57話*「紅蓮の炎」
綺麗な紫の薔薇が描かれた円上で、水が天に昇るかのように渦を巻く。
ただ呆然とルアさんに抱えられたまま見上げていると、数十メートルにはなる両翼が飛び出すように広げられ、渦と言う名の竜巻を晴らした。
星屑のように散る水飛沫から現れたソレは夜空でも輝く純白。
二本の短い黒の肢は水鳥のように間々に膜が張られ、薔薇の模様が描かれた細長い首に黄色の嘴は先端が黒。その大きさは建物四、五階分はある巨大な──ハクチョウ。
「ふんきゃ!?」
「なんだ、モンモンは『解放』も『解放精霊』も見るのはじめてか」
「早々……見せれるもんでもないけど……」
予想外の登場にわたしは金魚のように口をパクパクさせる。
宙で羽ばたくハクチョウさんの風に煽られても鋭い青の目を向けるルアさんの先には巨大なハクチョウさんの頭部で佇むジュリさん。その姿にわたしは目を見開いた。
腰まであった長い紫紺の髪は後ろで編み込みされ、首元まであるレースに薄い藤色のエンパイアドレスと白のハイヒール。そして両耳と胸元で光る装飾と両肩で留められたマントはドレスの切れ目から覗くタトゥーと同じ紫色と薔薇が描かれていた。
「あの服って……王様の誕生日に見た正装……ですよね?」
「『解放(戦い)』……だからな」
小さな声で返すルアさんと同じように瞼を閉じているジュリさん。
白のレースが編まれた手袋を嵌めた右手には紫水晶の先にできた柄を握っている。だが、漆黒の筒に覆われていた“杖”は鋭く細い銀色の刃──剣へと姿を変えていた。
ゆっくりと赤の双眸が開かれ、目先で汗を流すケルビーさんを捉えた彼女の口が静かに動く。
「手加減は無用でしてよ、シスネ」
『コォアアァァーーーーッッ!!!』
主人に応えるように、紫の双眸を開いたハクチョウさんが大きな声を響かせる。その声量に両手で耳を塞ぐわたしとは違い、ルアさんとセルジュくんは平然と会話をはじめた。
「ジュリリンの久々に見たぜ」
「うん……『覚醒』使ってる時点で嫌な予感はしたけど……」
「『覚醒』って、水晶が紫色になったことですか?」
片耳を塞いだままジュリさんの握る杖=剣を指すと、溜め息交じりにルアさんは説明してくれた。
要約すると『覚醒』とは特別な『水晶』に封じ眠らせていた自身の膨大な魔力を起こすこと。一人で抑えることができるルアさんや防御に特化したムーさん、魔力があまり高くないケルビーさんとナナさんには必要ないみたいですが、抑えるのが苦手なジュリさんは使ってるそうです。
「封じ込めている間は制限が掛かるけど魔力に変わりねーから、ジュリリンは四大元素に変換して全属性を操ってたんだ。まあ『覚醒』使ったら本来の属性である『水』しか使えねー……けど」
「『覚醒』と『解放』されたら……さすがのケルビーも本気を出さないと……マズい」
「んきゃ?」
二人の表情が徐々に強張る。
確かに『火』属性であるケルビーさんに対して『水』属性のジュリさんが優位に見えますが、剣や体格差を考えるとやっぱり男のケルビーさんが強い気がする。
そんな疑問に二人は手を横に振った。
「団長達が剣技だけで勝負したら一位はルンルン、二位はケルルン、三位はジュリリン」
「魔法も合わせれば…………ジュリが強い」
細められた二人の瞳に、わたしも宙に立つ二人に目を移す。
紫のマントを揺らすジュリさんは杖ではない剣を、いつものようにゆっくりと回転させていた。
「ケルビー、貴方も『解放』なさい」
「マジでやんのかよ……んなことしたら城どころか街にも被害が出るぜ」
「それが何か? わたくしの目の前には“国の敵”しかいません」
いつもの“ケンカ”レベルではないほどジュリさんの声は低く、赤の双眸も鋭い。緊迫した空気が流れる中、回転させていた剣を握り直した彼女は切っ先をケルビーさんに向けた。
「『虹霓薔薇』が一人、紫薔薇騎士(モラドロッサ)の名において貴方を──掻き消します」
聞いたことある言葉と違う言葉に目を見開く。
その隙に水の輪を両足に作って飛ぶジュリさんの剣とケルビーさんの大剣がぶつかった。ものの数秒で互いの剣が交差し、刃の音が途切れることなく響く。でも、ルアさんの時と違ってケルビーさんの動きが鈍いように見えた。
「貴方……本当に馬鹿ですのね」
「っ!?」
目を細めたジュリさんの声にケルビーさんは瞳を揺らす。そんな彼に小さな溜め息をついたジュリさんは宙で一回転した。
「シスネ──『水柱砲(すいちゅうほう)』」
「『火壁双《かへきそう》』!!!」
身体を捻る彼女の後ろでハクチョウさんが舞い上がると、広げられた両翼と嘴に水が集まる。その光景にケルビーさんを護るように炎の壁が囲うが、赤い炎を瞳に映すジュリさんはゆっくりと三つの言葉を発した。
「御・馬・鹿」
「ジュリさ──!?」
静かな呟きと同時に両翼と嘴に集まっていた三つの水が一斉に放たれ、渦を巻きながらケルビーさんに直撃した。爆音と爆風に、セルジュくんと共にルアさんの手によって頭を押さえ込まれる。
音がやむと手も放れ、顔を上げるとルアさんは鋭い目を湯気が上がる場所に向けていた。
風で湯気が飛ばされると、宙に佇むケルビーさんが息を荒げながら姿を現すが、上げていた前髪も下りるほど全身ずぶ濡れとなり、口からは血が零れている。瞬間、大きく剣を振り上げたジュリさんの切っ先がケルビーさんを──斬った。
「っぐ!!!」
「ケルビーさんっ!!!」
防御が遅れたケルビーさんの腹部からは血飛沫が散り、大きな音を響かせながら地面に落ちた。一週間前の惨劇が脳裏に蘇ったわたしは暴れるが、ルアさんに押さえ込まれる。
「なんで……そこまでするんですか……ジュリさん!」
あの日のナナさんと同じようになんの躊躇いもなく斬ったジュリさんに声を荒げる。けれど、わたしを見ることなく、ただ冷めた目で腹部を押さえるケルビーさんを睨んでいた。握る剣からは血が雫となって落ちる。
その雫とは違う涙を零すわたしを抱きしめるルアさんは静かに囁いた。
「騎士は……国を護るためにいる……その筆頭である団長は魔物だけじゃない……国を脅(おびや)かすすべての敵から護るために存在する」
わたしの揺れる瞳とは違い、真っ直ぐな青の瞳を向ける彼の手が涙を拭ってくれる。
「それがたとえ仲間でも家族でも恋人でも……自分の心が“敵”だと囁けば討つ……それが国竜(俺達)だ」
強い眼差しに揺らぎはない。
ルアさんも宙に佇むジュリさんもそれが団長だと、責務だと、それでも自分で選択した結果だと言うような強い瞳。
その眼差しに暴れる力も声もなくしてしまうと、ケルビーさんが大剣を支えにゆっくりと起き上がる。咳き込みながら血を吐く彼に顔を青褪めるが、その手が退けられた口元には笑みがあった。
「国竜か……そんな大それたもんを……青薔薇が感じてるとはな……」
「…………お前よりはねぇよ」
「……そうな。てめぇはそういう男だ……オレとムーランドとは違う……」
「ケルビーさん……」
血のついた手で前髪を掻き上げるケルビーさんの瞳は二人とは違い揺れている。
けれど、濡れた鳶色のロングコートを脱ぎ去ると左肩に赤薔薇のタトゥーが現れ、大剣の柄を力強く片手で握ると大きく振った。土煙を払い、炎が水を蒸発させながらケルビーさんの足元で円を描く。その中心に立つ彼の瞳は細められ、上空に佇むジュリさんを捉えた。
「けど、オレもあいつも引くわけにはいかねぇ……自分で決めたことだからな」
「……それが貴方の道と言うならば何も言いません。交じ合えばわかるでしょうから」
「……ああ」
瞼を閉じたジュリさんは揺れる紫のマントと血がついた剣を振り払うと、赤の双眸と共に切っ先を彼に向ける。同じように瞼を閉じていたケルビーさんも大剣を握りしめたまま重い口を開いた。
「炎火 白夜を駆け 紅蓮の炎(リアマ)を灯せ──解放(リベルタ)」
炎が薔薇を描き、紅の光を放つ。
大きな火柱が上がる中、低い喉を鳴らす声が炎を身に纏ったまま姿を現すが、地に四脚で立つと高さは建物二階分。尾も合わせた体長は三階分にはなり、燃えててもふさふさそうな獣耳の左には赤薔薇の模様。
上空を飛ぶハクチョウさんに鋭い赤の双眸を向けるのはオレンジ色を帯びた──オオカミ。
「あれ? 鳥さんじゃない」
「そりゃね……全員違うよ。でも……主人にはソックリだ」
ルアさんは小さく笑いながらオオカミさんを見る。
その背中には濡れて落ちていた前髪が綺麗に上げ直され、耳には薔薇のイヤリング、白のシャツにベストとスカーフは赤。膝下まである黒のロングコートとズボンに靴と正装を纏い、薔薇が描かれた赤のマントを右肩で止めたケルビーさんが佇む。
「喰っちまっていいぜ、ローボ」
『オオオォォーーーーーン!!!』
遠吠えを響かせるオオカミさんに、ハクチョウさんがジュリさんに頬ずりすると、白の手袋を嵌めたケルビーさんの二つの切っ先が向けられる。炎を纏う剣は大剣から幅のある一.五メートルの長刀と一メートルほどの短刀の二刀に姿を変え、炎を映す彼の瞳にはもう揺らぎは見えない。
両刀を左右に振ると、口が開かれる。
「『虹霓薔薇』が一人、赤薔薇騎士(ロッホロッサ)の名において、てめえを──燃えっ斬る」
小さな微笑を浮かべるジュリさんに茶の瞳が細められると、脚に炎の輪を生んだオオカミさんが勢いよく宙へと駆けるように飛ぶ。迎え撃つようにジュリさんも剣を構えると、オオカミさんから跳び出したケルビーさんの長刀とぶつかり合った。
同じように口を大きく開け、鋭い歯を見せるオオカミさんもハクチョウさんに飛びかかり、宙は怪獣映画並みの大混乱と化す。
「キングキトラVSゴジランとかでしょうか……あ、キトラさんの首がたりない」
「お、なんかカッコイイこと言うなモンモン」
「ここは……もう任せていいか」
顔を青褪めるわたしの呟きに目を輝かせるセルジュくん。
そんな彼の頭を叩いたルアさんはわたしを抱えたまま出入口へと駆け出し、慌ててセルジュくんも追い駆けてくる。
「って、二人はいいんですか!?」
「見てる暇ないし……あの二人も邪魔なんてされたくないよ」
視線を一瞬だけ上に向けたルアさんにつられるように空を見上げる。
上空ではジュリさんの剣がケルビーさんの短刀とぶつかり、その隙に長刀が振り下ろされるが水の防御壁で遮られた。後ろではハクチョウさんが足に噛みつくオオカミさんを跳ね除けようと羽をバタバタ動かしている。
「シスネ──『砲流水(ほうりゅうすい)』」
「ローボ! 『槍炎尾(そうえんび)』!!」
主人の命令に一羽と一匹も声を上げるとオオカミさんは尻尾に炎を、ハクチョウさんは開いた嘴に水を集めだす。どんどん大きくなる炎と水を、ただ見ているだけしかないわたしにジュリさんが微笑を向けた気がした──切ない微笑を。
「ジュリさ──!」
瞬間、ルアさんに頭を押さえ込まれると上空で眩しい発光、爆音、爆風が同時に起こる。一瞬でわたし達は東塔廊下に投げ出されるように倒れ込んだ。
でも、それ以外は風も葉も臭いも入ってこない。
護るように抱きしめてくれていたルアさんと上体を起こすと振り向く。扉もない出入口には『水氷結界』が張られていた。
大きなハクチョウさんとオオカミさんの姿が薄っすら氷の先で見えるが二人は見えない。でも、僅かに聞こえる刃音に二人が戦っているのがわかり、震える両手を握りしめる。
「ジュリさ……ん……ケルビーさん」
「大丈夫……カップル喧嘩が最高潮に達しただけだよ……殺すのは騎士道に反するから半殺し程度で終わるって」
溜め息をついたルアさんにわたしは目を丸くするが、ジュリさんが圧勝するような言い方に小さな苦笑を漏らした。そのまま片方の手をポケットに入れると、意味をなさない庭園の鍵を出す
。
告げられたことが多すぎて、衝撃すぎて正直まだ頭がついていかない。わからない。
でも、ジュリさんとケルビーさんが戦うことになってしまったのも、薔薇園が燃えたのも、養親が亡くなったのも、すべてが一本の糸のように繋がっているなら。
「……ノーマさんと……を……捜さなきゃ……」
小さな呟きにルアさんが目を見開く。
捜さないとはじまらない。すべての糸と鍵を手にしている人を。そして、何よりわたしよりも先に真実を知った大事な人も捜さないといけない。
「お義兄ちゃ……ん……」
小刻みに身体が震える。
もう出したくない涙も頬を伝い、雫が握りしめる鍵に落ちるとルアさんの大きな手が優しく包む。その手に顔を上げようとするも、先にもう片方の手が背中に回り、抱きしめられる。
包む手と同じように髪を撫でながら肩に顔を埋めたルアさんの声が耳元で聞こえた。
「……うん、捜そう……他の団長もノーマも……バカグレイも」
流れる雫を止めることを許さない温かなぬくもりに瞼を閉じると小さく頷き願う。
流した分はきっと強さに変えるから。捜す力に変えるから。知るための勇気に変えるから。だからもう少し涙を許して。
もう少しこのままで────。