番外編6*異世界と家族と桃
*66話以降のネタバレ有
新しい家族ができました。
奈落に墜ちたはずが、異世界という地球とは違う世界に飛ばされた桃。
突然のことに夢なのかと思いましたがどうやら本当のようです。還る方法もわからないと聞いた時は戸惑いましたが、とても優しいロギスタン家のみなさんのご好意で、家族の一員になることができました。
「……ちゃん」
遠くから呼ばれる声に、閉じていた瞼をゆっくり開く。
まだ眠いせいか完全には開かないし、薄暗い部屋では何時なのかもわからない。お母さん、桃はまだ眠いですと寝返りを打つが、日本で見ることはない藍色の瞳と目が合う。暖かな微笑を向けられた。
「おはよう、モモちゃん」
「ふんきゃ……おはようございます……スーチお義母さん」
上体を起こし、新しいお義母さんに頭を下げる。けれど頭がふらふら揺れ、優しい手に支えられるとベッドに寝かされた。
「私とヨーギさんは仕事に行ってくるけど、朝ご飯は保温結界に入れてるから」
「んきゃ……桃も一緒行きま……」
「ううん、まだ四時だから寝てていいのよ。昼にグレイくんが帰ってくるって言ってたから、その時に一緒にいらっしゃい」
「ふんきゃ……いってらっしゃ……い」
さすがにまだ起きれる時間、状態ではなく、瞼を閉じる。その後すぐに聞こえた『いってきます』の声に、桃は二度目の眠りについた。
「その割に顔色が悪くないか?」
「ふんきゃ~……キングキトラとゴジランに火を吹かれ食べられて、最後にお尻からポンって」
「モモカ、飯がマズくなりそうな話はやめてくれ」
積み重なった紙束の間にご飯を置いて食べる宰相さんの苦笑に、ソファに座る桃は慌てて頭を下げる。隣に座るグレイお義兄ちゃんの溜め息が聞こえた。
「深く下げなくていい」
「す、すみま「モモ」
また下がってしまった頭を掴まれる。
深々と頭を下げるのは心からの感謝と謝罪。それ以外で下げることはないそうですが、日本人の性か治すのは難しそうです。
悩む桃の頭を掴んでいたお義兄ちゃんはしばしの間を置くと手を離し、今度は優しく撫でてくれた。それが嬉しくて笑みを零すと、食事を終えた宰相さんが笑う。
「ははは、まんま親ガモだな」
「吊るし上げますよ」
怖い声に桃の肩は一瞬跳ねましたが、宰相さんは笑ったまま深緑の双眸を桃に向けた。
「どんな魔法で堅物を丸くさせたんだ?」
「? お義兄ちゃんは出会った時から優しいですよ」
首を傾げる桃に二人は目を丸くする。
そりゃあ何度も投げられたり怒られましたけど、桃が言うことを聞かなかっただけです。悪いことを怒ってくれる人、正してくれる人は優しい人だと本当の両親が言ってました。
「ははは、正してくれたのにお前は聞かなかったわけか」
「だって、お義兄ちゃんはあったかオーラが出てるので見つけやすいですし、一緒にいると落ち着くので、つい付いて行ってしまうんです」
でもお仕事を邪魔していたのは否めないので反省します。
すると、同じように微笑む宰相さんが軽く首を傾げた。
「あったかオーラ? グレッジエルが?」
「はい! 人柄と言いますか、そんな優しさがあるオーラです!!」
「ぶはっ!」
笑顔で言った桃に宰相さんは盛大に吹き出し、大笑いする。
きょとんとする桃は隣に座るお義兄ちゃんを見るが、手で顔を隠していて表情がわからない。伝わらなかったのだろうかと慌てて立ち上がる。
「お、お義兄ちゃんは優しい人ですよ! 部下の人も厳しいけど全部が意味があるって言ってましたし、ヨーギお義父さんも政治部に入ってくれたおかげでお金の管理や書類を手伝ってもらえるから助かる……って、ちゃんと聞いてください!!」
力説する桃に宰相さんはさっき以上の笑い声を上げ、ついには机を叩きはじめた。お義兄ちゃんも前屈みになったまま顔を上げず、桃は頬を膨らませる。
目尻から零れる涙を指先で拭った宰相さんはお義兄ちゃんに目を向けた。
「良かったな~グレッジエル。望みが叶っ……くくっ」
「望み?」
「あー、最高に笑った笑った。これをネタにしばらく楽しめそうだ」
「桃は本当のことしか言ってません!」
「わかってるわかってる。まあ、それは別として。お前もグレッジエルじゃないが一人称をなんとかしろ。十二になっても“桃”は恥ずかしいぞ」
お茶を飲み干した宰相さんは立ち上がり、食器を持って部屋から出て行く。スッキリした様子の彼とは違い、お義兄ちゃんは震えているように見えて、桃は手を伸ばした。
「モモ……」
「ふんきゃ!?」
触れる前に呼ばれ驚く。
早鐘を打つ心臓を必死に押さえていると、眼鏡の間から覗く灰青の瞳と目が合った。それは鋭いようにも見えて怯んでしまうと、ドアを指される。
「ノーリマッツ様を尾行してこい」
「ふんきゃ?」
「俺の時のように、あの人が気付くまで絶対声をかけるな。どこまでも付いて行け。わかったか?」
「は、はい!」
ただならぬ空気に背筋を伸ばして返事をすると立ち上がる。その際また頭を撫でられると嬉しくなり、笑顔で宰相さんを追い駆けた。
「それでノーマくん、顔色が悪かったのね」
「あっはっは! あいつも鈍りやがったな」
「桃、頑張りました!」
時刻は夜の八時を回る。
スーチお義母さんが食器を洗う音を聞きながら手に持っていた白薔薇のプリザーブドを棚に置くと、ソファに寝転がるヨーギお義父さんのお腹に乗る。そのまま嬉しさを表すかのように左右に揺れはじめた。
お義兄ちゃんに言われ、宰相さんの後を追い続けた桃。
周りの目に何度か振り向かれましたが、しゅぱぱーっと背後に回ったのでセーフ。食堂部に北庭園にトイレまで付いて行き、気付かれることなく宰相室に帰宅。
お義兄ちゃんの大爆笑で気付いた宰相さんは、しばらく意気消沈としてました。
「まあ、私もグレイくんの大笑い見たかったわ」
「最近じゃ滅多に見ねぇからな。よっしよっし、モモカ、よくやった。笑顔でいて悪いことはないからな」
「ふんきゃ」
ゴツゴツとした大きな手で頭を撫でられ笑顔を返す。
その後、自室でキャミソールとパンツだけになるとパジャマを持ってお風呂へ向かう。昨日まではスーチお義母さんと入ってましたが『十二になっても』と言っていた宰相さんの言葉を教訓に今夜は一人です。
一人称もなんとかしようと意気込むように脱衣所に足を入れるが、灯りが点いていないのに気付く。
「そうでした。『水晶』使えないから点けてもらわないと」
ウッカリしてたと踵を返すと、脱衣所の灯りが点いた。
お義母さんが気付いて点けてくれたのかと思ったが、ガラリと開くドアの音に足を止めると振り向く。見ると、真っ暗な浴室から髪も身体も濡れた人が出てきた。
いつも白のローブで隠れている身体は均等に筋肉が付き、眼鏡で隠れていない綺麗な灰青の瞳を丸くした――グレイお義兄ちゃん。
「「……………………」」
「モモちゃーん、そう言えばまだグレイくんが出てきて……あら?」
ひょっこりと顔を出したスーチお義母さんは瞬きするが、桃は上から下へとお義兄ちゃんを見ると、そのまま頭を深々と下げ合掌。直後、猛ダッシュで自室へ戻った。
眼福なお身体をありがとうございました! タオルしてくれていて助かりました!! そしてごめんなさ~~~いっっ!!!
「悪い……気配が読めなかった」
「いえ……桃もすみません」
ベッドに座り、ドライヤーで髪を乾かしてくれるお義兄ちゃんにやはり頭を下げた。送られてくる暖かな風が消えると、慣れない手付きで三つ編みをはじめるお義兄ちゃんに灯りを点けていなかった理由を訊ねる。
「俺の魔力回復法が暗闇と水場だからだ」
「あ、それでお風呂……でも、眼鏡してないんですから危ないですよ」
「視えなくとも何がどこにあるかはわかる。それほど昔からの癖だ」
なんでもない様子に、自分のキャミソール姿が見られたのかは判断できない。まあ、見られてもペッタンペッタンなんですけどね。
胸をペチペチしていると『できたぞ』と背中を押され振り向く。ゆっるゆるの三つ編み。でも安堵のような息をつくお義兄ちゃんに嬉しくなり、お礼を言うと布団に潜る。そこで思い出したことを訊ねた。
「お義兄ちゃんの望みってなんだったんですか?」
「なんの話だ?」
「ほら、今日宰相さんが言ってた……」
立ち上がったお義兄ちゃんは考え込むが、思い出したように眉を顰めると溜め息をついた。そのままベッドに座り直すと眼鏡を外し、手で瞼を覆う。
「……モモが父から聞いた通りだ」
「ふんきゃ?」
「俺は虫嫌いのせいで薔薇園の管理が出来ない」
恥ずかしいのと悔しいのが混ざった黒いオーラには頷くしかない。
そんなお義兄ちゃんの虫嫌いは城で虫を見たことがないという同僚のみなさんと、お義母さんの薔薇の栽培に挑戦しても虫の殲滅が先になってできない証言だけで察します。
眼鏡を掛け直したお義兄ちゃんは、壁に貼った薔薇のシールに目を向けた。
「だから栽培以外で尽力を尽くそうと政治部に入った。上まで登りつめて少しでも庭園の手伝いを……両親の役に立とうと決めたんだ」
目前にあるお義兄ちゃんの背中は大きく、出会った時と同じようにあったかいものが出ている。そしてぶっきら棒でもやっぱり優しい人だと胸の内が熱くなると、寝転がったまま背中に抱きついた。
驚いたように目を見張るお義兄ちゃんに笑みを向ける。
「お義兄ちゃんの気持ちは十分お義父さん達に伝わってますから大丈夫ですよ」
「モモ……」
「それに今は桃がいます。お義兄ちゃんが政治部で庭園を支えてくれている分、桃が薔薇園を護ってみせます!」
まだまだ早起きはできないし、薔薇の知識もない。
それでも娘として、妹として、家族の一員として役に立ちたい。元の世界に還る日がきてもこなくても、現在(今)を生きる自分はモモカ・ロギスタンだから。
「なるほど……家族営業か」
落ちてきた言葉に顔を上げる。
そこにはどこか照れた様子で微笑を浮かべるお義兄ちゃん。それだけでも十分嬉しい桃は大きく頷いた。
「ふんきゃ! 桃、頑張ります!!」
「ああ……あと一人称。俺も“私”に変えないとダメか」
「二人でお勉強ですね、お義兄ちゃん」
「……だな」
互いに目を合わせると小さく笑い、頬を撫でられる。
それがほっとしたように眠気を誘い、立ち上がったお義兄ちゃんが掛け布団を掛けてくれた。そのまま足をドアに向けたと思ったが、声をかけられる。
「そう言えば、リビングにある白薔薇のプリザーブドはモモのだと聞いたが、どうしたんだ?」
「ふんきゃ~……貰いました~」
「貰った? まあ、いいか……あと、藍薔薇を知ってるか?」
「薔薇に……藍色なんて……ありましたっけ……?」
「……なんでもない、おやすみ」
なぜか最後言葉に詰まっていた気がしましたが、既に睡眠モードに入り、夢の中へと入って行った。
翌朝、なんとか早起きすると、お義兄ちゃんが手袋をしているのに気付く。違和感があるのは桃だけではないようで、お義母さんが代表で訊ねてくれた。
「グレイくん、どうしたの?」
「寒いだけです」
「は? お前暑が「寒いんです」
気迫に押されたのか、お義父さんも『そ、そうか』と返すことしかできず、お義兄ちゃんは朝食の席に着いた。向かいには桃の席があり、座ると揃って手を合わせる。
「いただきます」
何気ない言葉。昨日の朝は一人で言った言葉。
なのに嬉しいのは家族が一緒だから。本当の家族じゃなくても嬉しい気持ちは変わらない。今日からまた新しい家族と一緒に楽しい日々を作って過ごそう。
とても素敵な家族と一緒だったと言えるように――。
余談ですが、お義兄ちゃんが近視だと知ったのはだいぶん後のことです。
お義兄ちゃん、見てないですよね!?