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68話*「愛する姫君」

*グレッジエル視点です

 ゆっくりと瞼が開く。
 夜なのか薄暗さが視界を狭めるが、眼鏡がなくとも見慣れた天井と背に感じる枕やシーツ、掛け布団。それだけで実家の自室だとわかると、瞑るまではない灯りが室内を点した。

「グレイくん、気分はどう?」

 

 顔を横にすると、開かれたドアの先で微笑む母。
 藍色の瞳はどこか安堵しているようにも見え、上体を起こす。だが制止の手と威圧感にも似たオーラを出しながら足を進める母に浮いた頭は沈み、額に手が添えられた。

 

「熱はないみたいね。疲れからきた貧血だとお医者様は言ってたけど、大事を取って明日まで休みなさいな」
「貧血……」

 

 膝を折った母の言葉に倒れたことを思い出すと、開いたドアの先にある別のドアに目が向いた。それに気付いた母は微笑む。

 

「明日モモちゃんにお礼を言いなさいな」
「礼?」

 

 眉を顰めると勢いよく額を叩かれた。
 先ほどの制止はどこにいったとツッコミたくなるほどの痛みに身体を丸めるが、溜め息までもが落ちてきた。

 

「貴方が倒れたことを報せてくれたのも、私達が向かうまで介抱してくれたのもモモちゃんなのよ。家に帰ってもずっと側を離れなかったんだからお礼はちゃんと言いなさい」

 

 まるで幼子を叱るような口調だが、何も返すことができない。
 むしろあいつのせいでと、誰かに責任を押し付けるような考えをしてしまう自分がいる。悪いことをしたと思っても口に出せない臆病な人間のようだ。

 

「グレイくん、モモちゃんのこと嫌いなの?」
「嫌い……ではないと思います。好きとも言いませんが」

 

 倒れる直前、多少の苛立ちはあったものの最初よりはなかった。だから“嫌い”ではなく“どちらでもない”が今は正しい。
 そんな俺に母は安堵した様子で立ち上がり、嬉しそうに両手を合わせた。左手薬指で光る灰青の宝石がなぜか不気味に映る。

「じゃあ、モモちゃんが“義妹”になっても大丈夫ね!」
「……は?」
「ウチは広いし、グレイくんが政治部だからノーマくんも承諾しやすい! 何よりグレイくんが嫌いじゃない!! 完璧ね!!!」
「はあああぁぁーーーーっ!!?」

 

 背景にキラキラが見える母の言葉を理解するには時間を要したが、理解してしまえばとんでもない話だ。そもそも全然完璧ではない。むしろ穴だらけだと慌てて上体を起こす。

 

「ちょっと待ってください! 義妹って、あいつを養子に貰うつもりですか!?」
「だってまだあんなに小さいのに、一人知らない世界で過ごすなんて可哀想よ」
「ただの情だけで考えるのはやめてください! あいつには還るべき場所もあるんですから、今の状態でもいいでしょう!! なんでまた養子……なんか……」

 

 張り上げていた声が徐々に落ちるのは、母の顔が雲りはじめたせいだろう。言いすぎた、ではない。何かに哀しんでいるように見える表情に言葉が詰まり沈黙が漂う。

 

「スーチ、風呂空いたから入ってこーい」

 

 割って入ってきた呑気な声に母と二人ドアを見る。
 そこに立つ父は濡れた髪をタオルで拭きながら母を手招きしていた。母は戸惑いの目を向けるが、従うように部屋を後にし、階段を下りる音が響く。しばしの間を置き、向かいのドアを
見つめているようにも見える父に再度問うた。

 

「あいつを養子にするって……本気ですか?」
「……俺はまだ決めかねてるが、少なくともスーチは本気だな」
「なぜそこまで……」

 

 居候の件もそうだが、やけに二人はあいつの肩を持つ。
 根っからの良人性格を抜きにしても過保護すぎるし、子供といえど相手は異世界人。素性を知らない相手を易々と受け入れることはしないはずだ。

 

「罪滅ぼし……かもな」
「え?」

 

 どうにか聞こえた呟きに耳を疑う。
 その表情は先ほどの母と似ているが、唇を噛んでいるようにも見えた。はじめて見る顔に、自然と口が開く。

「二人はあいつを……異世界人を知っているんですか?」

 

 問いに父の目は俺を捉えるが、眼鏡がなくとも瞳が揺らいでいるのがわかる。だが、大きく息を吐いた父は頭を掻いた。

「知ってるってほどのもんじゃない。が、容易に触れられる話でもない」
「“藍薔薇(俺)”でもですか?」
「……世の中には知らない方がいいことなんて腐るほどあるんだ。好奇心だけで調査するなんてバカだけはやめとけよ」

 

 互いの灰青の目が鋭くなる。
 調べた限り“異世界人”なんて情報はなかった。だがそれは政治部としての範囲で、藍薔薇としての範囲ではない。当然藍薔薇で調査するとなると国家機密流の話になるが、そんなのを両親が抱えているとは思えない……と、否定できないのは見据える瞳に嘘がないせいか。
 同時にこれ以上の問いは無意味だと溜め息をついた。

 

「肝に命じておきますが、それと養子の話は別です」

 

 俺の意思を汲み取ったのか、父はいつもの呑気な顔で俺の頭を叩く。

 

「わーてるって。少しでも無理だとお前が感じるならモモカには悪いが他に移ってもらうし、スーチも説得する。安心しろ」
「そこまでしなくても……そもそも家に殆んど帰らない俺には関係ないっだ!」

 

 勢いよく額を叩かれ、再度沈没。
 当然ダメージは母の倍で、頭を抱えたまま父を睨むが、今度は鼻を引っ張られた。

 

「っだだだ!」
「お前なー、そりゃ仕事を理由に一緒の時間を作れなかった俺達が悪いが、子に無理させてまで自分の要求を貫くバカな親じゃないぜ」

 

 摘んでいた手が離されると“親”としての優しさと慈しみを込めた微笑を向ける父に目を瞠った。

「昔も今もこれからいくつになっても息子(グレイ)のことを第一に考えるのは変わらないさ。そこにモモカが加わってもな」
「…………親バカ野郎が」

 ボソリと漏らした言葉に怒鳴る声が落ちるが、すぐさま頭まで布団を被ると苦笑が聞こえた。
 よくもまあ二十歳の子相手に恥ずかしいことが言えるもんだ。本当、久し振りに砕けた口調で返してしまうほど恥ずかしかった。耳まで真っ赤であろう俺など知らず、部屋の灯りを消した父がドアを閉める。だが、完全に閉じる前に改めて訊ねた。

「父さんが……あいつを居候ではない、養子にする理由はなんですか?」

 

 ピタリと、閉じる手が止まった。
 過去何があったとしても、居候と養子では意味合いがまったく異なる。それこそ俺が戸惑っているように“家族”になる覚悟が必要だ。知らない者と共に歩み、解り合う覚悟が。
 ドアの隙間から見える父の顔に影が掛かると、弧が描かれた口元が静かに開かれた。

 


「……一人は寂しいからな」

 


 その表情と声はどこか切ない。

 


*  *  *

 


 バルコニーに置かれた椅子にもたれ掛かったまま風を受ける。
 だが、日暮れと共に肌寒さも感じ、床に置いていた白のローブを手に取った。が、ピタリと止まる。

『ふんきゃふんきゃふんきゃ~ふんきゃきゃきゃ~♪』
「……まともな曲はないのか」

 

 溜め息をつきながらローブを羽織ると、手すりの間から見える薔薇園を見下ろす。
 張った糸を切れば聞こえていたドアホ曲も駆ける音も何もない静寂が包む場所(ここ)は東塔四十八階にある藍薔薇の部屋。

 意外にも疲れが溜まっていたのか、起床した時には既に正午を過ぎ、両親もあいつもいなかった。久し振りに庭園の手伝いでもしようと思っても今日は定休日。それでも良いと訪れたが、両親は配達で不在。庭園にはあいつしかいないことを鷹で知り、気付けばここに足を運んでいた。

 せめてあいつのことを知ろうと糸で盗聴した結果、モグラと喋る、実は高所恐怖症、歌は上手いくせに変な曲しか歌わない。以上。

「こんなので義兄妹とか……ん?」

 

 溜め息混じりに顔を上げた先に目が点になる。
 理由は空を歩いている男がいるからだ。実際は風の力でだが、白のコートと琥珀の髪を揺らす男は難しい表情で手に持つ紙を見つめている。

「……おい、貴様。何をやっている」
「……………………」
「青薔薇!!!」
「散らすぞ!!!」

 

 嫌いな名に青薔薇部隊団長キルヴィスアことルアは反射のように剣を抜き、立ち上がった俺も構える。だが我に返ったのか、数度瞬きすると鞘に収めた。

 

「なんだグレイか……こんなとこでバカンス?」
「貴様こそ、城外でもここは空中歩行禁止域だぞ」
「あ、ちょうど良かった……ちょっとこれ見てよ。俺、全っ然わかんなくてさ」

 

 まったくもって人の話しを聞く気がないな。
 あいつといい、こいつもマイペースでドアホだったと内心愚痴る俺に、ルアは持っていた紙を差し出す。上質な紙にこれまた達筆な字が書かれてあるが、内容に眉を顰めた。

『キルヴィスア殿。今日の夕方、校舎裏にて待つ。必ず来たれし。コーランディア』

 ドアホトリオにしようか悩むが、ルアは深刻そうに訊ねてきた。

 

「二日前に届いたんだけどさ、校舎裏ってどこ?」
「バカじゃないのか」

 

 総合しての回答にルアは眉を八の字にしたが、疲れた様子でバルコニーに足を着けた。そのまま腰を屈め欠伸する姿はいかにも徹夜で捜していましたと語っている。

「ったく、ランのやつ……いったいなんなんだよ」
「内容はともかく、あの王子なら南庭園に行けば会えるだろ。庭師なんだから」
「あったま良いー……」

 眠そうな顔で拍手する男がアホすぎて蹴る気力もなく椅子に座り込む。こんな男が騎士団最強など思いたくもなければ、王子と……そこでふと訊ねた。

 

「貴様、王子と義兄弟ってどう思ってるんだ?」
「さらりと国家機密を言うな……うーん」

 

 気乗りしない様子で髪を弄る男に影が掛かると、琥珀が金色にも見える。
 青薔薇騎士キルヴィスアがフルオライト国王の実子である事実を知る者は少ない。恐らく政治部上層とキラ男のように団長歴が長い者だけだろう。俺も藍薔薇就任時、ノーリマッツ様から聞かされた時は耳を疑ったが納得もした。それほどルアと王族……特に第一王子コーランディアは似ている。

 

 さすがに出生については知らないし知る気もないが、今の俺にとっては“義兄弟”について知れる相手。唸っているのを聞くにあまり役に立つとは思えんが、聞かずにはいられなかった。

 

「やはり気を遣うのか?」
「そりゃあな……俺はいわゆる側室の子で……一日違いとはいえ、ランより先に生まれたし……自然と距離は取るさ」

 

 髪を弄っていた手は開いたシャツの胸元で揺れる青薔薇のネックレスを握り、その色とは違う瞳で薔薇園を見下ろした。

 

「ランは……良いヤツだから気にしないって言うけど……その優しさが嬉しい時もあれば……酷く嫌にもなる」
「……タイムリーだな」

 

 顔を上げるルアと代わるように薔薇園を見下ろす。
 今の俺の心情はルアに似ている。助けただけの関係から義兄妹になるなど想像していなかったし、なるかもしれないと考えると正直上手くやれる自信はない。あいつが好意的であればあるほど俺の足は止まり、背を向けたくなる。
 その理由が未だわからないでいると、遠くを見るルアはポツリと言った。

「でもさ……俺が拒んでたら……あいつの勇気……無駄にするんだよな」

 

 目を瞠る俺とは違い、苦笑しながら手紙を仕舞ったルアは腰を上げると風を纏う。
 オレンジ色だった空は藍色を引き連れたグラデーションに変わるが、風で舞う花弁に混ざって黒い生物も見えた。宙に浮いたルアは青水晶の瞳を細める。

 

「俺も一歩出さないと……縮まる距離も縮まらないよな……」
「……結果、場所がわからなかったと」

 

 眼鏡を上げる俺に『それは文句言っとく』と頷いた男は大きな風と共に飛び立って行った。国に迫る魔物(敵)を散らすために。颯爽と消え、魔物を半分に斬る様に溜め息をつくと、花弁に頬を撫でられる。

 床に落ちたローブを手に取ると、手すりに上った俺も飛び降りた。

 

 

*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*

 


 どんな時でも見上げれば 空がある

 

 たとえ世界に一人ぼっちでも 私は忘れない
 あの日の面影 あの日の言葉 あの日の貴方を
 見上げれば思い出すたくさんの日々

 

 でも 遠い日を想うより
 いま 会えたことに 私は涙を流す

 

 どんな時でも見上げれば 空がある
 繋いだ手が離れても繋がった空がある
 信じている また会えることを
 この庭園で きっと

 


*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*

 


「既に七回は歌ってるが、貴様の世界の国歌か何かか?」
「ふんぎゃ「やかましい」

 誰かいるとは思わなかったのだろう。
 昨日と同じ場所で背を向け座っていた少女の肩は大きく跳ね、悲鳴が上がった。その声と直射日光を遮るようにローブを頭に被せたが、大きすぎるローブに少女は小ネズミのようにぐるぐる回り転倒。正直面白いと思った。

 そんな少女の手から白薔薇が転がる。
 崩れないのを見るにプリザーブドのようだが、慌てて拾った少女を片手で抱えると、木陰まで移動した。隣に座らせた少女はローブを被ったまま顔を出すが、心配そうに首を傾げる。

「お兄さん、もう大丈夫なんですか? 無理してないですか?」
「そう言いながら自分が熱中症なんぞになったら吊るし上げるぞ」
「ふんきゃ、気を付けます」

 

 ローブを帽子代わりに握った少女は先ほどとは違い、笑顔を向けた。
 その笑みに熱いものが頬に集まる気がして咄嗟に少女の頭を手で押さえ込む。口癖のような『ふんきゃふんきゃ』を言いながら口元は笑っている。

「で、あの歌は貴様の世界のものか?」
「いえ、桃が勝手に創ったもので、気に入ったものは何度も歌ってしまうんです」
「遠回しに……『還りたい』と聞こえたぞ」

 大きな風が吹く。
 その風によって下ろされた漆黒の髪は俺の元まで届き、手の下にあった笑みも消えた。明るかった空には星星と月が顔を出し、庭園の外灯が灯る。静かな沈黙を破るように少女は口を開いた。

「まだ……ここが別の世界って言われてもわからないんです……夢じゃないかって」

 

 振り絞ったような声は今まで聞いたことがないほど小さく、ローブを握る手を震わせながら続けた。

 

「でも……地図見ても日本はないし……字は読めないし……桃の世界にはないものがいっぱいあって……でも空は同じなんです。同じ色に変わって……流れてくる雲を見るたびに……それに乗って……どこかにある日本に行けないかなって……うっ」

 

 何かの栓を抜いてしまったのだろう。しゃくり上げる少女は手に持つ白薔薇に涙を落としながら、堪え切れない想という名の本音をぶちまける。

「還り……たいです。お父さん……お母さん……桃真(とうま)に……家族に会いたいで……す。一人は……嫌です」

 

 空と星に願う少女の言葉は父の『一人は寂しい』と重なる。そう、彼女は“一人”だ。
 いなくなっても捜せる俺とは違い、彼女の家族はいないのだ。肩車をしてくれる父親も、美味しいご飯を作ってくれる母親も、誰も“むらおかももか”と繋がりを持つ者はいない。捜せない。“世界”が違うのだから。

 気付けば伸ばした両手で少女を抱きしめ、外れたローブから流れる漆黒の髪に顔を埋めていた。
 まだ小さく幼い身体は震え、胸元で声にならないものを上げている。とてもとても非力な少女。だが、
穢れを知らず、ただ純粋に自分よりも誰かを優先してしまう。夜空の星に敵わないほどの光。

 その光に俺は怯えていたんだ。
 早くから政治部という大人達の世界に入り、根深い闇を見てきた俺にとっては眩しすぎる光。左手に刻んだ薔薇はいっそうに闇を深くさせ、無意識に彼女(光)の浸入を拒んでいた。
 扉を開けてみれば、キラ男が言うように“みにくいアヒルの子”。ただ毛色が違うだけで、こんなにも弱い光だったんだ。

「……捜してやる」
「え……?」

 

 泣きじゃくっていた少女の顔は女としては酷くみっともないが、それだけ自身の本音を押し込めていた証拠。目尻から零す涙を指先で拭うと目線を合わせた。

「何日も何年も掛かるかもしれないが……それが貴様の望みなら俺が捜してやる。幸か不幸か、最初に見つけたのは俺だし、昨日助けてもらった礼も今まで投げ飛ばしていた詫びもしたい」
「そんなの……割りに合わないですよ?」

 すすり上げながら交渉の意味を理解している少女に苦笑すると、ポケットからネックレスを取り出した。自分の瞳と同じ灰青の宝石が施された指輪が繋がった物。幼き頃から父親に持たされていた物を。

「足りない分はこれから埋めてもらう……俺の“義妹”として、家族として」
「妹……?」
「ああ、還る日まで俺が家族になる。護ってやる。だから貴様も俺と両親を護ってくれ」
「桃に……できますか?」

 

 涙は引っ込んでも漆黒の瞳は揺れている。
 だが、その奥には強さもあり、鎖から指輪を外すと小さな笑みを向けた。

 

「できる。忙しい両親を手伝い、忙しい俺を捕まえ、家に……家族を集わすことが」

 

 彼女が墜ちてこなければ今も俺は家に帰っていなかっただろう。
 きっと両親との距離は縮まらず、充分な愛を貰っていることを知ることはなかった。一歩を踏み出す勇気をくれた彼女になら俺は──。

「で、どうする? まあ、俺の義妹になっても周り「なります!」

 

 出逢った時のような大声が庭園に響き渡り、涙を拭った真剣な眼差しに捕らわれる。

「桃、お兄さん大好きです! 他の人は変な空気持ってますけど、お兄さんとおじさん達はあったかくて、一緒にいて居心地良いです!! 桃、頑張るので家族に……義妹にしてください!!!」

 

 大きく頭を下げる少女に目を見開くが、次第に笑いが込み上げてきた。
 喉を鳴らす俺を物珍しそうに少女は見るが、自分でも珍しいとわかっているからいい。こんなことができる彼女に……後悔はない。

「なら今日から誓おう。貴様に……いや、“モモ”の義兄であると同時に護る騎士であると」
「騎士……?」

 瞬きする彼女の右手を取ると、灰青の宝石が光る指輪を手の平に乗せ、片膝を着いた。そのまま頭を下げ、瞼を閉じる。

 


「ここにグレッジエル・ロギスタンは七輝の君主(ひかり)であるモモカ・ムラオカを守護する騎士(カバリェロ)となり、共にあることを誓いましょう──我が姫君(プランセッサ)」

 


 瞼を開くと右手の甲に口付けを落とす。
 頭上からは予想通り『ふんきゃ!?』が聞こえ、くすくす笑いながら顔を上げた。義妹であり、護るべき主人となったモモは顔を真っ赤にしている。

「おおおお兄さん!?」
「グレイ、でいい。義兄になるんだからな」

 

 眼鏡を上げながら立ち上がった俺にモモは顔を赤めたまま指輪を見つめる。だが何かを思いついたように首に巻いていた赤紫のストールを外すと差し出した。

 

「よろしくお願いします、グレイお義兄ちゃん!」

 

 当然忠誠の意味も、宝石の意味も知らないだろう。
 それでも向ける微笑に心臓は早鐘を打ち、全身が熱くなった。ストールの色が彼女の瞳と同じ色であれば良かったと思うほどに。そんな気持ちを必死に押し込め受け取ると、同じように笑みを返した。

「ああ……よろしく、モモ」

 

 月明かりと星星が照らす下、庭園にて出逢い誓った今日。
 これからどんなことがあっても俺が護ろう。偽りの家族でも義兄として騎士として、姫君(モモ)の手を取ろう──。

 


***~~~***~~~***~~~***~~~

 


 ──そう、誓った。
 義妹を悲しませることはしない。許さない。伸ばされた手を取ろうと誓った。なのにその手が遠いのは俺が約束を違えたからか?

 

「グレイ!」

 

 呼び声に我に返る。徐々に明るくなる空を落ちる俺の隣には青薔薇キルヴィスア。その真下には気を失った第二王子セルジュアート。さらにその下には──モモ。

 

 秘密の場所であった藍薔薇の部屋は解放精で破壊され、荒地となった薔薇園に大きな音を立てながら崩れる。顔に痣を作ったルアは風を集めていた。

「俺が風で衝撃を和らげる! だから糸で……おいっ!?」

 

 言われるまでもなく糸を張り巡らせ、モモを捕まえる。だが、圧し掛かる瓦礫の重みに耐えきれず切れてしまった。

 

「モモっ!!!」
「ああっ、もう! 『突破風(とっぱふう)』!!」

 ルアが放った風が俺の背中に叩きつけられ、押されるようにモモの元まで飛ぶ。ぶかぶかだった指輪が収まった手に、義妹に手を伸ばす。

 

 義妹、最初はそうだった。
 また俺の後ろを付いて回り、同僚を、ノーリマッツ様を驚かし、共に帰宅し、両親とご飯を食べ、共に寝て、本当の家族として過ごしてきた。それだけで充分だった。二年前、両親が『心魔破裂感染症』という、ありえない病死をするまでは。

 それを機にモモの周りを見張る者が現れ、父の助言を破る形で調査をはじめた。だがそれは遅すぎた。すべてが繋がる前に薔薇園は燃え、モモを苦しませたばかりか、たどり着きたくはなかった黒幕を知ってしまった。
 殴るよりも理由を問わずにはいられなかった俺に彼はいつもの笑みで残酷な言葉を発した。

『私のことよりモモカを心配した方がいい。あいつは近い内に殺されるぞ』
『は?』

 

 それが本当かはわからない。だが、深緑の瞳に嘘はなかった。
 そしていつかやってくるソレは青薔薇よりも強く、俺では敵わない、モモは死ぬと宣告された時、両親が亡くなり、薔薇園が消えた以上の痛みに襲われた。酷いと思われようが、今の俺には何より大切なのは義妹だ。忠誠を誓った姫君だ……そう自分に言い聞かせ、青薔薇と戦うことを決めた。

 ヤツに勝てなければ護れない。
 だからこそフルオライトに異変が起きても魔力回復に専念した。万全な状態で青薔薇と対峙するために。糸を伝い、モモが無事なこと、真実を知ったこと、泣いたこと、俺を呼んでいたことを知ってても堪えた。すべてはモモを護るため。

「だった……はずなんだ……」

 

 出逢った時に見た薔薇など一本もない庭園。
 地面スレスレで蜘蛛の巣のように張られた糸の上に座る俺の腕には、あの時に受け止めることができなかった少女が眠っている。

 昇った太陽が漆黒の髪を艶やかに光らせ、その身体を抱きしめる。
 

 四年前より大きくなったとはいえ、まだまだ小さい身体。それでもあの頃にはなかった動悸が激しく鳴る。それは自分の内側から鳴る音。気付いてしまった音。気付いてはいけなかった音。

 

「ふにゃあ……お義兄ちゃ……ん?」
「……モモ」

 

 虚ろな瞳が半分開けられ頬を寄せると、くすぐったいというようにモモは身じろぐ。だが、小さな両手で俺の頬を包んだ。零す涙を拭うように。

「どうしたん……ですか……桃は……大丈夫ですよ……」

 

 昔の人称に、まだ寝ぼけていることがわかる。
 そんな彼女は小さな笑みを向けると、また安らかな寝息を立てた。その額に頬に口付けながら指先で唇をなぞる。

 いつからなんて覚えていない。ただ背後で墜落した男とモモが出逢ってから急速に動き出したのは確かだ。それが嫉妬だと、自分だけを見てもらいたい、還ってほしくないと思った時にはもうダメだった。
 灰青の宝石が光る右手を握ると、抑えることが出来ない言葉を口にする。


「モモ……好きだ」

 


 囁きと共に柔らかな唇に唇を重ねる。
 義兄という立場よりも一人の男として護りたい。傍にいたい。もうただの姫君ではない。

 たった一人の────愛する姫君(アモール・プランセッス)を。

/ 本編 /
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