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79話*「鍵」

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 フルオライト国から数百キロほど離れた港町ベレタ。
 他国との貿易も兼ねていることからフルオライトに次ぐ大きな町であり、橙薔薇騎士ヤキラスが領主を務めている。普段は来航する観光客で港も商店も賑わっているが、今日は人一人見当たらないほど静かだった。

 理由のひとつは領主(ヤキラス)から出された『緊急事態警報』。
 仕事どころか外出禁止令に誰もが困惑したが、上空を飛び回る魔物と団員の丁寧な対応に、大きな騒ぎになることはなかった。
 一方、団員さえ戸惑う最大の理由が港にあった。

 

 広大な港には漁船や商船、様々な用途で使われる船が数千並んでいる。
 出港も入港も禁止されている今、穏やかな海が広がるが、騎士服のヘディオードと部下数名は緊張した面持ちで目前の一隻を見上げていた。

 波止場に停留しているのはフルオライト国専用船と同じ造りをした大型帆船。
 見慣れているはずのヘディオードさえ息を呑んでしまうのは、船体も帆もすべてが太陽を覆い隠すほど真っ黒だからだ。

 そんな黒船の甲板から港を見下ろす男がいた。
 不気味なほど静かな船内のように口を閉ざしているが、すぐ横から元気な声が届く。

 

「おいっちにー、さんしー、にいにー、さんっしー!」

 

 腕を回し、膝を曲げ、入念に準備体操するのは一人の女。
 目を移した男は静かに問うた。

 

「ティージはどうした?」
「先に行かせたぞー、影にはー、影ー……だからな」

 

 体操を終えた女の笑みに、男は考え込むように口元に手を寄せる。

 

「やはり俺も一緒「真っ二つにするからダーメ」

 

 即行で遮られた男はぐうの音も出ず、女はくすくす笑いながら黒いマントを手に取った。

 

「何やら急いだ方が良さそうだからな。迎えにも悪いが私と“こいつ”で行った方が速いだろ」

 

 マントを羽織った女は自身の影を数度足で叩く。一瞬ゆらりと動いた影に男は顔を顰めた。

 

「……ティージが怒るぞ」
「あっははは、貴様もな。それより、あのバカだろ?」

 

 人差し指を立てる女に、男は苦虫を噛み潰したような顔になる。だが、大きく息を吐くと女を抱きしめた。

 

「わかった……留守は預かるが、鳥はつけるぞ」

 

 渋々といった様子の男に、女は笑いながら抱き返す。
 順に髪、額、頬に口付けが落ち、重なった唇が離れると赤いスズメが舞い上がった。歩きながらフードを被る背に、男は言い放つ。

 

「全力で叩いてこい」

 

 怒気を含んだ声に、女は漆黒のマント。帆と同じ白線で描かれた薔薇も何も持たない孤高の竜を翻す。地面から現れた黒い影に覆われる女は漆黒の髪を揺らしながら笑みを浮かべた。

 


「うむ。あのバカ王(お)、成敗してくれる!」

 


 雲ひとつない空に浮かぶ太陽のような笑顔。
 期待と高揚が込められた瞳もまた──漆黒。


 

~~~~*~~~~*~~~~*~~~~

 


 吹き荒れる風が艶やかな黒髪を揺らす。
 漆黒のマントには七色のステンドグラスと同じ竜が描かれているのに薔薇も何も持っていない。まるで不要だと、許されているのは自分だけだと宣言してるかのよう。違う、してるんだ。だって彼が──。

 


「イズさんが……アーポアクの王様?」


 

 呟くと、マントを翻すイズさんと目が合う。
 赤月とは違う漆黒の双眸に映るのは自分。同じ漆黒(はず)なのに、底の見えない闇に囚われたかのように身体が動かなくなる。

「ホントかよ!? お前まだ二十だろ!!?」

 

 大声に我に返れば、困惑した様子で鉄格子を握るセルジュくん。今まで同様、自分を見失わない彼に緊張が解けると溜め息が届いた。

「セルジュ……彼はもう四十近いですよ」
「「ええっ!?」」

 

 さらなる衝撃にセルジュくんとハモると、全員がランさんを見る。シャツを直す彼は淡々と続けた。

 

「そういう肉体操作ができると……父王の代理で出席した『六帝会議』で他国の王に教えられました。突然現れ名乗ったウィドッビージェレットも偽名だと」
「兄上、先ほどヤツが誰なのかと問わなかったか?」
「会議の時は影だけだったので顔までは……」

 

 ナナさんの睨みに、ネクタイを締めたランさんは肩をすぼめる。けれどすぐに壇上を、イズさんを見上げた。

「何よりこの圧倒的な気配は同じ……間違いなく彼こそ『世界の皇帝(ムンド・エンペラドール)』アーポアク王です」

 

 鋭い青水晶の瞳に、イズさんの口角が上がった。
 冗談ではないと物語る笑みに、わたしとセルジュくんどころかお義兄ちゃん達も愕然とする。と、ランさんの隣にルアさんが並んだ。

 

「式典から……感じ続けてきた気配と同じだ」

 

 その目はランさんよりも鋭い。
 彼が国に残り続けていた理由を思い出すと嫌な動悸が鳴るが、掻き消すような拍手が響く。

 

「へぇ、次期王達は優秀だねぇ」
「お褒めに預かり光栄です……して、此度はなんの戯れでしょうか。できれば二人を開放「や~なり~」

 一礼を取るランさんが遮られ、パチンと指が鳴る。と、檻がふわりと宙に浮いた。

 

「ふんきゃあああぁぁーーーーっっ!!!」
「モモっ!」
「ぐるじいぃぃ~~っ!」

 

 突然の浮遊感に半泣きでセルジュくんを抱きしめる。
 幸い我慢できる高さで止まってくれたが震えは止まらず、ニヤニヤ顔のイズさんを睨みつけた。そこにランさんが一息吐く。

 

「人質、ですか……そんな卑劣なことをなさる必要はないように思えますが」
「お前らを本気にするには一番有効な餌だろ? なんなら虹霓竜もつけようか?」
「ツヴァイハルドの居場所を知っているのですか!?」

 

 声を張り上げた王妃様に、他も顔つきが険しくなる。
 特にランさんとルアさんは冷ややかで、その手は柄を握っていた。一人わからずキョロキョロしていると、ダンッと、大きな音に身体が跳ねる。

 

「知ってるよ、全部」

 

 凍った床に剣を突き立てたイズさんは腰を下ろす。
 偉大な竜だけが許され、ノーマさんですら座らなかった玉座に腕どころか足も組む堂々たる姿は紛れもない“王”。
 どこかで見た光景と重なると手が伸ばされた。

 

「虹霓竜(ツヴァイハルド)の贖罪も、王妃(あんた)が犯そうとしたことも、宰相の願いも……村岡桃香って異世界人のことも」

 勢いよく飛んできた何かが彼の手に収まる。
 その不敵な笑みに顔色を変えた王妃様と眉根を寄せたノーマさんのようにわたしも震える。

 

 “異世界人”と呼ばれたからじゃない。
 今ではお義兄ちゃんとノーマさんしか知らないはずの真名を知り“忘れ物”と言った“王”に恐怖が襲う。そんなわたしを一瞥したイズさんは別に視線を移した。

「当然、お前が知りたいこともな──青薔薇騎士」

 

 細められた漆黒の双眸がルアさんを射抜く。
 歯を食い縛る彼の手は震え、憎悪に似たものを感じる。怪訝そうに窺うランさんとは違い、イズさんは苦笑した。

 

「いやあ、なんであんなに俺の気配探ってんのかと視させてもらったらそういう理由(わけ)な」
「視させてもらった?」

 

 不思議な言い方に疑問を持つが、宙に何かが放り上げられる。

 

「そ、だから教えてやるよ──第七章、闇の帳主は決意の書を送る」

 

 覚えのある章(チャプター)に目を瞠ると、宙に浮いた物から黒い閃光が走る。
 咄嗟に瞑り、開いた目に映る壇上。そこにはつい先ほどまで戦い、終わったと思っていた──巨大な黒い本があった。

「嘘っ……!」

 

 絶句するわたしに、団長さんやランさんも慌てて剣を抜く。
 落ちてきた物を掴んだイズさんの手には数センチの黒い物。ノーマさんの胸元で光り、わたしが奪おうとしていたブローチの宝石が光る。

 

「どういうことだ……本(あれ)は私以外には使えないはず……」

 

 狼狽した様子で上体を起こすノーマさんに、笑みを浮かべたイズさんは宝石を掲げた。

 

「開始(プリンシピオ)」

 

 再上演(リプレー)するように黒い閃光と共に本がバラリと開く。
 真っ黒なページに白い文字が綴りはじめると同時に飛び出してくる黒紐に、臨戦態勢が取られた。

「おいおい、どんだけオレ様達が消耗してると思ってんだ!?」
「馬鹿言ってないでやりますわよ、朴念仁!」
「わかっている!」
「ナナ、ヤキラスさん! 母上とムーランドさん、そしてノーリマッツさんをお願いします!!」

 

 ジュリさんとお義兄ちゃんの『水氷結界』が防いだ黒紐を、ルアさんとケルビーさんが斬る。その間にキラさんとナナさんが負傷している二人と王妃様を連れて下がり、ランさんが壇上に向かって斬撃を飛ばした。

 

「闇の帳主とは俺のこと──『水氷結界』」

 

 ヒビもない綺麗な氷の壁が斬撃を防ぐ。
 目を瞠るランさんに、イズさんはなんでもない様子で宝石を見せた。

 

「コレは北国(セレスタイト)で採れた不思議な鉱物でな。憎悪を溜めると魔物を使役する力がある」
「えっ!?」

 耳を疑う話に彼の持つ宝石を見るが、見つめれば見つめるほど寒気が走り、身震いした。そんな石をイズさんは投げてはキャッチする。

 

「って話が本当か確かめるため、俺が誕生式典の前に宰相に渡した。その気配を追って青薔薇は帰国したんだろ?」

 ニヤリと笑う彼に、ルアさんが歯軋りする。
 いつも当日にしか帰ってこない彼が早々に帰国した理由もイズさんだとしたら……やっぱり彼が。

 

「で、当日。桃香達が大広間に現れたことで宰相の憎悪は満タン。この事態を起こそうと決意したってわけ」
「オレらが現れただけで!?」
「王妃が桃香を嫌ってるからさ」

 

 断言に、セルジュくんと二人振り向く。
 傍にいるナナさんも困惑した様子で王妃様を見下ろしているが、彼女は顔を逸らしていた。

「厳密に言えば異世界人だな。隠している秘密に大きく関係しているせいか、青薔薇同様、漆黒の人間は恐怖対象(トラウマ)なのさ」

 苦笑混じりの話に呆気に取られる反面、納得もした。
 はじめて会った時、『王の間』に現れた時。今もまた震えているのを見れば避けられているのは明白。そして、そのことをノーマさんが知っていたのなら、式典への招待がなかったのも説明がつく。会わせたくないのはもちろん、依頼に白薔薇が省かれたのも転落した息子(ラン)さんを思い出させたくない……王妃様のためだと。
 なのに突然わたしが現れたら恨まれるのも当然だ。

 

「ま、仕向けたのは俺だけどな──第六章、真相嗅ぎつけし薔薇と夫妻」

 

 自嘲気味に笑うイズさんに握りしめていた両手が解けると次章が捲られる。本から飛び出た真っ黒な左手にルアさんは舌打ちした。

 

「ケルビー! ラン!! 全部出てくる前に檻を壊すぞ!!!」
「おうっ!」
「二人共、屈んでくださいっ!」

 

 突然の指示にセルジュくんに頭を抱え込まれ伏せる。三人の斬撃が檻の上部を狙って放たれた。が。

 

「補足することはねぇよ。夫婦はロギスタン夫妻──『高壁土(こうへきど)』『炎竜火』」
「ルーくんと同じ他属性使い!?」

 

 檻の前に現れた高い土壁が、いとも簡単に斬撃を防ぐ。同時に渦を巻いた炎竜が三人を襲った。

 

「「「うわあああぁあぁぁーーーーっっ!!!」」」
「ケルビー!?」
「ソラっ!」
「薔薇も王子様墜落の目撃者が青、黄、緑ってだけだしな」

 

 炎竜火に押し負けた三人を『解放』したナナさんの巨大キツネさんが受け止める。
 柔らかい毛に埋もれた彼らにジュリさんは安堵の息をつくが、ナナさんは瓦礫に身体を預けるムーさんを見ていた。息を荒げる彼の目は鋭い。

 

「アンタ……なんで知ってんの?」
「世界王だから──第五章、はじまりの書に記されし輝石」
「早すぎるだろ! クエレブレ!!」

 

 捲られたページから発射された黒光がキツネさんに向かうが、目前で水飛沫を上げる巨大シロヘビさんが防ぐ。四散した黒光にほっとする一方、お義兄ちゃんは息を切らしながら膝を着いた。

 

「お義兄ちゃん!」
「や~ん、頑張って~」
「吊るし上げるぞ!!!」
「およ? 大事な義妹が喰われないか心配してんのに」

 

 数十センチまで縮んだシロヘビさんを肩に乗せたお義兄ちゃんの苛立ちは最高潮に達している。けれどシロヘビさんの威嚇音と、窓を指すイズさんに視線を移した。
 そのまま固まった義兄に、起き上がったわたしも外を見ると息を呑む。

 

「嘘……でしょ?」
「いったいいつの間にこんな……」

 

 口元に手を寄せるジュリさんどころかキラさんすら顔を青褪める。
 それもそのはず。空にも地上にも……否、国すら多い尽くすほどの魔物が囲んでいた。ノーマさんの比じゃない。まるで戦争を仕掛けてきた軍勢のような数。

 

「各国の王族には世界条約みたいな分厚い国書があってな、その十三条に“異世界の輝石”が記されている。王子様なら知ってるだろ?」

 気にした様子もなく指先で石を弄るイズさんの問いかけに、ランさんがキツネさんから下りてくる。浅い呼吸を繰り返す彼は金色の髪を後ろへと流した。

 

「異なる世界から現れ、僕らにはない知識で幸福を与えると同時に災厄を招く……それが“異世界の輝石”。つまり、モモさんですね」

 

 再び断言されたことに心臓が跳ねる。
 異世界人なのを知っているのも驚くが、セルジュくんや団長さん達の視線。何より怪訝な顔をするルアさんに身が竦んだ。

 

「しかし十年前【異世界の輝石が現れた折は『世界の始祖(アーポアク)』への通告を願いたい】と追記されていました」

 はっと我に返れば、ランさんと目が合う。
 真剣な眼差しに動悸が早鐘を打っていると、弄る手を止めたイズさんは笑みを浮かべた。

 

「そ、しかも各宰相にも文として伝えられた……が、そこの宰相は桃香がきたことを報せなかった──第四章、地に墜ちた幸福 」

 

 顔を強張らせるノーマさんよりも、傍で感じる恐怖に顔を上げる。
 白い文字で埋め尽くされたページが捲られ、ズブズブと音を鳴らしながら二本の角。そして上体と一緒に現れた鬼の顔。浮いた檻と、さほど高さの変わらない真っ黒な巨体に身の毛がよだつ。

「理由は既に王妃が桃香の存在を知っていたからだろ。王子様と逢引してるとこを見てたとかな」
「逢引……だと?」
「え、いや、恐らく会った時のことで……ちょ、グレイさん殺気殺気!」

 

 鬼よりも恐ろしく見えるお義兄ちゃんの睨みに、ランさんは慌てた様子で首を横に振る。けれど、くすりと笑うイズさんに振り向いた。

「ホント、王子様に逢わなければ元の世界に還れたかもしれないのに……可哀相な桃香」
「っ!」
「ランっ!?」

 

 鼻で笑ったイズさんに間髪を容れずランさんが跳びかかる。
 迫る鬼の拳を一振りで氷漬けにし、再び鈴音を鳴らす剣を振り上げた彼に、立ち上がったイズさんは突き刺していた剣を抜いた。

 

「なっ!?」
「残念」

 

 振り下ろす手を一瞬止めたランさんに、笑みを浮かべたイズさんが斬撃を飛ばす。
 一瞬で吹っ飛ばされたランさんは氷の壁に叩きつけられ、崩れる瓦礫と一緒に床へと落ちた。大きな音と共に、鈴音が響く。

 

「ランさん!」
「兄上っ!」
「あいつ、動きやがったぞ!?」

 

 咳き込みながら必死に起き上がろうとするランさんの元へ慌ててナナさんが駆け寄る。それを横目に構えるケルビーさん達に焦りが見えるのは、一切動かなかったノーマさんと違うからだ。

 異様な空気と緊張が包む中、見合っていたイズさんの視線が外に移る。と、奇声が聞こえた。見れば、鳥型の魔物が壁穴を通り、檻目掛けて飛んでくる。

 

「ふんきゃ!?」
「くそっ、こんな時……っ!?」

 ルアさん達が構え直すが、漆黒の髪とマントを靡かせるイズさんが檻の上に乗る。と、大きく振り上げた剣で、自分の倍以上はある魔物を真っ二つに斬った。
 全員が驚く中、飛び散る青い血を魔法で防いだ彼は外を睨む。

 

「邪魔すんじゃねぇよ」

 

 背筋か凍るほど冷たい声と目に、わたし達どころか魔物も動きを止める。肩に剣を担いだイズさんは、銀世界が広がる西庭園を見据えた。

「国を護る鐘も北と南が墜ち、東と西の効力も薄い今、フルオライトは魔物にとって恰好の餌場だ。国を沈め、桃香を抹消したい宰相にとっても好都合……だが、桃香を喰わせるわけにはいかねぇ」

 

 ノーマさんを一瞥したイズさんはわたしを見下ろすが、安心させる言葉からは程遠い目は射抜くように鋭い。緊張と恐怖だけが募る中、重い口が開かれた。

 

「世界が滅ぶからな」
「どういう意味だ!?」

 

 何を言われたかわからなかったわたしの代わりに、お義兄ちゃんが声を荒げる。その顔は他のみなさん同様困惑しているようにも見え、イズさんは一息吐いた。

 

「この世界で漆黒の容姿を持つのは創造主であるアーポアク王家。四大どころか光と影も操る力を持つ一方、魔物に喰われたら世界が滅ぶと云われている……それは同じ容姿を持つ“異世界の輝石(モモカ)”でも同じだ」
「んきゃ……?」

 今度こそ本気で何を言われたかわからなかった。
 世界が滅ぶ? イズさんが魔物に食べられたら? ううん、わたしも?違いますよね?
 そんな願いを打ち消すかのように、イズさんは騎士達を見下ろした。

「覚えてないか? 十年前、大規模な自然災害が起こった数日間を……あれは桃香と同じ異世界人が起こした滅びの前兆だ」
「なっ!?」

 

 わたし以外の顔が強張った。
 それは真実じゃなくても何かの可能性を示唆するもので、小刻みに震える両手を握りしめる。

 

「なんですか……それ」
「モンモン?」

 

 セルジュくんが躊躇うように手を伸ばす。けれど、跳ね退けるように頭を振ったわたしは叫んだ。

 

「異世界の輝石だからなんですか! わたしは魔法なんて使えないし特別な力だってない普通の人間ですっ!! なのに世界が滅ぶってなんですか!!?」
「モモ……」

 

 堪えていた感情が噴出したように檻を叩く。
 漆黒がこの世界で特別なのはわかってた。異世界人ってなんだろうって思ってた。でも魔物と同じ色で、王妃様にも街の人にも嫌われていて、それどころか世界を滅ぼすなんて……わたしは。

「わたしは……この世界にいちゃ……ダメなんですか……?」

 

 叩いていた手は力を失くすように膝へと落ちる。
 鼻をすすり上げながら大粒の涙を零すわたしに『王の間』は静まり返り、宙に浮いたイズさんが目前に佇む。

「そうだ……世界を滅ぼす種は摘まなきゃならない」

 

 剣を消した手が、ぐにゃりと歪んだ鉄格子を通り、わたしの頬へと触れる。ルアさんともお義兄ちゃんとも違う大きな手は冷たく、重なる漆黒の目は冷たくて怖い。震えも涙も止まらないでいると、ゆっくりと彼の口が動いた。

「だから──お前を殺す」
「シエロっ!」
「クエレブレっ!」
「イエロっ!」
「レオパルドっ!」
「ローボっ!」
「シスネっ!」
「ソラっ!」

 

 残酷な言葉と六つの声が重なり、六体の『解放精霊』が檻を囲む。
 省エネではない巨体と数に、また壁にヒビが入るどころか崩れるが、両手を翳すムーさんの力で誰にも瓦礫は当たらない。そんな彼も精霊も、わたしの頬に触れる腕を握ったセルジュくんも、切っ先を向ける人達も、全員がイズさんを睨み上げていた。
 呆然とするしかないわたしに、イズさんはくすりと笑う。

「ちゃんと“モモカ”って現実を植えつけてんな──第三章、裏切りは烈火に涙を落とす。第ニ章、舞い降りた輝石」

 

 物凄い速度でページが捲られると、コウモリ羽を生やした鬼が本から出てくる。
 驚いている隙に、セルジュくんの手を払ったイズさんに腕を引っ張られ、ぐにゃりと穴を開けた檻から外に出された。浮遊感に悲鳴を上げるが、イズさんに腰を抱かれる。

「モンモンっ!」

 

 慌てて伸ばしたセルジュくんの手は鉄格子に塞がれ、一斉に他のみなさんが跳ぶ。けれど、笑みを浮かべるイズさんはゆっくりと呟いた。

 

「『影方柱陣(えっぽうちゅうじん)』『影爆破(えいばくは)』」

 向かってくる騎士も解放精も黒い箱に包まれると大爆発を起こす。
 わたしの悲鳴は掻き消され、露になった鬼の長い尻尾が六体の精霊を外へ吹っ飛ばすと、両手で主人達を壁や床に叩きつけた。いくつもの衝突音と呻きに、ぎゅっと瞼を閉じる

 気付けば音はやみ、覆っていた煙が壁穴を通って空へと昇る。
 霞んだ太陽が青ではない、真っ赤な血を広げる大理石と微動だにしない薔薇達を照らした。

 

「あっ、ああ……」
「兄上っ! 姉上っ!!」
「ひゃは……冗談やめてよね」

 

 鉄格子を握ったセルジュくんも悲鳴に近い声で叫び、怪我で跳ばなかったムーさんは冷や汗を流す。王妃様もノーマさんも唖然とする中、わたしは目を伏せた。

 

「みなざ……ん……なんで……わだじ……なんて……」
「お前が好きだからだろ」

 

 涙を落としながらイズさんを見れば、柔らかな微笑を浮かべていた。
 けれどすぐに目が細められると、ドンッと大きな音。破けた服もマントも、傷も血も構わず切っ先を向けるルアさんが向かってきた。

 

「あああ゛あ゛ぁぁーーーーっっ!!!」
「ルアさん!」
「“ルア”ね──『束影縛(そくえいばく)』」

 振り上げられた切っ先は届くことなく、帯状の黒い影がルアさんの両手両足と腰に絡まる。
 捕縛の悲鳴と落ちた剣の音にお義兄ちゃん達も必死に顔を上げるが、暴れ続ける彼の瞳はどこか血迷っていて怖い。震え上がっていると、イズさんは大きく口を開いた。

「キルヴィスア・フローライト・フルオライト」
「っ!?」
「フルオライト国王と側室との間、コーランディアよりも先に生まれた事実上の第一王子だな?」

 

 ピタリとルアさんの動きが止まると、青水晶の焦点が合う。
 戸惑いが含まれた瞳のように、セルジュくん、ケルビーさん、ジュリさん。推測していたわたしさえ驚き、イズさんは頬をかいた。

 

「ま、どっちが先とかはいいんだけどよ……お前、母親の名前言えるか?」

 

 何を訊ねているのだろう。
 誰もがそう思ったのに、ルアさんは視線をさ迷わせた。

 

「母さんの……名前……え……あれ?」
「キ、キルヴィスア! 貴方、自分の母が誰なのかわからないのですか!?」

 

 予想に反して叫んだのは王妃様。
 青褪めた顔で見上げる彼女にルアさんは口篭る。さっきは表情を変えなかったお義兄ちゃん達も、ランさんとナナさんのように互いを見合っては首を横に振った。

 

「“知らない”じゃない……“封じ”られてんのさ」

 

 口角を上げたイズさんが指を動かすと、複数の黒紐が青いマントを跳ね除け、背中の服を剥ぐ。抵抗も空しく徐々に露になる背中にははじめて見る──青薔薇のタトゥー。

 

「っ!?」

 

 鮮やかな青よりも、他とは違う大きさに息を呑む。
 何よりタトゥーに隠れるように伸びた赤黒い古傷。火傷のような痕が痛々しく残っている。

 

「背中の傷が何か覚えてるか?」
「これ……は、生まれた頃から……」
「そう、咎人の証だ。そしてその記憶を封じているのが……」

 ルアさんの背からわたしに目を移すイズさん。すると、胸元で揺れる青薔薇のネックレスを引き千切られた。

「ふんきゃ!?」
「悪いな。けど、こいつが鍵なのさ……!」

 

 漆黒の目に鋭さが増したとき、パキッと、音を鳴らしながら青薔薇が崩れた──瞬間、ルアさんの足元に大きな黒円と竜が描かれ、黒光が放たれる。

 

「あああ゛あ゛ぁぁーーーーっっ!!!」
「ルアさん!?」
「二十五年前、フルオライトに漆黒の髪と瞳を持つ女が舞い降りた。名は──佐久間 蛍(けい)」

 違う名に驚くが、ルアさんの悲鳴と光に何も返せない。反対にイズさんは平然と続けた。

 

「薔薇の研究員であった蛍は『薔薇庭園』に身を寄せ、いつしか恋に落ちた。ツヴァイハルドという男と」

 

 弱まった光に関係なく目を見開く。
 両手で顔を覆った王妃様は屈み込み、ルアさんの背中を覆っていた青薔薇は小さくなっていた。消え去った光に、大量の汗をかいたルアさんが息を荒げながらゆっくりと頭を上げる。

 

「う……そ……」

 

 声を詰まらせたわたしや他に、イズさんだけが意地の悪い笑みを浮かべた。

 


「そんな二人の間に生まれ、魔力暴発という力で『東の鐘』も母も燃やしたのもお前自身だ、キルヴィスア──いや、佐久間 龍亞(るあ)」

 


 汗でしなれた琥珀の髪から覗く青水晶の瞳。
 でも、片方は────漆黒。

/ 本編 /
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