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69話*「菩提樹」

 昇る太陽に月夜は薄れる。
 空もまた夕暮れとは違う色を見せ、蕾だった花も開きだすが、四季折々の花と木々が迎える場所に咲くものはなかった。澄み渉る空の下、鈴蘭畑の道を進む者は目先の光景に足を止める。

「あれ……塔がない……」

 

 途方に暮れたように立ち尽くす者は辺りを見渡す。
 自身が通ってきた道、辺りに咲く花々は変わらずあるのに目の前に建つ塔は瓦礫と化していた。真新しい切れ目と焦げた臭いに苦笑を漏らす。

 

「庭園を優先してくださったのはありがたいですが、ちょっと寂しいですね……おや?」

 

 何かに気付いた様子で近くの瓦礫を退けると、埋まっていた物を手に取る。
 元の色は恐らく白だろうが、赤黒い血に染まったロングコートと粉塵を被ったリュック。近くには園芸ばさみや飴玉、そして折り鶴が散乱している。それらを丁寧にリュックに入れるとコートの上に置いた。

「大切な用を終えたら、迎えにきますね」

 

 微笑んだまま積み重なった瓦礫の上を歩くと、結った金色の長い髪が風で靡く。だが、その色とは違う色褪せた瓦礫が交じっているのがわかると表情を曇らせた。


 冷気が漂う場所を塞ぐ瓦礫を退ければ、地下へ続く階段が姿を現す。慎重に降りる足音と息を吐く声だけが凍りついた地下に響くが、あと十数段というところで足が滑った。

「おおおっだっ!」

 

 お尻から落ちる音と悲鳴。そして壁に勢いよくぶつかる音が木霊した。

 

「ったた……鼻を打って……あ」

 

 目に映るものに鼻の痛みも忘れた者は、地面も凍った足下を慣れた様子で立ち上がる。身体の感覚も麻痺させるほどの冷たさが伝う最下層の中心には水晶の形を取った数メートルの氷。地面に刺さったまま水晶(そ)の中で眠る一本の剣に朝日が注がれる見つめる人物は苦笑を漏らした。

「そう怒らないでください。ちゃんとわかってますから……ね」

 

 許しを乞うような語りにしばしの沈黙が続くが、瞼を閉じた者に柄頭に埋め込まれた宝石が光る。同時に足元に円が描かれると手が伸ばされた。

 


「ありがとうございます。では、参りましょうか──“イエロ”」

 


 静かな声と共に青水晶の瞳が細められる。
 水晶と地下を覆っていた氷には大きなヒビが入り、伸ばされた手が水晶に触れると一斉に割れた。

 

 まるで花が散るかのように──。


 

~~~~*~~~~*~~~~*~~~~

 


 頭の中で陽気なお日様が『おはよう』と伝えている。
 ああ、朝だ。起きる時間だ。今日も頑張ろうと重い瞼を開いたけど、お日様はなかった。いえ、いましたよ。お日様よりも眩しい人が。

 いつもは重なったレンズの層で見えない灰青の瞳で優し気に微笑む人。降り注ぐ太陽で光る藤色の髪も合わせれば、それは一人しかいない。この世界でたった一人の──。

「お義兄……ちゃ……ん」
「おはよう、モモ」
「ふんきゃ……おはようございます」

 

 大きな両腕で抱きしめてくれるのは、グレイお義兄ちゃん。
 なんだかいつもよりカッコ良さが増してるのは太陽のせいですかね。でも、綺麗な顔には痣や血みたいなのが付いてて台無……!

「お義兄ちゃんのバカーーーーっ!!!」
「っだ!」

 

 瞬間、わたしは勢いよく頭突きをお見舞いしていた。
 思いっきりやったのでわたしのダメージも相当なものですが我慢です。さすがのお義兄ちゃんも額を押さえたまま目を丸くするが、構わず睨み、声を張り上げた。

「なんでキラさんが橙さんって教えてくれなかったんですか!」
「……は?」
「すごくビックリしたんですよ! ショールは痛そうな鞭になるしキラさんはなんか怖いし!! 猛獣さんVSカブトムシさんは大迫力でカッコ良かったです!!!」
「最後ただの感想にっだだだ!」

 

 地面に尻餅を着いたお義兄ちゃんの胸板を握り拳を作った両手で叩く。戸惑う声で落ち着けと言われるが、わたしの口は止まらない。

「解放精霊なんて綺麗で強くて、普段普通の団長さんが騎士っぽくて……でも、戦う相手が同じ団長さんで……辛そうで……ケルビーさんが薔薇園……燃やし……たって……」
「モモ……」

 

 怒っていたはずの声は次第に落ち、掠れ、叩く両手も弱々しく震えている。目尻から痛いものが出てくるのを堪えると、伏せていた顔を上げた。

 

「ヨーギお義父さんと……スーチ……お義母さんが……」
「モモ……モモ……」

 

 大きな手が、手袋ではない本物の手が頬に触れる。
 その指先が堪えていたはずの涙を拭き取っても新しい涙が零れ、叩いていた手は気付けばお義兄ちゃんの服を握りしめていた。身体を預けるわたしの背中を撫でながら、お義兄ちゃんも肩に顔を埋める。

 

「言わなくていい……知ってるから……」
「知ってるなら……なんで……どこにいたんですか……心配……したんです……よ」
「ああ……駆けつけられなくて悪かった……モモが無事で……良かった」
「お義兄ちゃ……ん……うっ……ぅああぁあ~~ん」

 

 切ない、けれど向けられる笑みに溜まっていたものが涙と声になって溢れ、両手を首に回す。
 

 二年間だけでもわたしにとっては大切な家族だった。

 薔薇を大切にする心、庭師の志、何より本当の両親に負けない愛をお義兄ちゃんだけじゃなくわたしにも与えてくれた養親。そんな二人がなぜ死なねばならなかったのか今でもわからなくて、悲しくて、悔しい。

 

 泣きじゃくるわたしを抱きしめる腕も強くなり、肩に埋めていた顔を上げる。
 すぐ目の前には最後会った鉄格子越しとは違い、どこか柔らかな表情を向けるお義兄ちゃん。あやすように寄せられる唇は瞼に頬に涙に、そして唇に口付けを落とした。

「ふんきゃ……?」

 

 一瞬触れ合って離れた唇に涙が引っ込む。首を傾げるわたしに、お義兄ちゃんは苦笑した。

 

「モモは隙が多いな……その割に頭突きとか予想外なことをするが」
「あ、あれはルアさんに言われて……」

 

 まだ混乱しているせいか慌てて顔を伏せてしまったが、すぐ耳元で『何を?』と囁かれ、肩と一緒に顔も上がった。目先の表情はさっきと同じように優しいはずなのにどこか冷たい。次いで名前を呼ばれた時には白状するように口が開いてしまった。

 

「ね、寝る前、ルアさんに『起きたらすぐグレイに頭突きしろ』って……だから、あの……」
「…………そうか」
「うわあああぁぁ~~~~!」

 

 短い返答をしたお義兄ちゃんの指が動くと背後から聞こえる悲鳴。見上げれば雲しかない宙で逆さ吊りになったルアさんがワタワタしている。新しい一人遊びでしょうか。

「てっめ、グレイ! 援護してやった礼も言えないのか!?」
「騎士が市民(俺達)を護るのは当然だ」
「なんでお前も市民なんだよ! 藍ばっだだだだ!!」

 いつの間に着替えたのか、キレモードのルアさんは竜と薔薇が描かれた青のマントを揺らす正装姿。けれど所々破け、血のようなもので汚れている。そしてやっぱり顔には青痣。


 お義兄ちゃんに続くように立ち上がると、お義兄ちゃんの服もいつもと違うことに気付き、ぐるぐる回って観察。ルアさんが言ったように藍色で、マントには薔薇と竜が描かれている。それに胸元に飾られたコサージュは……。

「モモ、チャガキを起こしてこい」
「ふん……きゃーーーーっ!?」

 

 先に口を開かれ、指された方を見ると、高く積み上がった瓦礫の山。
 散乱しているガラスや家具が上階半分が崩れた四方東塔の物だというのは一目瞭然。その傍には俯せになったセルジュくんが地面に倒れ込んでいて、慌てて駆け寄る。

 

「セ、セルジュくん、いったい何があったんですか!? わたし達、五十階にいましたよね!!?」
「モモが寝ている間に魔物に襲われてな、墜ちたんだ。ルアもとっととこい」
「「コンニャロー……あとで……覚えとけよ」」

 

 赤紫のストールを外に出すお義兄ちゃんに、恨みのようなものが込められた二人の声がハモる。額から血が出ていても無事な様子のセルジュくんに安堵の息をつくと、逆さ吊りになっていたルアさんも下りてきた。
 下唇から垂れる血を袖口で脱ぎながら、不機嫌そうにお義兄ちゃんを見る。

 

「で……まだやんのか?」
「モモが起きてしまった以上する必要はない。貴様との決着はこの事態を片付けてからにする。それより……気付いたか?」

 

 懐から取り出した眼鏡を掛けたお義兄ちゃんの灰青の瞳は鋭い。それはルアさんも同じで、二人は南の方角を見つめた。わたしと肩を支えるセルジュくんも同じように南を見るが特に変わりはない。けれど二人は違うようで互いを見合った。

 

「やっぱ……間違いじゃないな……扉を解除したのお前?」
「ああ、出張中に緑に頼まれてな。貴様らを入れるためか別か、目的は定かではないが」
「お前らなんの話してんだ?」

 

 疑問符しか浮かばないわたし達の頭に、白の手袋を外したルアさんの手が乗ると優しく撫でられる。反対にセルジュくんはガシガシと荒い。

 

「っだだ! 何すんだよ!!」
「別に……ただ、もう五十三階に行く必要がなくなっただけだ」
「え、いいんですか?」

 

 怪しい部屋があった五十三階。
 そこに行方不明というコーランディアさんの手掛かりがあると思っていたわたし達は困惑するが、両手の指を動かすお義兄ちゃんが割って入る。

 

「先に調べたが、モモがいう部屋はなかった」
「ふんきゃ!?」
「相変わらず……盗聴と盗み見が好きだな」

 

 呆れるルアさんとは反対にわたしの顔は真っ青。
 部屋自体がないって、まさかわたしは夢でも見てたのでしょうか。でも、あんな強烈なお線香の臭いは早々忘れないはず。いえ、それよりも期待させてしまったことに罪悪感が沸き、セルジュくんを見る。が、またお義兄ちゃんに取られてしまった。

 

「それと、国王と王妃の行方もわからない」
「え?」

 

 振り向いた先には目を細めたお義兄ちゃん。
 その瞳はわたしではなく後ろに向けられていた。見れば、見開いた翠の瞳と肩を小刻みに揺らすセルジュくん。それからすぐ、お義兄ちゃんの胸倉を掴んだ。

 

「わからないってなんだよ! てめーが一番気にかけなきゃなんねーだろ!?」
「真っ先に『王の間』も私室も糸で確認しました。しかし残念ながら誰も……気配すらありません」
「んなわけあるか! オレが無事なんだから二人だって……っ」

 

 突然畏まった対応をするお義兄ちゃんに、セルジュくんは唇を噛みしめる。
 わたしが心配するのとは違う切羽詰まった様子にルアさんを見るが、彼もまた苦渋の色を浮かべていた。セルジュくんの手を離したお義兄ちゃんが一息吐く。

 

「少し休憩を挟もうか」

 

 提案に誰も頷きはしなかったけど、沈黙は肯定と捉えられた。

 


* * *


 眩しい太陽が漆黒の髪を通って身体を熱くさせる。
 けれどすぐ大きな影で遮られ振り向くと、お義兄ちゃんが立っていた。差し出されるのは水が入ったペットボトル。

「食堂部から取ってきた。お腹が空いているならチャガキのところに食い物がある」
「いえ、キラさんから差し入れを貰ったので……他の団長さん達は大丈夫でしょうか」
「なんの音もしないということはヤツらも休息中だろ。心配するほど柔な連中じゃない」

 眼鏡を上げるお義兄ちゃんに笑うとペットボトルを受け取る。
 起きてた時は四方八方から解放精霊や斬撃、魔物の声が聞こえていたのに、今は不気味なほど静か。瓦礫の傍に座るセルジュくんはまだしも、ルアさんなんて日光浴するように大の字で寝転がっている。

 

 二人に習うようにわたしも地面に座ると目先の物を見つめた。
 それは焼け焦げたばかりか、建物だった面影もない『福音の塔』。そして座る地面には薔薇園があったのに、今はもう花弁さえない。

 

 何かが働いているかのように戻ってきた場所に思いを馳せていると、後ろから抱きしめられる。出逢った時と変わらない暖かくて優しい腕。

 

「ノーマさんは……薔薇が嫌いだったんでしょうか」
「……今までの経緯を考えると栽培できる者をといった感じだがな。東庭園(ここ)以外で生産されている薔薇は魔法で複製したもので、本物を作れるわけじゃない」
「お義兄ちゃん、作れなくて良かっんきゃきゃ!」

 両くびれを摘まれ上下に跳ねた。そのまま胸板に沈み見上げれば、お義兄ちゃんは不満そうな顔をしていた。でも頬が赤いので『作れない』を否定できないのがわかる。虫嫌いは根強いようだ。

 

「そう考えると……わたしも危なかったってことですよね」

 

 ポツリと漏れた可能性。
 栽培できるというならわたしも当て嵌まる。まだまだ新米でも、ひとつの種から育てること増やすことを知っている。多分お義兄ちゃんよりも。

「モモは……それ以外がある気がするがな」
「え?」

 

 不安からか、小刻みに揺れていた身体を強く抱きしめる両腕。
 表情も険しいが、訊ねる前に両腕は離され、お義兄ちゃんは立ち上がった。

 

「それも含め確かめねばならない……あの人に」
「やっぱり、お義兄ちゃんも目的はわからないんですか?」
「……人の根っこまで見透かすのは容易くない。ましてや二十年も前から持っていた真意などな」

 眼鏡を上げる横顔からは怒りと戸惑いが混ざった瞳が覗ける。
 それはわたしよりも長く彼といたお義兄ちゃんにしかわからない気持ち。本心はわたしよりも信じていたかったのかもしれない。それでもわたしを見る瞳に迷いはなく、手を差し出される。

「本当は危険な場所にモモを連れて行きたくはないが……きてくれるか?」
「もちろんです! ノーマさんにも頭突きしてやります!!」

 

 迷うことなく立ち上がると手を取る。
 その勢いにお義兄ちゃんは目を丸くするが、真っ直ぐな目を合わせるわたしに笑みを零すと、今は収まった灰青の宝石が光る指輪に口付けを落とした。

 

「ああ、その道は俺が開いてやろう」
「ふ、ふんきゃ!」

 

 触れた唇に肩が大きく跳ねると顔が真っ赤になるのがわかる。
 な、なんですかね。再会してからお義兄ちゃんのキラキラ度が増してる気がするのは、何か良い事があったんですかね。久々に“俺”って言ってますし、やっぱり良い事があったんですね。

 自分でも何を言ってるかわからなくなっていると、前後に大きく揺れたお義兄ちゃんに我に返る。見ると背後に不機嫌なルアさんと呆れた様子のセルジュくん。どうやらルアさんが足でお義兄ちゃんを蹴ったようで、二人は一斉に口を開いた。

 

「「キモい」」
「やかましいぞ、光合成兄弟」

 

 眼鏡を光らせるお義兄ちゃんの売り言葉に買い言葉のケンカがはじまった。
 止めるべきだと思ってもできないのは、ついこの間まで同じ光景をこの場所で見たからかもしれない。今日までになくなってしまったものはいっぱいある。でも変わらないもの、残っているものが目の前にある。それはとても幸福(しあわせ)なことで、急に笑いが込み上げてきた。

「ふふ……みなさんケンカしちゃ……はは……ダメですよ……ふははは」

 

 小さかった笑い声は我慢できないように大きくなる。
 そんなわたしに三人は互いを見合うが、同じように笑いはじめた。その声に暗さはない。ただ心の底から笑い笑顔になる声。それをまた聞きたい、見たい。たとえどんな真実があっても……また。

「さてと……魔力回復も済んだことだし……行くか……」
「行くったって『宰相室』と『王の間』以外どこにいんだよ?」
「ドアホ。腹立だしくはあるが、ヤツには副業があるだろ」
「はい……」

 頷くわたしに納得するように、セルジュくんは脱いでいたトレンチコートとマントを羽織り、ルアさんは白、お義兄ちゃんは黒の手袋を嵌めた。わたしも長い髪を後ろでお団子にすると、ポケットに入れていた鍵を取り出し見つめる。それを強く握りしめると駆け出した。

 

 ジュリさんの結界が消えた出入口を抜け、慣れた足で廊下を走る。
 人にも魔物にも会うことなく進んだ先には、菊の彫刻が施された大きな両扉。閉じられた扉は簡単に開き、眩しい太陽と一緒に心地良い風が吹く。けれど、いつもの賑わいはなかった。
 楽しそうに遊ぶ子供の声も、笑いながら見守る親御さんの姿も何もない。

 ただ一人、白のローブを揺らす人。
 この北塔『菩提樹庭園(ティロ・ハルディン)』の庭師だけは変わらない笑みを向けていた。
太陽で光る蜂蜜色の髪も、深緑の双眸も、口元の笑みも、はじめて会った時と変わらない。それが今はとても怖く、息を凝らして見つめることしかできないわたしの前をルアさんとお義兄ちゃんが遮る。セルジュくんも剣の柄を握ると、目先に立つ人は口を開いた。

 


「本当、揃いも揃って邪魔するのが得意だな、お前らは」
「ノーマさん……」

 


 その声は今まで聞いたことがないほど低く、目は鋭い────。

/ 本編 /
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