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64話*「副業」

 静寂が包む大広間では二人の男が鋭い目を交差させていた。
 一人は青水晶の瞳を持つ青薔薇キルヴィスア。一人は月を隠した夜空の灰青の瞳を持つ藍薔薇グレッジエル。柄を握り、臨戦態勢を取るキルヴィスアは低い声を発した。

「なんで……殴らなかった?」
「なんのことだ」
「とぼけんな……おかしいとは思ったんだ……料理長の話だけでキラとジュリ同様てめぇも気付いたはずなのに……殴ったのが料理長だけって……」

 

 渦巻く感情を抑え込むように話すキルヴィスアに、壇上に立つ男は藍薔薇が描かれた左手で再度眼鏡のブリッジを上げる。その仕草が癪に障ったのか、キルヴィスアは声を張り上げた。

 

「薔薇園のことも両親のことも、全部ノーマが絡んでたと知ってなんで殴らなかった!? そっちに立つのは筋違いだろ!!!」
「いや」

 

 怒気を含んだキルヴィスアの声に、短い返答をしたグレッジエルが壇上から跳び出す。
 舌打ちしたキルヴィスアも鍔を押すが、瞬時に身を屈めたグレッジエルが間合いを詰め、鍔を押す手と脇腹に片足がめり込む。その衝撃に横壁までキルヴィスアは吹っ飛ばされるが、風をクッションにしたおかげか、壁への衝突は免れた。

 咳き込みながら片膝を折るキルヴィスアに、グレッジエルは三度(みたび)眼鏡を上げる。

「知った上で貴様を吊るし上げる。それは俺にとって筋が通っている」
「てっめぇ……っ!?」

 脇腹を押さえたまま剣を抜いたキルヴィスアは立ち上がろうとするが、ピタリとその場から動かなくなった。握る剣が僅かに揺れるだけで、歩み寄る男に跪くように身体が動かないキルヴィスアは歯を食い縛る。

「もう……巡らせてやがったのか……」
「当然、貴様を相手にするのだから抜かりはない」

 

 睨む男の前で立ち止まったグレッジエルは、肌が露になった左手の指先で宙を叩く。
 ピンッと弦を張るような音が響くと、月光で光るのは一本の細い糸。床から天井まで蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸が、キルヴィスアの身体と剣に何重にも絡みついていた。
 キルヴィスアは小さな笑みを浮かべる。

「相変わらず……隠すのが好きだな……やっぱ……モモカにてめぇが藍薔薇ってバラしとけば良か……っぐ!」

 

 手袋をしたグレッジエルの右手が拳を作り引かれると、糸の締めつけが強くなった。
 呻きを上げたキルヴィスアの身体からは赤い血が滲みだし、零れた血が糸をたどる。赤い雫が床に落ちるのを見つめる灰青の瞳は細い。

「貴様らと違って仕事に差し支える俺の存在はないものと一緒だ。それにバレたとしても……アイツは俺が否定すれば違うと思うだろ」
「アイツって……公私ハッキリ分けてんな……その義妹に知られるのを恐れて……タトゥー(それ)を隠してたんじゃないのか?」

 顔を伏せたまま大きく息を吐くキルヴィスアにグレッジエルの眉が僅かに動いた。青水晶の双眸と目が合う。

 

「少なくとも……五年前の就任式に……手袋はしてなかった……けど……半年後にはしてた。義妹ができたって……面白い噂も聞いたな」
「それがどうした。仕事上、貴様も手袋はするだろ」
「仕事……ならな。でも、てめぇは水物を触る以外は嵌めてんだろ……特にモモカの前では外さない。外しても……絶対に手の甲を見せない……なんでだろうな?」

 黒の手袋を嵌め直していたグレッジエルの手が止まる。
 視線を移した先には口元に弧を描くキルヴィスア。その表情にグレッジエルは小さな息を漏らした。

「知る必要はない」

 

 鋭くなった灰青の瞳と同時に片足がキルヴィスアの顎に入り、宙に突き上げられる。
 口から血を吐く男を捉えたまま、グレッジエルの握りしめた両手が勢いよく下に引かれるといっそう締めつけが増した。四肢から噴き出した血を宙で散らしながら落下するキルヴィスアは、剣を握りしめる。

「『螺旋風(らせんふう)』!」

 大きな風がキルヴィスアを中心に渦を巻くと、糸がブチブチと切れる。
 片目を瞑ったグレッジエルは藍色のマントを翻しながら上空に張り巡らされた糸に着地した。直後、渦を巻く風の中から鋭い切っ先が飛び出し、口元と白のシャツを赤に染めたキルヴィスアがグレッジエルの胸を貫く。が、ガラスのように割れた。

「幻影っ!?」

 

 目を見開くキルヴィスアの背後に水飛沫を上げながらグレッジエルが現れる。
 振り向いた男の揺れる青水晶の瞳には、頭上まで上げられた片足と鋭い灰青の瞳。それは容赦なくキルヴィスアの背に落ちた。

 

「っが!!!」

 

 勢いよく地面に叩き落とされ、その力を示すように城も揺れる。
 薄暗い中でも白煙が舞い、亀裂が入った床を糸の上に立つグレッジエルは冷めた瞳で見下ろしていた。だが、その頬には切り傷ができ、零れる血を親指で拭う。

「……頑丈なヤツだ」

 

 静かな口からは溜め息が漏れた。
 煙を払い、糸を揺らす風の中心には亀裂の入った床で片膝をつく男。息を荒げながらも瞳は鋭く、グレッジエルは外した眼鏡を布で拭きはじめる。

「さすが青薔薇。と、言ったところか……『水幻鏡(すいげんきょう)』を出すのが数秒遅かったら死んでたな」
「てっめぇ……本気で俺を……殺す気でいるだ……ろ……他の三人といい……なんなんだよ」
「さあ。大方他の連中は宰相の命でも下っているのだろうが、俺の与り知るところではないな」
「じゃあ……てめぇが……俺を吊るし上げたい理由は……?」

 

 赤に染まった手を口元に寄せるキルヴィスアに、頭上に佇むグレッジエルは眼鏡を懐に仕舞うと、腰に掛けていた左右の柄を抜いた。それは三十センチほどの刃も何もない警棒のようなもので、回転させるとどこからか集まりだした水が彼を囲う。

「嫉妬だ」

 静かな返答に大広間が一瞬静まり返った。
 目を見開くキルヴィスアに瞼を閉じたグレッジエルは回転を止めると同時に左右の柄頭を勢いよくくっつける。大きな音が木霊すると彼を囲ったまま水柱が上がり、水飛沫が糸を光らせながら、水音と淡々とした声を響かせた。

 


「水色(すいしょく)海底(スブマリーノ)から上がりし雫を 水月の下(もと) 染めろ──解放(リベルタ)」

 


 藍色の光を放ちながら大きな円と薔薇が水柱の下で描かれる。
 剣を握ったキルヴィスアは斬撃を飛ばしたが、水柱から出てきた鱗に跳ね除けられ、白いものが迫る。両足に風の円を纏い避けようとしたが、張り直された糸に絡みつき、苛立ちの声を上げた。

「ホント、縛るのが好きだな!」
「吊るし上げるのが好きなだけだ。やれ、クエレブレ」
『シャッーーーー!!!』

 

 威嚇の喉を鳴らす声が木霊すると、尾がキルヴィスアを捕えるかのように締めつけ、宙に持ち上げる。
 薄暗い中でも白い鱗が光り、とぐろを巻いた体の中央には小さな両翼と額には薔薇の文様。二又に割れた長い舌を見せながら、頭に乗る主人と同じ藍色で睨むのは数百メートルにはなる巨大な──シロヘビ。

 

 グレッジエルの右手には二つの棒が中央で接合され、一メートルになった先に尖った刃。柄頭には一センチ弱の穴が空いている。
 尾に捕らわれ、身じろぐキルヴィスアは細めた瞳で自身を睨む男に意地の悪い笑みを向けた。

「同じ虫でも……こっちはいいのか?」
「昆虫と爬虫類の違いもわからない男は俺に斬られるよりクエレブレに丸呑みされた方がいいようだ」
「いや……俺を食べても腹を下すって……つーかお前……ダテメ?」
「近視だ。安心しろ、貴様が“あっかんべー”をしているのはよーく視える。似た者義兄弟め」
「ちっだだだだだ!」

 

 小さな舌打ちをしたキルヴィスアをクエレブレが強く締めつける。
 だが、悲鳴を上げる男の口調が大人しい
ことに違和感を覚えたグレッジエルは制止を掛けた。圧迫感が消えたキルヴィスアは荒い息を吐きながらクエレブレに顔を埋める。

 

「貴様……やる気あるのか?」

 

 頭上から落ちる問い掛けに、キルヴィスアはゆっくりと顔を上げる。
 目先には眉を顰め切っ先を向ける男。だが、琥珀の前髪から覗く青水晶の瞳は、彼の胸元に飾られた藍薔薇とかすみ草のコサージュを映していた。

「グレイ……俺達って……不幸だよな」
「なんだ、突然」
「だって……虹に入ってるのに……青(おれ)と藍(おまえ)の薔薇……ないんだぜ」

 瞼を閉じたまま天井を見上げるキルヴィスアに、切っ先を向けるグレッジエルの手が一瞬揺れる。それを感じ取ったのかは定かではないが、キルヴィスアは続けた。

「ちゃんと俺達はその色を背負ってんのに……お前が言うように……存在してないって言われてるみたいで……嫌になるよな」
「……同意を求められても困る。俺にとっては藍薔薇……騎士が副業だ。気に留めることもない」
「じゃあ、本職はモモカを護る男か?」

 ハッキリと告げられた言葉にグレッジエルは目を見開くと、自身を凝視する男と目が合う。静かな大広間にキルヴィスアの声が響く。

「モモカの右手にあった指輪……あれにはお前の瞳と同じ灰青の宝石が施されている。自身の瞳と同じ宝石を騎士が贈るのは……生涯仕えるべき主(あるじ)への忠誠の証だ……けど」

 透き通って光る青の瞳に、暗みの掛かった青の瞳が揺れる。
 瞼を閉じたキルヴィスアは小さな息をつくと、グレッジエルのコートに隠れた赤紫のストールに目を移した。

「それは騎士の話……普通に男としても……言葉と一緒に贈ったって言うなら「クエレブレ!!!」

 

 遮るには充分な主人の怒声に、クエレブレは勢いよくキルヴィスアを壁に向けて放り投げた。大きな衝突音と共に亀裂の入った壁にめり込んだ男は口から血を吐き、握っていた剣を床に落とす。


 床に響く金属音に、シロヘビの頭上に佇むグレッジエルは震える両手を握りしめ、空いた手を引いた。

 その手に、糸がキルヴィスアに絡みつくと、めり込んでいた身体が壁から離され、宙に吊るされる。朧気な青水晶の瞳に、グレッジエルは噛みしめていた口を開いた。

「俺は……藍薔薇も嫌いだが……貴様はもっと嫌いだ……奇跡の名を持つ力に合わせ……」
「奪った……から?」
「っ!」

 

 含みのある笑みに、グレッジエルの手が勢いよく糸と一緒にキルヴィスアを引っ張る。
 頭上を舞う男の糸が切られると同時に、跳んだグレッジエルの足がキルヴィスアの背中を蹴り飛ばした。国旗が飾られた壁に激突する音に次いで、床に落ちる音が響く。
 瓦礫が落ちる音を聞きながらクエレブレの頭に着地したグレッジエルは剣を小さく振った。

 

「戯言はここまでだ。そろそろ身体が温まってきただろ?」

 

 苛立ちを含んだ声と瞳は、飾られた国旗が斜めにずり落ちた壇上に向けられている。立ち昇る白煙に人影が映ると静かな声が返ってきた。

 

「……ああー……トゥランダのシャツが真っ赤だ……買って返さないと」

 

 的外れな返答にグレッジエルの灰青の目が鋭くなる。
 どこからか吹く小さな風が少しずつ煙を晴らすと、シャツを脱ぎ捨てた男の手が挙げられた。その手に従うように風を帯びた剣が猛スピードで主人の手へと収まると、突風が起こる。
 ガラス戸が揺れる音を聞くグレッジエルの耳に、のんびりな声も届いた。

 

「そうだよな……簡単だ……てめぇを動かせるのは一人しかいねぇんだから……そいつのためだと考えれば筋は通る……けどそれって……逆恨みって言わないか?」
「嫉妬……だと、言っただろ」
「ああー……なーる、そっちか」

 

 納得するように振り下ろした剣が煙を払うと、血のついた琥珀の髪に、上半身裸となった男の後ろ姿が現れる。その背には赤い痕を上書きするような薔薇が描かれていた。他の団長とは違い、背中全体を覆う大きく鮮やかな青薔薇のタトゥーが。
 振り向いた男は青水晶の瞳を細めると、口元で弧を描く。

 

「人間相手じゃ早々なんねぇけど……良い具合の胸糞悪さに温まったぜ……久々にイけそうだ」
「こ……──っ!?」

 

 同じように弧を描いていたグレッジエルだったが、一度の瞬きだけでキルヴィスアの姿が消えた。
 同時にクエレブレの白の皮膚に映る黒い影に振り向くと、頭上から落ちてきた剣を受け止める。鋭い青の瞳が持つ剣は重く、舌打ちしたグレッジエルの音にクエレブレの尾が飛び出すが、キルヴィスアは瞬間移動でもしたかのように消えた。

「貴様っ……」
「殺されないよう頑張れよ……俺……今すっげぇ機嫌悪いから……」

 

 冷や汗を流すグレッジエルの頭上には騎士とは違う笑みを浮かべた男が宙に浮いたまま手を翳した。

 


「虹霓 七輝の薔薇(ロッサ)の名の下(もと) 散(あら)けろ──解放(リベルタ)」

 


 静かな声に蒼の光が放たれ、大きな円と薔薇が描かれる。
 だが、線の色は徐々に七色へと変わり、強風が巻き起こると大広間のガラスが一斉に割れた。クエレブレに支えられながら見上げるグレッジエルの目には、一人の男と生物が映る。

 血が消えた琥珀の髪の前髪を掻き上げ、首元まである藍の詰襟服に白のトレンチコート。白の手袋とズボンに、黒のロングブーツ。両肩で留められた青のマントが翻されると、割れた窓の外にはマントに描かれた生き物。

「構わずヤれよ、シエロ」
『キュウアアアアーーーー!!!』

 

 承諾するような声が響くと、月を覆い隠すような両翼が広げられる。
 トカゲのような顔には牙と長い髭に二本の角。手足には鋭い爪があり、体は硬い鱗に覆われ、長い尻尾の先には薔薇の模様。その瞳は主人と同じ青色だが、その体は七色に光る──竜。

 同じ光を放つ剣を握ったキルヴィスアは青水晶の瞳を細めると、左手を胸に当て、切っ先をグレッジエルに向けた。


「『虹霓薔薇』が一人、青薔薇騎士(アスールロッサ)の名において、てめぇを──散らす」

 


 胸元にあった手が退けられると青薔薇のコサージュが光る────。

/ 本編 /
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