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70話*「転がりはじめた」

 昇る太陽によって澄み切った青が広がる空。
 けれど、吹き荒れる風に煽られたかのように動く雲が徐々に太陽を隠す。まるで目先に佇む人の心でも映しているかのように。

 芝生が揺れる『菩提樹庭園』の中央で、わたし達を出迎えたのは庭園の主。
 その服は見慣れた白のローブに黒のブローチが胸元で光るが、中は黒の詰襟に白のロングコートと黒のズボンに靴。ルアさん達同様、誕生式典で見た正装姿の──ノーマさん。

 

 フルオライト国の宰相さんで、お義兄ちゃんと養親以外でわたしを異世界人だと知る人。養親が亡くなってからも、右も左もわからなかったわたしに庭園について、花の育て方について、数え切れない助言をくれた人。害虫騒ぎの時も特効薬を作ってくれた人。恩人……そのはずなのに。

 

「教えて……ください」

 

 風の音しか聞こえていなかった庭園に、わたしの震える声。
 その声は届いていたのか、前を遮るルアさんとお義兄ちゃんのように、ノーマさんの目もわたしに移る。いつもの笑みを向ける彼に、必死に声を上げた。

「ノーマさんが知ってること……全部教えてください」
「ははは、嫌だ」

 

 あっけらかんとした拒否にセルジュくんが苛立った様子で前に出るが、ルアさんの手に遮られる。鋭い青水晶の瞳がノーマさんを捉えた。

 

「自分で腹を割るか、散らされて割られるか……二択にひとつだ」
「青薔薇は短気だな。せめて何を聞きたいか明確にしてくれ。全部と言われても困るだろ」
「ならば……なぜ宰相である貴方がこの事態に何も動いてらっしゃらないのか問いたい。場合によっては職務放棄にあたり、処罰されますよ」

 キレモードのルアさんとは違い、事務的に話すお義兄ちゃんは眼鏡を上げる。そんな部下にも彼は笑った。

 

「ははは、それを言うならグレッジエルも大広間と東塔破壊で処罰対象だぞ。モモカの薔薇園“放火”同様な」

 最後の言葉に冷たさを覚える。お義兄ちゃんも歯軋りし、左右の指を動かしながら灰青の瞳を細めた。

「吊るし上げた方が早いな」
「……同感」
「ヤっちまおうぜ」
「ちょちょちょちょ!」

 

 慌てて臨戦態勢の三人のマントを引っ張ると、一斉に憤怒の顔を向けられる。その迫力に負けそうになるが唾を呑み込んだ。

 

「ま、まだノーマさんは質問に答えてませんよ! せっかく彼に話す気があるのに、戦いになったら舌を噛んで死んじゃうかもしれません!! そしたら謎は永久に迷路のままです!!!」

 

 悪役さんの結末的なことを言い張るわたしに、三人はなんとも言えない表情をした。数秒の沈黙後、ノーマさんの笑い声で振り向く。

 

「ははは、モモカ。冷静なのは良いが、それは飛躍しすぎだ」
「じゃ、じゃあ、死ぬつもりとかありませんか?」
「んー……今のところないな。目的を果たすまでは」

 

 困ったように首を傾げる仕草と返答に三人が再び構えるが、今度は止めなかった。なぜか冗談に聞こえなかったから。
 冷や汗が流れてくると、頭を掻く彼に再度問う。

「目的を果たしたら……死んでもいいんですか……?」
「お前、やっぱり変なヤツだな。普通ここは目的を聞かないか?」

 

 また震える声を発したわたしに、掻いていた手を止めたノーマさんは苦笑する。けれどすぐ口元に弧を描いた。

「そんなお前に免じて質問に答えてやろう。まず、グレッジエルの問い。なぜ宰相でありながらこの事態を見過ごしたか……答え、私がこの騒動の主犯だからだ」

 はっきりとした口調に全員が息を呑む気配がした。
 太陽を隠す雲によって彼の綺麗な蜂蜜の髪と深緑の瞳には影ができ、口元の笑みを怪しく見せる。ルアさんの親指が唾を押すが、すぐに制止が掛かった。

「モモカ以外は動いたり喋るなよ。グレッジエルも糸を巡らせずとも、私が弱いのは知っているだろ」

 

 黒の手袋を嵌めた指先で宙を叩くノーマさんに、お義兄ちゃんは眉を顰め、剣を抜こうとするルアさんとセルジュくんの手も止まる。言われてみればノーマさんが戦闘……お義兄ちゃんみたいに蹴るなどの行為を見たことない。迷ったわたしは手を挙げた。

 

「追加質問いいですか?」
「お、この状況でも動じないとはある意味すごい。よっし、答えられる範囲で発言を許そう」

 

 拍手されながら促されると、いつものノーマさんとの会話と変わらない。でも激しい動悸と嫌な汗が流れるのは監査以外でははじめてで、三人の心配の目を横目に、深呼吸したわたしは訊ねた。

「弱いと言いましたが、魔物に襲われなかったんですか?」
「私は地属性だからな。防御は優れているほうだ」
「ナナさんがいなくても?」
「あいつは好きで警護していただけで、私の護衛という職は本来存在しない」
「さっき南庭園で彼女と会った時、ノーマさんを愚弄する人は許さないって……」
「ああ、騎士になる前から好意を持たれててな。可愛いだろ?」

 

 くすくす笑う彼に、セルジュくんが唇を噛みしめ、肩を震わせているのがわかる。ルアさんの瞳も鋭さを増し、わたしも両手を握りしめると質問を続けた。

 

「そのナナさんとセルジュくんのお兄さん、コーランディアさんがどこにいるか知りませんか?」
「知らないな」
「王様とお妃様は?」
「知らないな」
「どうしたら国から出れますか?」
「知らないな」

 

 瞼を閉じたまま淡々と同じ返答する彼にさすがのお義兄ちゃんの眉も極限まで上がり、三人の限界が近いことを感じる。息苦しい中、わたしは必死に訊ねた。

 

「ノーマさんは……薔薇が嫌いなんですか?」
「…………いや、嫌いじゃない。薔薇はな」

 

 意味深な返答には力が込められ、深緑の瞳が開かれる。
 その鋭い眼光はルアさん達ではなく、わたしに真っ直ぐ刺さった。

 

「お前のことが嫌いなんだ、モモカ」
「え……?」

 

 ニッコリと微笑む彼に大きく目を見開いたわたしの背筋には悪寒が走る。同時にルアさんとセルジュくんは剣を抜き、お義兄ちゃんも二本の警棒のような物を構えた。

 

 大きな風が吹き通ると、ほのかに花の香りが漂う。
 それはとても甘いはずなのに、薔薇に隠された棘のように危険な臭いだと産毛が逆立った。何より素人のわたしでもわかる殺気のようなものが深緑の瞳から伝わる。
 はじめてのことに何も言えなくなっていると、痺れを切らした三人の足が前に出た。

 

「モモカが嫌いって……どういう意味だよ」
「聞き捨てなりませんね。理由を教えていただきましょうか」
「理由なく嫌いって言うなら許さねーぞ! そういうヤツは最低だって母上が言ってたからな!!」

 

 続けて抗議する三人に詰まっていた喉が軽くなる気がしたが、今度は恥ずかしさを覚える。けれど、右往左往させていた目がノーマさんを映すと、熱かった頬が一気に冷えた。

 

「ああー……動くな喋るなと言ったのに……」
「ノーマ……さん?」

 

 戸惑ってしまうのは、彼の背中から黒い何かが出ているのが目に見えるせい。
 錯覚かと目を擦っても確かに黒いオーラのようなものが見える。それが三人にも見えているのか、全員が手を差し出す彼を凝視していた。

 

「グレッジエルはまだしも……キルヴィスアとセルジュアートはやはりダメだ──『上影昇(じょうえいしょう)』」
「ふんきゃ!?」

 

 吐き出すかのように重い声と指を鳴らす音。
 同時に黒円がわたし達を囲み、円柱の黒壁が覆いはじめる。太陽が雲に隠れるじゃない。太陽そのものを消すような深い闇。それはトゥランダさんを包んだものというより、誕生式典で体験したのと似ていた。

「セルジュくん!」
「おうっ!」

 

 セルジュくんも理解したのか、慌ててわたしはお義兄ちゃんに、セルジュくんはルアさんの背中に張りつく。義兄達は目を丸くした。

 

「「な、なんだ!?」」
「「合体!!!」」
「「何がっ!?」」

 

 未体験の二人は慌てふためくようにツッコミを入れるが、わたしとセルジュくんは手を繋ぐ。案の定、あの時と同じように地面が流砂のように義兄達の足を沈め、二人は必死に抜こうとする。それを止めるように声を張り上げた。

 

「「緊急時こそ落ち着きましょう!!!」」
「「はあぁっ!!?」」

 

 心底わからないといった顔をされるが、答える暇もなく暗闇に呑み込まれた──。


 

~~~~*~~~~*~~~~*~~~~

 


 同時刻。フルオライト西方街。
 朝を迎えても黒い魔物達は街を徘徊し、生者を捜し回っているが、屋根に座る三人に気付く気配はない。その内の一人、解いた金茶の髪を揺らしながら立ち上がったヤキラスは赤の目を城に向けていた。その瞳は刃物のように鋭い。

「なんだ……この悍(おぞ)ましい気配は」

 

 呟いたのは金髪のポニーテールに、青の瞳を揺らすナッチェリーナ。
 両腕を擦る彼女にヤキラスは視線を向けるだけで何も言わない。代わりに寝転がっている男が笑った。

「ひゃははは、あの男とぶつかったみたいだね。気配を探るにルっちー、グっちー……あと乱れてるけど王子様かな?」
「……モモの木もいるよ、必ず」

 

 指折りで数えていたムーランドの紫の瞳が、城を見るヤキラスに向けられる。静かなその背にナッチェリーナは疑問を投げかけた。

 

「前から思っておったのだが、なぜピンクはあんなにも魔力がないのだ? 噂では『魔病子』と呼ばれておったようだが、それにしては元気すぎるし、気配もあるはずだ。なのに……」
「元から魔力を持たない世界の者なのだから当然さ」

 

 苦笑交じりのヤキラスの返答に、ナッチェリーナは大きく首を傾げた。
 雲が太陽を隠すと国は影に覆われ、ヤキラスの金茶の髪も輝きを失うかのように灰色が掛かる。左手で掬った髪を胸元に流す男に、立ち上がったムーランドはベレー帽を叩きはじめた。

 

「なーる……気配ってのは即ち魔力。ないなら探れないし、結界類も死人が通ってるようなもんだから反応しないのか。“異世界の輝石”ってのは、えらくチートだね」
「あっははは、言い方が悪いのは置いといて。なんだい、知ってそうに見えて実は知らなかったのかい」

 緩い三つ編みをしながら振り向いたヤキラスに、ムーランドは指先でベレー帽を回す。

 

「幸福か災厄か。どちらに転ぶかわからない輝石……って、調べてたのを覚えてるだけだよ。まさかそれがモっちーのことで、あの男の起爆剤になるとは思わなかったけどね」
「起爆剤って……調べていたのは主(あるじ)ではないのか?」

 

 腕を組んだまま眉を顰めるナッチェリーナは、宙に投げられた帽子を見つめる。集まる風に押された帽子はムーランドの頭に収まり、風の円が彼の両足で描きはじめた。

 

「さてと、ヤっちーもこれ以上ヤル気ないみたいだし、ボクは好き勝手させてもらうよ」
「なっ、その身体でどこに行くというのだ!? まだ休んでおらねば「ダメなんだよ」

 

 抑制のある声に、ナッチェリーナの肩が跳ねる。
 血で赤黒くなったシャツ、破けた緑色のマントを揺らすムーランドの顔色は青い。だが紫の双眸は真っ直ぐと城を捉えていた。

 

「原罪をなんとかしないと、恐らくこの戦いは終わらない」

 

 静かな言葉に大きな風がムーランドを包みはじめる。ベレー帽を手で押さえた彼は赤の紐で結うヤキラスと目を合わせた。

 

「ナナちゃんのこと任せるよ。あと……向こうの連中も」
「まったく、風使いというのはどうにも気紛れだね。了解……と、言いたいところだが、彼女は違うようだよ」
「ひゃ?」

 

 くすくす笑うヤキラスにムーランドが振り向くと、真っ赤な炎が上がる。
 その炎に気付いた魔物が数百飛びつくが、炎矢に射抜かれ、爆発と爆風にムーランドは身を屈めた。顔を上げた先には、両足に炎の円を描き、金色の髪を靡かせるナッチェリーナ。
 その眉は上がり、青の瞳は炎のように燃えていた。

 

「男というのはなぜ最後まで話をせず行くのか……実に腹立たしい」
「ナ、ナナちゃ……ん?」

 不機嫌そうに睨む彼女にムーランドは後退りするが、燃え上がっていた炎は次第に勢いを落とす。顔を伏せた彼女のように。

 

「だが一番は……何も知らず、ただ主(あるじ)の……幼き頃から慕っておったあの人の命に従い続けてきた自分が腹立たしい。その日々が嫌だったとは言わぬが、兄上や自国の未来より取った結果がこれなら……我は最低な王女だ」

 握りしめる炎弓と肩を震わせる彼女に、静かな沈黙が続く。
 だが、雲間から覗く光と共に顔を上げた彼女に、ムーランドは動けなくなってしまった。自身だけを映した青の瞳に。

 

「だからこそ、主が行こうとしている場所はわかる……一団長として、一国の王女として共に参ろう。少なくとも主一人が行くよりは良いはずだ」
「……あの男を止めなくていいの?」

 

 笑みを崩したムーランドの問いに、ナッチェリーナの目が城に移るが、それは一瞬のこと。小さく首を横に振った彼女は弓を収めると、ムーランドの手を握った。血で汚れた傷だらけの両手を握る手は小さい。

 

「あの人は我が言っても聞かぬだろ。だがピンクと灰……愚兄弟ならきっと……少なくとも我は……私は信じる。それに、命懸けで国を護ってくれていた主の……せめてそのふらふらな身体を支える手伝いぐらいはさせてくれ」
「ナッチェリーナ……王女……」

 

 向けられる微笑に大きく目を見開いたムーランドの呟きに、ナッチェリーナの眉が吊り上がる。慌てて言い直そうとするムーランドだったが、握る手から伝わる体温が全身に巡ったかのように顔が真っ赤になった。
 口を金魚のようにパクパクさせる彼に、結った髪を後ろに流すヤキラスは笑う。

 

「あっははは! ムースくんもまだまだ子供だね。もう、ここいらで想いを伝えたらどうだい?」
「うっ、うるさいよっ! ボクの勝手でしょ!! ていうか、独身おっさんは黙っててよ!!!」
「おや、失礼なことを言う子だ。私は既婚者だよ」
「「え?」」

 

 声を揃えた二人を横切ったヤキラスは屋根に置かれたショールを拾う。
 魔物ではない、小鳥のさえずりに微笑を浮かべた男に顔を青褪めた二人は一斉に叫んだ。

「「既婚者ーーーーっっ!!?」」

 

 手を繋いだまま詰め寄ってきた二人に、ヤキラスは不思議そうに首を傾げるが、すぐに両手を叩く。

 

「そうかそうか、キミ達とマドレーヌちゃん。あと、モモの木は知らないのか。これでも私は十六の時に結婚してるんだよ」
「妻なんぞ見たことないぞ!?」
「ぶっちゃけ、聞いたこともないんだけど!?」
「あっははは、そりゃそうさ。内縁だったし、十年前に亡くなっているからね」

 

 変わらない笑顔で話す彼に、二人は言葉に詰まると頭を撫でられる。

「少し前までは荒れていたけど、今はもう大丈夫だよ。灰くんと知り合うこともできたからね」

 

 撫でる手は優しいはずなのに、表情は今まで見たことないほど切ない。ひと呼吸置いたナッチェリーナは躊躇うように訊ねた。

「それで……主は今、幸せなのか?」
「……あの頃に比べれば小さいが、充分幸せさ。だからこそ早くこの事態を終息させたいと思っているよ」

 

 淡々と答えながら瞼を閉じたヤキラスはショールを大きく振り上げる。
 高く伸びたショールは頭上から迫る魔物の一匹に絡みつき、無数の棘を生やす鞭へ変わると奇声を響かせた。見上げなくともわかるムーランドは指を鳴らし、降り注ぐ青い雫を結界で弾く。
 すべての雲から顔を出した太陽と風を受けながら、ヤキラスは微笑んだ。

 


「私がそうだったように……友人やキミ達にも『幸福の鐘』の音を聴いてもらいたいからね」

 


 手を繋いでいたムーランドとナッチェリーナの頬は熱くなる。だが、その笑みに答えるかのように頷いた二人と一人は空を駆けた──。

 


~~~~*~~~~*~~~~*~~~~

 


 何も見えない暗闇。
 それは誕生式典の時とは違い、落下ではなく上昇。何かに背中を押されているようで苦しさを覚えるが、落下よりは怖くない。繋いだ手と抱きしめる背中に力を込めると、頭上で輝く光。それが“出口”だとわかったとき、ぎゅっと瞼を閉じた。

「ぷっは……きゃ?」

 

 明るい世界へ飛び出すと息を吐くが、真下に見える床と背筋に走る悪寒に顔を青褪めた。放り出されたように宙に浮いていたわたし達は重力に逆らうことなく落下する。当然高所恐怖症のわたしは硬直したかのように手を離してしまった。

「モモっだ!」
「ふんきゃ!」
「おっと……」
「ぎゃっ!」

 

 床にぶつかる音と悲鳴が聞こえたが、さほどわたしに衝撃は伝わらなかった。
 それはお義兄ちゃんとルアさんの背中の上に落ちたおかげかもしれませんが、セルジュくんは離れたところに落ちている不思議。疑問に思っていると、振り向いたルアさんと目が合う。

 

「モモカ……無事?」
「は、はい。ルアさんは?」
「うん……風使いだから……」
「あ……」

 

 顔面衝突したように震えているお義兄ちゃんとセルジュくんとは違い、ルアさんの身体は僅かに浮いている。風使いズルいと内心思いながら慌てて起き上がると、足を着けた白の大理石と光に辺りを見渡した。

 

 広さは大広間と同じぐらいで、注ぐ光を通すガラスはステンドグラス。
 すべてのガラスに描かれた緑色の蔓を追った先には、数段の階段と壇上。そして銀色の玉座。それだけだと大広間と錯覚するが、壇上を囲うように縦に並んだ七枚のステンドグラスに目を見開いた。

 天井近くまで伸びるガラスに描かれているのは赤・橙・黄・緑・青・藍・紫色の翼が生えた竜。手らしきところには自身と同じ色の薔薇を持っている。
 太陽の光で色鮮やかに輝く七匹の竜に、わたしは溜め息を漏らした。

 

「綺麗……」
「ここが……中央塔最上階『王の間』だよ」
「へー、ここが……」
『死に場所に適しているだろ?』

 

 感動も忘れる低い声に、立ち上がったルアさんがわたしを背に隠す。
 剣を抜いた彼の瞳は七色の光を受ける玉座に向けられ、床から飛び出してきた黒いものが人の形を取りはじめる。次第に黒いものは色付き、蜂蜜色の髪と深緑の瞳を魅せるノーマさんが姿を現すが、白かったローブは真っ黒に変わっていた。

「なっ……!」

 

 顔を強張らせたルアさんのように、わたしも口元を両手で覆う。
 すると突然ルアさんが膝を折ってしまった。敏感に反応してしまう“黒”のせいかと思ったが、額から汗を流しながら震えている。

 

「どうしたんですか!?」
「な、なんだ……力が……」
「やはり魔力を持たない異世界人には、この臭いも効かないか」
「臭いって……!」

 

 ルアさんの背に手を添えていると、嫌な臭いに気付く。
 それは五十三階の怪しい部屋と、城中に漂っていた……お線香の臭い。わたしは異臭程度にしか思わないが、よく見れば床に倒れたお義兄ちゃんとセルジュくんも汗をかき、息を荒げながらノーマさんを睨んでいた。
 彼は懐から緑色の液体が入った三角フラスコを取り出す。

「これは私が十年ほどかけて開発した『魔封香(まふうか)』という薬でな、魔力を奪う効果がある」
「十年……?」

 効果よりも歳月を気にしてしまうわたしはやはり変なのか、ノーマさんはまたくすくす笑いながらフラスコを仕舞うと、両手袋を外しはじめた。

「そう、十年。一度は凍結させた願いだったが、皮肉にもまた異世界人の手によって輝石(いし)は転がりはじめた……今度こそ止められないほど急速に……」

 

 外した手袋が投げ捨てられると四方八方から黒いものが床から現れ、形を取りはじめる。けれどそれは人ではなく異形の姿を取り、わたし達は目を疑った。
 深緑の瞳を細めたノーマさんの両手がゆっくりと広げられる。

 


「モモカ、最後の問いに答えよう。私が死んでもいいと思うのは今日──フルオライトを沈めた時だ」


 数百以上の魔物が囲む『王の間』で、ただ一人微笑む男性(ひと)。
 その両の手に描かれているのは黒薔薇のタトゥー────。

/ 本編 /
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