67話*「嫉妬」
*グレッジエル視点です
廊下を行き交う足音が響くが、通り過ぎる者は皆こちらを凝視するように足を止めた。そのせいかおかげか、大股で歩く足音とは別に小走りする音が聞こえる。俺が足を止めればその音も消えるが、息を切らすのは聞こえ、苛立ったまま振り向いた。
「付いてくるな!!!」
知らぬ連中が涙目で首を左右に振っているだけだった。
貴様らではないと手を振ると、瞼を閉じ、耳を集中させる。ざわつく声とは違う呼吸を整える息遣いに、大きく目を見開いた。
「そこか!」
定まった狙いに勢いよく手を伸ばすが、スルリと何かが横切る気配だけで、捕らえることはできなかった。片足を回す。
「ふんきゃ!?」
「かかったな!」
足を引っ掛けられた小さな身体は聞き慣れた悲鳴を上げ、伸ばした腕に収まる。
漆黒の髪をポニーテールにし、デニムワンピースに赤紫のストールを巻いた少女は顔を上げるが、睨む俺とは反対に笑顔だ。
「ふんきゃ~、見つかっちゃいました」
「ふん、気配がなくとも音が存在する限りバレるものだ。尾行するなら足音、それと静かな場所では息を殺せ」
「なるほどー。じゃあ桃、次は裸足で付いて行きます!」
「付いてくるな!!!」
「ふんきゃ~~~~~~!」
担ぎ上げると、勢いよく放り投げる。
悲鳴を上げる周りを他所に、少女は楽しそうな声を上げながら見事なでんぐり返しで床との衝撃を和らげた。が、壁に激突。また悲鳴を上げる周りに大きな溜め息をつくと、眼鏡のブリッジを上げた。
“異世界人”と呼称された漆黒の少女が現れ、早一週間。
俺も本来の仕事である宰相補佐の責務を全うすべく忙しく駆け回っているが、なぜか毎日この少女(ガキ)に付きまとわれている。本当に魔力がないのか気配も感じず、二日目までは指摘されるまで気付かなかった。
さすがに今は足音を覚えたが、覚えてしまったが故に不快さが増す。
それがなんなのかはわからない。苛立ちを抑えながら、上体を起こした少女に再三訊ねた。
「なぜ俺に付いてくる? 助けた礼なら要らんと言っただろ」
何度か『お礼をさせてください』と言われたが、子供にさせるものではないし、私的に“助けた”に入らない。それを断っただけで付きまとわれているならタチが悪すぎる。
目を細める俺に、頭を押さえていた少女は首を傾げたまま笑みを向けた。
「桃が付いて行きたいだけです!」
「余計タチが悪いっ! 吊るし上げて魔物の餌にしてやる!!」
「ほ、補佐、落ち着いてください! モモちゃんは要人ですよ!! 宰相に怒られますよ!!!」
「何が要人だ、宰相だ! 揃って遊び人だろ!! そもそも“モモちゃん”ってなんだ!!!」
居合わせた後輩の男に止められるが、馴れ親しんだような呼び方を咎める。しかし、気付けば同僚数人が少女を囲い、俺を睨んだまま口を開いた。
「モモちゃんは宰相と違いますよ! お茶汲みしてくれるし、お疲れ様ですって笑顔で言ってくれるし!! 何より可愛い!!!」
「永遠ループ仕事の俺達にとって癒しですよ! そんなモモちゃんに付いてきてもらえる補佐が羨まし……じゃなくて、我儘言っちゃダメです!! 受け入れてください!!!」
「貴様らが受け入れろ。病院を」
「うわああぁん! 補佐のいけず~~!!」
泣きながら膝を折った大人達の頭を少女は撫で、溜め息しかつけない俺に漆黒の瞳を向ける。避けるように顔を逸らしてしまったが、周りが怪しむ目で見ているのに気付き、小さな舌打ちをした。
「そいつらと一緒に戻れ。これ以上付いてくるなら本気で吊るし上げるぞ」
「え、えっと、じゃあ今日おうちに帰ってきてくれますか?」
「帰る時間などない」
「でも、そろそろおじさんとおばさんが寂し「貴様には関係ないっ!」
能天気な声を遮る怒声に廊下が静まり返る。
膝を折っていた同僚達も、横目で見ていた周りも愕然とした様子で凝視するが、少女だけは変わらず笑みを向けていた。どこか切なさを混ぜた笑みを。
「わかり……ました。じゃあ、桃、おばさんに言っておきますね。でも、たまには帰ってきてください」
「……貴様がとっとと還ればいい。元の世界という場所に」
背を向けながら言い放つと、白のローブを揺らすように足を進めた。
彼女は今“居候”として、ロギスタン家に身を寄せている。重要人といえど、まだ幼い子供。城に閉じ込めておくのもどうかと、ノーリマッツ様が俺を含めた上官達に提案したことだ。
しかし、どこからきたかもわからなければ“魔”に近い漆黒。手を挙げる者はいなかった。話を聞いたウチの両親を除いて。
「なんだい、今日はいつも以上に不機嫌だね」
「……キラ男」
エレベーター近くの壁に背を預け、窓から射し込む太陽を気にもせず受ける人物に足が止まる。
肩下まである金茶の髪を緩い三つ編みにし、山吹色のチャイナの上に白の大判ショールを羽織るのは、橙薔薇騎士のヤキラスだ。少女と同じような笑みを浮かべているせいか苛立ちが増す。
「その顔をやめろ」
「あっははは、これが私のベースじゃないか」
「……まあ、いくぶんマシにはなったな」
笑う声に一息つく。
キラ男とは六年ほど前、政治部に所属してすぐの頃に起こったある事件からの付き合いだ。一連から時が経ったとはいえ、当事者でもあり、心身共に傷を負ったこいつが笑えるようになったのは最近の話。
喜ばしいことではあるが今は関係ないと睨む俺に、キラ男はくすくす笑う。
「本当に今日はつれないね。また小ガモちゃんのことで怒っているのかい?」
「小ガモ?」
「居候ちゃんのことさ。堅物補佐に必死に付いていく姿はまるでカルガモの親子だと噂されているよ。分身(ハチドリ)で見させてもらったときは爆笑したものだ」
灰青の瞳が突き刺すように鋭くなる。
だが、赤の紐を弄る男の口元は弧を描いているのに、表情はどこか険しい。
「しかし、見事な漆黒だね……私もはじめて見たよ。噂ではアーポアクの王族が同じ容姿らしいが、五帝会議でも見たことないからわからないな。ラー油くんなら何か知っているかもしれないが」
視線を向けられ、同じように壁に背を預けると考え込む。
五大国の王が年に一度、護衛騎士一名を伴って行われる五帝会議。近々新国が入り『六帝』になる予定だが、藍薔薇の俺が行くことはない。そして今年フルオライトからは体調が優れない陛下の代わりに、二十になったコーランディア殿下とヤキラスが出席している。が。
「あのボケ王子、役に立つか?」
目を合わせると、キラ男の笑顔が固まった。
自国の王子に対して暴言に取られる発言だが、キラ男の変なあだ名を許すほど彼はフランクだ。整った容姿と愛想の良さもあり、庭師をしている南庭園には女性ファンが詰め掛けるほど。
俺からすればマイペースで、いつもニコニコしたままボケをかます、そそっかし……考えれば少女(あいつ)にソックリだな。
「道理で気に食わないはずだ」
「? まあ、相性が悪い者はいるものだからね。もっとも良い者を探す方が難しいが……」
腕を組んだまま目を向けると、背を離した男は窓の外を見つめる。
射し込む日差しに金茶の髪はいっそう明るくなるが、前髪の影で隠れる赤の双眸は僅かに揺れているように思えた。溜め息をつくと目先の背中を勢いよく蹴る。
「おっと!?」
いつも防御される足が当たったのを考えると、余程ほうけていたらしい。振り向かれる前に口を開いた。
「吊るし上げられたくなければ、そのウザい顔をやめろ。さっきの方がまだマシだ」
通り過ぎる俺に、目を丸くしていたキラ男は苦笑を漏らすと後ろから頭を叩いた。睨むように振り向くが、そこには変わらぬ笑み。
「最初はいけすかない子供だと思ってたけど、灰くんといると落ち着くね」
「やめろ、気持ち悪い」
「あっははは、率直な感想を言ったまでさ。ぶっきらぼうながらも根は優しい。そんなキミを小ガモちゃんは見破ったのかもしれないし、目を開いた先にいたキミにすがっているのかもしれないね」
それはまるで雛がはじめて見たものを親だと認識する現象に聞こえ呆れた。
「結局はカルガモの親子だと言いたいわけか」
「あっははは、私は小ガモと例えているが、実際は“みにくいアヒルの子”だと思っているよ」
比喩的表現に眉を顰めると、また笑う声が届く。
ショールを大きく揺らしながら足を進めるキラ男は俺を通り過ぎる間際、肩に手を置いた。
「理由がなく気に食わないというのはただの偏見だ。理解出来る場所にいるのに突き放してしまっては本当にいなくなってしまうよ」
その囁きは優しさとは別の何かを含んでいるが、それ以上も答えも言わぬまま彼は去って行った。立ち尽くす俺は考え込む。
少女が気に食わない理由がなんなのかと問われれば確かに“わからない”。
王子の場合は喋っていてもスルー出来るが、彼女の場合、一言喋るだけでも苛立ちが募る。そんなの今までなかった……単純に嫌いなだけか?
「……ああっ、わからんっ!」
荒々しく頭を掻くと、通り過ぎる者達が驚いたように目を見開くが、構わず足を進めた。
ぐちゃぐちゃした時は仕事に没頭した方がいい。一日置けば見方も変わるだろうし、明日顔を会わせれば本当に“嫌い”かわかるだろ。まあ、苛立つ感情で“嫌い”以外はないはずだが。
そう考えているとどこかチクリと痛んだ気がするが、振り払うように仕事へと戻った。
* * *
だが、翌日どころか三日、少女(小ガモ)は現れなかった。
いつもなら『情報総務課』に入ってすぐ後ろに並び、周りが楽しそうな目で見るが……キョロキョロ捜すような仕草をしては訊ねられる。
「補佐ー、モモちゃ……」
「モモちゃんにお菓子渡し……ておいてください」
「補佐! モモちゃんどこに隠したんですか!? 返してくだっ!!?」
「グレッジエルー、モモカは……なんでもない」
声を掛けてきたノーリマッツ様はそそくさと宰相室(すみか)へ、同僚達も仕事に戻る。静まり返った室内を菓子を抱えたまま出ると、勢いよく足でドアを閉めた。
「あんのっクソガキ! どこ行った!!」
抑えが効かず廊下で怒声を落とすと、歩いていた者達の肩が一斉に跳ねる。
瞼を閉じ気配を探るが、魔力を持たない少女を補足することはできず、舌打ちした。窓を開けると分身(鷹)を飛ばし、エレベーターに乗り込む。
脳内には鷹が視ている映像が流れるが、実家にも食堂部にも北庭園にも見当たらない。
この間まで迷子にならないよう壁にクレヨンで目印をつけ、水晶を卓球の玉代わりにし、トイレの水が流せないと泣き付いては散々ストーカーしてたくせに、人が話でもしてやろうという日に限っていないとはどういうことだ! 飽きたからもういいや状態か!? 九つも下の小娘に遊ばれていたのか!!?
小刻みに足を叩く俺に、同乗者達は汗を流し、途中停止した階の連中は乗ってくることなく一階に着いた。同時に薔薇園に少女がいるのを鷹の目が映し、急ぎ東塔へと向かう。
庭園開放されているのもあり、一般人が多い廊下を駆け足気味に進むが、その足に付いてくる足音も息も聞こえない。望んでいたはずの静寂がなぜか苛立ちを募らせ、全身が熱くなる。
すると、庭園から二人の男が出てきた。服装を見るに騎士のようだが、補佐(俺)に気付かないのを見るに新米。二人は自嘲の笑みを浮かべたまま俺を通り過ぎる。
「うわ~マジで真っ黒だったな」
「本当に同じ人間かよ。『魔病子』ってだけで怖いのにさ」
「おい、貴様ら」
振り向いた二人に、自分が呼び止めたのだと気付くのには時間が掛かった。そのまま身体は向かい合うように反転し、口を開く。
「アホ話をする暇があるなら全階のトイレ掃除でもしろ。ついでにそのアホ脳も流してこい」
「なっ、あっ……アンタ、政治部のロギスタンか?」
「え、あの異例スピードで補佐になったっていう薔薇園の息子?」
一応知ってはいたのか、顔を見合わせる二人を睨むが、内緒話をするように顔を逸らされた。
「庭園継がず、政治部牛耳って好き放題してるってヤツだろ?」
「うっわ、だから菓子も牛耳るって? それすんげぇ笑えんだけど」
「偉いのだから当然だろ」
「「え?」」
聞こえていないとでも思ったのか、二人は驚くように目を瞠った。ぺロットキャンディーソーダ味で彼らを指すと、口角を上げる。
「ドアホな貴様らと違って努力で上りつめた地位だ。当然その分の褒賞を貰う権利はあるし、能天気な貴様らを城から追い出す力もある」
「っな……!」
「言い返す気力があるならとっとと持ち場に戻れ」
キャンディーを後ろに振ると一人は向かっ腹を立てたが、もう一人に止められ悔しがるように去って行った。一息吐くと、庭園へと足を入れる。
バカなことをしたと思う。
出世が早かったせいか、なじられることも陰口を叩かれることも慣れているのだから無視すれば良かった。そもそも俺のことではないのだから。
満開に咲いた薔薇のアーチを見上げることなく抜けると、耳に届く音に足が止まる。それは足音ではなく、最近まで耳障りだった音。だが今は誘われるかのように止まっていた足は『福音の塔』へと進み、その音、歌声をハッキリと耳で捉えた。
*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*
どんな時でも見上げれば 空がある
たとえ世界に一人ぼっちでも 私は忘れない
あの日の面影 あの日の言葉 あの日の貴方を
見上げれば思い出すたくさんの日々
でも 遠い日を想うより
いま 会えたことに 私は涙を流す
どんな時でも見上げれば 空がある
繋いだ手が離れても繋がった空がある
信じている また会えることを
この庭園で きっと
*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*
降り注ぐ日の光に息苦しい俺とは違い、歌声の主は帽子も被らず、背中を向けたまま地面に座り込んでいた。草を踏む音で気付いたのか、結っていない漆黒の髪とストールを揺らしながら少女が振り向く。真ん丸な瞳がさらに丸くなった。
「お兄さん!」
親を見つけた子供のように駆け寄ってきた少女は嬉しそうに俺の周りをぐるぐる回る。大きな溜め息をついた。
「……これをやるからやめろ」
「ふんきゃ!?」
ペロットキャンディーを差し出すとピタリと止まった。懐柔されやすいヤツだと呆れる俺に、キャンディーを受け取った少女は笑顔を返す。
「ありがとうございます!」
「………………」
「んきゃ?」
気付けば持っていた菓子をすべて渡していた。
いや、元々こいつ用ので間違ってはいない。あれだ、親鳥が雛鳥に餌を与えるような、つまるところの育児……餌付け?
「お兄さん、すごい汗が出てますけど大丈夫ですか?」
「……問題ない。ところで何をしている?」
「おじさんとおばさんが配達に行ってるので、お留守番です。塔を見ててくれって……この塔、なんで屋根がサビてるんですか?」
「知らん」
「中に鐘があるって聞いたんですけど、いつ鳴るんですか?」
「貴様が飛んで、頭でつくなら鳴るな」
適当にあしらってしまうのは暑さのせいだろうか。
しかし、出入り口に泥棒対策の結界、時間帯的に来場者数は少ないとはいえ、塔に向かってジャンプするドアホに留守番を頼むとは。父達は何を考えているんだ。
詰襟を引っ張りながら木陰に足を向けるが、ローブを掴まれ振り向く。
いつもと変わらない笑みを向ける少女は何も咲いていない、土だけの花壇を指した。
「桃、薔薇育てはじめたんです! お兄さんも一緒に植えませんか?」
「……必要ない」
「もしかしてもうどこかに植えてます?」
「関係……ないだろ」
声と表情が強張っていくのがわかる。
それに気付いてない様子で屈む彼女にいっそう苛立ちが募るが、なんとか声に出すのを堪えた。すると、花だけの薔薇を何かの液体に浸けたタッパーを差し出された。ツンとくる臭いに片眉を上げる俺とは違い、少女は笑顔。
「他にもプリザーさんの作り方を習ったので、練習してるんです」
「プリザー……プリザーブドフラワー……っ!」
瞬間、タッパーを叩き落としていた。
零れる液体と花は地面に付く寸前で水に包まれ宙に浮く。呆然と見上げる少女に声を荒げた。
「液にはアルコールが入っているだろ! それを地面で、直射日光の下でするなどバカか!? 庭園が火事になったらどうする!!!」
「っあ……ごめ……な…い」
容赦ない怒号にビクリと肩を揺らした少女の顔は青くなり、目尻からは薄っすらと涙が見える。我に返った時には大粒の涙を落としながら謝罪する幼き少女の姿。
俺は……何をしてるんだ。
叱りつけるにしても、もう少し手柔らかに言わなければ、相手はまだ子供だぞ。何をそんなに苛立って、焦っているんだ。何に……嫉妬しているんだ?
渦巻く思考に動悸は激しさを、暑さが全身を支配していく。
それでも手を伸ばし、何かを言おうと口を開いた。が、その言葉も手も彼女に届くことなく通り過ぎる。
「お兄さんっ!」
泣き叫ぶような声に重い瞼が開くが、眼鏡が外れたのか視界がぼやけている。自分がなぜ地面に倒れているのかわからない、何も視えない。いや、顔を覗かせる少女だけは視える。涙を零す理由もわかっている……あとは。
力を振り絞るように漆黒の髪を一房手に取ると、小さな口付けを落とした。
「……ごめ……ん」
聞こえたかどうかはわからない。
だが、真ん丸な瞳を向ける少女の姿を最後に、俺の意識は途切れた────。