63話*「本当の自分」
音も立てず静かに上がるエレベーター。
けれど、押ボタンの下に埋め込まれた直系二十センチほどの水晶に両手を当てるセルジュくんは息を荒げている。オロオロするわたしとは違い、腕を組むルアさんは雫を落としながら淡々と言った。
「はい、ヒッヒッフー」
「ヒッヒッフー……って、オレは妊婦じゃねー!」
「そんなんじゃ元気な俺の子は産めないな」
「緊張解すならもうちょいマシな冗談言えよ! モンモンが絶句してんぞ!! 違うからな!!!」
振り向いたセルジュくんの叫びに安堵の息をつく。ほっ。
最初は動かなかったエレベーターは起動の大本である水晶にヒビが入っていたようで、新しいのに取り替えたら動いてくれました。ただ、新品水晶はまだ不安定で、必死にセルジュくんが調整してくれている。でも、速度が上がったりと下がったりと遊園地のアトラクションみたい。
「なんで急いでる時にオレなんだよ~こういうの苦手なんだって~」
「お前、俺の魔力残量バカにすんなよ。それに特訓と思えば……あ、マジで腹が減ってきた……」
「あ、そうでした。これ多分、陣中見舞いだと思うんですけど」
肩を落とす二人に、キラさんから貰った紙袋を開けて見せる。
中には卵、ベーコン、トマト、レタスがトーストされたパンに挟まれたホットサンドが三つ。時間が経って冷えてしまったが二人は笑みを零した。
「キラキラはホント頼りがいあるよな。怒らすと怖いけど」
「ダテに十年も団長してないしな……セルジュ、四十八階で停めてくれ。先に宰相室を確認する」
「大丈夫なんですか?」
操作に集中するセルジュくんが眉を顰めるように、わたしも部屋の主がいたらと不安になる。サンドを手にしたルアさんは壁に背を預けると一息ついた。
「そのための腹ごしらえ……いたらいたで散らすし、ランのことも聞ける……一石二鳥」
先ほどの不機嫌ではない、いつもののんびり口調で話す彼はパクリとサンドを食べる。それが頼もしいような怖いような。でも自然と笑みが零れたわたしはサンドを半分にすると、セルジュくんの口元に持ってきた。
「じゃあ、セルジュくんも腹ごしらえですね。はい、あーん」
「は? え?」
笑顔のわたしに何やら戸惑った様子のセルジュくん。ルアさんもなぜか口を開いたまま止まった。首を傾げる。
「両手使えないかなと思って」
「あ、ああ……サン」
「セルジュー、代わろうかー」
「急になんだよ!」
口を大きく開けたセルジュくんはサンドを通り過ぎ、真面目顔のルアさんに食ってかかる。代わろうかって、具だくさんで食べずらいってことですかね?
疑問符を浮かべている間に四十八階に停まり、扉が開いた。
薄暗い廊下はエレベーターの灯りだけが差し込むが、降りると人感式のように蝋燭の火が点る。一階ホールと同じ静けさに動悸が激しく鳴るが、二人はなんでもない様子でサンドを食べながら歩きだした。お、男の人って強い。
ゴクリと喉を鳴らしたわたしも二人の背中を追い駆ける。
最初は恐怖から顔が強張っていたが『情報総務課』へ向かう道をたどっていると緩んできた。すると、食べ終えたルアさんが振り向く。
「モモカ……暗いとこが好きなのか?」
「あ、いえ。昔お義兄ちゃんとカルガモの親子していた頃を思い出して。お義兄ちゃん、宰相室でノーマさんに言われるまでわたしが後ろにいたことに気付かなかったんですよ」
「「マジで?」」
綺麗にハモった二人に笑うと右手に光る指輪を見る。
お義兄ちゃんと仲良くなりたくて無心で追い駆けていた四年前。何度も怒られ、放り投げられ、吊るされ、一度めげそうになったけど頑張って実った贈り物。
そんな指輪をセルジュくんが覗き込むと眉を寄せた。
「これって……忠誠の証じゃねーの?」
「ふんきゃ?」
「だって、この宝石って宰相と……」
「行くぞ」
少し低い声で制止を掛け歩きだすルアさんに、セルジュくんは文句を言いながら追い駆ける。指輪についた宝石をしばし見つめるが、呼ぶ声に慌ててわたしも足を進めた。
立ち止まった場所は『情報総務課』の白の両扉。
その扉に手をつけたルアさんは瞼を閉じると溜め息をついた。
「ダメだ……誰の気配もしない」
「ここも全滅かよ」
肩を落とすセルジュくんにルアさんは扉を開く。
だだっ広い部屋は会社フロアのように繋がった机と椅子が並び、どこも紙束が詰まれ、棚も所狭しと置かれていた。けれど、いつも白のローブを揺らしながら忙しく走る人も、顔見知りの人も誰もいない。奥にある宰相室の扉を開けても同じだった。
天井近くまである大きな窓はカーテンもされず、その下にある机も、別の机も変わらず紙とペンが置かれてるだけ。いつもなら怒る人の声と笑う人の声が聞こえて、わたしに気付いたら笑みを向けてくれる。でも、今日は握りしめる紙袋の音と呟きだけだった。
「お義兄ちゃん……ノーマさん」
「まいったな……せめてグレイか藍薔薇がいてほしかったとこだけど……」
「父上んとこにいんのか……ん? おい、ルンルン」
立ち止まったまま顔を伏せるわたしとは違い、二人は部屋を漁るように見渡し、セルジュくんがルアさんを手招きする。二人は何かを覗き込むように屈んだ。
「どうかしました?」
「いや……ちょっとな。ハズレみたいだから……上へ行こうか」
立ち上がったルアさんは手に持った何かをポケットに入れ、セルジュくんは溜め息をつく。わたしは首を傾げるが、ひとつのことを思い出した。
「あの、ルアさん。前に反省室があると言ってましたが、それってどこにあるんですか?」
「へ……ああ、そこの本棚を押せば……モモカ?」
小走りすると彼が指すニメートル半ほどの本棚を押す。
どうやらプリントされた扉だったようで、簡単に両扉として開いた。六畳ほどで、物も窓も何もない真っ暗な部屋でわたしは叫ぶ。
「お義兄ちゃーーん、いませんかーー?」
「グレイ!?」
「なんでそこになるんだよ!?」
驚き方が同じ二人に兄弟を感じながら、木霊する声と返事のない部屋に肩を落とす。
「お義兄ちゃん、暗いとこが好きなのでいるかなって思ったんですが……」
「「いやいや、いたら怖いって!」」
「でも、よくお風呂も灯りを点けずに入るので」
「「怖いな!!!」」
また綺麗にハモった二人に拍手を送ると部屋に足を入れる。
ただ暗闇しかない部屋。そんな世界と水場がお義兄ちゃんの魔力回復場所。はじめて会った時からお風呂も部屋の灯りも点けてなかったし、その中で瞼を閉じているのを見た時は一時の安らぎを感じているように思えた。
そんな暗い場所は今、誰もいない国にはたくさんある。
それでも見つけないと……養親のことを聞いたというなら、きっとわたし以上に苦しんでる。そうだとしたら、もし……。
「風呂と言えばルンルン。そのびしょ濡れ、なんとかした方がいいんじゃねーの?」
「ああ……でも、服とかあるかな」
「シャツとズボンぐらいならトゥランダの替えがロッカーにあるはずだぜ。タオルと一緒に取ってきてやるよ」
「悪いな……」
礼を言うルアさんに、セルジュくんも短い返事をすると宰相室を後にした。見送ったルアさんは反省室に足を入れ、隣に立つ。
「相変わらず……暗くて狭いな」
「ルアさん……暗いとこ……ダメじゃなかったですか」
「うん……ちょっとだけ。でも……グレイと一緒に入ったのを思い出すよ」
「ルアさん……」
「ん……?」
淡々と答えてくれながら、どこか優しい声。
指輪が光る右手で彼の濡れたシャツを握ると、揺れる瞳で見上げる。青水晶の瞳と目が合うと、噛みしめていた唇を開いた。
「お義兄ちゃ……ん……復讐とか……考えてない……ですよ……ね?」
必死に言葉を紡ぐように言ったわたしをルアさんは静かに見下ろす。
言ってる自分でも『そんなことしない』って思っている。でも、殴るほど感情的になっていたら、昔のようにわたしが言っても聞いてくれないかもしれない。また、冷たい瞳で見られたらと顔を伏せていると、大きな手に頭を撫でられた。
「まあ……ノーマがしたのが事実なら、逆さ吊りして撲殺するかもな……」
「ふんきゃ!?」
不吉すぎる発言に慌てて顔を上げた。
けれど身体は大きな両腕に包まれ、顔は硬い胸板に収まる。濡れたシャツに埋まっても、熱くなった頬に冷たさは伝わらない。それどころか膝を折り、抱きしめる彼の額と額、鼻と鼻がくっつくと体温は上昇するばかり。薄暗くてハッキリとした表情が見えないのが救いな反面、動悸は激しい。
そんなわたしとは違い、ルアさんはいつもと変わらない声で話す。
「でも……一度殴って蹴って大声で問いただすだけだと思う……殺しても何も戻らないことぐらい……あいつも俺もよく知ってるから」
唇のすぐ近くで発せられた言葉に重みを感じる。
同じ目に遭わせたい。でも死んだ人が帰ってくることはない。それは魔法があるこの世界でも当たり前のことで、叶わない願い。何よりルアさんも同じ気持ちなのだと気付く。
お母さんを殺した人に、わたしと同じ漆黒の髪と瞳の人に問いたいのだと。
「……ごめんな……さい」
無意識に零れた謝罪にルアさんは額と鼻を離す。
薄暗い中でも彼の綺麗な青水晶の瞳はよく見える。その瞳にわたしが映っていることも。それが怖い一方で口を開いた。
「本当はわたし……わたしの……髪と瞳も……黒……なんで……す」
気付けば目尻からは涙が零れ、肩に乗っていたルアさんの手に雫が落ちる。
なんで今なのか問われればわからない。でも、最初の頃のルアさんとは違う。過去を思い出すような戸惑いがある瞳でわたしを見ている瞳じゃない。ちゃんと真っ直ぐわたしだけを見ている瞳だと今はわかって、本当の自分を知ってもらいたいと思ったのかもしれない。同じ色だと知って、離れていってしまっても。
「……ごめんな」
謝罪に動悸が嫌な音を鳴らし、顔を伏せる。
でも、頬を包んだ大きな両手に顔を上げられ、微笑を浮かべるルアさんと目が合った。親指で涙を拭き取りながら彼は口を開く。
「ずっと俺……モモカを傷つけてたな……」
「い、いえ、それはわたしが……」
「いや、俺が悪いんだ……薔薇嫌いとも言ったし……切っ先も向けた……それは間違いじゃなかったって思うと複雑だけど」
苦笑する声は怒気もなく優しい。
揺れる瞳からまたポツポツと涙が零れると、顔を寄せたルアさんは舌で舐め取っていく。彼の癖なんだろうかと考えるわたしも慣れたのかと思ったが、首筋に口付けられるとさすがに悲鳴を上げた。
「ふんきゃ!?」
「でも……もう大丈夫だよ」
「ぜ、全然大丈夫じゃないですぅ……」
茹でダコ状態になるも、ルアさんは唇を離さない。
それどころか“ちゅっ”と、小さなリップ音を立てながら首筋に何度も口付け、耳元で囁いた。
「今の俺は……モモカが何色で誰でも……一人の女の子として見てるから」
「ふん……きゃ?」
「教えてくれてありがとう……これでやっと……迷わずにいられる」
「ふ、ふんきゃ~……」
な、何がですかと問う前に、薄暗い中でも満面の笑顔を向けられ撃沈。
くすくす笑うルアさんに抱きしめられていると、戻ってきたセルジュくんは疑問符をポンポン浮かべるように首を傾げた。わたしもポンポンパーンとポップコーンのように頭の中がはち切れましたよ。
と、取り合えず良かった……?
* * *
はち切れたダメージでもあるのか、頭がフラフラする。
新品のシャツとズボンを履いたルアさんは変わらず裸足だが、その手はわたしの手と繋ぎ、どこか嬉しそうに廊下を進んでいた。隣を歩くセルジュくんに耳打ちされる。
(オレのいない間に何があったんだよ?)
(ふんきゃ~)
今は何も聞こえないわたしにセルジュくんは呆れるとエレベーターを開き、水晶に両手を当てる。繋いだ手が離れたことに安堵したのか、動き出すエレベーターにコクリコクリと頭が小さく揺れる。
「モモカ……?」
「んきゃ、なんかウトっとーーーー!!?」
瞬間、エレベーターが大きな音を立てながら急停止し、灯りが消えた。
ちなみにわたしが頭を壁に打つ音も交じってました。屈み込むわたしが真っ暗闇でもわかるのか、ルアさんに抱きしめられる。
「セルジュ、どうした!?」
「わ、わかんねーよ! 急になんか停まっ……!!」
焦るセルジュくんの声にエレベーターの扉が開かれる。
蝋燭の灯りが見せるのは綺麗な白の竜と薔薇の彫刻を施した大きな扉。確か誕生式典で見た……。
「なんだよ、ここ五十階じゃねーか」
「……ダメだ、動かない……どうなっ……!」
水晶を触っていたルアさんは途中で言葉を切ると、わたしの手を繋いだままエレベーターから降り、扉に手をつけた。その表情がどんどん険しくなってくると、ボーとするわたしを見下ろす。
「……モモカ」
「はい」
「……眠いんだろ」
「……はい」
「はあっ!?」
瞼を両手で擦るわたしにルアさんは溜め息をつき、セルジュくんは驚きの声を上げる。
おっしゃる通り、頭がウトウトしてて眠いです。南庭園を出る時に見た時計は0時過ぎ。いつもなら十時に寝るわたしですが、最近は牢屋でお昼寝をすることが多かったので活動時間が延びていたのです。でも……さすがにちょっと限界。
睡眠モードに切り替え中のわたしを支えるルアさんが一息つく。
「セルジュ……悪いけどモモカ連れて四方塔のどっかで休んでてくれ。強行すぎると身体にも悪いからな」
十階ごとに四方塔と繋がっている渡り廊下を見るルアさんに、セルジュくんも見回すと眉を顰める。
「ルンルンは休まねーのか?」
「俺は……大広間の隠し階段が使えるか見てくる。エレベーターはもう使えないだろうし……デカい大広間じゃ魔物と遭う可能性もあるから……一人でいい」
真剣な表情を向けるルアさんにセルジュくんはしばし考え込んだ様子だったが、小さく頷くとわたしの肩を抱く。寝ている場合ではないと必死に瞼を開けようとするが、ルアさんに頭を撫でられると瞼が重くなる。
「ルアさん……」
「モモカ……また後でな。起きたら……すぐ……」
優しい声が子守唄にも聞こえ、わたしの意識は簡単に遠退いた。
少し休んで早く起きよ……──。
~~~~*~~~~*~~~~*~~~~
安らかな寝息が聞こえだすとセルジュアートは驚いたように目を見張る。
キルヴィスアはモモカの頬に、そして胸元で揺れる青薔薇のネックレスに口付けた。セルジュアートはなんとも言えない様子だったが、頭を撫でられる。
「じゃ、セルジュ……頼んだぞ」
「お、おう。ルンルンも気を付けろよ」
「誰を心配してんだ……」
苦笑しながらまた頭を撫でたキルヴィスアは自剣を握ると扉に手をつける。だが、再度二人を見ると小さな笑みを浮かべた。優しい笑みにセルジュアートは驚くが、すぐに扉を開き、中へと姿を消す。
静かになる廊下にはモモカの『んきゃ……』という寝言だけが響き、溜め息をついたセルジュアートはゆっくりと足を進めた。
* * *
扉が閉まる音が木霊すると、絨毯も敷かれていない床をキルヴィスアは進む。
誕生式典の時とは違いテーブルも花もなく、壊れた窓も修復された大広間。唯一あるのは壇上の壁に飾られた数メートルにはなる虹色の竜と薔薇が描かれた国旗。そして、主のいない銀色の玉座。
中央で立ち止まったキルヴィスアはシャンデリアではない、月光が照らす玉座を見据えた。
「招待を受けてやったんだ……姿を見せろよ」
呟きのような声は静かな大広間にどこまでも響いた。
入れ替わるように足音が響くと、玉座の後ろから姿を現す人影。
「一人でくるとは賢明な判断だな、キルヴィスア」
「できれば一緒の方が楽だったけど、てめぇに配慮してやったんだ。感謝しろ」
「感謝? 笑わせるな。俺が貴様に感謝などする訳がないだろ」
口調の荒いキルヴィスアに動じない声の主は、マントを揺らしながら玉座の横で足を止めた。
六連ボタンとベルトのある膝下まであるトレンチコート。首元は黒の詰襟に赤紫のストールがコートの襟で内側にしまわれ、黒のズボンにボタンブーツ。黒の手袋をした左手が眼鏡のブリッジを上げると藤の髪が揺れ、青に見える瞳がキルヴィスアを見下ろす。
自剣の柄を握ったキルヴィスアは意地の悪い笑みを向けた。
「ああ……感謝よりも理由を聞かせてもらおうか藍薔薇……いや──グレイっ!!!」
大きな声に壇上の男が足を前に出す。
窓から差し込んだ月光で、影が掛かっていた青の瞳が灰青だとわかるように、男がグレッジエル・ロギスタンだとわかる。
「ドアホめ。俺がここに立つ理由などひとつだ」
左手の指先を噛んだグレッジエルは黒の手袋を外す。
手の甲に描かれた薔薇はマントとコート、そして胸元で飾られたコサージュと同じ──藍色。
「『虹霓薔薇』が一人、藍薔薇騎士(インディゴロッサ)の名において貴様を──吊るし上げる」
冷たい声と灰青の瞳がキルヴィスアに刺さる────。