った食堂部が大声を返し、並んだ皿に続々と料理を乗せていく。それがいつもの光景だ。

 だが、今現在の食堂にはリズミカルな包丁の音、食材と油が合わさり跳ねる音、光る食器を置く音しか響いていない。注文声の代わりに紙だけがペタペタと貼られ、コックも無言で腕しか動かさず、料理の乗ったトレイを渡す受付も受け取る客も会釈だけ。
 客も雑談などせず、列を成して順番を待っているが、その額には汗。昼食とは思えないほど静かだった。

 視線の先には中央席を陣取る二人の男。
 椅子に足を組んで座り、左肘を机に付けるのは葡萄色の前髪を上げた食堂部副料理長兼、赤薔薇部隊団長ケルビバム。茶の瞳を細める彼の目の前に立つのは、藤色の髪に眼鏡の奥で灰青の瞳を細めた宰相補佐グレッジエル。

 重い空気を漂わせながら睨み合いを続けるニ人を人々が数メートル離れて見守っていると、グレッジエルの眼鏡が上がる。

「……もう一度言う。料理長を出せ、ケルビー。今日は出ているだろ」
「殺気を隠す気もねぇヤローに出すわけねぇだろ。用件ならオレ様が聞く」
「ドアホめ。料理長(ヤツ)しか知らぬことを貴様に問うたところで意味はない」
「あん? 不在中に庭園も義妹も消えてた、てめ──っ!?」

 瞬間、グレッジエルの右足が横からくるが、素早くケルビバムは両腕で防御した。反動で椅子から落ちるも、片手を床に付けたまま両足を宙に浮かせ着地する。椅子が倒れる音に周囲は小さな悲鳴を上げたが、グレッジエルを見るケルビバムの口元には弧が描かれていた。

「いつも以上に足が出んのが速ぇが、力は弱ぇ。余程お疲れのようだな眼鏡」
「……その無駄口も料理長共々吊るし上げてやる」
「騎士でもねぇてめぇが、オレ様に勝てると思ってんのか?」

 

 息を荒げながら両手に水を集めだすグレッジエルをケルビバムは鼻で笑う。だが、灰青の双眸に揺るぎはなく、水が円を描きはじめた。

 

「ちっ……マジかよ。面倒くせぇヤローだな……」

 

 舌打ちと共にケルビバムの周りにも赤い炎が円を描き、水飛沫と火の粉が舞う。慌てて離れる周囲に、コック服に赤の腕章を付けた赤薔薇隊員達も止めに入るが、水柱と火柱が天井まで届き、近付くことさえできない。
 ケルビバムの右手には炎でできた大剣が生まれはじめ、グレッジエルは水を纏ったまま睨み合うと、互いに足を踏み込む。

 


「そこまでだ!」

 


 大きな声に遮られ、跳び出そうとしていた二人の足が止まる。
 道を開く人々の間を抜け現れたのは、橙薔薇ヤキラスと紫薔薇マージュリー。後ろには不安そうに見つめるニーア。息を荒げるヤキラスは火と水を出す二人を交互で見ると眉を吊り上げた。

「周りも見えぬ者達が団長と補佐とは呆れたものだね。苛立つのはわかるが、灰くんがいつも言っているように殺るなら外でしてくれたまえ」

 

 怒気も含んだヤキラスの制止に、グレッジエルもケルビバムも溜め息をつくと立ち昇っていた水柱と火柱を消す。食堂に静寂が戻るとテーブルに手を付けたグレッジエルに慌ててヤキラスは駆け寄り、ケルビバムの前にはマージュリーが立つ。
 彼女の赤のガーネットは細く、睨んでいるようにも見えた。

 

「貴方……帰国してましたの?」

 

 低い問いにグレッジエルもヤキラスも視線を向ける。だが、ケルビバムは目を合わせることなく背を向け、落ちた椅子を戻すと背伸びをした。

「今朝な。エラく魔物が国に向かってやがったから、燃え斬ってたら遅くなっちまった」
「……その割には魔力の波が激しいですわね」
「『解放』でまとめて蹴散らしたからな。ジュリこそ、魔力が漏れてんぜ。『覚醒』……使いやがったな?」

 

 振り向いたケルビバムの眼差しはマージュリーだけを捉えている。
 その瞳に肩が僅かに揺れたマージュリーは杖を握りしめ、顔を伏せた。珍しい二人の表情にヤキラスとグレッジエルが互いを見合っていると、別の声が食堂に響いた。

「だから、ダメだって言ってんじゃないですか!」
「ううううるさい! 小童がワシに指図するな!! ワシは何も知らん!!!」

 

 二つの大声に四人が振り向くと、コック帽を被っていないプラディが裏口から出ようとする料理長の服を掴んでいた。杖を落としても必死に進もうとする料理長にプラディは叫ぶ。

「なんでそんなに逃げるんすか! 今日はモモっちいないでしょ!!」
「ロギスタンがおるではないか! あやつのことも異世界人のこともワシは話すことなどない!!」
「どういうことだ……」

 

 騒ぐ二人に制止を掛けた低い声はグレッジエルのもの。
 青褪めた顔で振り向いた料理長は目の前に佇む男に紫の瞳を見開くと、腰を抜かすように地面にへたり込んだ。それでも這いながら外へと手を伸ばす。

「あああ、あ……なぜあの異世界の女だけではなく……貴様まで生きて……」
「生きてって……まさか父と母のことを言っているのか!?」

 慌てるように前を塞いだグレッジエルに料理長は身体を反転させるが、後ろにはヤキラス、左右にはケルビバムとマージュリーが塞ぐ。四人の瞳は鋭い。

「ジジイ、いったいなんだってんだ。何を隠してやがる?」
「だ、ダメじゃ……」
「その震えは尋常ではないね。さすがの私も実力行使したくなるよ」
「ロギスタンも……ニッポン人のことも……言っては……ごふっ、ごふっ!」
「ニッポン人ですって?」

 咳き込みながら身体を丸める料理長にグレッジエルは舌打ちすると足を出す。が、先に声を上げたのは意外にもマージュリーだった。

「料理長、もしかして“サクマホタル”さんって女性をご存知ではありませんの?」

 

 問いに料理長の身体は大きく跳ね、男達同様マージュリーを凝視する。
 瞳を揺らす料理長はカチカチと歯音を鳴らすが、四人の視線に大きく唾を呑み込むと、観念するかのように頭を下げた。

「無駄かもしれぬが……結界を……張ってくれ……聞かれてしまっては……」

 力ない懇願に四人は頷き合うとニーアとプラディに礼を言い、料理長を連れ別室へと向かった。
 八畳ほどしかない部屋には簡易椅子とテーブルしかないが、暖かい日差しが射し込み、外からは中庭で昼食をとる者達の声が聞こえる。だが、グレッジエルを除いた三人の三重結界が張られると、楽しい声も小鳥のさえずりも時計の音も風の音も聞こえない無の部屋へと変わった。

 料理長、グレッジエル、マージュリーは椅子に座り、ヤキラスとケルビバムは壁に背を預け、険しい顔つきで料理長を見つめる。しばしの時を置いて、彼は静かに重い口を開いた。

 


「二十五年前……まだワシが副料理長だった頃のこと……──」

 


 

 

 


 震える身体と声がすべてを語るには青の空がオレンジへと変わるまでにかかった。
 四人の表情も次第に崩れ、ケルビバムは大きく目を見開き、マージュリーは両手で顔を覆い、ヤキラスは沈痛な面持ちで瞼を閉じている。

 そして一人、立ち上がった男。
 顔を伏せたグレッジエルは肩を震わせ、手に握り拳を作ると料理長の胸倉を掴んだ。

 


「貴様らーーーーーーっっ!!!!」

 


 悲鳴にも聞こえる声は外に届くことはない。
 ましてや彼の目尻に薄っすらと涙があったことなど、止める三人も気付くことはできなかった──。

 


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 地下にも冷気が深々と伝い、窓がなくても夜が訪れたことがわかる。
 けれど、ベッドに座るわたしは寒さとは別のことで身体が冷え、震える両手でタオルケットを握った。

「お義兄ちゃんが……自宅謹慎?」

 

 聞き返すわたしに、金色の髪を揺らしながら牢内に入ってきたナナさんは食器が乗ったトレイを持つと溜め息をつく。

 

「我も理由は知らぬが料理長を殴ったらしい。幸い軽症ではあったが、暴力に変わりはないし、疲労回復させるにも良いだろうと判断された。義兄妹揃ってと主(あるじ)が頭を抱えておったぞ」

 鋭い青のサファイアの瞳を向けられ、タオルケットで壁を作る。
 帰国早々お義兄ちゃんは何をしてるのでしょう。わたしは別に体力すべてを使い切ってから休んでね、なんて酷なことは言ってないのですが……しかも料理長さんを殴るなんて。

 異世界人について何かを知っている様子だった料理長さん。
 わたし、というよりはもしかして“佐久間 蛍”さんのことを知ってるのかもしれない。年齢を考えても彼女が居た頃だろうし、同じ漆黒のわたしと間違えたのかも……ルアさんのように。

 ズキリと胸に痛みを覚えながら必死に思考を戻すが、殴る理由までは考えつかず頭がぐるぐるする。そんなわたしとベッドに散らばる折り鶴を見つめたナナさんは背を向け、牢の扉を開けると外へ出た。

「灰に何か言っておくことはあるか?」
「ふんきゃ?」
「我は今から主の家に行ってくる。灰の様子見と、庭園問題での家宅捜査だ」

 扉に手を翳し、錠の音を鳴らす彼女から『庭園』の言葉が出ると身体が震える。思い出すのは黒煙が上がる空に佇み、義兄(ルアさん)相手でも躊躇わず矢を撃つ姿。

 

「我が……怖いか?」

 顔を伏せていると静かな声に肩が跳ね、恐る恐る顔を上げる。
 鉄格子を挟んだ先にはトレイを持ち、わたしを見つめるナナさん。変わらず口は堅く結ばれているが、いつも上がっている眉は下がり、とても切ない表情をしていた。何より揺れる瞳がルアさんに似ていて目を見開く。

「当然、怖いだろうな……だが、身内であろうと敵となる者に我は容赦せん」
「……ナナさんにとっての敵って、二年前の事件を起こしたルアさんですか?」

 

 わたし以上に大きく見開かれた青の瞳には一瞬怒気のような赤も見え、怯んでしまう。けれどすぐその瞳は閉ざされた。

 

「そうだ……我にとってヤツは……大切なものを奪った……憎むべき敵だ」
「……もし、ルアさんを倒すために団長になったと言うなら……わたしはナナさんを軽蔑します」

 

 息を呑む声は肯定したようにも聞こえ、悲しくなる。
 ルアさん自身は“ちょっと”と言っていた事件。それは彼女にとって大きな事件だったことは先ほどの苦々しい表情を見れば一目瞭然だった。

 

 胸の痛みと動悸を抑えながら折り鶴を二羽握ったまま立ち上がると、ナナさんの前まで歩み寄る。あまり身長差がないせいか、顔を上げた彼女の青とわたしの漆黒の瞳は簡単に合わさった。

「何かを奪った人は許されるものではないと思います。けれど、その人を憎む人に団長を……国を護ってもらいたくないです」
「……主こそ、もし青が……薔薇園を焼いた犯人であれば……憎むのではないのか?」

 

 揺れる青の瞳にわたしの瞳も揺れ、動悸が嫌な音を鳴らす。
 ルアさんではない。そう思ってる。嫌いと言っていた彼は好きになったと言ってくれたし、わたしの不手際で起こった火災なら自分を責める。それが本当に彼や他の誰かの仕業だったら……。

「問い詰めて問い詰めて……理不尽な答えだったら憎むかもしれません……でも憎んでばかりでは……その日から止まってるのと同じです。それでは……ダメです」

 

 手を鉄格子の間に通すと、彼女が持つトレイの上に折り鶴を乗せる。わたしは眉を下げたまま微笑んだ。

「ルアさんが団長は自由だと言ってました……だから一つに囚われず飛び出してください。地面を歩くわたしと違ってナナさんは『虹霓(りゅう)』なんですから……行きたい放題です」
「主は……飛ばぬのか?」
「ふんきゃ、高所恐怖症ですから地道に徒歩しかありません!」

 

 威張って言うとナナさんは大きく目を見開き沈黙。
 静寂に冷や汗が流れてくるが、喉を鳴らすように彼女は笑いはじめ、つられるようにわたしも笑う。はじめて見る彼女の笑みに、落ちていた気持ちも薄暗い地下牢も暖かい光に包まれたかのように明るくなった気がした。


 ナナさんの背を見送ると、ベッドで寝ていたフクちゃんが小さな羽を使い、わたしの元へとやってくる。両手に乗せると柔らかい羽毛と頬ずりした。

 

「ふんきゃ~元気出たので、頑張って千羽折りましょ~」

 

 止まってはダメだと自分にも言い聞かせるように、折り紙を手に取る──。

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