65話*「手を取る」
轟く雄叫に城が僅かに揺れる。
薄暗い物置で、裏返したマントを被っていたセルジュアートは顔を出した。
「さっきからなんなんだよ。嫌いな魔物だからって、ルンルンのヤツ暴れすぎだろ」
背筋を伸ばし、月が射し込む窓を覗く。が、七色に光る物体の通過に風圧で窓が大きく揺れ、物が落ちてくると慌てて頭を引っ込めた。
「ビックリしたー。今のな……って」
浅い呼吸を繰り返す彼の表情は焦りから呆れに変わる。
自身のトレンチコートを掛け、膝に頭を乗せる漆黒の少女モモカがスピスピと寝息を立てているからだ。また大きな振動と共に物が落ちても起きる気配はない。
「んきゃ……カツ……どん」
「寝言まで言えるって、ある意味すごっ!?」
肩から落ちたコートを掛け直していると、先ほどとは比べ物にならない振動と爆発音に慌ててセルジュアートはモモカに覆い被さる。それでも身じろいだだけの彼女に溜め息をついた。
「兄上とルンルンじゃねーけど、ホント調子狂うマイペースだな。短気な宰相がよくブチ切れず義兄妹して……っと、それより物がないとこに場所移すか」
コートをモモカに掛けたまま抱き上げたセルジュアートは、白のマントを揺らしながら部屋を後にする。その背と少女を映す窓の外を、小さな両翼を羽ばたかせるシロヘビに乗る男が過(よ)ぎった。
南庭園から西に場所を移し、炎を纏ったソラの背に乗るナッチェリーナは激しい衝突音に振り向く。七色に光る竜、シエロとクエレブレが上空でぶつかり合っている姿に眉を顰めた。
「なぜ、あの二人が」
「ケンカだろうね」
目を反らしている間に、金茶の三つ編みと橙のマントを揺らすヤキラスが宙で腕を振り、ソラの九本の尻尾を鞭でひとまとめにした。甲高い悲鳴を響かせるソラの頭に着地したヤキラスにナッチェリーナは矢を撃つが、硬い地結界で阻んだ彼は彼女目掛けて駆け出す。
「ナナちゃ……っ!」
急ぎ旋回するムーランドに、上空から勢いよくレオパルドがカスコにのし掛かる。鋭い爪が堅い甲羅に食い込み、カスコは声を上げながら街へと墜ちていった。
「緑っ!」
「おや、気にするとは余裕だ」
我に返るように前を向いたナッチェリーナだったが、ヤキラスの片足が脇腹にめり込み、宙へと投げ出された。瞬時にソラは必死に縛られた尻尾を振り上げ、主を包む。両手で脇腹を押さえたまま咳き込む彼女の揺れる瞳の先には変わらない表情で鞭を引き、尻尾の縛りを強くする男。
ソラの悲鳴が響く中、ナッチェリーナは口に付いた血を袖で拭った。
「緑が言うように……主は意外と酷(むご)い男なのだな。いつもはニコニコしておるくせに……躊躇いがない」
「あっははは、藍薔薇と同じで公私を分けているだけさ。それに、キミの主人には負ける」
口元に手を寄せ笑うヤキラスをナッチェリーナは睨む。
だが、すぐに視線はシエロとクエレブレとは別、剣を交える二人の男に向けられた。上体を起こした彼女は小さな溜め息をつく。
「シエロを出した青では藍……灰に勝機はないぞ。親友として……助けに入らなくて良いのか?」
真っ直ぐな問いに彼の表情は微笑から苦笑に変わるが、決して振り向くことはしない。彼女だけを捉えたまま柄を握った。
「先ほども言ったが公私を分けている以上、今の私には私の、彼には彼の戦うべき相手がいる。それを私情で放棄しては団長の面目丸潰れだ。それに」
柄を引くと、いっそうソラの尻尾からは血が噴出し、悲鳴が上がった。
急ぎ矢を撃つナッチェリーナだったが、ヤキラスが手を翳すと、鞭に備わった棘がいくつも伸びる。射抜かれても再生する棘に戸惑う彼女とは違い、目先の男は微笑を浮かべた。
「たとえ強き者が相手でも、挑みもしない者よりは遥かに勝機はあるものだよ」
赤の双眸が細められる背後で、クエレブレに締めつけられたシエロの悲鳴が響く。
同時に翳された手が振り下ろされ、先端を尖らせた棘が一斉に目を見開くナッチェリーナに落ちた。大きな衝撃音と白い煙が舞う。
だが、悲鳴は上がらなかった。それどころか棘の先端が折れている。
一瞬ヤキラスは眉を顰めたが、渦巻く風にすぐ笑みを浮かべた。払われた煙の先で両手を翳す男も、いつもの笑い声を響かせる。
「ひゃははは、じゃあボクも挑み続ければヤっちーに勝てるよね」
「……そうだね。その心意気が彼女以外にも発揮できれば可能だろ。しかし、無茶をする子だ」
溜め息交じりのヤキラスに、緑薔薇の文様を持つ男、ムーランドは口元に弧を描いた。
だが、その口からも額からも血を零し、服も土まみれ、擦り傷も数え切れないほど作り、ベレー帽も被っていない。裾が破れた緑のマントの背に護られたナッチェリーナは無傷だった。そのサファイアの瞳は揺れている。
「主……さっき墜ち……」
「途中で『解放』解いたから街は壊してないよ。それよりナナちゃん、ケガなかった?」
「わ、我より自分だろ! なぜ、守備専である主がそんなに傷を負っている!? どこにぶつかった!!?」
「うわ、ナナちゃんが珍しく鋭い! でも残念、ぶつかったじゃなくて着地に失敗したっぐ!!」
爽やか笑顔を向けたムーランドは、みぞおちを食らい、膝を折った。
囲っていた風の結界が解かれるのを感じたヤキラスの背後にはレオパルドが現れ、ソラの威嚇に構わず口に咥えたムーランドの帽子を渡す。顎を撫でながら受け取ると、ナッチェリーナの不機嫌な声が聞こえてきた。
「そもそも我には主がわからぬ。青達の話では良からぬことを知っておったようだが、なぜ知っておきながら黙っていた? なぜ、主(あるじ)に就いた?」
「どうしたの……あの男をナナちゃんが疑うなんて」
「それだ……青ではないが、主も主(あるじ)のことを良く思っておらぬだろ。だからこそ就く理由がわからぬ」
「……ひゃは~、こういう時の女の子の勘ってすごいね。しかも義兄妹揃って似たようなこと聞いてさ」
顔を伏せたまま苦笑するムーランドに、ナッチェリーナの眉が上がる。そんな彼女に構わず彼はゆっくりと顔を上げた。
「キミと……同じだよ」
「は?」
「ボクがあの男に就いているのは……護りたいから」
淡々とした声で顔を上げた彼は微笑を浮かべていた。
それは一人にしか向けないものだが、ナッチェリーナは首を傾げる。
「護るって、嫌いな主(あるじ)をか?」
「ひゃは~……それだけは勘弁。まあ、あの男の気持ちもわからなくはないけどね……でも、叶わないからこそ消っ……!」
突然口元に手を寄せたムーランドは大きく咳き込み、押さえる手からは血が零れる。目を見張ったナッチェリーナが慌てて背を擦ると、様子を見ていたヤキラスが歩み寄った。
「その症状、藍薔薇と話していた時にも見せたそうだね」
笑みもない真剣な表情にナッチェリーナは躊躇いながらも弓を構えようとするが、ムーランドの手に遮られる。その手の平には赤黒い血が付いているが、変わらず意地の悪い笑みを浮かべていた。
「もしかして水でできた藍……グっちーの分身と話した時のこと? ひゃは~、諜報員のくせして何喋ってんだが」
「必要とあらば彼は話してくれるよ。しかし、私も似た症状を見たことがある。キミではない、料理長でね」
ムーランドから笑みが消える。
立ち止まったヤキラスがベレー帽を投げると追い風に押されるようにムーランドの手に収まるが、風はやまない。細められた赤の瞳も反らされることはなく、瞼を閉じたムーランドは口元に付いた血を袖口で拭った。
「……そりゃあ、NGワードを口走ったからでしょ」
「NG……?」
眉を顰めるナッチェリーナは覚束ない足で立ち上がる彼を支える。青の瞳を揺らす彼女にムーランドは笑みを向けると、ヤキラスに目を向けた。
「口走る度に蝕むものがボクと料理長にはある……ケルっちーが戦う理由はそれだと思うけど……もう一人」
帽子を被ったムーランドは視線を上げるが、その瞳はヤキラスに向けていたものよりも鋭い。
「彼が戦うのは多分……災厄を齎(もたら)すとか云う“異世界の輝石”を護るため……かな」
「異世界……っ!」
呟き返すヤキラスは大きく目を見開くと、はじめて振り向いた。
その先には雲に月が覆われていても七色に光る竜とシロヘビの光源でわかる、二人の男。握りしめる彼の手は震えていた。
宙でぶつかり合う二匹のように、息を荒げる主人達も刃音を響かせる。
剣を交差させながら片足を回したグレッジエルに、キルヴィスアは厚い風を纏った片腕で塞ぎ、剣を振り下ろす。上体を捻らせ回避したかと思えたグレッジエルだったが、風圧だけでも切り傷ができ、片目を瞑った。
その一瞬の隙に身を翻したキルヴィスアの剣がグレッジエルの腹部を斬る。
「っく!」
「シエロっ! 青(アスール)、緑(ベルデ)!! 風竜!!!」
間を置かず出した命にシエロも声を上げると、七色だった体は青緑に変わり、風を纏う竜へと姿を変えた。発せられる突風に、巻き付いていたクエレブレが剥がされると、同じ風を纏ったキルヴィスアの剣が振り下ろされる。
腹部から零れる血に構わず、グレッジエルは手を翳した。
「『水氷結界』!!!」
「橙(ナランハ)! 地竜!!」
目先に現れた氷の壁は縦にヒビが入り、真っ二つに斬られる。
直前に距離を取ったグレッジエルをクエレブレが囲うが、太陽のような橙色へと変わった竜と、斬った壁を粉々にするほどに硬くなった剣を握る男。
指を動かしながら、グレッジエルは溜め息をついた。
「まったく……他属性を操る『解放』とはデタラメな男だ」
「藍(インディゴ)、紫(モラド)! 水竜!!」
「聞く耳を持たなくなるのが難点か──『氷雪結(ひょうせっけつ)』!」
キルヴィスアに突っ込むクエレブレに、藍と紫のグラデーションを輝かせるシエロが噛み付き、キルヴィスアは水を纏った剣を振り下ろす。が、噛み付いたシエロの歯が徐々に凍り、下ろす剣が止まった。キルヴィスアの剣と握る手も凍りはじめる。
「っ!?」
「言っただろ、貴様が俺より上など認めた覚えはない、と」
上げられたグレッジエルの片足がキルヴィスアの頭に直撃し、勢いよく落下する。
両翼を広げるシエロはクエレブレのうねる体に巻き付かれたまま、落ちる主人に声を上げた。空ろな瞳のまま、キルヴィスアは凍った手を手で割ろうとするが、その手に絡み付く糸に気付く。
だが既に全身に巡っていた糸に引っ張り上げられ、両手両足を広げたまま宙吊りにされた。
「がはっ!」
締め上げる糸に四肢と口から血が零れる。
目先には、柄に空いた穴に通された何十もの糸に手を寄せるグレッジエル。その指が一本の糸を弾くと剣を握るキルヴィスアの手首が絞まり、血が噴き出す。
息を荒げるグレッジエルは、眼鏡で隠れていない灰青の瞳を向けた。
「貴様……『解放』中は理性がないとはいえ、先ほどと同じポーズを取るのはドアホすぎるぞ」
「……うん……俺も今……思った」
小さな返答に、溜め息をついていたグレッジエルは目を見開く。
咳き込みながら顔を上げる青の瞳にはグレッジエルの姿がはっきりと映っているが、表情は不機嫌に見えた。
「斬っても……スカッとしない……」
「理性があったと思えば相変わらずとんちんかんなことを……脳天を叩きすぎてドアホ王になったか?」
「うん……頭はさすがに痛い……でも……思い出した」
「まったくもって話が通じていない気がするが、まあいい。思い出したって何を?」
切っ先を向けて問う男に、キルヴィスアは顔を伏せる。
落とした視線の先には血の付いた青薔薇のコサージュ。大きく息を吸うと、揺るぎのない青の瞳を向けた。
「てめぇを殴ること──赤(ロッホ)、黄(アマリージョ)、炎竜!!!」
「っ!!?」
炎の渦がキルヴィスアとシエロを覆い、絡み付いていた糸をたどる。
夜空に引かれた糸が淡い光を灯す道となるが、手中であったグレッジエルは炎に包まれ、クエレブレも赤と金色の炎竜に姿を変えたシエロの熱に悲鳴を上げた。
「クエレブレ、戻「る前に」
戸惑いの声を遮るように、炎を掻い潜ってきたキルヴィスアの剣が振り下ろされる。同時にグレッジエルも受け止めるが、空いた手で拳を作ったキルヴィスアは勢いよくグレッジエルの頬を──殴った。
「一発ーーーー!!!」
「っが!!!」
大きな声と拳にグレッジエルは吹っ飛ぶが、クエレブレの伸ばした尻尾がクッションになる。鱗を撫でながら息を荒げるグレッジエルは目先に佇む男を睨むが、それは彼も同じだった。キルヴィスアは剣を鞘に納めると、白の手袋を外す。
「今のは……むしゃくしゃしてた分……あと……えーと、何発だ?」
「貴様、いったい何回っ!?」
指折りで数える男にグレッジエルは制止を掛けるが、すぐに距離を詰めたキルヴィスアの拳が迫る。慌ててクエレブレが尻尾を伸ばした。
「シエロ、頭突き!!!」
主人の声にシエロは一瞬戸惑った様子を見せたが、意を決したように炎竜から虹竜に戻ると、クエレブレに頭突きを食らわした。同時に拳を引っ込めたキルヴィスアも頭突きをお見舞いする。
「っだ!」
突然の切り替えに反応が遅れ、頭突きを食らったグレッジエルとクエレブレは城の南塔に激突した。
大きな音を立てながら崩れる塔からは、塔内に入っていた部署の物が外壁と一緒に落ちていく。白煙が上がるのにも構わず、琥珀の髪と青のマントを揺らす男は呟く。
「今のは……薔薇園火災でいなかった分……あとは」
「それは貴様の責任だろ!」
煙の中から勢いよく飛び出してきたグレッジエルの片足が回され、キルヴィスアは両手をクロスする。が、当たることなく素通り。目を見開くキルヴィスアだったが、一回りしたグレッジエルの拳がキルヴィスアの頬に入った。
「っは!」
風で急ブレーキを掛けたキルヴィスアに、頬に痣を作ったグレッジエルの灰青の瞳が刺さる。息を切らしながら怒声が上げられた。
「守れなかったのは貴様だろ! モモが心を許したからといって護衛を任せたのは間違いだった!! 無理でも俺が」
「じゃあ、さっさとこいよ!」
怒声を最後まで聞くことなく、キルヴィスアはグレッジエルの頬を殴る。
口から血を吐き出しながらグレッジエルも剣を納めると殴り返し、頭上でもクエレブレが尻尾でシエロを叩いては翼で叩き返されていた。
「俺は早急に帰国した! 囚われたバカと違ってな!!」
「そのあとだ! てめぇ、この状況に陥ってすぐモモカのとこに来なかっただろ!! 無事だったの知ってたくせに!!!」
キルヴィスアの拳がグレッジエルの顎に入り、突き上げられる。
半壊した南塔の屋根に墜ちたグレッジエルは咳き込み、息を荒げるキルヴィスアは血の付いた拳を震わせた。
「お前……大広間で俺があっかんべーしたとき……『似た者義兄弟』って言ったな……南庭園でのことなんて知らないはずなのに……知ってるってことは……鷹か糸を使ってただろ」
「…………知らん」
「じゃあ、今日モモカが何回泣いたか教えてやろうか?」
「四回」
「知ってんじゃねぇか!!!」
「やかましい!!!」
拳を振り下ろすキルヴィスアの脇腹にグレッジエルの足が入ると、キルヴィスアは東塔まで吹っ飛ばされる。屋根に激突する大きな音を聞きながら、顔を伏せたグレッジエルは静かに呟いた。
「手を取るには……強くならねばならない……貴様より……でなければ……」
「強くなくても取れよ……」
返された言葉に、グレッジエルの眉がピクリと動いた。
白煙を上げる屋根で上体を起こしたキルヴィスアは咳き込み、額の血を拭う。
「弱くてもなんでも……護りたいなら護れよ……手を取りたいなら取れよ……藍薔薇で義兄でシスコンなてめぇの手なんざ……嫌いにならないって豪語したモモカぐらいしか……取れねぇんだから」
大きな溜め息をつく彼の苦笑にグレッジエルは目を見開くと拳を震わせる。だが、立ち上がったキルヴィスアはすぐ意地の悪い笑みを向けると、青薔薇のコサージュに手を乗せた。
「別に……お前がモモカのこと嫌いならいいさ……でも俺は……騎士として男として……契約する」
「貴様っ!」
その言葉に眉を上げたグレッジエルも藍薔薇のコサージュに手を乗せる。が、勢いよく横切ったシエロとクエレブレが東塔に激突した。崩れる塔から間一髪で逃げたキルヴィスアは溜め息をつく。
「おいおい……あんまり暴れんなよシエロ……俺以外がいなかったからいい……ん?」
「ぎいやああああ~~~~!!!」
崩れる音とは違う悲鳴にキルヴィスアもグレッジエルも見下ろす。
その目に映るのは瓦礫と一緒に墜ちる金髪の男セルジュアート。と、彼よりも下で宙を飛び、漆黒の髪を揺らすモモカ。
「「はああああっっ!!?」」
目を見開き叫んだ二人は慌てて飛び出し、キルヴィスアは風でセルジュアートを包む。だが、不規則な気流でモモカにまでは届かず、舌打ちした。
「セルジュ、なんだってそんなとこにいるんだ! つーか、モモカに手を伸ばせ!! 掴めなかったら散らす!!!」
「お前がやったことじゃねーのか!?」
「とっとと伸ばせ、チャガキ! 揃って役立たずのドアホめ!!」
「チャガって宰相!? 役立たずはお前っが!!!」
瞬間、瓦礫がセルジュアートの頭に直撃し、意識が飛んだようにガックリと俯いてしまった。
「「ドアホーーーー!!!」」
「んきゃ……あ?」
怒声が木霊する上空で、数メートル先にいたモモカの瞳が薄っすら開く。見知った二人が手を伸ばす姿に、モモカも両手を振ると、空ろな瞳のまま微笑んだ。
「お義兄ちゃ~ん~ルアさ~ん~おはよ~う~ござい~ま~す」
「「まだ寝てなさい!!!」」
高所恐怖症である彼女の身を案じての言葉だったが、寝ぼけていたモモカは再び瞼を閉じた。
薄暗かった空が徐々に遠くから光りを連れてくるが、気付く余裕もない男達は必死に手を伸ばす。向かい風に負けようとも、瓦礫が邪魔をしようとも、彼女の手を取ろうとしていた。
特に眼鏡をかけていないグレッジエルは揺れる視界でも、はっきりとモモカだけを捉えている。風に煽られる漆黒の髪に、同じ灰青が光る手に、義妹に、彼女に手を伸ばす。それはひとつの過去と重なっていた。
今はない場所で出逢い、約束を交わした四年前──。
「あ、あのっ、すみません! 桃をもぎ取ってくれませんか!?」
「…………は?」
蕾が開いて間もない薔薇に絡まった一人の少女と、素っ頓狂な声を返した男。
それが彼、グレッジエルにとっての岐路。
そして、モモカとのはじまりの日────。